すると、壁に掛けられたランタンの淡い光の下で、ピエールは少しずつ声を張り上げ、部屋全体に聞こえるようにした。
—「最初の奇跡が起こるや否や、迫害が始まりました。ベルナデットは嘘つきや狂人扱いされ、投獄の脅しさえ受けたのです。ルルドの司祭ペイラマール神父、タルブの司教ローランス師、そしてその聖職者たちは、極めて慎重に距離を置き、成り行きを見守っていました。一方、民事当局――県知事、皇帝検事、市長、警察署長らは、宗教に対して嘆かわしいまでの過剰な熱意をもって弾圧を加えていたのです…」
語り続けるうちに、ピエールの目には、揺るぎない迫力をもって、真実の歴史が浮かび上がってきた。彼は少し時間を遡り、最初の出現の時のベルナデットを思い描いた。あまりにも純真で、痛々しいほどに無知で、しかし疑いようのない善意に満ちた少女。苦しみの中で、彼女は幻視者となり、聖女となった。
そして、彼女が恍惚の状態に陥ると、その顔には人間を超えた美しさが宿った。額は光を帯び、顔の輪郭は引き締まり、目は光に包まれ、半開きの口は愛に燃えているかのようだった。さらに、彼女の全身には威厳が満ち、十字を切る仕草は非常に荘重で、ゆっくりとしたものだったが、それはあたかも天地を満たすかのように見えた。
近隣の谷々、村々、町々は、ただベルナデットの話題で持ちきりだった。聖母はまだ自らの名を告げてはいなかったが、人々はすでに確信していた。「あれは彼女だ、聖母マリアだ」と。そして、市場の日には群衆が溢れ返り、ルルドの町は人でいっぱいになった。誰もが祝福された少女、天使の女王に選ばれた少女を見ようと押し寄せた。彼女が神の光に包まれると、なんとも言えぬ美しさを放ったのだ。
ガヴ川のほとりには、毎朝、人々の波が膨れ上がった。最終的には何千人もの群衆が押し寄せ、わずかな一瞬も見逃すまいと、もみ合いながら身を寄せ合った。そして、ベルナデットが姿を現すや否や、敬虔なざわめきが起こった。
—「聖女だ、聖女だ、聖女が来た!」
人々は我先にと彼女の衣服に口づけした。
それは、どの時代にも繰り返される「メシア」の物語だった。代々の人々が待ち望み、時を超えて何度も新たに生まれる救世主の伝説。一人の羊飼いの少女に聖母が出現し、世界に悔い改めを促す声が響き渡る。そして、泉が湧き出し、奇跡が起こり、それを目の当たりにした民衆が驚き、恍惚となりながら、ますます押し寄せる――それは、繰り返される永遠の物語だった。
ああ! ルルドの最初の奇跡、それは貧しさと病に蝕まれた哀れな人々の心に、まるで春の花が咲くように慰めをもたらしたのだった。癒やされた老ブルイエットの目、氷のように冷たい水の中で蘇ったブホール少年、聞こえるようになった聾者、歩けるようになった足の不自由な者たち――そして、ブレーズ・モームス、ベルナデ・スービエス、オーギュスト・ボルド、ブレゼット・スーペンヌ、ブノワット・カゾーといった、最悪の苦しみから救われた人々。彼らの奇跡は尽きることのない話題となり、魂に、また肉体に苦しむすべての人々の希望を高めた。
3月4日、木曜日――聖母が求めた15回の出現の最終日には、洞窟の前に2万人を超える人々が集まった。山全体が下りてきたかのようだった。そして、この膨大な群衆は、飢え求めていたものをそこに見出した。すなわち、神聖なる糧、奇跡という饗宴、自らを満たすに足るほどの「不可能」――それは、貧しき人間たちのために降り立ち、この世の悲惨な出来事に鮮烈に介入し、少しでも正義と慈悲を取り戻そうとする超越的な力への信仰を満足させるのに十分だった。
天からの慈愛の叫びが轟き、見えざる救いの手が差し伸べられ、人類の永遠の傷を癒やしていた。ああ、この夢! どの世代もまた新たに見出す夢よ! それは、しかるべき土壌と状況が整えば、絶えることなく再び芽吹く、底知れぬ生命力を秘めた幻だった。そして、何世紀もの間、これほどまでに出来事が一つに集まり、ルルドのように神秘の炎を燃え上がらせたことはなかったのではないか。
新たな宗教が誕生しようとしていた。そして、すぐに迫害が始まった。なぜなら、宗教というものは、常に苦難と反抗の只中でしか芽吹かないものだからだ。かつてエルサレムでも、待ち望まれた救世主の足元に奇跡が咲き誇るという噂が広がったとき、世俗の権力が動き出したように。帝国の検事、治安判事、市長、そして何よりタルブの県知事が事態に注目した。
この県知事は、まさに敬虔なカトリック信者だった。実直に信仰を守り、完全に品行方正な人物だったが、同時に冷静な行政官でもあった。秩序を何より重んじ、狂信から生じる騒乱や宗教的逸脱を憎んでいた。彼の指揮のもと、ルルドには一人の警察署長がいたが、彼もまた自らの鋭い洞察力を示す絶好の機会と考えていた。こうして闘争が始まった。
それは、四旬節の最初の日曜日――最初の幻視の直後のことだった。この警察署長こそが、最初にベルナデットを呼び寄せ、尋問を行ったのだ。彼はまず優しく接し、次に苛立ち、やがて威嚇した。しかし、どんな手を使っても、少女の口から出る言葉は変わらなかった。彼女の語る物語は、少しずつ細部を増しながらも、その幼い心に確固として刻み込まれ、もはや揺るぎようがなかった。
この、ヒステリーに陥った異端児にとって、それは決して嘘ではなかった。それは無意識のうちに憑りついた幻影であり、もはやそこから逃れられぬ、死んだ意志の囚われであった。ああ、この哀れな少女! なんと愛おしい少女だろう! かくも優しく、それゆえにすでに人生を失ってしまった少女。信仰という磔刑にかけられた少女。その呪縛から解放する唯一の方法は、彼女を異なる環境に置き、広々とした自由な空の下、人間の温もりに満ちた土地へ連れ出すことだった。しかし、彼女は選ばれし者だった。聖母を見た少女だった。そのために、一生苦しみ続け、やがてそれが命を奪うことになるのだった。
ピエールはベルナデットのことをよく知っていた。彼の胸には、彼女に対する兄妹のような哀れみがあった。そして、人間の聖女に抱くような崇敬の念をも抱いていた。彼女の信仰の苦難の中に、あまりにも素直で、あまりにも誠実で、あまりにも愛らしい姿があったからだ。彼は感情を抑えることができなかった。目を潤ませ、声を震わせながら、語り続けた。
すると、その場に小さな変化が起きた。これまでずっと硬直し、反抗的な表情を崩さなかったマリーが、組んでいた手をほどき、かすかに同情のこもった仕草を見せた。
「哀れな子……」彼女はつぶやいた。「あんなにも無垢で、あんなにも誇り高く、あんなにも確信に満ちているのに、たった一人であの裁判官たちに立ち向かわなくてはならなかったなんて……」
ベッドの上からも、次々と共感の声が上がった。病棟全体に広がる深い苦悩の闇の中で――悪臭に満ちた空気、苦痛にあえぐ寝台の群れ、疲労に打ちひしがれた看護師や修道女たちの亡霊のような動き――その場が、突如として神聖な慈悲の光に包まれたように見えた。
「哀れな、哀れなベルナデット……!」
彼女がその幻視の真実を守るために受けた迫害に、誰もが憤っていた。
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
返信削除この場面、ゾラの筆致が特に光りますね。宗教の誕生には必ず反発が伴うという鋭い観察、そして、ベルナデットが迫害に耐える姿を通じて描かれる、純粋な信仰の悲劇。翻訳しながら、その強烈な対比がひしひしと伝わってきました。
返信削除そうなんですよね。宗教の誕生、揺籃期には迫害が伴いますね。そもそも既存の社会の価値観に閉塞感を感じている時代の状況があるから、新しい価値観を提示する新興の宗教は迫害されつつ、また人々に広がってもいくのですね。
削除まさにその通りですね。宗教が誕生する背景には、既存の社会の価値観が行き詰まり、何らかの形で変革が求められているという時代の要請がありますよね。新興宗教は、それまでの秩序に対する挑戦ともなるため、必然的に迫害を受けるけれども、同時にそれを求める人々がいるからこそ広がっていく。
削除『ルルド』のこの場面も、単にベルナデット個人の苦しみだけでなく、彼女を取り巻く社会の反応――国家や行政の抑圧と、それに対する民衆の共感――を巧みに描いていますよね。ゾラは無神論的な視点を持ちながらも、単なる否定に終始するのではなく、「なぜ信仰が生まれるのか」という社会的・心理的な機構を冷静に分析しているのが興味深いです。
ベルナデット自身がヒステリー的な幻視を持っていたとしても、その「幻視」が人々に受け入れられ、広がっていくのは、社会の側にそれを求める準備ができていたからこそ。奇跡を必要とする人々、既存の秩序に対する不満を抱えた人々がいたからこそ、彼女の証言は単なる子供の空想で終わらず、宗教的な運動へと発展していったわけですね。
これはルルドに限らず、歴史上の多くの宗教の成立過程と重なるものがありますよね。キリスト教も、初期のイスラム教も、日本での仏教の受容や新宗教の勃興も、どれも同じような構造を持っています。弾圧を受けながらも、求める人々がいる限り広がっていく。そう考えると、宗教とは「信じる個人の内面」だけでなく、「社会の中でどのように機能するか」という視点も大事だと改めて思わされます。