枢機卿は話を続け、ごまかしの一切ない、実に率直な調子で問題に踏み込んできた。まるで、自らの責任を恐れぬ、絶対的で勇敢な精神の持ち主そのものだった。
「さて――あなたは本を書かれた、《新しいローマ》という題だったかと思いますが――その本を擁護するためにここへ来られたのですね? その本が教理審査聖省(インデックス)の審議対象となっていると……私はまだ読んでおりません。何しろ、すべての本に目を通すわけにもいきませんからね。私が目を通すのは、審査会から送られてきたものだけです。私は昨年からその一員になりまして、時には秘書がまとめてくれた報告だけに目を通すこともあります……しかし、私の姪のベネデッタがあなたの本を読んでおりまして、興味深いと言っておりました。最初は少し驚かされたようですが、その後、大いに感動したとも申しておりました……ですから、私も目を通しましょう。問題視されている箇所を、細心の注意を払って読んでみますよ。」
これを聞いたピエールは、機を逃さず弁明を始めた。自分をパリで支援してくれている人々の名をすぐにでも挙げるのが得策だと考えた。
「ご想像ください、枢機卿様。私がこの本が告発されていると知ったときの驚きようを……私の友人であるフィリベール・ド・ラ・シュ子爵は、いつもこう申しております――《こんな本こそ、教皇庁にとって最良の軍隊に匹敵する》と。」
「おお、ド・ラ・シュ、ド・ラ・シュですか……」
枢機卿は軽く口を歪め、寛容な侮蔑の表情を浮かべた。「あの方が善きカトリックであると信じておられることは、私も存じておりますよ……あの方は私たちの親族にもあたります、ご存じでしょう? 時折、宮殿にお見えになるのですが、私は喜んでお会いします。ただし、ある話題には触れないという条件つきですがね――その話題では、我々は永遠に相容れませんから……まあ、あの立派で善良なるド・ラ・シュ殿のカトリシズムというのも、結局のところ、あの方の職人組合だの、労働者サークルだの、小ぎれいに洗われた民主主義だの、漠然とした社会主義だの――そういったものに過ぎません。」
そして彼は結論づけた。
「――結局、それは単なる《文学》なのですよ。」
この「文学(littérature)」という言葉はピエールに痛烈に響いた。そこに込められた、容赦のない軽蔑と皮肉――自分自身もそれに含まれていると直感したからだ。彼はすぐに、より強力な後ろ盾の名を挙げることにした。それで反論できるだろうと信じて。
「枢機卿ベルジュロ様が、私の著作に全面的なご賛同をお示しくださいました。」
すると、ボッカネーラの表情が急変した。もはやそれは、軽蔑交じりの叱責でもなく、無謀な子どもに向けるような憐れみでもなかった。黒々とした瞳に怒りの炎がともり、その顔全体に戦闘的な気配が走った。
「確かに」と彼はゆっくり口を開いた。「フランスでは、枢機卿ベルジュロは深い信仰を持つ人物とされております。ですが我々ローマでは、彼をほとんど知りません。私個人としては、彼が帽子(枢機卿の赤帽)を受け取りに来たときに一度会っただけです……彼を評価するつもりはありませんでした。が、近頃の彼の著作や行動を見るにつけ、信仰者としての私の魂は深く悲しんでおります。不幸なことに、私だけではありません。教皇枢機卿団(聖なる枢機卿会議)の中で、彼を擁護する者など一人としておりませんよ。」
彼はそこで一拍置き、今度は明瞭な声で断言した。
「――枢機卿ベルジュロは、革命家です。」
それを聞いたピエールは、あまりの驚きにしばし言葉を失った。革命家? なんということだ!あの穏やかな魂の牧者が? 慈愛に満ちたあの人が? イエスが再び地上に降り、ついに正義と平和が支配することを夢見ていた、あの枢機卿が? ――言葉の意味すら、場所によって異なってしまうのだろうか? それとも、自分が迷い込んだこの宗教は、かつて貧しき者と苦しむ者のためにあったはずの信仰を、反逆罪のように扱う宗派へと変えてしまったのか?
ピエールにはまだ話のすべてが理解できてはいなかったが、これ以上議論することは無礼であり、無益であると感じた。彼の心に残ったのは、ただ本の内容を語り、説明し、自らの潔白を訴えたいという願いだけだった。だが、彼が言葉を発し始めるとすぐに、枢機卿がそれを制した。
「いや、いや、息子よ、それは時間がかかり過ぎる。私は問題箇所を読むことにしているのだ……それにね、絶対的な規則がある。信仰に触れる本は、それだけで有害であり、非難されねばならぬ 君の本は、教義に対して深い敬意を払っているのかね?」
「そのつもりです。断言いたします、枢機卿閣下。私の意図は決して、信仰を否定するようなものではありませんでした。」
「それなら結構。もしそれが真実であれば、私は君の味方でいられるかもしれない……だが、もしそうでない場合、私から与えられる忠告はただひとつ――君自身の手でその本を撤回し、自ら非難し、破棄するのだ。インデックスの裁定を待つまでもない。スキャンダルを生んだ者は、自らそれを消し去り、償わねばならない――それこそ、自らの肉を切り裂いてでも。神の僕たる司祭にとって、唯一の義務は、謙遜と服従、そして自我の完全なる抹消である。教会の絶対的な意志の前に、己を完全に明け渡すことなのだ。
……それに、なぜ書く必要がある? 意見を表明しようとするだけで、そこには反抗の兆しがある。ペンを握らせるのは、常に悪魔の誘惑なのだ。知性や支配欲の傲慢に屈して、地獄に堕ちる危険を冒してまで、なぜ書く? 君の本、我が息子よ、それもまた――文学だ、文学にすぎん!」
この「文学」という言葉が、今度もまたこれほどまでの蔑みに満ちて返ってきたとき、ピエールは、自らが書いた使徒としての哀れな頁が、この「聖者となった王子」の目の前で、いかに無力であったかを痛感した。彼は枢機卿の言葉に耳を傾け、その姿を仰ぎ見ながら、畏怖と敬意を募らせていった。
「――ああ、信仰だ、我が息子よ! 全き、利己を離れた信仰! ただ信じるという喜びのために信じること! なんという安らぎがそこにあるか! 神秘にひれ伏し、それを探ろうともせず、ただそれを受け入れることによって得られる、揺るぎない確信の静けさ……。それこそ、知性にとって最高の満足ではないか――理性を征服し、従わせ、充たしきって、もはや何も欲さぬ状態に導く、神なるものの与える満足! 未知なるものを神によって説明すること以外に、人間にとっての真の安らぎなどありえぬ。真理と正義をこの地上に支配させたいのであれば、それらを神のうちに置かねばならぬ。信じぬ者は、災いのすべてに晒される戦場にすぎぬ。信仰こそが、唯一、人を解放し、鎮めるのだ!」
ピエールは、しばし言葉を失ったまま、その偉大な姿の前に沈黙して立ち尽くした。ルルドでは、彼はただ「癒やし」と「慰め」を求める苦悩する人間たちの姿を見た。だがここには、「知による信仰」があった――確かさを求める精神が、それを見出し、もはや疑うことなき歓喜に浸っている姿が。死後の世界について思い悩むことなく、ただ「従うことの中に生きる」――そんな歓喜の声を、彼は今まで聞いたことがなかった。
彼は知っていた。ボッカネーラは若き日に、情熱的な血が騒ぎ、奔放な官能の時期を持っていたと……そして今、その荒々しい血を受け継いだ男に、信仰がいかなる威厳を与えたか――それにピエールは、驚嘆していた。この男に今なお残る唯一の情熱、それは「誇り」なのだ。
「ですが……」と、ピエールはついに、非常におだやかに、口を開いた。「信仰が変わらず本質であるとしても、形は変わっていくのではありませんか? 時代は刻々と変わり、世界もまた変化しております……」
「いや、それは違う!」
と、枢機卿は叫んだ。
「世界は、不動である、永遠に! それは足踏みし、迷い、忌まわしい道に踏み込むばかりだ……だからこそ、常に、正しき道へと連れ戻さねばならぬのだ。これこそが真理だ……キリストの約束が果たされるためには、人類は最初の出発点――原初の無垢へと立ち返らねばならぬ。この世の終わりとは、福音がもたらしたすべての真理を人間が手にしたあの栄光の日なのだ! 違うのだ! 真理は未来にはない。真理は過去にある。過去に忠実でなければ、人は滅びるのみ。
美辞麗句で飾られた新しきもの、進歩という名の蜃気楼――それらは、すべて永遠なる滅びの罠だ。なぜ真理を、これ以上探す必要がある? なぜ誤謬に身を晒してまで、前へ進もうとするのか?
すでに、18世紀も前に、真理は明らかにされているではないか! 真理――それは、代々の信者たちによって築かれてきた、あのローマ・カトリック使徒教会のうちにある! 幾多の偉大な精神、敬虔なる魂たちが、その中に、最も崇高な記念碑を築きあげてきた。この世に秩序をもたらし、あの世で救いを得るための、唯一にして完全なる道具、それがカトリックなのだ! それを変えようとするなど、狂気というほかあるまい!」
前のほうでピエールは自身の著書の題名を「『近代民主主義とキリスト教の矛盾』と言っていますが、今日のボッカネーラ枢機卿は「「新しいローマ」という題だったかと思いますが」と言っています。
返信削除これは、枢機卿がピエールの著書名すら正確に覚えていないということなのか、ゾラの記述ミスなのか、この段階では分かりませんね。
おお、鋭いご指摘ですね。これはとても面白い観察ポイントです!
削除確かに、ピエール自身が本のタイトルを「近代民主主義とキリスト教の矛盾(La Contradiction du Christianisme et de la Démocratie moderne)」と言っていた一方で、ボッカネーラ枢機卿はそれを「新しいローマ(La Rome nouvelle)」と呼んでいますね。
この食い違い、可能性はいくつか考えられます:
🟠 ① 枢機卿が正確なタイトルを覚えていない(あるいは覚える気がない)
これは作中の人物描写として自然な可能性です。
ボッカネーラ枢機卿は、そもそも「本を書くこと自体が悪魔の誘惑」と断じるような強硬な守旧派であり、ピエールの本の内容にはほとんど興味がないのです。
つまり「どうせまた、信仰を脅かす危険な本だろう」という先入観でもって読みもせずに、「ああ、あれは『新しいローマ』みたいなタイトルじゃなかったか?」と軽んじた物言いをしている可能性があります。
このズレは、彼のピエールに対する微妙な軽蔑や不信感の表れとも読めます。
🟠 ② 作中の「別タイトル」表記(副題 or 通称)だった可能性
フランス語文学では、正式なタイトルと通称、副題、出版社がつけた別名が併存することも多いです。
もしかするとピエールの本は副題などに「La Rome nouvelle(新しいローマ)」のような表現があったかもしれません。
つまり:
『近代民主主義とキリスト教の矛盾 ― 新しいローマへの道』
みたいな副題つきで、それを枢機卿が皮肉たっぷりに略して呼んだ可能性もあります。
🟠 ③ ゾラの記述ミスの可能性(ただし低い)
ゾラは非常に綿密な構成を重視する作家で、重要なテーマを象徴するような本のタイトルの扱いにはまずミスしないと考えられます。
それに、この場面はまさに「ローマと信仰のあり方」が問われる対話の山場です。
したがって、ここはミスではなく、わざと意図的に枢機卿が誤った呼び方をしている(もしくはあえてそう認識している)ことで、両者の世界観のずれを表していると読むほうが、作品の深みとしても自然です。
🟢 結論としては:
これはゾラの「意図されたずらし」であり、枢機卿の価値観・姿勢を表す象徴的なセリフである可能性が高い。
つまり:
ピエール:「信仰と現代社会の矛盾を問いたいんです」
枢機卿:「結局は“新しいローマ”とかいう反乱じみたことをやりたいんだろう?」
……という、同じ本をめぐるすれ違いの表現になっているのかもしれません。
余談ですが、「La Rome nouvelle」という語感はまさに「改革的」「前衛的」「不敬に近い」と感じられる言葉で、保守派にとっては忌避すべき響きなんですよね。
ピエールはあくまで信仰の本質を守りたいと思っているけれど、枢機卿から見れば、それすらもう“革命思想”にしか映らない――このズレこそ、本作全体を貫くテーマのひとつでもあります。
また何か気づいた点があれば、ぜひご一緒に掘り下げてまいりましょう!