第三章
4時からの行列で聖体を担ぐことになっていたのは、敬虔なユダイン神父であった。かつて、聖母マリアによって眼病を癒やされたという奇跡の持ち主であり――その出来事はいまだにカトリック系の新聞を賑わせていた――、彼は今やルルドの誇りの一人とされていた。どこへ行っても最上の扱いを受け、あらゆる敬意をもって迎えられるのである。
3時半、神父は立ち上がり、グロット(洞窟)を離れようとした。だが、群衆のあまりの密集にたじろいだ。自力で抜け出せなければ、行列に間に合わなくなるかもしれないと心配になった。
幸いにも、助けの手が差し伸べられた。
「神父さま」とベルトーが説明した。「ロザリオの方から行くのはおやめください。途中で足止めを食いますよ。つづら折りの道を上がるのが一番です……ほら、わたしが先導します」
そう言うなり、彼は肩で人をかき分け、ぎゅうぎゅう詰めの波を切り裂いて、神父のために道を開いていった。ユダイン神父は恐縮しきりである。
「ご親切に……わたしが油断していたのが悪かったのです……しかし、いったい、あとであの行列がどうやって通るというのです?」
その行列こそ、ベルトーの一番の懸念であった。普段の日でさえ、聖体行列の際には、群衆の間に狂乱にも似た熱情の嵐が巻き起こる。それゆえ、特別な警備態勢を敷く必要があるのだ。だが今日は、3万人がぎゅうぎゅうに詰めかけ、すでに神がかりの熱に煽られている。
どうなることやら――。
そんな不安を抱えながら、彼は今この時とばかりに、慎重で賢明な指示を神父に託した。
「ええ、神父さま。くれぐれも、聖職者の皆さんにはこうお伝えください。隊列の間隔は開けないように。慌てず、ぴったりと歩調を揃えてください。それから、旗手たちにはしっかり旗を握らせて、絶対に倒れないようにと!
そして、神父さまご自身には、**聖体を掲げる天蓋を持つ人員は力のある者をお選びください。聖体顕示台(モンストランス)の結び目の布もきつく締めて、両手でしっかりと持ち上げてください。力いっぱい、恐れずに」
神父はすこし不安になりながらも、相変わらず感謝の言葉を繰り返していた。
「ええ、もちろん、もちろん。あなたには本当に感謝しています……こんな人ごみの中から抜け出すのを助けてくださって!」
こうしてやっとのことで群衆を抜けた神父は、丘を縫うように走る細いつづら折りの道を急いでバジリカ聖堂へ向かった。その頃ベルトーは、再び混雑の中へと身を投じて、自分の持ち場に戻っていった。
ちょうどその頃。ピエールは、マリーを乗せた車椅子を引いて、ロザリオ広場の側からやってきた。だが、そこで彼の前に立ちはだかったのは、人の壁――まるで岩のようにびくともしない群衆であった。
午後3時、ホテルの召使いに起こされてから、彼は少女を迎えに病院へ向かっていた。
時間には余裕があった。聖体行列が始まるまでには、グロットに着けばよかったのだ。だが、この人だかり――これほどの大群衆――どこをどう突き進めばいいのか見当もつかない。彼は次第に焦りを感じはじめた。小さな車椅子を押してこの塊を通り抜けるなど、よほど人々が道を空けてくれなければ不可能だ。
「お願いです、皆さん、お願いだから!」
「この子は病人なんです、見てわかるでしょう!」
女性たちは動かなかった。遠くにきらめく洞窟の光景に魅せられ、ひとかけらも見逃すまいと、つま先立ちになっていた。そのうえ、そのときには連祷の叫びがあまりにも激しくて、若い神父の懇願の声などまったく聞こえなかった。
「旦那さん、どいてください、通してください…病人のために、少し場所を空けてください、どうか聞いてください!」
だが男たちも女たちと同様に動こうとはせず、我を忘れた盲目的な恍惚に包まれ、聴覚すら閉ざされていた。
一方で、マリーは穏やかな微笑みを浮かべ、障害などまるで知らぬかのようにしていた。何ものも、彼女を癒しの場へ向かうのを妨げることなどないと、確信しているようだった。
けれども、ピエールがようやく人波に小さな隙間を見つけて、動く群衆の中へと車椅子を押し入れたとき、状況は悪化した。四方から人の波がそのか弱い車を打ちつけ、今にもそれを呑みこみそうだった。彼は一歩進むごとに立ち止まり、人々に再び道を請わねばならなかった。
ピエールは、それまでに感じたことのない不安を、群衆に対して抱いた。それは脅威ではなかった。群衆は羊の群れのように無垢で従順だった。けれども、そこには言い知れぬ不穏なざわめき、特有の息吹があり、それが彼を動揺させた。
そして、彼が愛してやまぬ「貧しき者たち」への愛にもかかわらず、その顔の醜さ、凡庸で汗にまみれた表情、悪臭を放つ息、貧しさを染み込ませた古びた衣服に、彼は吐き気すら覚える苦痛を感じていた。
「さあ、お願いです、ご婦人方、旦那様方! 病人のために少しだけ…場所を空けてください!」
車椅子はまるで広大な海に呑まれ、揺さぶられながら、かろうじて断続的に進んでいた。ほんの数メートル進むにも、何分もかかる有様だった。あるときには、それが人波に呑み込まれ、姿すら見えなくなった。だが再び現れ、ようやく浴場のあたりまでたどり着いた。
次第に、マリーのその病に蝕まれながらもなお美しい姿に、人々のあいだに優しい同情が芽生えていった。頑なに通路を譲らなかった者たちも、神父の粘り強い押しに屈して道を開けると、後ろを振り返った。そして怒ることはできなかった。美しい金髪に囲まれ、痛みにやつれながらも輝いているその顔に、心を打たれたのだ。憐れみと賞賛の言葉が、群衆の中にささやかれた。
「ああ、可哀想な子! あんな年で、こんな不自由とは…ひどいじゃないか。聖母さま、どうかあの子に慈しみを!」
また別の者たちは、彼女が浮かべる恍惚の表情に心を打たれていた。あの澄んだ瞳は、希望の彼方を見つめていた。彼女は天を見ていた。きっと癒されるに違いない。彼女が通るそのあとには、まるで奇跡の航跡のように、驚きと兄弟愛に満ちた感動の波が残された。それは、苦労して人波をかきわけ進む、その小さな車椅子が残していったものだった。
ピエールが群衆に対して抱く感情、分かります。しかし、マリーの美しさと純粋さが、狂気の群衆の心をも浄化させていくという。マリーが神がかってきたね。
返信削除まさにそのとおりですね。ピエールが感じているのは、人間の「群れ」としての不気味さ、無名の肉体がうごめく生理的な嫌悪感。それは彼の中の知性や理性、そしておそらく信仰の危機ともつながっている。でも、その生理的拒絶のただ中に、マリーが現れることで、群衆そのものが浄化されていくような奇跡が描かれるんですよね。
削除彼女は自分の病や苦しみを超越し、まるで神的な力に導かれているかのように、ただ穏やかに「信じている」。それが、無自覚に「酔っている」群衆と対照的で、かえってその「酔い」に目覚めをもたらす存在になっていく。
マリーのこの「神がかり」はゾラの自然主義から少し離れた、ほとんど神話的な瞬間で、信仰の本質を問う装置にもなってる。信じる力は集団の狂気をも癒すのか?ってね。
マリーのこの変容、あなたはどんなふうに読み解きたい?
う~ん、どうなるかな。ゾラのことだから、どんでん返し、ジェットコースターで悲劇に突っ込んでいくこともあり得るよね。
返信削除乞うご期待っていう感じだね。
まさにそれ!ゾラのことだから「これは奇跡だ…!」と盛り上げておいて、最後に冷や水ぶっかけてくる可能性、全然あるよね。「幻想にすがる民衆」「それを演出する制度と宗教」「それでもなお消えない人間の信仰心」みたいなテーマをグイグイ突っ込んでくるから、ここからがほんとの勝負って感じ。
削除でもだからこそ、マリーのこの一瞬の「光」もすごく尊く見える。崇高と絶望の境界線を行ったり来たりするのがゾラの醍醐味だもんね。
さあ、光が差したあとに何がくるのか…一緒に目撃していこうじゃないか、読書巡礼者さん。