2025年4月3日木曜日

ルルド 第93回

  ピエールの左側で、小さな音がして彼を不安にさせた。それは、ひたすら流れ続ける泉の水の音、小鳥のさえずりのようにかすかな囁きだった。

 ああ、彼はひざまずきたかった。奇跡を信じたかった。確信を持って、この神聖な水がただ苦しむ人類を癒すために岩から湧き出たのだと信じたかった。
 そもそも彼は、そのためにここへ来たのではなかったか。身を投げ出して祈り、聖母に幼子のような純粋な信仰を取り戻させてほしいと願うために。なのに、なぜ祈れないのか?なぜ、ひたすらに彼女へすがりつき、恩寵という至高の贈り物を乞うことができないのか?

 息苦しさがさらに増し、蝋燭の光が目を眩ませ、めまいを引き起こしそうになった。そのとき彼は、ここ数日の間、ルルドにいる間の自由な雰囲気のせいで、自分が一度もミサを捧げていなかったことに気づいた。彼は罪の状態にあったのかもしれない。その重みが、彼の胸を押しつぶしていたのかもしれない。その思いがあまりにも苦痛になり、とうとう彼は立ち上がり、その場を離れることにした。
 彼はそっと鉄柵を押し開き、スイール男爵を眠ったままにして洞窟を後にした。

 マリーは車椅子の中で身動きひとつせず、肘でわずかに身体を支え、恍惚とした表情で顔を聖母に向けていた。
「マリー、気分はいいか?寒くはないか?」
 彼女は何も答えなかった。彼は彼女の手を取った。それは温かく柔らかかったが、かすかに震えていた。
「この震えは寒さのせいじゃないんだろう?」
 すると彼女は、微かな息のような声で言った。
「いいえ、違うわ……そっとしておいて。今、とても幸せなの。もうすぐ彼女に会える気がするの……ああ、なんて甘美なのかしら!」

 ピエールは彼女の肩掛けを少しだけ引き上げると、その場を離れた。
 深い夜の中に足を踏み入れると、言いようのない動揺が彼を包んだ。洞窟の明るい光を出ると、そこは漆黒の闇であり、無の深淵だった。まるで彼は闇の中に無作為に投げ込まれたかのように、彷徨った。
 しかしやがて目が慣れ、彼は自分がガーヴ川のそばにいることに気づいた。その流れに沿って歩き、大きな木々が影を落とす並木道へと入ると、再び冷たく穏やかな闇に包まれた。それが今の彼には心地よかった。暗闇、冷気、それらが落ち着きを与えてくれるようだった。

 彼の心にただ一つの驚きが残っていた——なぜ、ひざまずかなかったのか。なぜ、祈らなかったのか。マリーのように、魂のすべてを投げ出して祈ることができなかったのはなぜなのか。
 彼の中には何か障害があるのか?
 彼を信仰へと滑り込ませることを拒む、この抗えない抵抗はどこから来るのか?
 彼の理性だけが、それを拒んでいることは分かっていた。しかし、今の彼はその理性を抹殺したいと願っていた。その貪欲な理性が、彼の人生を蝕み、無知な者たちや素朴な者たちの幸福から彼を遠ざけていたのだから。

 もし奇跡を目にすれば、彼は信じる決意ができるのだろうか?
 たとえば——もし今、マリーが突然立ち上がり、彼の前を歩き出したなら?
 その瞬間、彼は打ち倒され、ひれ伏すだろうか?

 彼はその光景を思い描いた。マリーが救われ、マリーが癒される姿。それを想像するだけで、彼の心は激しく震えた。彼は思わず立ち止まり、両腕を震わせながら星々が散りばめられた夜空に向かって差し伸べた。

 ああ、偉大なる神よ!
 なんという美しく深遠な夜なのだろう。
 なんという香り高く、軽やかな夜なのだろう。
 そしてなんという歓びに満ちた夜なのだろう——永遠の健康が取り戻されるという希望に、尽きることのない愛が、春のように無限に蘇るという希望に!

 彼は再び歩き出し、並木道の果てまで進んだ。

 しかし、再び疑念がよみがえった。
「奇跡を求めている時点で、すでに自分は信じることができない人間なのではないか?」
 神はその存在を証明する必要などない。

 彼は再び不安を覚えた。自分が司祭としての務めを果たしていない限り、神は決して耳を傾けてはくれないのではないか?
 なぜ彼は今すぐロザリオ教会へ行き、ミサを捧げないのか?
 夜中から正午まで、巡礼の司祭たちのために開かれている祭壇があるというのに。

 彼は別の並木道を下り、再び木々の下へと戻った。そこは、彼がマリーと共に、ろうそくの行列が通るのを見たあの木立の角だった。もう光は何ひとつなく、ただ闇の海が広がるばかりだった——果てしない、無限の闇。

 ピエールはそこで再び立ちくらみを覚え、時間を稼ぐかのように無意識のうちに巡礼者の避難所へと足を踏み入れた。扉は大きく開かれていたが、それでも広大な部屋の空気を入れ替えるには不十分で、中は人でいっぱいだった。最初の一歩を踏み入れるや否や、詰め込まれた人々の体温による重苦しい熱気と、こもった吐息や汗のむせかえるような匂いが彼の顔を打った。煤けたランタンがわずかに照らしてはいたが、その明かりは薄暗く、散乱する手足を踏まぬよう慎重に歩かねばならなかった。ここは異様なほど混雑しており、ベンチを確保できなかった多くの人々が、朝から唾やごみで汚れた湿った床に横たわっていた。

 そこには言葉では言い表せないほどの雑然とした混在があった。男も女も、そして司祭までもが無造作に入り乱れ、疲労に打ち倒されるように崩れ落ちて、口を開けたまま動かずにいた。多くは壁にもたれかかって座ったまま眠り込み、頭を胸の上で揺らしていた。中には完全に力尽きて倒れた者もいて、絡み合った足の間に、若い娘が田舎の老司祭の膝に横たわっていた。その司祭はまるで幼子のように安らかに眠り、天使に微笑みかけるかのようであった。そこはまるで家畜小屋のような有様で、路上生活を送る貧しき者たちが偶然見つけた宿を祝福するかのごとく入り込み、この祭りの夜に家を持たぬ者たちがここに集い、兄弟のように互いの腕に包まれながら眠っていた。

 しかし、何人かは興奮したまま眠ることができず、身をよじらせながら寝返りを打ち、荷物の中から食べ残しを取り出しては口にしていた。じっと動かずに目を見開いたまま闇を見つめる者もいた。いびきの間に夢の中の叫びや、苦しげな呻き声が漏れ聞こえた。この無数の貧者たちが、ぼろをまといながらも、あるいは彼らの小さな純粋な魂が夢の中の青い楽園へと旅立っているのかもしれない。その光景からは、言葉にならぬ痛ましさ、胸を締めつけるような哀しみが漂っていた。

 ピエールはその場を離れようとしたが、微かに続く弱々しい呻き声に足を止められた。彼はすぐにそれが誰の声かを悟った。そこには、同じ場所、同じ姿勢で、ヴァンサン夫人が膝の上で小さなローズを揺らしていた。
「…ああ、神父さま」
 彼女はかすれた声で呟いた。
「聞こえますか? もう一時間近くになりますが、目を覚まして、それからずっと泣き続けているんです… 本当に誓って言えます、私は指一本動かしていません。ただ彼女が眠っているのを見て、幸せを感じていたかっただけなのに」

 ピエールは身をかがめてローズの顔を覗き込んだ。彼女はもはやまぶたを開ける力すら残っていなかった。その呻きは彼女の息そのものと化し、そして彼女の顔色はあまりに青白く、彼は震え上がった——死が近づいているのを感じたのだ。

「神さま、私はどうしたらいいのでしょう?」
 疲れ果てた母親は、苦悩に満ちた声で続けた。
「こんなのもう耐えられません、彼女の泣き声を聞き続けるなんて… もしも神父さまが知っていたら…私が彼女にどれだけ話しかけているか…
『私の宝物、私の天使、お願いだからもう泣かないで。いい子にして、聖母様がきっとあなたを癒してくださるわ』
そう何度も言いました。でも、それでも彼女は泣き止まないのです…」

 彼女の嗚咽がこぼれ、涙が娘の顔に落ちた。しかし、それでもローズの絶え間ない喘ぎは止まることはなかった。

「もしも夜が明けていたなら、もうとっくにここを出ていたでしょう」
 彼女は続けた。
「それに、ここにいるとみんなに迷惑をかけてしまうわ。あそこの老婦人なんて、もう怒ってしまったし… でも、外はきっと寒いでしょうし、それに、こんな夜中にどこへ行けばいいのか…?
ああ、聖母様、聖母様、どうか私たちをお救いください!」

2 件のコメント:

  1. ピエールの苦悩が続きますね。
    現代の科学者で信仰を持っている方というのは、どのような心境でいるのでしょうか。
    どなたかそんなことを書き記している科学者はいますか?

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    1. 信仰を持つ科学者は決して少なくなく、彼らは科学と宗教の関係についてさまざまな考えを持っています。以下に、信仰と科学の関係について考察を残した著名な科学者を紹介します。

      ### **1. アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)**
      アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という言葉で知られるように、宇宙には秩序があると考えていました。彼自身は伝統的な宗教には属さず、「スピノザ的な神」を信じていたと言われています。彼の考え方は、「宇宙の驚くべき調和と合理性が、何かしらの高次の知性を示唆している」というものでした。彼は以下のように語っています。

      > 「科学なしの宗教は盲目であり、宗教なしの科学は不完全である。」

      ### **2. ジョージ・レメートル(1894-1966)**
      レメートルはビッグバン理論の提唱者であり、同時にカトリックの司祭でもありました。彼は、ビッグバン理論が創造の瞬間を示すものであると主張せず、科学と信仰は異なる領域であると考えていました。彼は科学を通じて宇宙の仕組みを探求しつつ、信仰の世界とは区別していました。

      ### **3. フランシス・コリンズ(1950-)**
      ヒトゲノム計画を率いた生物学者であり、敬虔なキリスト教徒。彼の著書『神の言語(The Language of God)』では、進化論を受け入れながらも、それが神の意志によって導かれている可能性があると述べています。彼は以下のように語っています。

      > 「科学は宇宙がどのように機能するかを説明するが、なぜ存在するのかという問いには答えられない。」

      ### **4. ジョン・ポーキングホーン(1930-2021)**
      量子物理学者であり、のちに聖職者となったイギリスの学者。彼は科学と信仰を統合しようとし、宇宙の秩序や物理法則の存在は神の意志と調和していると考えました。彼の立場は「批判的実在論」であり、科学も信仰も現実を理解するための異なる方法であるとしました。

      ### **信仰を持つ科学者の心境**
      彼らは、科学が「どのように(How)」を説明し、信仰が「なぜ(Why)」を問うものだと考える傾向にあります。多くの場合、科学的な知識が深まるほど、宇宙の精巧な秩序や生命の奇跡に畏敬の念を抱き、それを神の働きと見ることがあります。一方で、科学と宗教を厳密に区別し、どちらか一方に偏らないバランスをとる姿勢も見られます。

      ピエールの苦悩に重ねるならば、彼もまた「科学的な視点で見れば何も起こらない奇跡」と、「それでもなお信じようとする心」の間で揺れ動いているのかもしれませんね。

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