2025年7月16日水曜日

ローマ 第16回

  それから彼女は別の扉を開けた。そこはとても狭い別の階段へとつながっていた。

「私たちはね、三階に住んでいるんです……神父様、前を通らせていただいても?」

 大階段は二階で終わっていた。そして彼女は、三階へはこの使用人用の階段しか通じておらず、それは宮殿の脇を通る路地に面し、テヴェレ川にまで下る階段なのだと説明した。そこには別の専用の出入口もあり、とても便利なのだという。

 やがて三階に到着し、彼女は廊下を進みながら再びいくつかの扉を示した。

「ここがソン・エミナンス(枢機卿様)の秘書、ドン・ヴィジリオの部屋……それからこれが私の部屋……そしてこちらが神父様のお部屋になります。子爵様がローマに滞在されるときには、必ずこの部屋をお使いになるのですよ。『ここのほうが気が楽で、好きなときに出入りできる』って。下の扉の鍵も、子爵様と同じようにお渡ししますね……それに、ほら、とっても素敵な眺めなんですよ!」

 彼女は部屋に入っていった。その住まいは二部屋からなり、ひとつはかなり広めの居間で、大きな模様の赤い壁紙が貼られていた。そしてもう一つは寝室で、淡い青い花が点々と散ったリネン色の壁紙が貼られていた。居間は宮殿の角に位置しており、路地とテヴェレ川を見下ろす形だった。彼女はすぐに二つの窓へと向かった。一方は川下の遠景を望む窓、もう一方は川を挟んで向こうのトラステヴェレ地区とジャニコロの丘を正面に望む窓だった。

「わあ、ほんとに素晴らしい眺めですね!」と、ピエールは彼女の傍らに立ち、感嘆した。

 そのとき、やっとジャコモがのそのそと現れ、旅行鞄を運び込んだ。もう11時を過ぎていた。旅の疲れと空腹に気づいたヴィクトリーヌは、ピエールにすぐにここで昼食を出させましょうかと申し出た。そのあと午後はゆっくり休むなり外出するなりできますし、女性陣とは夜の夕食でお会いできますよ、と言った。

 ピエールはそれに強く反対した。午後をまるごと無駄にするなんてとんでもない、と言い張ったが、それでも昼食だけは受け入れた。なにしろ空腹で倒れそうだったからである。

 とはいえ、食事が出てくるまでにさらに三十分も待たされることになった。ジャコモはヴィクトリーヌの指示で給仕をしていたが、のんびりと動いていた。ヴィクトリーヌはというと、あれこれと世話を焼きながらも、見知らぬ旅人である彼のことが心配で、何も不足がないことをしっかり確かめるまでは離れようとしなかった。

「いやはや、神父様、この国の人たちときたら! あなたにはちょっと想像もつかないと思いますよ。百年住んだって、私は慣れっこないわ……でもね、コンテッシーナ様(※ベネデッタ)はとても美しくて、素晴らしい方なんです!」

 そして、テーブルに自分でイチジクの皿を置きながら、さらにこう言ってピエールを呆気にとらせた——「坊さん(=神父)ばっかりの街に、ろくな街なんてあるもんですか!」

 この疑り深くも快活な女中がこの厳めしい館の中で発したその一言に、ピエールはまたしても面食らった。

「えっ、あなた、信仰をお持ちじゃないのですか?」

「いいえ、いいえ、神父様。私はね、神父様っていうのがどうにも苦手なんです。子供の頃、フランスで一人知っていましたし、こっちに来てからは、もう見飽きるくらい見てきた……もう十分ですわ。あ、でもソン・エミナンスのことは別よ、あの方は本当に敬うべき聖なるお方ですから……でもね、この家でも皆が知ってますけど、私はまじめな女です。悪いことなんて一度もしたことないし、ご主人様たちを心から尊敬して、きちんと働いてるんですよ。だったら私のことは放っておいてほしいって思うんです」

そして彼女は、からからと楽しげに笑った。

「ねえ、神父様が来るって聞いたときは、『まーた坊さんか! もううんざりよ!』って陰でブツブツ言ってましたよ。でも、あなたはなんだかいい人みたい。私たち、きっと気が合うと思いますよ……なんでこんなにおしゃべりしてるんでしょうね。たぶんあなたがフランスから来たからでしょうか、それともコンテッシーナ様があなたに関心を持ってらっしゃるからかしら……まあ、とにかく許してくださいね、神父様。そしてお願いですから、今日は無理せずゆっくり休んでくださいな。ローマの街なんて、言われてるほど面白いもんじゃありませんから」

 ひとりきりになると、ピエールは突如として疲労に押しつぶされる思いがした。旅のあいだに蓄積した疲れに加え、朝から続いたあの熱に浮かされたような興奮のせいもあって。さらに、急いで食べたゆで卵2つとコートレット(骨付きの肉)が酔いのように頭に昇ってきて、彼は服を着たままベッドに倒れ込んだ。ほんの30分ほど休もうと思ったのだ。すぐには眠りに落ちなかった。彼の頭の中には、ボッカネーラ家の人々のことが浮かんでいた——すでに一部は知っているその家の歴史、そしてこの朽ちた豪奢な宮殿の中での、彼らの親密な生活を想像することに夢中になっていた。寂れ、沈黙に包まれたこの館のなかで、彼の想像は膨らみ、やがてその思考はぼやけ、眠りの世界へと滑り込んでいった。そこには、数々の影が現れた。悲劇的な顔、やさしい顔、謎めいた眼差しをこちらに向けながら、未知の空間の中を回転していた。

 ボッカネーラ家は、かつて2人の法王を輩出した家だった。一人は13世紀に、もう一人は15世紀に。彼らが絶対的な権力を振るっていた時代に、この家は莫大な富を手にしたのだ。ヴィテルボ近郊の広大な土地、ローマに複数の宮殿、芸術品のコレクションは画廊を満たし、金銀財宝は地下の倉に積まれたという。

 この家はローマの貴族の中でも最も敬虔な家柄として知られていた。信仰の火が絶えず燃え、常に教会のために剣を取ってきた。最も信心深く、そして最も荒々しく、戦い好きな一族。あまりの激しさに「ボッカネーラ家の怒り」はことわざになったほどだ。

 彼らの紋章は、炎を吐く翼のあるドラゴン。家訓は「黒い口、赤い魂(Bocca nera, Alma rossa)」——暗く口を閉ざし、信仰と愛に燃える心は火のごとく紅く。

 狂気じみた情熱と恐ろしい正義の伝説が、今なお語り継がれている。

 たとえば、16世紀中頃、この現在の宮殿を建てたオンフレド・ボッカネーラの話。彼は妻が若きコスタマーニャ伯爵に唇を許したと聞き、伯爵をある夜さらい、縄で縛って屋敷に連れてこさせた。大広間にて、灯りの前で修道士に懺悔させた後、ナイフで縄を切り、灯火をすべて消してこう叫んだ——「武器は持っている、さあ、命を守れ!」
 そこから1時間近く、家具で雑然とした広間で二人の男が真っ暗闇のなか互いを探り合い、斬り合った。扉が破られて人々が駆けつけたとき、部屋には血だまりが広がり、テーブルは転がり、椅子は砕け、コスタマーニャ伯爵は鼻をそがれ、腿に32箇所もの裂傷を受けていた。一方、オンフレドは右手の2本の指を失い、両肩に穴が開いていた。それでも奇跡的に、ふたりとも死ななかったのだ。

 さらに百年さかのぼると、テヴェレ川のこの岸辺で、わずか16歳のカッシア・ボッカネーラが、ローマを恐怖と感嘆のどよめきに包んだ。

 彼女はフラヴィオ・コッラディーニという、宿敵の家の息子を愛していた。だが父であるボッカネーラ公はその恋を激しく拒み、兄のエルコレは「もし彼と会っているのを見たら殺す」とまで宣言していた。フラヴィオは舟で彼女に会いに来ていた。彼女はテヴェレに下る小階段を使って彼に会いに行っていた。

 ある夜、待ち伏せていたエルコレが舟に飛び乗り、フラヴィオの心臓をナイフで貫いた。後に判明したところによると、怒りと絶望のあまりカッシアは復讐と愛に突き動かされ、フラヴィオと兄の両方をその腕に抱きかかえたまま、舟を転覆させて川に沈めたのだった。三人の遺体が引き揚げられたとき、カッシアはまだ二人の顔を自らの雪のように白い腕で抱きしめたまま、三者を離さぬようにしがみついていたという。


4 件のコメント:

  1. このボッカネーラ家のハチャメチャなシェークスピア的逸話は一体どこまで本当なんだか? 全てゾラのでっち上げっていうわけでもなさそうですが(-_-;)

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    1. そのツッコミ、じつに鋭い!そして、ねこじいも思わずうなるところですぞ。
      このボッカネーラ家の血と炎にまみれた歴史——
      炎を吐くドラゴンの紋章、
      復讐と激情の果てに沈む舟、
      真っ暗な部屋での死闘……
      これはまさにシェイクスピア+ゴシックロマン+ローマの迷信の三位一体。
      で、肝心のところ——

      ❖ 実在するか? → ボッカネーラ家は創作。
      現実に「ボッカネーラ家」という名のローマ貴族は確認されていません。
      紋章や「教皇を2人輩出」といったエピソードも、すべてゾラの創作です。
      ただし――

      ❖ モデルはいたのか? → ローマ貴族の典型的なイメージを合成。
      ゾラは、ヴァチカンをめぐる現実の権力構造を綿密に取材しています。そして「ボッカネーラ家」には、以下のようなローマ貴族の要素が折り込まれています:
      ドラゴンの紋章:たとえば「ボルゲーゼ家」のように、動物の紋章を持つ名門は実際に多数あります。


      教皇を出した一族:メディチ家、ボルジア家など、教皇の血縁が権力と財産を手中に収めた史実。


      姦通・復讐・殺人:これはローマではよくある都市伝説/貴族の黒歴史の定番。
      たとえば「パラッツォ・パムフィーリ」の逸話にも、愛人を壁に塗り込めた…なんてゴシップがあります。



      ❖ ゾラの狙い → 堕落したカトリック貴族の象徴としてのボッカネーラ家。
      ゾラはこの一家を、「信仰に身を捧げたように見えて、血と暴力と退廃にまみれた特権階級」の象徴として創出しました。つまり、これは単なるスキャンダラスな娯楽ではなく、宗教と権力の腐敗構造を告発する寓意的装置なんですね。

      ❖ 結論:
      🟨 ボッカネーラ家の逸話は、すべてゾラの創作。
      🟩 しかし、それはリアルなローマ貴族たちの「集積された現実のような虚構」であり、完全に荒唐無稽というわけではない。

      つまり、「ありそうでない」「でもないとも言い切れない」――
      それが文学のマジックリアリズムというものですな。
      ゾラも、ローマという古都の「物語を信じてしまう磁場」に取り憑かれたのかもしれません。
      続きを読めば読むほど、この一家、やばいにおいしかしませんぞ……(ΦωΦ)🔥

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  2. ロミオとジュリエットもイタリアの話ですよね。島国イギリスのシェークスピアからすると、想像力爆発させるだけの何かをイタリアに感じていたのでしょうか?

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    1. おお、そこに気づくとは、さすがは文学通の質問ですな……!
      まさに「イタリア=想像力の火薬庫」、それがシェイクスピアにとってのイタリアでした。

      🌹ロミオとジュリエットはなぜイタリアなのか?
      『ロミオとジュリエット』(Romeo and Juliet)は、シェイクスピアが1590年代に書いた悲劇ですが、その舞台はイタリア・ヴェローナ。そして彼だけではありません。
      シェイクスピア作品には、なぜかイタリアが頻繁に登場するんです:
      『ヴェニスの商人』→ヴェネツィア


      『オセロ』→ヴェネツィア+キプロス


      『ジュリアス・シーザー』→ローマ


      『二人の貴公子』→ヴェローナ+ミラノ


      『から騒ぎ』→メッシーナ


      『シンベリン』→ローマ



      🎭なぜイタリアがそんなに魅力的だったのか?
      理由は複数あります:
      ① エキゾチックで洗練された文化の象徴
      ルネサンス期のイタリアは、芸術・建築・文学の最先端。
      イギリス人にとっては、洗練された美と危険が混ざり合った世界として映っていました。
      「イタリアは礼儀作法を学びに行く場所であると同時に、堕落して戻ってくる場所である」
      ——16世紀イングランドの一般的なイメージ
      まさに美しい悪徳の都。

      ② 政治と復讐のリアリズム
      小国家が乱立(ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマなど)


      宮廷陰謀、毒殺、暗殺、情熱的な復讐


      一族の誇り、名誉、血の連鎖


      こうした混沌と情念の世界は、劇作家にとって理想の舞台装置です。

      ③ イギリスでは書けないことをイタリアでなら書ける
      宗教的・政治的な皮肉も、外国の話として書けば安全。


      女性の主体性や恋愛の自由も、イタリアを舞台にすればリアルに見せられる。


      情事、殺人、裏切りも、エキゾチックな風景に乗せれば許される。


      つまり、イタリアはフィクションの防護壁だったわけですね。

      ④ 実際に“ロミオとジュリエット”の元ネタはイタリア文学
      16世紀のイタリア人作家マッテーオ・バンデッロの短編が大本。


      それを英語に翻案したアーサー・ブルックの叙事詩(1562年)から、シェイクスピアが発想。


      つまり、「ジュリエットは元々イタリアの娘」だったのです!

      🟡まとめ:シェイクスピアにとってのイタリアとは?
      🌋 情熱と混沌、洗練と退廃、そして自由の国。
      イギリスが霧と理性の国だとすれば、
      イタリアは太陽と情念の国。
      そして、現実では禁じられたすべてを夢見る場所だったのです。

      ゾラがローマの暗黒と信仰を混ぜてボッカネーラ家を生み出したように、
      シェイクスピアもイタリアという幻の中で、愛と死と運命を戯曲にしたんですね。
      つまり……
      「文学者の妄想が爆発するのに、イタリアほど都合のいい場所はない」
      ということかもしれません🍷🇮🇹

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ローマ 第17回

   しかし、それらはもう過ぎ去った時代のことだった。今では、信仰こそ残っていたが、ボッカネーラ家の血の激しさは落ち着きを見せていた。莫大だった財産も失われてしまい、過去一世紀にわたり、ローマ貴族を蝕んできたゆるやかな没落の流れの中で、彼らも例外ではなかった。土地は手放さねばなら...