2025年7月19日土曜日

ローマ 第19回

  突然、ピエール・フロマン神父は目を覚ました。重くのしかかる悪夢の余韻を引きずりながら──日が暮れかけていることに気づいて愕然とする。急いで懐中時計を見ると、午後6時を指していた。せいぜい1時間だけ休むつもりだったのに、7時間近くも、抗いがたい倦怠のうちに眠ってしまっていたのだ。

 そして目覚めた今もなお、彼はベッドの上に横たわったまま、打ちのめされたように動けずにいた。戦う前からすでに敗北した者のように。

 どうしてこんなにも気力を失っているのか──理由のない落胆、どこからともなく忍び寄る疑念の冷たい震え……朝の若々しい熱意は跡形もない。

 この急激な精神の虚脱は、ボッカネーラ家と関係があるのだろうか? 夢の闇の中で彼が垣間見たのは、不安と混乱に満ちた顔々だった。その不安は目覚めても続き、見知らぬ部屋の中で目覚めたというだけで、不安と得体の知れない違和感に包まれていた。

 すべてが理にかなっていないように思われた。たとえば、どうしてベネデッタが、あのフィリベール・ド・ラ・シュー子爵に手紙を書いて、彼の本が禁書目録(インデックス)の会議にかけられていることを知らせるよう頼んだのか? そしてどうしてその彼女が、著者である自分がローマに来て弁明すべきだと考えたのか? そのうえ、なぜ彼女はこんなにも好意的に、ボッカネーラ宮に宿泊するよう勧めてきたのか?

 驚きと戸惑いのなかで、彼は今こうして見知らぬ館の、見知らぬ部屋のベッドに寝ている。まるで異邦人。

 身体は鉛のように重く、頭の中は空っぽ。だがその分、妙に頭が冴えて、何か大きな「からくり」が、この一見単純な出来事の背後にあるのではないかと思えてきた。けれど、それはほんの一瞬の閃きにすぎなかった。すぐに疑念は霧散し、彼は勢いよく立ち上がった。

 ベッドを離れて、体を震わせるように身じろぎし、この奇妙な不安と絶望感は、ただの薄暮の陰鬱な空気のせいだ、と自分に言い聞かせた。それは彼にとって恥ずべきものだった。

 体を動かそうと、ピエールは二つの部屋を見回し始めた。家具はマホガニー製で、簡素で、どこか貧しい印象を受ける。バラバラな調度品は19世紀初頭のものと思われた。ベッドにも、窓にも、扉にもカーテンはない。床は赤く磨かれた素焼きのタイル張りで、小さな足元マットだけが椅子の前に置かれている。

 その寒々とした質素な部屋を前に、彼はふと、かつて子ども時代に泊まったヴェルサイユの祖母の家を思い出した。彼の祖母は、ルイ=フィリップの時代に、ヴェルサイユで手芸用品の小さな商いをしていたのだ。

 だが、そんな中、ベッドの正面の壁にかけられた一枚の古びた絵が、ピエールの目を惹いた。周囲には子どもじみた、価値のない版画がいくつか並んでいたが、その一枚だけが異彩を放っていた。

 絵は薄暗い光の中にかすかに浮かび上がる──石の敷台に腰かけた一人の女性の姿。背後には、威厳ある大きな建物の入口があり、彼女はそこから追い出された者のようだった。両開きの青銅の扉は、すでに永久に閉ざされている。

 女は、ただ一枚の白い布に身を包み、裸足で、腕も露出し、両手で顔を覆っている。その顔は見えない──だが、燃えるような金褐色の髪が波のように垂れ、彼女の顔を覆い隠していた。

 いったい彼女は、どんな名もなき痛みを、どれほどの恥辱を、どんな絶望的な捨てられ方を、そこに隠しているのか? その絵からは、愛に殉じた一人の女の壮絶な物語が、永遠に語られることなく漂っていた。彼女はどこか崇高なまでに若く、美しかった──ただの布切れに身を包んだその姿の中に。

 だが、その身体のほとんどは謎に包まれていた。彼女の情熱も、不運も、もしかすると過ちさえも。あるいはこれは、ただの象徴なのかもしれない。永遠に閉ざされた扉の前で、顔のないままに震え、泣く、あらゆる者たちの象徴──

 ピエールは長くその絵を見つめ続けた。そしてついには、ぼんやりとその輪郭に、神聖な苦しみと清らかさを見出したように錯覚する。もちろん、それは幻想にすぎなかった。絵はかなり傷んでおり、すすけ、忘れ去られたような状態だった。いったいこの絵は、どこの、どんな無名の画家の手によるものなのか?なぜこれほどまでに彼の心を揺さぶるのか? その隣の壁には、18世紀の聖母子画の粗悪な模写がかかっており、そのありきたりな微笑みに、彼は少なからず苛立ちを覚えた。

 薄闇がさらに深まっていく。ピエールはサロンの窓を開け、肘をついて外を見やった。向かいのテヴェレ川の対岸には、ジャンニコロの丘が立ち上がっている。今朝、あの丘からローマを初めて見下ろしたばかりだった。

 けれど今や、朝の光の中に現れた、あの若さと夢の都はもうない。夜の灰色の雨が、世界を覆いはじめ、遠くの地平線はぼやけ、無表情に沈んでいく。左手の遠くには、再びパラティーノの丘の頂を、屋根越しにかすかに認める。右手には、相変わらずサン・ピエトロ大聖堂のドームが、鉛色の空に石板色を帯びて浮かんでいた。背後にはクイリナーレ宮があるはずだったが、それも霧に包まれて見えない。数分のあいだ、彼はぼんやりと立ち尽くしていたが、やがてすべてがぼやけていった。ローマは彼の前から消え、広がるばかりの知られざる巨大さの中に、溶けていった。

 原因不明の不安と疑念が再び胸を締めつけ、彼はもう窓に立っていられなくなった。窓を閉じ、椅子に腰を下ろし、闇に身を沈める。無限の悲しみに身をゆだねながら、ぼんやりと座っていた。そうして絶望的な物思いに耽っていたその時──静かにドアが開き、ランプの光が部屋を照らした。




2 件のコメント:

  1. 今日は、ローマの地形についてちょっと詳しく教えてください。結構、丘があったりして、でこぼこしているんですね。あと、テヴェレ川が都市のど真ん中をくねっと流れているようですね。そんな地形を歴史と絡めて解説してください。

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    1. はい、よろこんで!✨
      ローマの地形はまさに「歴史が刻まれた舞台装置」と言えるほど独特で、地理と都市の発展、政治、宗教、そして文学までもが深く結びついています。今日はそのローマの丘と川を軸に、「地形」と「歴史」の関係をざっくり・しっかり見ていきましょう!

      🏞️ ローマの地形:基本構造は「七つの丘」+「テヴェレ川」
      1. 七つの丘(I Sette Colli di Roma)
      古代ローマ時代の都市の中核をなしていたのが、有名な「ローマ七丘」です。これらは、テヴェレ川の東岸に並ぶ丘で、ローマ建国神話とも密接に関わっています。
      丘の名前
      特徴と歴史的意義
      パラティーノ(Palatino)丘
      ローマ建国の地。ロムルスが最初に都市を築いたとされる。皇帝たちの宮殿(Palatium)が建てられたことから「パレス palace」の語源に。
      カピトリーノ(Capitolino)丘
      政治と宗教の中心地。ユピテル神殿があり、元老院も近くに。中世以降は市政の拠点に。ミケランジェロ設計のカンピドーリオ広場もここ。
      アヴェンティーノ(Aventino)丘
      高級住宅地だったが、時代により庶民も多く住んだ。今では静かな修道院などが点在。ロムルスとレムスの兄弟神話の対立の舞台でもある。
      ケリオ(Celio)丘
      軍人や貴族の邸宅が多く、後に教会も多数建つ。
      エスクイリーノ(Esquilino)丘
      ネロの「黄金宮殿」やドムス・アウレアがあった。現在は大衆的な住宅街も。
      ヴィミナーレ(Viminale)丘
      最も小さな丘。現在は内務省など官庁が多い。
      クイリナーレ(Quirinale)丘
      古代は貴族の地。今はイタリア大統領官邸(クイリナーレ宮)があり、政治の中心地の一つ。

      🏛️ 注:七つの丘はすべて「テヴェレ川の東岸」にあります。

      2. テヴェレ川(Tevere / Tiber)
      ローマの命の川。都市を大きく蛇行しながら流れるテヴェレ川は、都市の西と東を分ける重要な軸です。
      古代:貿易と防衛の要衝


      海から川をさかのぼることで、地中海の貿易がローマまで届いた。


      アエミリア橋やファブリチウス橋など、ローマ時代から使われる橋がいくつもあり、川の両岸を結んでいた。


      中世:洪水に悩まされる


      洪水が多く、時に都市の一部を水没させる。


      そのため、川沿いの堤防やインフラ整備が中世〜近代に進められた。


      現在:川沿いの散策道やイベントスペースに


      今ではテヴェレ川沿いは美しい散策コース。


      夏場にはリバーサイドに市が立ったり、映画イベントが開かれたりも。


      🗺️ 地形と歴史の関係
      ローマの地形は、歴史そのものに影響を与え続けてきました。
      地形
      影響
      丘の上(パラティーノ、カピトリーノ)
      守りやすいため、政治・宗教・権力の中心に。皇帝の宮殿や神殿が集中。
      丘の谷間(フォロ・ロマーノなど)
      公共の場(集会所、裁判所、商業の中心)が発展。フォーラム(広場)は都市の心臓部。
      テヴェレ川の中洲:ティベリーナ島
      医療と信仰の場。古代から病院があり、いまでも病院と教会がある。
      西岸(トラステヴェレ)
      もともと「ローマ外」の場所。異邦人や職人たちの街。のちに中世〜ルネサンスに魅力的な街並みが形成。今はカフェと小劇場の多い観光地。


      🌀 ローマは「でこぼこ」で「ぐねぐね」
      地形的にも複雑(坂道、階段、曲がり角だらけ)


      川がくねり、丘が起伏をつけ、建物はその上に建ち、歴史のレイヤーが積み重なる


      🏛️ たとえば「サン・ピエトロ大聖堂」はヴァチカンの丘(ヤニクルムの延長)に建ち、古代ローマの中心地とは川を挟んで対岸。
      これは「世俗(ローマ皇帝)と聖なる権威(教皇)」が分断された地理としても象徴的なんです。

      🧭 ピエールの体験とローマ地形の共鳴
      ピエールがジャンニコロの丘からローマを見下ろす場面、
      テヴェレ川が境界線のように都市を分け、遠くにはサン・ピエトロのドームが重苦しく浮かぶ。
      それは、彼がローマという都市の迷宮性、巨大性、歴史の厚みに圧倒される象徴的なシーンなのです。

      🐾 おまけ:あなたにおすすめの歩き方
      朝:ジャンニコロの丘から朝日を浴びたローマを見下ろす(ピエール体験)
      昼:フォロ・ロマーノを歩き、歴史の層を足元で感じる
      夕:テヴェレ川沿いを歩き、橋と丘と夕焼けを眺める
      夜:トラステヴェレでワインを飲む(地元の味!)



      ご興味があれば、地図を描いて簡単に可視化することもできますよ。
      次はどの丘を掘り下げてみましょうか?それとも、トラステヴェレの猫の話でも🐈?

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