ピエールは、うっとりとした数か月を過ごした。いまだかつて、これほど完全に他者の幸福のために生きた新人信者があっただろうか。彼は愛そのものであり、自らの使徒職に燃え上がっていた。彼が訪れるその貧しい人々、職を失った男たち、パンのない母親や子どもたち――彼らとの出会いは、世界がこのままでは暴力的に滅びてしまうという強い確信を彼に与えた。彼は信じた、新しい宗教が誕生しなければならない、と。そしてこの神の介入、原始キリスト教の再生――彼はその実現のために、自分の存在すべてを捧げる覚悟を固めた。
カトリック信仰そのものは、彼の中でいまだ死んだままだった。教義も、神秘も、奇跡も信じてはいなかった。しかし彼には希望があった。教会がなおも善をなすことができるかもしれないという希望――すなわち、現代の不可避な民主的運動を教会が担い、社会的大破局を回避させることができるという希望である。
ルルドから持ち帰った恐るべき虚無から、今や彼の魂は癒されていた。彼が自らに課した使命――すなわち、福音を飢えと怒りに満ちた下町の民衆の心に再び届けるという使命が、彼に平安をもたらしたのだった。行動することで、彼はあの不確かさの苦悩から解放された。自問自答をやめたことで、不安の炎も消えた。今や彼は、静かなる義務としてミサを捧げていた。
さらにはこうも考えるようになっていた――彼が儀式として祝うその神秘、教義や奇跡のすべては、結局のところ象徴にすぎないのではないか。人類がまだ幼年期にあるがゆえに必要とされた儀式であり、人類が成熟し、浄化され、教養を備えるようになれば、やがてはこの「裸の真理」の光に耐えられるようになるだろう、と。
ピエールは、自らの信念を世に語らずにはいられず、ある朝、机に向かって本を書き始めていた。それは自然に湧き出したもので、文学的な企てではなく、ただ彼の心からの叫びだった。タイトルは、ある眠れぬ夜に暗闇の中で突然閃いた――『新しきローマ』。それがすべてを語っていた。なぜなら、人類の救済はローマから始まるべきではないか? 永遠の聖なるローマ――そこにこそ唯一の権威があり、刷新はそこからしか始まらない。古いカトリックの大樫が根を張ったこの聖なる大地からこそ、新たな芽が出るのだ。
その書は、わずか二か月で書き上げられた。だがその準備は、過去一年間、彼の無意識のうちに進められていた。現代社会主義についての研究を通じて、彼の中では詩的な煮えたぎりが生じていたのだ。ときに、それは夢のように現れ、内なる遠い声がそれを口述しているようにも感じた。
彼は、前日に書いた原稿をフィリベール・ド・ラ・シュウ子爵に読んで聞かせることもあった。子爵は、布教の観点からそれを強く支持した。民衆を動かすには、感動させることが必要だ、というのが彼の意見で、できれば楽しくて敬虔な歌を作り、工場で歌わせたらよかったのにとまで言った。
ベルジュロ司教もまた、教義の観点からではなく、その本のページの隅々に溢れる慈愛の熱に深く心を打たれた。そして軽率にも、著者への賛辞を書いた手紙を送り、その手紙が本の序文として掲載されることを許したのだった。
その書物――6月に出版されたこの作品が、いま「禁書目録委員会」の裁きにかけられようとしていた。そしてまさにこの作品の擁護のために、若き神父はローマへと駆けつけていたのである。驚きと情熱に満ち、自らの信念の勝利を願って燃え上がりながら、彼は聖下(ローマ教皇)みずからに弁明しようと決意していた。なぜなら、自分は教皇の考えを誠実に代弁したと信じて疑わなかったからだ。
こうしてピエールは、ここ数年のことを心の中で追想しながら、ずっと動かずに、夢にまで見たローマを前に立ち尽くしていた。
背後では、馬車の到着と出発が入れ替わり立ち替わり続いていた。細身のイギリス人たちや、重たげなドイツ人たちがガイドブックに定められた「5分間の眺望」の任務を終え、次々と去っていく。一方で、彼の御者と馬は、強い日差しの中、従順に立ち尽くし、馬車の座席に残された旅行鞄だけが静かに熱せられていた。
彼自身もまた、まるで黒い僧服の中でさらに痩せ細り、引き伸ばされたかのようだった。身じろぎもせず、繊細なその姿は、ただこの荘厳な光景に全身全霊を捧げていた。ルルドから戻って以後、彼の頬は痩せこけ、顔立ちも変わっていた。
父から受け継いだ、堂々とした額――理性の塔ともいえるその額も、次第に存在感を失っていた。今はむしろ、母譲りのやさしい口元と、繊細で愛情深い顎が彼の顔に際立っていた。そして、慈愛の炎を湛えたその瞳こそ、彼の魂そのものであった。
ああ、彼は何という優しさと情熱のまなざしで見つめていたことか――彼の夢に描いたローマ、「新しきローマ」を。朝の薄明かりに包まれた街の全体像にまず心を奪われた彼は、次第に細部を識別し、建築物一つ一つに目をとめていった。そして、子どものような喜びで、写真や地図で学んだ通りの姿を次々に認めていった。
足元に広がっていたのは、ジャンニコロの丘のふもと、トラステヴェレ地区。赤茶けた古びた家々の瓦屋根が、夏の陽に焼かれて輝いており、その屋根に隠れてテヴェレ川の流れは見えなかった。
鳥瞰図のようなこの眺めから見ると、都市全体は驚くほど平坦に見えた。あの有名な七つの丘も、さざ波のようにかすかに盛り上がっているだけで、町並みは大海のように静かに広がっていた。
キリスト教の教義の中には、現実世界において差別・貧困のない社会が実現するという考え方はあるのでしょうか? 仏教、イスラム教などではどうなんでしたっけ?
返信削除これはとても深い、そして今日的な問いですね。
削除宗教の教義と「貧困や差別のない社会」の理念との関係を、キリスト教・仏教・イスラム教について概観してみましょう。
🔹キリスト教と「貧困・差別のない社会」
🕊 教義上の原則
キリスト教の中核には「隣人愛(アガペー)」があります。
→ すべての人間は神の子として創られ、等しく価値ある存在とされる。
「貧しい者は幸いである(マタイ5:3)」など、貧者の救済はイエスの教えの中心。
『使徒言行録』では、初期キリスト教徒が財産を共有し、「すべてのものを共有した」という記述もあり、平等共同体の理想が示されています。
🏛 現実世界での実現可能性は?
原理的には「差別や貧困がない社会を目指すべき」という方向性は確かにある。
ただし教義として「地上において完全な平等社会が実現する」とは限らず、多くの場合、
この世の苦しみを通じて来世での救いを得る
人間の限界の中で、できる限りの慈愛と正義を生きよ
という形で現実対応されることが多い。
🔸仏教と「差別・貧困の克服」
🧘♂️ 教義上の原則
仏教ではすべての存在が「縁起によって成り立ち、無常である」と教えられる。
「すべての生き物は仏性を持つ」という大乗仏教の思想では、
→ 貧富・階級・性差などの区別は本質的には妄想にすぎないとされる。
『法華経』や『華厳経』では、最終的にすべての存在が悟りの世界(平等な仏国土)に至ると説かれている。
🍃 実践としての社会倫理
インド仏教では必ずしも積極的な社会改革を唱えなかったが、
日本の日蓮仏教や法然・親鸞、また近現代の仏教社会運動では、貧者・被差別民への救済・連帯が強く訴えられている。
現世利益と来世解脱のバランスを重視し、現実社会での苦しみの軽減にも関心。
🔸イスラム教と「貧困・差別のない社会」
☪ 教義上の原則
イスラム教ではすべての人はアッラーの被造物として平等。
コーランにはっきりとこうあります:
「アッラーの前では、最も貴い者は、最も敬虔な者である」(49章13節)
💰 社会制度としての特徴
ザカート(喜捨)という義務が存在し、信者は所得の一部(一般に2.5%)を貧者に分配することが宗教的義務。
富の再分配や平等の実践を制度として明文化している宗教は、三者の中でイスラムがもっとも明快。
また、利子を禁じるなど、経済的格差を抑制する仕組みも理論上は存在している。
🐾 ねこじい的ひとこと
現実の社会構造の中で「差別や貧困のない社会」を宗教がどこまで実現できるかという問いは、どの宗教でも完全には答えきれておらんのう。ただし共通して言えるのは:
「人間の尊厳と平等を根源的に肯定する精神」が、三宗教すべてに内在している。
つまり、理想を語るだけなら、どの宗教も十分すぎるほど豊かなビジョンを持っている。
問題は、その理想が制度や現実の権力構造にどう翻訳されるかじゃな。
また続きが読みたくなったら、いつでも呼んでおくれ、そらさん🐾