2025年8月12日火曜日

ローマ 第43回

  パラティーノの遺跡の定番巡りは終わった。ピエール神父が再び丘の上へ戻ったとき、彼が抱いた唯一の願いは、案内役をうまく振り切って、この山頂にある、ひっそりとして物思いにふけるような庭にひとり残ることだった。ここからはローマ全体を見下ろせる。すでに3時間近くも歩き回り、耳もとで絶え間なく低く単調な声が、石ひとつ見落とさず説明を繰り返していたのだ。今ではその好人物は、フランスへの友情を改めて語り、延々とマジェンタの戦いの話をしていた。神父から白い硬貨を受け取ると、満足そうに微笑み、今度はソルフェリーノの戦いを語り始めた。この調子では終わりそうもなかったが、幸運なことに、そこへひとりの婦人が現れ、何かを尋ねた。案内役はすぐさまそちらへ付き添っていった。

「こんばんは、アッベ神父さま。カリギュラの宮殿を通って下へ降りられますよ。それにご存じでしょう、かつてこの宮殿からヴェスタの巫女たちの館まで、地中に掘られた秘密の階段が続いていたことを。まだ見つかってはいませんが、きっと今もどこかに残っているはずです。」

 ああ、なんという甘美な安堵であろう! ピエールがようやくひとりきりになり、この庭の大理石のベンチのひとつに腰を下ろせたときのことだ。庭にはわずかに木立があるばかりで、黄楊(ツゲ)、糸杉、シュロが見られる。だが、ベンチの上に広がる美しい常緑樫の枝は、黒々とした影を落とし、その涼やかさは格別だった。魅力はまた、この物思いに沈むような孤独、そして、数えきれぬ世代の息づかいが眠る草むらから、歴史に飽和した古の大地から湧き上がる、微かに震えるような沈黙にもあった。それは、超人的な誇りの輝きに満ちた、最も響き高い歴史の記憶だった。かつてファルネーゼ家の庭園がこの一角を心地よい憩いの場に変え、木立を配して飾った。今も、著しく損なわれた館の建物が残り、ルネサンスの息吹は、古樫の艶やかな葉をなでるそよ風となって漂い続けている。そこはまさに過去そのものの中心であり、夢のように軽やかな幻影の群れと、果てしなく彷徨う古代の息吹とに囲まれた場所であった。

 しかし、荘厳な山頂を取り巻くように遠くに広がるローマの姿は、ピエールを強く誘い、彼を立ち上がらせた。彼は歩み寄って、テラスの手すりから下を見下ろした。眼下にはフォルムが広がり、その向こうにカピトリーノの丘が姿を現した。

 それは、もはや灰色の建物が無秩序に積み重なっただけで、壮大さも美しさもなかった。丘の上で目に入るのは、元老院宮殿の裏側の正面だけで、それは狭い窓の並ぶ平板な外壁であり、その上に四角い高い鐘楼がそびえていた。この大きな素壁は錆色を帯び、アラコエリ教会を覆い隠している。かつてはそこがユピテル・カピトリヌス神殿の頂であり、神の加護を誇る王者のごとき輝きを放っていた場所なのだ。左手には、中世には山羊が草を食んでいたカプリヌスの斜面に、見苦しい家並みが階段状に連なっていた。その一方で、ドイツ大使館が置かれたカッファレッリ宮殿のわずかな美しい樹々が、古のタルペーイアの岩の頂を緑に染めている。しかしその岩は今や、ほとんど探すこともできないほどに、支えの壁の中に埋もれ、姿を失っているのだ。

 それが、世界帝国の約束を受けた神殿を頂に戴き、ローマ七丘のうちで最も栄光あるカピトリーノの丘だったのだ! フォルム側は断崖、カンポ・マルツィオ側は垂直の絶壁、その険しさは恐るべきものだった。その丘は雷に打たれ、最も古き時代には聖なる樫が茂る「避難所の森」に覆われ、未知の畏怖を湛えていた。その後、ローマの威容はこの丘に国民台帳を置き、凱旋将軍はここに登り、皇帝は自らの大理石像の中で神となった。今の目で見ると、よくもこれほどの歴史と栄光が、この小高い孤島のようなわずかな土地に収まったものだと、不思議に思わずにはいられない。二つの谷間に挟まれた、地方の小村ほどの大きさも高さもない、丘の上のモグラ塚のような場所に。

 それからピエールを驚かせたもう一つの景色は、カピトリーノの丘から始まり、パラティーノの丘の麓へと伸びていくフォロであった。両側を隣接する丘に挟まれた細長い広場――ローマが成長していくにつれ、建物がひしめき合い、息が詰まるほど狭くなった低地である。共和政時代の由緒ある地面を掘り当てるには、長い歳月の間に積もったおよそ15メートルもの土砂を取り除かねばならなかった。そして今の眺めといえば、茨も蔦もなく整えられた蒼白な長い溝のような空間に、まるで白骨のかけらのように石畳の断片や、柱の基部、基礎の大きな塊が顔を覗かせているだけである。

 地面に描かれたユリアのバシリカは、全体が再現されてはいるものの、建築家の設計図をそのまま地上に投影したような印象だ。こちら側では、ただセプティミウス・セウェルスの凱旋門だけが堂々たる形を保っており、ヴィスパシアヌス神殿の数本の列柱は、崩壊の中に奇跡のようにそびえ立ち、青空の下で細く黄金色に輝きながら、誇り高い優雅さと至高の均衡を見せている。フォカスの記念柱もまたそこにあり、その傍らの演説壇ロストラには、周辺で発掘された石材を使って復元した一部が見て取れる。

 しかし、カストルとポルックス神殿の三本の柱を過ぎ、ウェスタの巫女たちの館の跡を過ぎ、さらにファウスティナ神殿(今やキリスト教会のサン・ロレンツォ聖堂が静かに居座っている)を過ぎ、さらにロムルス神殿の円堂を過ぎて進まなければ、コンスタンティヌス大帝のバシリカがもたらす途方もない巨大感を味わうことはできない。三つの巨大なヴォールトが口を開けてそびえ、その厚みたるや、まるで巨人の世界のための門に見えるほどだ。崩れ落ちたアーチの一部が、まるで山から切り出された巨岩のように地面に横たわっている。

 この、狭くも溢れんばかりの栄光の広場――フォロには、何世紀にもわたり、最も偉大な民族の歴史が詰まっていた。ローマ人とサビニ人が和解したという伝説から、プレブス(平民)がパトリキ(貴族)から公共の自由を少しずつ勝ち取っていったという布告に至るまで。ここは同時に、市場であり、取引所であり、裁判所であり、青空議事堂でもあった。グラックス兄弟はここで弱き者のために弁じ、スッラは追放者の名簿を掲げ、キケロはここで雄弁をふるい、その首はやがて晒された。

 帝政期には古き輝きは曇らされ、やがて世紀の埃に埋もれて、牛市場が置かれるまでになった。近代になって敬意は戻ったが、それは墓を荒らすような敬意――好奇心と学究心の熱病であり、幾重にも積み重なった歴史の層の中で迷い、15から20もの異なるフォロ復元案のあいだを行き来する、仮説の迷宮であった。学者でも専門の歴史家でもなく、昨晩ローマ史を読み返したわけでもない通行人にとっては、細部は消え失せ、この発掘跡は古い石が白く晒された都市の墓地にしか見えず、そこからは死せる民族の大いなる哀愁が立ちのぼってくるだけだ。

 ところどころで聖なる道(ヴィア・サクラ)が姿を現し、曲がり、下り、再び上る。その敷石は戦車の車輪で深く刻まれており、ピエールは、凱旋将軍がその戦車で進む姿を想像した。石畳は固く、勝利の道とはいえ、車体は激しく揺さぶられたに違いない。

 やがて南東の方角に視線を移すと、ティトゥスの凱旋門とコンスタンティヌスの凱旋門を越えた先に、巨大なコロッセオの全貌が現れた。あたかも大鎌で半ばを刈り取られたかのように、一部は崩れていても、その大きさも威厳もそのままに、石のレース細工のように百を超える開口部が青空へ口を開けている。

 内部は無数の玄関、階段、踊り場、回廊からなり、死のような静寂と孤独が支配している。観客席は風雨に削られ、まるで自然の力が岩を削って作った休火山のクレーターのようだ。植生や鬱蒼たる森のような姿を取り払ってからは、山肌のように裸で黄金色に焼けた姿をさらしている。そこに想像力が肉と血と命を与えるとき、この死せる骨組みは九万人の観衆で満ち、皇帝とその廷臣から熱狂する民衆までが、巨大な緋色の天幕の下、競技と闘いの渦を織り成すのだ。

 さらに遠く、地平線にはもう一つの巨大な廃墟――カラカラ帝の浴場が現れる。まるで巨人族の残した遺構のようで、常軌を逸した広さと高さを誇る大浴場。二つの前室は一つの町の人口を受け入れるほど広く、冷浴室(フリギダリウム)のプールは500人を同時に収容でき、温浴室(テピダリウム)も熱浴室(カルダリウム)も同じ規模。石造りの厚さはどんな城塞にも匹敵し、訪れる人々は蟻のように小さく見える。

 こうしてピエールは、四方八方から押し寄せる巨大な過去に包まれていた。北と西には果てしない青みがかった平原――古代エトルリア。東にはサビニ山脈が鋸歯状の尾根を描き、南にはアルバ山とラティウムが黄金の光の中に広がる。そこにはアルバ・ロンガ、カエ山(モンテ・カーヴォ)があり、かつてのユピテル神殿の跡地には修道院が建っている。

 その足元、フォロとカピトリーノの丘を越えた向こうにローマの街が広がる。正面にはエスクイリーノの丘、右手にはケリオとアヴェンティーノ、左手にはクイリナーレとヴィミナーレ。背後、テヴェレ川のほとりにはヤニクルムの丘。そして、街全体がひとつの声を持ち、ピエールにその死せる偉大さを語りかけていた。


5 件のコメント:

  1. このあと、ピエールの感情描写にさらに入り込んでいく流れですね。
    そらさん、このパートはローマ遺跡観光ガイドとしてもかなり濃密な部分ですから、年表&地図付きで補足すると面白くなりそうです。
    やりますか?

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  2. たのむよ、ねこじい! ちょっと情報量が多すぎて、おつむがオーバーヒートしそうだったんですよ💦

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    1. ふぅ…今回は確かに歴史も地理もローマ観光も、全部一気盛りの特盛サイズでしたな🍝
      ねこじいも耳の後ろをポリポリしながら読んでおったわい。
      では、ちょっと整理して「そらさんの頭にやさしい」コンパクト解説にしてみましょうか。

      🏛 第四章・今回の場面のポイント(ねこじい式ダイジェスト)
      場所


      ピエールはパラティーノの丘におり、そこからローマ全体を見渡している。


      眼下にフォロ・ロマーノ(共和政から帝政までの政治・経済の中心地)、その先にカピトリーノの丘。


      視線を広げるとコロッセオ、カラカラ浴場、そしてラティウムやエトルリアの山々まで。


      フォロ・ロマーノの様子


      いまは発掘された「石の墓場」状態。


      アーチ、神殿跡、舗道の一部だけがぽつんと残る。


      かつては市場、裁判所、政治集会場など、多機能の「ローマの心臓部」だった。


      コロッセオ


      観客約90,000人収容、今の半分は崩壊。


      当時は皇帝から庶民まで集まり、猛獣や剣闘士の血なまぐさい見世物が行われた。


      巨大な天幕(ヴェルム)が張られ、真っ赤な日陰の中で熱狂の渦。


      カラカラ浴場


      都市一つ分を丸ごと入れそうな巨大スケール。


      冷水・温水・熱湯プール完備、人口数千規模が入浴可能。


      いまは巨大な煉瓦の山として残っている。


      感情の流れ


      ピエールは「ローマの過去」に全身を浸し、あまりのスケールと歴史の重みに圧倒される。


      遠くの山々や古代都市跡までが視界に入り、「全ローマ史が押し寄せてくる」感覚になる。



      こうして要点を拾えば、頭もオーバーヒートせずにすみますぞ。
      もし希望があれば、この場面の古代ローマ地図入りの簡単イラスト版も作れますが、やりますか?
      視覚で整理するともっとスッと入りますぞ。

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  3. 何人か全く知らない人物が出てきて、ちんぷんかんぷんなのだ。あっさり目に解説してください。

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    1. よし、そらさん、今回は人物あっさり解説モードでいきますぞ。
      地名や建物よりも、むしろ歴史人物のほうが「誰やねん?」ってなりがちじゃからな。

      🏛 今回出てきた歴史人物(あっさり版)
      サビニ人とローマ人
      古代初期の伝説。ローマ建国後、女性を略奪したローマ人とサビニ人が戦争するが、女性たちが間に入り和解。


      グラックス兄弟(Gracques)
      紀元前2世紀の政治家兄弟。貧しい市民のため土地改革を試みるが、元老院に敵視され、最終的に殺される。


      スッラ(Sylla)
      紀元前1世紀の軍人・独裁官。敵対者を大量に処刑リストに載せる(プロスクリプション)。冷酷さで有名。


      キケロ(Cicéron)
      紀元前1世紀の弁論家・政治家。雄弁家として名高いが、政敵により暗殺され、首と手がフォロ・ロマーノに晒された。


      フォカス(Phocas)
      7世紀の東ローマ皇帝。ローマに記念柱が残っているが、ローマ史上の英雄ではなく、むしろ評価は低め。


      カストルとポルックス(Castor et Pollux)
      ギリシャ神話の双子神。ローマでは戦勝の守護神として信仰された。


      ファウスティナ(Faustine)
      皇帝アントニヌス・ピウスの妻。彼女を祀る神殿は後にキリスト教会(サン・ロレンツォ教会)に転用された。


      ロムルス(Romulus)
      ローマの建国神話の主人公で初代王。双子の弟レムスを殺してローマを建国。


      カラカラ(Caracalla)
      3世紀の皇帝。巨大浴場を建設し、全自由民にローマ市民権を与えた。残虐な面もあった。



      これぐらい簡単にしておけば、読むときに「うわ、知らん人また出た!」とパニックにならずにすみますぞ。
      次からは人物名が出た瞬間に、この「あっさり名簿」を横に置いて読むと楽です。
      そらさん、この名簿、物語が進むたびに更新していく方式にしますか?
      そうすれば「登場人物手帳」がどんどん育ちますぞ。

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ローマ 第43回

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