2025年9月12日金曜日

ローマ 第74回

  彼女はふと顔を上げ、しばらく沈黙していたピエールを見つめた。ピエールは胸を打たれた。慈善への思いが彼女の口から再び洩れ出たのだ。その声がかすかに震えるのを聞き取り、彼女が「謙虚な弟子」として、自ら進歩を示そうと努めているのを感じたからだった。そしてたちまち、彼の胸には再び使徒としての情熱が燃え上がった。

「おお!」と彼は言った。「私は、労働も糧もなく苦しむ民衆を見ない限り、このローマを去るつもりはありません。この病はあらゆる国々に及んでおり、その救いはただ、貧困を癒すことによってしか訪れないのです。木の根が養分を吸わなければ、その木全体が枯れるのです。」

「ではすぐに約束をいたしましょう」ベネデッタが応じた。「ご一緒にシャトー・プレへ参りましょう…ダリオが案内してくれます。」

 そのとき、ダリオはぽかんとした顔で神父の言葉を聞いていた。木と根の比喩などまるで理解できず、ただうろたえたように叫んだ。

「いや、いや! 従姉さん、君がアッベを散歩に連れていくなら好きにするが、僕はごめんだ! あそこへ一度行ったけど、帰ってきたら頭も胃袋もひっくり返りそうで、ベッドに倒れ込むところだったんだ。あんな惨めな光景、二度と御免だ! 酷すぎて、とても耐えられない!」

 そのとき、暖炉の脇から不機嫌そうな声が響いた。長く黙っていたドンナ・セラフィーナが口を開いたのだ。

「ダリオは正しいわ!」と彼女は鋭く言った。「施しを送りなさいな、わたしも喜んで添えるから…でもね、他にもっと役立つ場所があるでしょう、そこでアッベを案内して差し上げればいいのよ。ほんとうに! そんなところを見せて、この方にローマの記憶を持ち帰らせるおつもり?」

 その声の底には、ただただローマの誇りだけが鳴り響いていた。なぜ異邦人に傷口をさらす必要があるのか。しかも、敵意まじりの好奇心に駆られて来る者もあるかもしれないのに。常に美しく、栄光の装いに包まれたローマだけを示さねばならない――彼女の憤りはそこから発していた。

 ナルシスはピエールの腕を取ってしまった。

「おお、わが友よ、そうだ、危うくご案内を勧めるのを忘れるところでした……あのシャトー・プレの新しい地区、どうしてもご覧にならねばなりません。あそこは典型的で、他のすべての地区を要約しているのです。時間を無駄にしたなどとは決して思われないでしょう、この私が保証しますよ。世にも稀なる光景です、驚くべきものです!」

 それから彼はベネデッタに向かって言った。

「それでよろしいですか? 明日の朝はどうでしょう……。そこで私とアッベを見つけていただけますよ。まずは彼に一通り説明して理解してもらわねばなりませんから……10時で、どうです?」

 答える前に、コンテッシーナは伯母に向き直り、敬意をこめつつも毅然と答えた。

「まあ、伯母さま、修道士さまはすでに通りで十分に乞食をご覧になっています。どこでも同じものです。それに、ご著書で書かれているとおり、ローマにいてもパリと同じだけの姿を目にするでしょう。どこでも、仰せの通り、飢えは変わらないのです。」

 そして今度はダリオに向き直り、柔らかに、しかし道理をわきまえた口調で言った。

「ねえ、わたしのダリオ、あなたがそこへ案内してくだされば、どんなに嬉しいことか……。あなたがいなければ、まるで空から降ってきた者のように見えてしまうでしょう。馬車を出して、あちらの紳士方と合流しましょう。とても素敵な散歩になりますわ……。もうずいぶん長いこと、私たち一緒に出かけていませんでしょう?」

 それこそが彼女を喜ばせていた。ダリオを連れ出す口実を得て、すっかり仲直りできるからだった。彼もそれを感じ取り、逃れることができず、冗談めかして答えた。

「おお、いとこよ、君のせいで今週いっぱい悪夢を見る羽目になりそうだ! そんな散歩じゃ、1週間まるまる人生の喜びを台無しにしてしまうじゃないか!」

 彼はすでに先立って憤りに身を震わせ、再び笑い声が起こった。そしてドンナ・セラフィナの無言の不承認にもかかわらず、翌朝10時に約束が決まった。

 帰り際、チェリアは自分が同行できないことを心から残念がった。しかし彼女は蕾の百合のように閉じた清純さを持ち、心はただピエリーナのことにのみ傾いていた。そのため、玄関のところで友人の耳に口を寄せて囁いた。

「ねえ、あの美しさを、しっかりと見てきてちょうだい。教えてね、彼女は美しい? とても美しい? 誰よりも美しいかしら?」

 翌朝9時、ピエールがサンタンジェロ城の近くでナルシスと落ち合ったとき、彼はこの青年が再び芸術熱にとらえられ、恍惚とした様子に戻っているのを見て驚いた。新市街のことも、それが引き起こした恐ろしい金融破局のことも、まったく話題に上らなかった。彼は夜明けとともに起きて、ベルニーニの《聖テレーザの法悦》の前で一時間を過ごしたのだと言う。8日も見ていないと苦しく、まるで最愛の恋人に会えない喪失の涙で胸がいっぱいになると彼は語った。そして彼には、時間帯ごとに異なる愛し方があった。朝には、黎明の光に包まれた白さの中で、魂の神秘的な熱情をもって。午後には、殉教者の血の赤の情熱を帯び、沈む太陽の斜めの光線が炎となって彼女の上に流れ落ちるのだと。

「おお、友よ!」と彼は倦んだ様子で言い、紫がかった瞳を潤ませた。「おお、友よ、今朝の彼女の目覚めのなんと甘美で心を乱すことか……。無垢で無知な乙女が、歓喜に打ち砕かれ、イエスに抱かれた後の恍惚のうちに、うっすらと瞼を開く……。ああ、死ぬほどだ!」

 しかし数歩進むうちに落ち着きを取り戻すと、今度は世間慣れした青年らしく、明瞭で実際的な声で続けた。

「さて、それじゃあ、ゆっくり歩いてシャトー・プレに向かいましょう。ほら、向こうに建物が見えているでしょう? 歩いている間にお話ししますよ。ああ、まったくもって途方もない物語です――狂気じみた投機の一幕で、まるで狂気の天才が生み出した怪物のように美しい……。親戚がここで一口乗ってね、実際、かなりの額を稼いだんです。」


2 件のコメント:

  1. きのうに引き続き今日の内容も、上流階級の心の醜さをよく描いているね。
    自分にとって都合の悪い事実に目を覆い、心地の良いものにだけ目をむけ、自分は醜いものとは無関係であると知らんぷりを決め込み、とにかく体面をとりつくろう。
    この心理っていうのは、古今東西を問わずに、一定の社会階層以上の人々に備わっているものですね。
    まず、このような心理の源泉について分析してください。
    そして、もう一つ。現代のSNS社会では、スマホの中の世界に没入し、自分の好きなものだけを見て、また自分をモリモリに盛ってよく見せようとする人たちのなんと多いことか! そこに通底する人間心理について、分析してください。

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    1. いいテーマを提示してくださいましたね、そらさん。ゾラが描く「上流階級の心の醜さ」と、現代SNSの「自己演出過剰」には、実は深い心理的共通項があります。整理して分析してみましょう。

      ① 上流階級に特有の「不都合な現実を見ない心理」の源泉
      特権の維持本能
      富や地位を持つ人間は、それを「正当なもの」と信じないと自己崩壊します。だから自分の快適さを壊す現実(貧困、飢え、社会の歪み)を認めると、自分が加害の側にいることを直視せざるを得なくなる。そこで「見なかったこと」にして特権を安定化させるわけです。


      認知的不協和の回避
      「私は善人だ」と思っているのに、目の前で苦しむ民衆を見ると「自分の贅沢が彼らを搾取しているのでは?」と矛盾に直面します。その矛盾は心の苦痛をもたらすので、見ない・否定する・体面で塗りつぶす、という方向に行きます。


      文化的美意識の盾
      上流階級は「美しいもの」や「高雅なもの」に触れることで、自分たちの存在を正当化します。美術館の絵画、豪奢な儀式、洗練されたマナー。これらは「我々は文明を支える者だ」という自己正当化の演出でもあり、同時に「醜い現実」から視線を逸らす盾となります。


      言い換えると、上流階級にとって「醜い現実を見ること=自らの存在の根拠を揺るがすこと」なので、どうしても心理的に拒絶する方向へ進むのです。

      ② SNS社会の「見たいものだけ見て、盛る」心理の源泉
      実は、これは上流階級の心理とよく似た構造を持っています。
      デジタル版「体面の取り繕い」
      貴族が宮殿や庭園を飾り立てて自分を美しく見せたように、現代人はInstagramやTikTokで自分を「加工」して提示します。人間は「社会的動物」なので、他者の目に映る自己像を常に気にしてしまう。SNSはその欲望を強力に加速させた道具です。


      快楽的アルゴリズム依存
      SNSはアルゴリズムによって「自分が見たいもの」だけを流してくれます。現実世界で不愉快なものに出会う苦痛がなく、常に「快」だけを浴び続けられる環境は、まさに「現実逃避の王宮」。この没入感が「都合の悪い現実を見ない」心理と直結しています。


      認知的不協和のミニ版
      誰だって「私の人生は輝いている」と思いたい。けれど現実はしんどい。そこで、写真を盛り、成功体験だけを投稿し、他人から「いいね」をもらうことで、「自分は幸せで価値ある存在だ」という認知的不協和を解消するわけです。



      ③ 両者に通底するもの
      上流階級 → 「醜いものを隠して、体面を保つ」


      SNSユーザー → 「不都合を隠して、映える自己を見せる」


      どちらも根底にあるのは、
      👉「自分の存在を肯定し、心地よい世界に安住したい」という普遍的な欲望。
      違うのは、かつては階級や財力という限定的な特権が必要だったのが、現代ではスマホ一つで誰でも「小さな貴族の王宮」を持てるようになった、という点でしょうね。

      😼 ねこじい風にまとめるなら:
      「人間はね、都合の悪いもんを見ると胃に穴が空いちまう生き物じゃ。だから、上流階級は大理石の彫像の陰に隠れ、SNS民は加工フィルターに隠れる。どっちも『わしは美しい存在なんじゃ!』と信じたい弱さのあらわれよ」

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ローマ 第131回

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