2025年9月14日日曜日

ローマ 第76回

  それにしても、栄光の風が吹き荒れるなかで、国家そのものが巨大さを夢見ていた。イタリアを一から作り上げ、25年で統一と大国化の仕事を成し遂げようとしたのだ。他の国々が数世紀をかけて固めてきたものを、である。だからこそ熱に浮かされたような活動、途方もない支出が続いた。運河、港、道路、鉄道、あらゆる都市での規模外れの公共工事。即興のように国を組み上げ、費用は度外視された。ドイツとの同盟以降は、陸軍・海軍の予算が無駄に巨額を食いつぶした。膨れ上がる需要には、ひたすら借金を重ねて応じるしかなかった。ローマでは戦争省の建設だけで1,000万、財務省は1,500万、川岸工事は1億にも及び、いまだ未完成。そして市の防衛工事には2億5,000万以上が費やされた。これもまた致命的な誇りの炎、あまりに巨大な計画にしか花開けないこの土地の性分、カピトリーノの丘に足を踏み入れた途端に、過去の権力の廃墟の上でさえ世界を眩惑し征服しようとする、あの虚栄の意志にほかならなかった。

「そしてね、親愛なる友よ」
  ナルシスは続けた。
「もし私が、世間で耳打ちされる噂話や、実際にあった出来事を挙げたら、あなたはきっと唖然とし、恐れ入るでしょう。この街全体が、理性的なはずで怠惰で利己的でもあるのに、どれほどの狂気に取りつかれたか、その賭博熱の伝染病の恐ろしさに。愚かな庶民だけが身を滅ぼしたのではありません。大貴族たち、ローマのほとんどすべての家門が、教皇たちの寛大さにより築かれた金も宮殿も芸術の至宝も、すべてを吹き飛ばしてしまったのです。何世紀もの縁故主義で積み上げられた財宝が、わずか10年のうちに現代投機の炎で蝋のように溶け去ったのですよ」

 そして彼は、相手が司祭であることも忘れ、どぎつい話を打ち明けた。

「たとえば――我らが友人、ダリオ。ボッカネーラ家最後の当主にして、今や叔父の枢機卿のおこぼれで生きている男です。枢機卿自身も、もう自分の職にまつわる収入しか残っていない。さて、もしモンテフィオーリ邸の途方もない話がなければ、ダリオはいまごろ馬車で優雅に走っていたことでしょう。ご存知かもしれませんね。あの広大な邸宅地を、最初は1,000万で金融会社に売却したのです。ところが父親のオノフリオ公が投機熱に駆られ、自分の土地を法外な値で買い戻し、建築にまで手を出して――結局の大破綻で、1,000万だけでなく、ボッカネーラ家の残る財産までも消し飛んでしまったのです。

 しかし、おそらくご存じないのはその裏の事情でしょう。つまり、プラダ伯――あの美しいベネデッタ嬢の別居中の夫――が深く関わっていたのです。彼はボッカネーラ公妃、つまりモンテフィオーリ家から邸宅をもたらしたあの麗しきフラヴィアの愛人だったのです! ご主人よりずっと若く、輝かしい女性でしたよ。プラダは妻を通じて夫を操ったのです。古い公爵が危険に気づいて署名をためらうと、彼女は閨を拒んだ、とまで言われています。その結果、プラダは今も巧みに食いつぶしている莫大な金を手にした。そしてフラヴィアはどうなったか? 熟れた年齢に達してからは、破滅の残骸から小さな財産を引き出し、ボッカネーラ公妃の称号をあっさり捨てて、若々しい二番目の夫を買い求めました。彼女がマルケーゼ・モンテフィオーリと仕立て上げたその男は、今も彼女を歓楽と豊かな美の中に保っている――彼女はもう50歳を超えているというのに!

 結局のところ、犠牲者はただ一人、我らがダリオです。全くの無一文となり、同じく財産を持たない従姉ベネデッタとの結婚を固く決めています。彼女がそれを望み、彼もまた彼女を愛さずにはいられない。もしそうでなければ、もうとっくに他の貴族たちのように、数百万持参金を抱えたアメリカ娘と結婚していたでしょう。もっとも、枢機卿とドンナ・セラフィーナが猛反対したかもしれません。彼らは誇り高きローマ人、異国との血の混交を決して許さないでしょうから。――まあ、いずれにせよ、あの愛らしいベネデッタと善良なダリオが、幸せになることを願うばかりです」

 ナルシスは一旦口を閉ざし、しばらく黙って歩いた。やがて声を潜めて続けた。

「実はね、私の親戚もモンテフィオーリ邸の件で、ほとんど300万を手に入れたんですよ。ああ、もっと早くローマに来ていればよかった! あの投機の英雄時代に立ち会えていたら、どんなに面白く、冷静な勝負師にとってどれほどの大儲けの機会だったことか!」

 彼はふと頭を上げ、目前に「プレ・デュ・シャトー」の新しい街区を見て、表情を一変させた。瞬時に彼は芸術家の魂に戻り、教皇の都ローマを汚した現代の忌まわしい所業に憤慨したのである。目は蒼ざめ、口もとには、過ぎ去った世紀の情熱を傷つけられた夢想家の苦々しい軽蔑が浮かんだ。

「見ろ、見ろ、あれを! アウグストゥスの都、レオ十世の都、永遠の力と永遠の美の都よ!」

 実際、ピエールもまた息を呑んだ。かつてこの場所には、サンタンジェロ城の牧草地が広がっていた。テヴェレ川に沿い、マリオ山の麓まで続く広々とした草地で、ポプラ並木が点在し、ブルゴや遠くのサン・ピエトロ大聖堂に向かう前景として、画家たちがこよなく愛した一帯であったのだ。だが今、その平原はひっくり返され、癩病に侵されたように白く荒れ果て、一つの都市が現れていた。巨大でごつごつとした石の立方体が規則正しく並び、まったく同じ外観の建物が並列し、広い通りは直角に交差し、碁盤目のように均整を描いている。端から端まで、同じようなファサードが繰り返され、まるで修道院、兵舎、病院の無限の連なりのように見えた。

 そして何より人を驚かせ、胸を圧したのは、この都市全体が建設途中のまま突如として止まり、謎めいた「災厄の魔術師」の杖によって、ある不吉な朝に工事が一斉に中断され、騒がしい作業場は空となり、建設物がその瞬間に凍り付いたかのように放棄されていたことだった。

 地面を掘り返した基礎工事の深い穴が口を開け、雑草が生い茂っている。二階、三階まで鉄骨と床板を組み上げたままの家もある。屋根まで完成しながら空虚な鳥籠のように放置され、風にさらされるものもある。外壁を塗る間もなく止まった家、窓も扉も木工が施されぬままの家、あるいは戸や雨戸こそついているが釘で打ち付けられ、まるで棺桶の蓋を閉ざされたように死んでいる家。中には、ほんの一部だけ、あるいはごくわずかに居住され、思いもよらぬ人々が息をしている家もあった。

 しかし全体としては、この世に比類ない悲惨さであった。眠り姫の城のように、まだ生まれもせぬうちに致命的な眠りを与えられ、陽炎のように灼けつく太陽の下で滅びゆく都市。目覚めることのない目覚めを待ちながら。

 ピエールは同行者の後について、墓地のように静まり返った広い通りを進んだ。馬車も人影もなく、歩道さえ未完成で、草が舗装されぬ地面に生い茂り、自然に還りつつある。けれど、工事中の仮設ガス灯だけが、鉛管を木の棒に括りつけたまま何年も取り残されていた。

 両側の家々では、所有者が窓や入口を厚板で塞ぎ、課税を逃れていた。まだ着工したばかりの建物は、地下室が盗賊の巣窟と化すのを恐れて柵で囲まれていた。だが最も痛ましかったのは、新しい「廃墟」であった。見事に大きく、だが未完成のまま、壁塗りもされぬ巨人の石の骨格が、早くもあちこちで亀裂を走らせ、崩れ落ちぬように複雑な木の支えを組まねばならなかった。

 まるで疫病や戦争や爆撃が住民を吹き払った都市に迷い込んだようで、ぽっかりと空いた建物の骸はその痕跡をとどめているかのようであった。だがさらに恐ろしいのは、これは死ではなく「誕生の失敗」であることだ。住人が来ることなく、夢見られながら実現しなかった生命が宿らぬまま、家々は死産に終わっていた。人間存在そのものへの絶望感が押し寄せた。

 そして一層皮肉なのは、街角ごとに立派な大理石の標識が掲げられ、「グラックス」「スキピオ」「プリニウス」「ポンペイウス」「ユリウス・カエサル」といった歴史の偉人たちの名が刻まれていることだった。その栄光の名が、不完全で崩れ落ちかけた壁に掲げられているさまは、まるで過去から今への嘲笑の平手打ちのようであった。

6 件のコメント:

  1. 「過去から今への嘲笑の平手打ちのよう」という表現がいいですね!
    私の眼前に浮かんだのは、バブル経済期に建設されて後すぐに閉鎖され打ち捨てられた地方の巨大テーマパークの跡地や、建設途中で放棄され立ち尽くしている中国の高層マンション群の姿ですね。

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    1. そう、それです!✨
      ゾラがローマの土地バブルを描いたとき、まさに「虚飾のための虚飾」「価値を食い潰すための価値」が形をとって現れる瞬間を切り取っていました。

      おっしゃる「地方の巨大テーマパーク跡地」や「中国の放棄された高層マンション群」は、まさに「過去から今への嘲笑の平手打ち」そのもの。

      * 日本のバブル遺産
       ゴーストタウン化したリゾート開発地、放置されたテーマパーク(ハウステンボスは奇跡的に復活しましたが、類似の場所は数多く廃墟に)。
       ゴルフ場やリゾートマンションは「一時の幻想」の象徴でした。

      * 中国のバブル遺産
       恒大集団などの破綻が露呈した「鬼城(ゴーストシティ)」、建設途中で骨組みだけ残された高層マンション群。
       都市の「成長神話」が資金繰りで頓挫した姿は、ゾラがローマで描いた「未完の宮殿」とそっくりです。

      そして不思議なことに、どれも最初は未来への希望や豊かさの象徴だったんですよね。それが数年もしないうちに、荒れ果てた風景が逆に「人間の欲望の愚かさ」を強烈に示すモニュメントになってしまう。

      ──そう考えると、現代の私たちが目にしている廃墟群は、ゾラが小説で描いた土地バブルの「舞台装置」の現実版ともいえるでしょう。

      ご希望なら、今の日本・中国・ゾラの時代を並べた「バブル遺跡図鑑」みたいな対照表に整理しますか?

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  2. 昨日も私たちは19世紀末のイタリアの土地バブルから現代をとらえ返していたのだけれども、もう一つ重要な視点があった。それは、イタリアがファシズムへと走っていった歴史。ゾラは当然に、その来るべき未来のことを知らないわけですが、彼はイタリアという国家の狂気の行く末をすでに見ていたのではないかと思います。

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    1. おっしゃる通りですね。これはとても鋭い洞察だと思います。
      ゾラは未来のファシズムを直接予見してはいませんが、イタリア社会に潜んでいた狂気の萌芽を小説の中で掬い取っていたといえるでしょう。

      土地バブルに象徴されるのは、

      * 欲望に支配されるエリート層
      * 群衆の熱狂と盲信
      * 「国家再生」を掲げながら腐敗と投機に溺れる政治・経済システム

      これらは後にファシズムを可能にした「土壌」と非常に近い。

      実際に歴史を振り返ると:

      * *9世紀末のイタリア
      統一後も南北格差や財政難が深刻。国民国家の実態は脆弱で、「見せかけの繁栄」と「深まる社会不安」が並存していました。

      * ゾラの視点
      彼は「土地投機」という具体的な狂気を描きつつ、その背後にある社会の道徳的崩壊と群衆の陶酔を執拗に描写しています。これは経済現象にとどまらず、後の政治的全体主義を支える心理的メカニズムとも重なる。

      * 20世紀前半の現実
      やがて第一次大戦後の疲弊と社会不安の中で、ムッソリーニが「秩序と誇りの回復」を掲げ、群衆を熱狂させてファシズムを樹立しました。ゾラが描いた「陶酔と虚飾の都市ローマ」は、その前奏曲のように見えてきます。

      つまり、ゾラは未来を知っていたわけではなくても、社会がファシズムへ転げ落ちる前の「感情の回路」や「病理の構造」を作品の中で透視していたのだと思います。

      ──もしご興味があれば、ゾラが描いたローマの群衆心理と、のちにムッソリーニが利用した群衆操作の共通点を並べて比較してみましょうか?

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  3. いいですね。比較をお願いします。

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    1. 了解です!では、ゾラ『ローマ』に描かれた群衆心理と、ムッソリーニが操った群衆心理を比較して整理してみますね。

      ---

      ① ゾラ『ローマ』に見る群衆心理

      * 陶酔と虚飾
      ローマの街は「永遠の都」の幻影をまとうが、その実態は投機と腐敗に満ちている。群衆はその幻影に酔い、熱狂に飲み込まれる。
      * 偶像崇拝的態度
      ベネデッタのような「お姫様」、貴族、聖職者といった象徴的人物に群衆は夢を投影し、自らの欲望を重ね合わせる。
      * 危うい共同幻想
      投機に浮かれる群衆は「皆で信じれば実体がある」と思い込み、疑念を持つ声はかき消される。

      ---

      ② ムッソリーニのファシズムにおける群衆心理

      * 国家の幻影による陶酔
      「古代ローマの栄光を取り戻す」というスローガンは、ゾラが描いた虚飾と同じく、実体よりイメージが優先された。
      * カリスマ指導者の偶像化
      ムッソリーニ自身が「生きるローマ」「新しい皇帝」として群衆の欲望を体現し、信仰の対象となった。
      * 共同幻想の暴走
      「イタリアは立ち上がった」という共同幻想が広まり、軍事侵攻や弾圧に対しても大衆は熱狂的に支持。異論は「裏切り者」として排除された。

      ---

      ③ 共通点と相違点

      * 共通点

      * 幻影(ローマの栄光)に群衆が酔う
      * カリスマ的存在への欲望投影
      * 不都合な現実を覆い隠す共同幻想の蔓延

      * 相違点

      * ゾラが描いた群衆はまだ「経済的投機」における陶酔が中心
      * ムッソリーニ時代にはそれが「政治的全体主義」へと転化し、直接的な暴力や国家支配の正当化に利用された

      ---

      まとめると、ゾラの小説に出てくる群衆は「バブル経済に酔った投機家集団」であり、その心理的メカニズムはのちに「ファシズムの群衆」へと連続していきました。
      つまり、ゾラは経済的・文化的レベルでの群衆の狂気を描いたが、その構造はそのまま政治的狂気にも移植できた、というわけです。

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ローマ 第76回

   それにしても、栄光の風が吹き荒れるなかで、国家そのものが巨大さを夢見ていた。イタリアを一から作り上げ、25年で統一と大国化の仕事を成し遂げようとしたのだ。他の国々が数世紀をかけて固めてきたものを、である。だからこそ熱に浮かされたような活動、途方もない支出が続いた。運河、港、...