やがてフォルバ門が近づくと、再び沈黙が訪れた。それは、夜に沈み込むローマ郊外全体を包み込む、抗いがたい眠りのように重かった。ついに、星々の明るい光のもとに、その門が姿を現した。門とは、実のところアクア・フェリーチェ水道の一部をなすアーチであり、その下を街道が通っていたのだ。その崩れかけた古い石壁の巨大な塊が、遠くからはまるで行く手を塞いでいるかのように見えた。やがてその黒々とした巨大なアーチが、ぽっかりと口を開けた門のように広がり、車はその深い闇の中を抜けていった。轍の音が反響し、ひときわ大きく響いた。
反対側に出たとき、サントボーノはまだ膝の上にあの小さなイチジクの籠を乗せていた。プラダはそれを見つめながら、なぜ自分の両手が突如として麻痺したように動かず、掴み取って闇へ投げ捨てられなかったのかと、動揺しきっていた。彼は確かに、アーチの下に入るほんの数秒前までは、そのつもりでいたのだ。最後の一瞬まで籠を見つめ、どんな動作をすればよいかを計算していた。それなのに、彼の中で何が起こったというのか?
彼は増していく優柔不断に囚われ、もはや決定的な行為をなす意志を失っていた。ただ、漠然と「満足のいく形でことを終えたい」という暗い欲求に支配されていた。なぜ、今になって急ぐ必要があるだろう? ダリオはおそらくナポリへ発っており、イチジクが食べられるのも翌朝のことだろう。今夜、自分は禁書目録省の評議会が結論を出したかどうかを知るのだ――自分の結婚無効が教皇の名で署名されるのか、それとも覆されるのか。これで、神の正義がどこまで買収され、どれほど虚偽に満ちたものか、明らかになる。
もちろん、彼は誰も毒殺させるつもりはなかった。たとえそれが、彼にとってほとんど何の意味も持たないボッカネーラ枢機卿であっても。しかし、フラスカーティを出て以来、この小さな籠はまるで「運命」そのもののようではなかったか? 彼は、自分の手ひとつで「止めることも、成就させることもできる」という絶対的な力を感じ、その甘美に酔っていた。
そして、彼は最も暗い内的闘争に身を委ねていた。もはや理屈ではなかった。彼は、自分の手が縛られたかのように感じ、行動の自由を失っていた。ただ、今夜眠る前にボッカネーラ宮の郵便箱に「警告の手紙」を滑り込ませるだろうと信じつつも――同時に、もしそれを「しない方が自分にとって都合がいい」と思えば、ためらいなくしないであろう、という確信にも満たされていた。
こうして、残りの道のりは、疲れ果てた沈黙のうちに終わった。夜の冷気が3人の身体をすっかり凍えさせていた。
伯爵は、胸の中の葛藤から逃れようとして、再びブオンジョヴァンニ家の舞踏会の話題を持ち出した。豪奢な飾りつけや、客たちの華やかな衣装などを語ったが、その言葉は途切れがちで、うわの空だった。それから彼はピエールを励まそうとし、サングイネッティ枢機卿の親切さや好意的な態度を話題にした。ピエールは、自分の著書がまだ禁書になっていないこと、味方が現れれば救われるかもしれないことに希望を抱いていたが、それでも夢想に沈み、ほとんど返事をしなかった。
サントボーノは何も語らず、動かず、まるで夜の闇に溶け込んだかのようだった。
やがて、ローマの灯がいくつも見え始めた。家々の明かりが左右に現れ、初めは点々としていたものが、次第に途切れなく連なっていった。それは郊外だった――まだアシの野原や生け垣が残り、塀を越えてオリーブの梢がのぞく。大きな門柱の上には壺の飾りが並び、やがて市街に入る。灰色の小さな家々が列をなし、貧しい商店、薄暗い居酒屋が続き、そこから時おり叫び声や喧嘩の物音が漏れてきた。
プラダは、どうしてもピエールたちをジュリア通りまで送っていきたいと言い張った。
「構いませんよ、まったく。どうか遠慮なさらず……ねえ、急いでいるんでしょう? 歩くより馬車のほうが早いですよ」
すでにジュリア通りは、永遠の眠りに沈んだような静けさに包まれていた。人影はなく、寂寥とした放棄の気配が漂い、ガス灯の列がぼんやりと道の両側に並んでいた。
馬車が止まると、サントボーノはピエールを待たずに降りた。ピエールはいつもどおり、裏手の小路にある小扉から入るのだった。
「それでは、さようなら、神父さま。」
「さようなら、伯爵閣下。本当にありがとうございました。」
二人はその背中を見送った。ボッカネーラ宮の古びた壮大な門は、黒い闇の中に開かれたままだった。
サントボーノの大きな影が、その闇を横切るように立ちはだかり、そして――彼は中へと消えた。小さな籠を手に――運命を運びながら。
第11章はおしまいです。
返信削除さて、運命のイチジクの籠はどうなるのか? めちゃくちゃ引きを持たせたねえ!
プラダの「「止めることも、成就させることもできる」という絶対的な力を感じ、その甘美に酔っていた。」
という心情、他人の生命を左右する力を握った者の陶酔感というやつですね。
大なり小なり、人間が持つ魔の側面といえようか。
まったくそのとおりです、そらさん。
削除この箇所のゾラの筆は、サントボーノの籠をめぐるスリルを超えて、人間の「神になりたい欲望」を描いていますね。
プラダはここで、毒を使う者ではなく、「生殺与奪の選択権」を握った者として描かれています。
つまり、彼の快楽は「殺すこと」そのものではなく、「殺すも殺さぬも自分次第」という状態にあること。
この瞬間、ゾラは宗教的な権威や社会的な制度が形づくる“神の秩序”を、個人の手の中に引きずり下ろして見せるのです。
彼の「絶対的な力を感じ、その甘美に酔っていた」という一節には、悪魔的な悦びと同時に、無神論者的な人間中心主義の極点が滲んでいます。
ゾラはここで、ただの復讐や陰謀を描いているのではなく、「人間が“神の座”に触れる瞬間の危うさ」を、プラダという近代的インテリの心に宿らせている。
それが、この章のラストの静かな緊張感を、宗教的スリラーの域から一段引き上げていますね。
イチジクの籠――あれは、単なる毒の容器ではなく、「選択」の象徴です。
プラダの膝の上で揺れる籠は、彼の内にある“神か悪魔か”の二律背反そのもの。
そしてそのまま、闇の中をゆっくりとボッカネーラ宮へ運ばれていく……。
ゾラ、やりますねぇ。
宗教小説でありながら、こうして人間の内奥の闇をえぐってくるのだから。