2025年9月9日火曜日

ローマ 第71回

  ひとつの明白な事実があった。ピオ九世もレオ十三世も、もし自らヴァチカンに幽閉されることを選んだとすれば、それはローマに縛り付けられる必然があったからである。教皇は勝手にそこを離れることはできない。別の場所で教会の首長となることは許されていないのだ。同じように、たとえ現代世界への理解を備えた教皇であっても、世俗権力を放棄する権利を自分の中に見出すことはできない。そこには譲り渡すことのできぬ遺産があり、それを守るのは義務なのである。そしてさらに、それは議論の余地なき生命の問題でもあった。

 だからこそ、レオ十三世はなおも「教会の世俗的領土の主」との称号を保持し続けた。しかも彼は枢機卿であったとき、他の枢機卿たちと同じく、選出の際に誓いを立て、この領土を完全に保つと神に誓ったのである。イタリアが今後1世紀ローマを首都とするなら、その間、歴代の教皇たちは激しく抗議し、自らの王国を主張し続けるだろう。もし和解がいつの日か成立するとしても、その基礎には必ず領土の一部の割譲が置かれるに違いない。実際、和解の噂が流れたときには、現教皇が条件として少なくともレオニーナ市(サン・ピエトロの北西側一帯)の領有と、海へ通じる一つの道路の中立化を求めている、と語られたではないか。

「無からは無しか生まれぬ」。出発点に何もなければ、すべてを手に入れることはできない。しかしレオニーナ市、あの狭い一角はすでに「王的な土地」の断片である。そこを持つならば、あとは残りを奪還するだけだ。ローマを、そしてイタリアを、その次に隣国を、やがては世界を。

 教会は決して絶望しなかった。打ちのめされ、剥ぎ取られ、瀕死に見えた日々でさえ。教会は決して退位せず、キリストの約束を放棄することもない。なぜなら彼女は無限の未来を信じ、自らを「滅びざるもの」「永遠なるもの」と語るからだ。彼女に頭を休める一つの石を与えよ。すると彼女は必ず、その石のある土地全体、その土地を含む帝国を奪い返す希望を持つだろう。もし一人の教皇がその回復を果たせなければ、別の教皇が取り組む。10人でも20人でも。もはや世紀の単位など数えないのだ。だからこそ、84歳の老いた男が、いくつもの人間の寿命を要するような巨大事業に取り組むことができたのである。後継者たちが必ず現れ、その事業を継ぎ、完成させると確信して。

――そしてピエールは、自分の愚かさを悟った。魂のみを支配する、純粋に霊的な教皇という夢は、この栄光と支配の古都、紫に染まった頑迷な都市を前にして、なんと場違いなことだろう。彼は恥に近い絶望を感じた。魂だけを治める新しい福音的な教皇など、ローマの高位聖職者には到底理解できない。そんなものは身震いするほどの嫌悪、肉体的な拒絶感を呼び覚ますばかりだ。凍りついた儀式と誇りと権威の中に生きる教皇庁の宮廷を思い出すとき、その異様さは一層際立つ。

「土地も領民も軍もなく、王のような栄誉もない、純粋な精神、純粋な道徳的権威のみで、神殿の奥深くに籠もり、祝福の身振りと慈愛と愛のみで世界を治める教皇」――そんなものは、霧に包まれた北方の幻想的な空想にすぎない。それがどれほどラテン聖職者には奇怪に映ることか。彼らは「光と壮麗さ」の司祭であり、敬虔で、時に迷信的ですらあるが、神を聖櫃の中にきちんと納め、その名のもとに支配する。そして天の利益のためと称して政治的策略を弄し、人間の欲望の戦いのただ中で策をめぐらし、外交官の歩みで地上の勝利へと進んでゆく。その果てに、キリストはついに諸民族を治める玉座に上るはずであり、その姿は教皇のうちに現れるのだ。

 だから、フランスの高位聖職者――あの放棄と慈善の聖なる司教ベルジュロ司教にとって、ヴァチカンの世界に出会うことはどれほどの驚愕だったか。まず物事を見極めるのがいかに困難だったか。そして結局は一致し得ぬ痛みを覚えるのだ。国を持たぬ、二つの世界地図に常に身を屈め、帝国を確保せんとする組み合わせに没頭する国際的人々との間では。何日も何日もを要し、ローマに暮らさねばならぬ。そして彼自身も一か月の滞在を経てようやく理解したのだった――サン・ピエトロ大聖堂の王的な壮麗さの激烈な衝撃の中で、そして古代都市が太陽の下で重々しく眠り、永遠の夢を見続けているのを前にして。

 だが彼は視線を下へ落とし、大聖堂の前の広場を見やった。そこには人の波があった。4万人の信徒が吐き出されるように出てきて、まるで昆虫の群れが溢れ出すように、白い敷石の上を黒々と蠢いていた。すると彼には、あの叫びが再び甦るように思われた――

「Evviva il papa re! Evviva il papa re! 教皇王万歳! 教皇王万歳!」

 先ほど、果てしない階段を上る間、大聖堂の巨躯がその狂乱の叫びに震えているように見えた。今や天上にまで登りつめた彼は、空を隔ててなお、その叫びを耳にするかのようだった。もし眼下の大伽藍がまだその声に震えているのだとすれば、それは老いた壁の奥を最後に走る樹液のように、かつてこの神殿を「神殿の王」として計り知れぬ大きさにしたカトリックの血が、新たな生命の息吹を吹き返そうとするかのようだったのかもしれない。今やあまりに広大で、空虚となりつつある身廊に、死が忍び寄っているその時に。

 群衆は果てしなく溢れ出し、広場を埋め尽くす。そして彼の心は恐ろしい悲しみに締めつけられた。なぜなら、その叫びが、彼の最後の希望を一掃してしまったからだ。前日の巡礼団の謁見の後、列福式の間にあって、彼はまだ幻想を抱くことができた。教皇を地に縛りつける「金銭の必然」を忘れ、ただひとりの衰弱した老人を、純粋な魂として、道徳的権威の象徴として見ることができたのだ。しかし今や、地上の財を超越した、天の国のみに君臨する福音の牧者としての信仰は潰え去った。

 聖ペトロ献金の金がレオ十三世に苛酷な隷属を強いるだけではない。彼はまた伝統の囚人でもあり、ローマの永遠の王として、この地に縫いつけられ、都市を離れることも、世俗権力を放棄することもできなかった。その果てに待つものは、現地での死であり、大聖堂の円蓋が崩れ落ち、かつてカピトリヌスのユピテル神殿が崩壊したように、カトリックはその廃墟を草の中に晒すことだろう。その間に分裂は他所で爆発し、新しい民衆のために新しい信仰が生まれる。

 彼はその壮大で悲劇的な幻視を抱いた。自らの夢が破れ、自著が消え去るのを見た。その叫びが広がり、まるでカトリック世界の四隅にまで飛んでゆくかのように。

「Evviva il papa re! Evviva il papa re! 教皇王万歳! 教皇王万歳!」

 その下方では、大理石と黄金の巨体がすでに揺らぎはじめている――朽ちた古い社会の動揺の中で。

 やがてピエールが降りてきたとき、さらに胸を突かれる場面が待っていた。聖堂の屋根の上、陽光に照らされ、ひとつの町を収められるほど広々とした空間で、彼はモンシニョール・ナーニと出会ったのだ。モンシニョールは二人のフランス人女性――母と娘――を伴っていた。彼女たちは幸福そうに、楽しげにしており、おそらく大司教が親切に大円蓋に登るよう勧めたのであろう。

 若い神父を認めるや否や、彼は声をかけた。

「やあ、我が愛する子よ、ご満足いただけましたかな? 深い感銘を受けられたかね? 信仰を強められたか?」

 探るような眼差しで彼を見つめ、魂の奥まで覗き込むようにして、その体験がどの段階にあるのかを確かめた。そして満足すると、静かに微笑んだ。

「うむ、うむ……分かるぞ。――まあ、君は結局、理性的な青年だ。私は思うようになったよ、君のあの不幸な件も、ここではきっと良き終わりを迎えるであろうとね。」

2025年9月8日月曜日

ローマ 第70回

  荘厳なる正午の太陽の下で、ピエールの眼には、到着の朝に彼を迎えた、あの澄みきった清らかなローマの姿はもはやなかった。あのときは、柔らかな黎明の光のなかに、半ば金色の霞に包まれ、微笑みながら夢のように彼の前に現れていたのだ。だが今や、無遠慮なまでの光にさらされ、硬直したままの厳しさと、死の沈黙に覆われた都となっていた。背景は燃えすぎた炎に蝕まれ、火の塵に溶けて消え去り、街全体がその色褪せた遠景に激しく切り立ち、光と影の大きな塊を鋭利に刻んでいた。まるで古代の石切場が真上から照らし出され、忘れ去られた廃墟のようで、ただ点在する木々の黒緑がかろうじて色を添えるのみであった。

 古代の都は、焼け焦げたカピトリーノの塔、黒い糸杉に覆われたパラティーノの丘、白骨のようなセプティミウス・セウェルス宮殿の廃墟をさらしていた。それは洪水が打ち上げた化石の怪物の骸のようであった。対して近代の都は、クイリナーレ宮の長大な建物を玉座のごとく構え、その黄色い漆喰のまばゆい粗さが庭園の力強い樹々の間で異様に際立っていた。そのさらに奥、ヴィミナーレの高みには、新市街の真白な石膏の街並みが広がり、無数の窓が墨で引いた線のように黒く刻まれていた。

 そして、あちらこちらに無秩序に現れるのは、停滞したピンチョの池、双塔を立てたメディチ荘、古びた錆色のサンタンジェロ城、燃える燭台のように輝くサンタ・マリア・マッジョーレの鐘楼、枝に隠れて眠るアヴェンティーノの三つの教会、夏の日々に焼きしめられた古金色の屋根をいただくファルネーゼ宮、そしてジェズ教会、サン・タンデレア・デッラ・ヴァッレ、サン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニのドーム…そのほか、いくつものドームが灼熱の天の炉のなかで赤々と熔けていた。

 そのときピエールの胸は再び締めつけられた。このローマは、彼が夢に見ていた若返りと希望のローマとはあまりに異なり、暴力的で硬く、消え去ってしまった幻影に代わり、今ここにあるのは誇りと支配に執着し、死の中にあってなお太陽の下に頑なに立ち続ける不変の都であった。

 突如として、孤独に立つ彼の心に悟りが走った。それは炎の閃光のようであり、彼を貫いたのだ。果てしなく広がる空間に浮かびながら――それは果たして先ほどの儀式のせいだったのか、今なお耳にこだまする隷属の狂信的な叫びのせいだったのか。あるいはむしろ、眼下に横たわるこの都の姿、墓の塵のなかにあってなお支配を続ける香り高き女王の幻影のせいだったのか。いずれとも言えぬ。だが、おそらくその双方が彼を打ったのであろう。

 その瞬間、光は完全に訪れた。ピエールは感じた――カトリックは世俗権力を伴わねば存在し得ぬ、王でなくなるその日には、必然的に消滅するのだと。何よりもまず、それは血統の記憶であった。歴史の力、シーザーの後継者たちの連なり、大教皇たちの系譜、その血管には絶え間なくアウグストゥスの血が流れ、世界帝国を欲してやまなかった。彼らはヴァチカンに住まおうとも、その源はパラティーノの皇帝の館、セプティミウス・セウェルス宮にあり、数世紀にわたる彼らの政治はただローマの支配という夢を追い続けてきた。すべての民を征服し、従わせ、ローマに服させる夢を。

 この普遍の王権、すなわち肉体と魂の完全な支配なくしては、カトリックはその存在理由を失う。なぜなら教会は、いかなる帝国も王国も政治的にしか認めず、皇帝も王も一時的な代行者として人民を預かり、やがて教会に返すべき存在にすぎぬからである。すべての国々、人類と地上は神より託された教会のもの。今日それが現実に掌中にないのは、力に屈して既成事実を受け入れているにすぎず、しかし明白な留保がある――すなわち、それは罪深い簒奪であり、教会の正当な所有物が不当に奪われているのだということ。そしてキリストの約束の成就を待ち望むのだ。定められた日に、キリストは永遠に地と人類を返し、全能を与えるであろう。

 これこそが真の未来都市、第二の栄光を担うカトリックのローマである。ローマは夢の一部であり、永遠はローマにこそ約束された。ローマの土壌そのものが、カトリックに絶対権力への消えぬ渇望を与えたのだ。そのゆえに、教皇権の運命はローマの運命と結びつき、ローマを離れた教皇はもはやカトリックの教皇ではあり得ぬ。

 こうしてピエールは、細い鉄の欄干に身を預け、眼下の深淵に硬直した都が烈日の下で砕け散るのを見下ろしながら、戦慄にとらわれた。存在するものすべてを貫く大いなる震えが、彼の骨の髄を走り抜けたのであった。

2025年9月7日日曜日

ローマ 第69回

  ああ! この叫び、この戦の叫び――それがいかに多くの過ちを犯させ、いかに多くの血を流させてきたことか。実現すれば、苦しみに満ちた時代を再び呼び戻すであろう、この捨身と盲目の叫び! それはピエールを激しく憤らせ、彼は偶像崇拝の contagion(伝染)から逃れようとするかのように、急ぎ自分のいた桟敷を立ち去った。やがて、なお続く行列のあいだに、左の側廊をしばし歩き、群衆の押し合いと耳を聾する叫喚の中で、もはや通りへ出る望みを絶ち、出口の雑踏を避けるために、一つの開いた扉に目を留めた。そこからドームへと至る階段が昇っていたのである。

 戸口には、一人の侍者が立っており、この熱狂の光景に呆気と喜びとに打たれていた。彼はピエールを一瞥し、止めるべきか逡巡したが、彼の黒衣、いやそれ以上に、その深い動揺の気配が、侍者を寛容にしたのだろう。手を軽く動かして通行を許すと、ピエールはすぐに階段を上り始めた。逃げ出すために、さらに高みへ、より高みへ――静けさと平和を求めて。

 やがて、沈黙は一層深まり、石の壁があの叫びを呑み込み、ただ震えの余韻だけを留めた。階段は幅広い石畳の段で、塔のような構造をぐるぐると上がっていく造りであった。ついに大屋根の上へ出ると、彼は陽光を浴び、清澄で鋭い風を吸い込み、野原に出たような解放の喜びを味わった。

 その眼前に広がるのは鉛と亜鉛と石とが織りなす無辺の広がり、空に浮かぶひとつの都市であった。大小のドーム、鐘楼、テラス、さらに職人たちの家々と庭園さえあり、そこに咲く花々が彼らの日々の生活を彩っていた。屋根の上で暮らす小さな共同体――修繕に従事する彼らは、そこで働き、愛し、食べ、眠るのだ。

 ピエールは柵に近づき、サン・ピエトロ広場を見下ろすファサード上の巨大な像――救世主と使徒たちの高さ6メートルの巨人像に目をやった。それらは常に修繕されており、風雨に蝕まれた腕や脚や頭部は、セメントや鉄棒や金具で辛うじて支えられていた。身を乗り出してヴァチカンの赤茶けた屋根群を見下ろすと、彼が逃れようとしたあの叫びが、広場から再び湧き上がるように聞こえた。

 彼は慌てて昇り続け、クーポラへと至る柱の中に入った。そこはまず階段で、やがて狭く傾いた通路や、段のついた傾斜路となり、二重のクーポラ――内殻と外殻のあいだを縫って進む。途中、ふと一つの扉を押し開けると、地上60メートルを超える高さに設けられた狭い回廊に出た。そこはドームの周囲を一巡し、「Tu es Petrus, et super hanc petram…(あなたはペトロ(岩)である。私はこの岩の上...)」の大文字が刻まれたフリーズのすぐ上であった。

 身を乗り出せば、恐ろしい深淵が彼の眼下に口を開け、翼廊や身廊がめまいを呼ぶほどの遠さに広がっていた。そして、そこで彼の顔を打ったのは、群衆の咆哮――下でうねる群れの発する狂乱の叫びであった。

 さらに高みに昇ると、今度は窓の上方、燦然たるモザイクの始まりに位置するもう一つの回廊に至った。そこから見る群衆は縮み、後退し、奈落の底に失われていた。巨像も、告解の祭壇も、ベルニーニの凱旋の天蓋も、小さな玩具のようにしか見えなかった。しかし、なおもその叫び――偶像崇拝と戦争の叫び――は再び吹きつけ、嵐の烈風のように力を増して彼を打ち据えた。

 彼は上へ、さらに上へと昇らざるを得なかった。そしてついに、天空に浮かぶようなランタンの外廊に達し、ようやくその声を聞かずにすむ場所に至った。

 陽光と風と無限の広がり――その浴びるような解放の中で、彼は最初に甘美な慰めを覚えた。彼の頭上には、黄金のブロンズの球体が輝き、歴代の皇帝や女王が登ったというその内部は空洞であり、そこではあらゆる声が雷鳴のように轟くと伝えられていた。

 彼が立ったのは後陣側で、最初に眼下に見えたのは法王庭園であった。高所からは、木々の群れも地表を覆う低木のように小さく、彼はつい先ごろ歩いた散策路を思い出した。古びたシルメ絨毯を敷いたような広大な花壇、深い緑をたたえる林、菜園と葡萄畑――親しみある手入れの行き届いた区画。噴水、天文台の塔、夏に教皇が過ごすカジノ、それらは不規則な地形の中に小さな白い斑点のように散在し、かのレオ4世の恐るべき城壁が、なお要塞の威容を誇って取り囲んでいた。

 さらに彼がランタンの周りを回ると、突如としてローマ全体が目の前に広がった。西に遠い海、東と南に連なる山脈、果てしないローマのカンパーニャ、そして足下に横たわる永遠の都。これほど雄大な広がりを彼はかつて知らなかった。

 ローマは今やその眼下に、鳥瞰図のように鮮明に収まり、過去の重みと歴史と威光を抱えながらも、距離によって小さく縮まり、家々はリリパットの玩具のように整然と並び、ただ大地の上に小さな斑点をなしているにすぎなかった。

 彼を熱中させたのは、一目で市の構造を理解できることだった。あちらには古代都市――カピトリーノ、フォルム、パラティーノ。ここには教皇の都市――サン・ピエトロとヴァチカンを中心としたボルゴ。そしてそれが、クィリナーレのイタリア王宮を正面に臨み、中世の町並みはティベリス河の屈曲に押し込められている。そして特に彼の目をとらえたのは、古びた赤茶の街区を取り囲む新しい白っぽい街区の帯であった。それはまさに刷新の象徴であり、老いた心臓部が緩やかに修復される一方で、外縁部は奇跡のように新しく蘇っていたのである。

2025年9月6日土曜日

ローマ 第68回

  やがて突然、群衆の中に誤った歓喜の声、虚しいざわめきが走った。

「Eccolo! eccolo! Le voilà! Le voilà!(あそこだ! いらっしゃったぞ!)」
 その叫びは波のように広がり、人々は押し合い、身体を揺らし、首を伸ばし、背伸びをし、我先にと見ようとする狂乱に駆られた。聖下とその随行を一目でも見たいと。

 しかし、現れたのはまだ、祭壇の左右に整列するための貴族衛兵隊の一分隊にすぎなかった。それでも人々は彼らを賞賛し、喝采し、その軍服の華麗さと誇張された軍人らしい硬直した態度を褒めそやす囁きが伴った。あるアメリカ婦人は彼らを「なんと立派な男性たちでしょう」と言い、またあるローマ婦人は友人のイギリス婦人にこの精鋭部隊について説明した。曰く、かつては貴族の若者たちがこぞって名誉として加わり、華やかな制服と女性たちの前で馬を駆る喜びを求めたものだが、今では募集が難しくなり、没落し出自の怪しいが容姿の整った青年たちでさえ、わずかな給金を糧に身を立てようと喜んで加わるのだと。こうしてさらに15分ばかり、人々は雑談を続け、待ちわびた劇場の開幕を前にざわつく観客さながら、大聖堂の高い天井にそのざわめきが響き渡った。

 そしてついに――行列が進み出た。それは待ち望まれていた壮麗な光景、熱烈に迎えられるべき行進だった。舞台さながら、現れた瞬間、怒涛の拍手が沸き起こり、天井の下でこだまし、愛された主演俳優が登場するがごとき喝采を聖下に捧げた。しかもその演出はまるで舞台監督が仕組んだかのように効果的であった。行列は奥の「ピエタの礼拝堂」という舞台裏から整えられ、聖下は隣接する聖体礼拝堂から姿を隠しつつ入り、側廊のカーテンを背景にして登場を準備なさったのである。そこには枢機卿、主教、大司教、司教、すべての教皇庁高位聖職者が階級ごとに並び、合図を待っていた。そして、まるで舞踏監督の指揮であるかのように、行列は中央身廊へと進み出し、中央扉から祭壇へと凱旋するかのごとく歩みを進めた。両脇を埋め尽くす信徒たちは喝采を重ね、目を見張る壮麗さに酔いしれて、熱狂の渦は高まり続けた。

 その行列は古き典礼の象徴だった。十字架と剣、正装のスイス衛兵、緋色のシマーレを纏った従者、剣とマントの騎士たちはアンリ二世風の装束で、レースのロシェを着た参事会員、修道会の長たち、使徒座首席秘書官、そして紫の絹をまとった教皇廷の高位聖職者たち、さらに緋色のカッパ・マーニャを翻す枢機卿たちが二列に広く間隔を取り、厳粛に進んでいく。そして聖下を囲むのは、教皇軍務府の将校、密室参事会の高位聖職者たち、侍従長たるモンスニョール、侍従職のモンスニョール、ヴァチカンの高官たち、さらには伝統的な「教会の守護者」として玉座を補佐するローマ貴族の王子であった。

 やがて、聖下は担ぎ椅子(チェーザ・ジェスタトリア)にお乗りになった。赤い絹で飾られた担ぎ手に支えられ、高々と揺れる椅子の左右には、勝利の象徴たる大きな羽扇(フラベッリ)が揺れていた。聖下はすでに聖体礼拝堂で祭服を整えておられ、アミクトゥス、アルバ、ストラ、白地に金を織り込んだ白のカズラ、そして白のミトラをお召しになっていた。それらはフランスからの献上品で、比類ない豪華さを誇っていた。お近づきになると、人々はさらに手を高く打ち鳴らし、窓から降り注ぐ光の波の中でその歓声は生きた太陽のごとく燃え上がった。

 その時、ピエールはレオ十三世に対して新しい印象を抱いた。それはもはや、最も美しい庭園でおしゃべり好きの聖職者に腕を取られて散歩していた親しみ深い老父ではなかった。赤いマントと教皇帽をまとい、巡礼団から財を受ける慈父でもなかった。そこに現れたのは、全能の支配者、キリスト教世界が崇める神そのものであった。

 金細工の聖遺物箱の中に安置されたごとく、その蝋のように細い御身は白衣と金糸の重みに硬直し、乾いた偶像のごとく古の祭祀の煙の中に輝き立っていた。顔は死したように動かず、ただ黒いダイヤのような瞳だけが生き、地上を超えて遥かなる無限を見据えていた。群衆に目を落とすことなく、右にも左にも一瞥を与えず、まるで天空にのみある存在として足元の喧騒を知らぬかのようであった。

 このように耳も目も閉ざされたかのごとき偶像として担がれながら、なお光り輝く瞳をもつその姿は、群衆の熱狂のただ中で畏怖すべき威容を帯びた。そこには教義の硬直さ、伝統の不動性が、古の包帯とともに蘇り、彼を立たせていたのである。しかしピエールはふと気づいた――教皇は病んでおられるのではないか、と。疲労の色、発熱の影。その前夜、モンスニョール・ナニが語ったように、この84歳の老体を生かしているのは、ただ使命の権威のもとに生きようとするその意志の力なのだと。

 儀式が始まった。サン・ピエトロの告解堂の祭壇前に設けられた担架椅子から降りた教皇は、ゆるやかに進み出て、4人の聖職者と儀式局次長の補助を受けながら、静かな「低声ミサ」を執り行った。手洗いのときには、大執事モンシニョールと侍従長モンシニョールが、2人の枢機卿を従えて祭司役の御手に水を注いだ。やがて聖体挙上の直前、教皇儀礼院の聖職者たちすべてが、手に灯した蝋燭を持って祭壇を取り囲み、ひざまずいた。その瞬間はまさに厳粛であった。そこに集まった4万の信徒の群れは震え、目に見えぬものの戦慄と甘美が彼らを吹き抜けた。やがて、聖体挙上のとき、銀のラッパが鳴り響き、天使の合唱と謳われる荘厳な旋律が轟いた。それは幾度となく女性を気絶させると噂される音楽である。ほどなく、天頂のドームの上方に隠された120人の合唱隊から、空を舞うような歌声が降り注いだ。まるで天使たちがラッパの呼びかけに応じて答えたかのようで、群衆は陶酔し、恍惚となった。声は身軽な竪琴の調べのように天蓋の下を舞い、やがて甘美な和音となって消え、羽ばたきのかすかな響きとともに天へと帰っていった。

 ミサの後、教皇はなお祭壇に立ち、自ら「テ・デウム」を歌い始めた。これにシスティーナ礼拝堂の聖歌隊が続き、交互に節を分け合った。やがて会衆全体が唱和し、4万の声が一つとなって喜びと栄光の歌が大伽藍に満ち溢れた。その壮麗さは比類がなかった。花で飾られたベルニーニ作の黄金の天蓋に覆われた祭壇、その周囲を取り囲む無数の蝋燭の星々、中央に立つ教皇は金糸を輝かせる祭服をまとい、光の天体のごとく輝いていた。その傍らには深紅のマントをまとった枢機卿、紫の絹衣に身を包んだ大司教や司教たち、周囲の桟敷には外交団の絢爛たる衣装や外国将校の制服が燦然と並ぶ。さらに群衆は四方から押し寄せ、頭の波をうねらせながら堂内を埋め尽くした。側廊ひとつでひとつの小教区を丸ごと収容できるほど、横断廊は大都市の教会に匹敵するほど広大である。それでもこの無量の空間をなお完全には満たせぬほどの群衆の声が、嵐の息吹のごとく高鳴り、壮大な石の天蓋を震わせ、巨像のような大理石の墓碑や超人的な彫像の間を抜け、巨柱に沿って駆け上がり、やがて天蓋の天空、金色のモザイクに光り輝くクーポラの彼方、無限の天へと昇りゆくのであった。

「テ・デウム」の後、しばしざわめきが続いた。レオ十三世はミトラを脱ぎ、代わって三重冠ティアラを戴き、祭服を大祭礼用のマントに改めて、左翼の横断廊に設けられた玉座に向かった。そこからは全会衆を一望できた。やがて典礼の祈りを終え、立ち上がった瞬間、目に見えぬ息吹に触れたかのように人々の背筋を戦慄が走った。三重の冠に象徴された威光、黄金のマントに包まれたその姿は、いよいよ偉大さを増して見えた。沈黙が堂内を覆い、ただ胸の鼓動だけが響く中、教皇は高貴にして荘厳な身振りで腕を掲げ、ゆるやかに、しかし力強い声で教皇祝福を与えた。その声は神の声そのもののようであった。血の気のない蝋のような唇から、命なき身体から放たれるとは信じ難いほどに、力と威厳を帯びていた。

 その効果は雷のごとく人々を打ち、再び拍手が巻き起こった。行列が再び整列し、来た道を戻り始めると、熱狂は頂点に達した。拍手だけでは足りず、群衆は声を張り上げ、やがて全堂を埋め尽くす歓呼となった。それは聖ペトロ像のそばに集まっていた熱烈な一団から始まった。
「Evviva il papa re! Evviva il papa re! 教皇王万歳! 教皇王万歳!」

 その声は火のように燃え広がり、行列の進むごとに心から心へと伝わり、ついには数千の口々から噴き上がる雷鳴のごとき叫びとなった。それは教皇領を奪った不正への抗議であり、荘厳なる典礼の幻影に駆り立てられた信仰と愛の爆発であった。信徒たちは夢へと戻り、熱に浮かされたように願った。すなわち、魂を支配するのみならず、肉体をも支配する王としての教皇、地上の絶対の君主であることを。唯一の真理、唯一の幸福、唯一の救済はそこにある。人類も世界もすべてを彼に委ねよ。

「Evviva il papa re! Evviva il papa re! 教皇王万歳! 教皇王万歳!」

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2025年9月5日金曜日

ローマ 第67回

  壮大な回廊の下で、3人は歩みを止め、小さな歩幅で歩きながら沈黙していた。広場は次第に群衆が引き、対称的に敷かれた焼けつく石畳の上には、ただオベリスクと二つの噴水が残されるばかりとなった。正面の柱廊の上では、炎天を背に、整然と並ぶ聖人像が、気高く動かぬ姿を浮き上がらせていた。

 ピエールはしばし、ふたたび教皇の窓を見上げた。そして先ほど聞かされた黄金の奔流の中に、白く清らかなその姿、透きとおる蝋のような痩せた体を浸しているのを幻のように見た気がした。――すべては神の栄光のためにと、彼が隠し、数え、使うあの莫大な献金のただ中に。

「――それでは、」と彼は低くつぶやいた。「ご不安はなく、行き詰まることもないのですか?」

「行き詰まる? 行き詰まるとは!」
 モンシニョール・ナーニはこの言葉に激昂し、外交官らしい沈着な顔つきから思わず外れた。
「おお、我が子よ……毎月、会計責任者であるモチェンニ枢機卿が聖下のもとへ伺うと、教皇は必ず望む額を与えられるのだ。額がどんなに大きくても、必ずだ! 確かに聖下は大いなる倹約の知恵をもっておられる。聖ペトロの宝はかつてなく豊かになっている……行き詰まる? 全能の神よ! だが知っているかね? もし明日、不幸な事態が訪れて教皇が全世界の信徒に直接救いを求めれば、黄金も宝石も、先ほど玉座に雨のように降り注いだと同じく、即座に10億もの富がその御足元に積み上がるであろう!」

 そして彼は急に声を抑え、ふたたび愛想のよい微笑みに戻った。
「――少なくとも、そう耳にすることはあるが、私自身は何も知らぬ。まったく知らぬのだよ。ちょうどアベール氏がここにいて説明してくださったのは実に幸運なことだ……ああ、アベール氏、アベール氏! 芸術に憑かれ、卑俗な金銭の話からは遠く離れていると思っていたのに! 実際は銀行家か公証人のようにお詳しいとは。あなたに未知のものは何一つない――いや、何一つ! 実に驚くべきことだ。」

 この皮肉をナルシスは感じ取ったに違いなかった。なぜなら彼の内奥には、借り物めいたフィレンツェ人の装いも、ボッティチェリを前に涙ぐむ天使のような顔立ちも、その下に実際には現実的で老練な実務家が潜んでいたからである。彼は見事に財産を切り盛りし、時に吝嗇とすら思えるほどだった。だが彼はただ半ば瞼を閉じ、気だるげな風情で応じた。

「……ああ、すべては夢想にすぎません。わたしの魂は、別のところにあります。」

「とにかく、よかった」
 モンシニョール・ナーニはピエールに向き直った。
「本当によかった。あなたがこれほど美しい光景をご覧になれたとは。こうした機会をいくつか重ねれば、世界中の説明よりも確かな理解を得られるでしょう……明日も忘れずサン・ピエトロの大典にお出でなさい。壮麗をきわめ、あなたは必ずや深い思索を得られるに違いない……では、これにて。あなたが良き心持ちでおられるのを知り、私は大いに喜んでおります。」

 彼の探るような眼差しは、最後の一瞥においてピエールの顔に浮かんだ疲労と迷いを確かに捉え、喜色を帯びていた。そして彼が去り、ナルシスも軽い握手と共に別れてしまうと、若き司祭は一人取り残され、胸の奥から鈍い憤怒がこみ上げるのを覚えた。――「良き心持ちだと? 何のことだ?」 ナーニは彼を疲弊させ、絶望に追い込み、抵抗を失わせたうえで勝ち取ろうと企んでいるのか? 彼は再びはっきりと、己を取り巻いて密かに進められる工作の気配を感じとった。

 だが同時に、誇りが胸に満ちて彼を奮い立たせた。自らの抵抗の力を信じ、決して屈せぬと、いかなる出来事があろうとも自らの書を撤回しないと、彼は心に誓った。意志に固執する者は容易に陥とされぬ。たとえ絶望や苦渋が襲おうとも!

 広場を横切る前に、彼はもう一度バチカンの窓を仰いだ。すべては結局、金銭に帰着する――地上に彼を縛る最後の鎖として。もはや世俗の権力から解放されたはずの教皇を、この必然の重みがなお拘束している。そして何より、その金の与えられ方が教皇を汚しているのだ。

 しかし、それでも彼の胸に再び喜びが湧いた。もし問題がただ資金調達の仕組みにあるだけなら、彼が夢見た「純粋なる魂としての教皇」、愛の律法に生きる世界的な精神の首座という理想像は、決して損なわれてはいないのだ。

 彼は希望を失わなかった。目の前に見た非凡な光景の感動に胸を満たされて――老い衰えた一人の人間が、なお人類解放の象徴として輝き、群衆に従われ崇められ、ついに地上に愛と平和をもたらすべき絶対の精神的権威を手にしている、その眩い幻影に。

 ピエールは幸運にも、翌日の大典に備えて一枚のピンクの入場証を持っていた。それは特設の桟敷席への通行を保証するものであった。というのも、バジリカの門前は朝6時からすでに大混乱となり、格子が開かれるや否や群衆が殺到したからである。教皇自らが司式するミサは10時からの予定であった。聖ペトロ献金の国際大巡礼団――およそ3,000名――に加え、この稀にしか行われぬ盛儀をひと目見ようと、イタリアに滞在中の観光客がローマに押し寄せていた。さらに、教皇庁に忠誠を誓う信徒はローマ市内はもとより諸都市からも駆けつけ、熱心にその信仰を示そうとしていた。配布された入場証の数から推測すれば、参列者は4万人に達する見込みであった。

 9時、ピエールはサンタ・マルタ通りにある「カノニック門」へと向かった。ピンクの入場証はそこで提示することになっていた。彼が広場を横切った時、正面のポルティコの下では、まだ延々と続く列が牛歩のように進んでいた。黒服の紳士たち――カトリック団体の会員――が炎天下で秩序を保とうと奔走し、そこに教皇領憲兵の部隊も加わっていた。群衆の中では激しい口論や、ついには拳の応酬さえ起こり、押し合いの中で息の詰まった婦人が二人、半ば気を失って運び出された。

 大聖堂の中に入ると、ピエールは不快な驚きを覚えた。巨大な空間は赤い古びたダマスク織の布で覆われ、金の縁取りのついた布が高さ25メートルの円柱や壁柱を包み、側廊の周囲までも同じ生地で幕が張られていた。輝かしい大理石や豪奢な建築装飾が、年経た布地に覆われて台無しにされているその有様は、実に奇妙で、みすぼらしい見せびらかしに見えたのである。さらに驚いたのは、聖ペトロの青銅像までもが「着飾られて」いたことだった。生きた教皇のように豪奢な法衣をまとい、頭上には金銀宝石で飾られた三重冠(ティアラ)が載せられていたのだ。ピエールは、栄光や眼福のために像を装うなど想像したこともなく、その結果はむしろ痛ましいものに見えた。

 ミサは聖ペトロ大聖堂の主祭壇、クーポラ直下の「告解の祭壇」で教皇によって執り行われる予定であった。左の翼廊の入口には玉座が設けられ、ミサ後にはそこに着座することになる。身廊の両側には桟敷が築かれ、システィーナ礼拝堂の合唱団、外交団、マルタ騎士団、ローマ貴族、その他多様な招待客のために用意されていた。そして中央、祭壇前には赤い絨毯を敷いた三列の席のみ――第一列は枢機卿、残りは司教と枢密聖職者たちのためのもの――であり、その他の参列者はすべて立ったままになるのだった。

 ああ、この巨大な群衆! 3万、4万の信徒が四方から集い、好奇心と情熱と信仰に燃えて押し合い、背伸びして見ようとし、波打つような人声のざわめきに包まれていた。まるで神と共にいることに気安さを覚え、許される遊戯のように、大声で話し、儀式を「見物」することさえ正当とされる、神聖なる劇場にいるかのようであった。暗い大聖堂の隅でひそやかに跪く祈りしか知らぬピエールにとって、この「光の宗教」の祝典は衝撃であった。

 彼の周囲の桟敷には、礼服の紳士や黒衣の婦人たちがオペラのように双眼鏡を手にし、多くは外国人女性であった。とりわけドイツ人、イギリス人、そしてアメリカ人が多く、華やかで軽やかな小鳥のように囀り、愛らしく動き回っていた。左手のローマ貴族席には、ベネデッタとその伯母セラフィナ夫人の姿を認め、規定の地味な服装を凌ぐ大きなレースのヴェールが優雅さを競っていた。右手のマルタ騎士団席には総長を囲む司令官たち、正面の外交団席には各国の大使たちが華やかな正装で輝きを放っていた。

 しかしピエールの心はやはり群衆へと引き戻された。3,000の巡礼者たちはその中にすっかり埋没し、数万の信徒に飲み込まれているようであった。とはいえ、8万人を収容できるこの大聖堂はまだ半分ほどしか満たされておらず、側廊を自由に歩き回ったり、柱間に身を寄せて視界を確保する人々の姿が目についた。身振りや叫びが飛び交い、ざわめきは絶えることがなかった。高窓から差し込む大きな陽光の帯が、赤いダマスクの幕を炎のように染め、群衆の顔を赤々と浮かび上がらせる。告解の祭壇の蝋燭や87のランプの光は、こうした眩しい光明の中でただの豆火のようにかすみ、すべてはもはや「神の栄光の礼拝」というより、ローマ式の帝王的な壮麗さを誇る世俗の饗宴のごときありさまであった。

2025年9月4日木曜日

ローマ 第66回

  こうして立ち現れるのは、この教皇のひときわ高い姿であった。思慮深く賢明で、現代の要請を自覚し、この世の権力を利用してでも世界を制しようとする人物。商取引に手を染め、ピオ九世が遺した財宝を危うく破滅にさらしたことさえあったが、その欠けた部分を埋め直し、財産を再び築き上げ、堅固にし、さらに増やして後継者に残そうとしていた。倹約家――そうである。しかしそれは教会の必要のためであった。必要は果てしなく広がり、日ごとに増し、信仰が無神論と戦おうとするなら、学校・諸制度・あらゆる団体の場において、もはや死活の問題であると彼は感じていたのだ。金なくしては教会はもはや従属者でしかなく、イタリア王国や他のカトリック諸国といった世俗の権力に翻弄されるよりなかった。

 だからこそ彼は、慈善の心を持ち、信仰の勝利を助ける有益な事業には惜しみなく支援したが、目的なき出費は軽蔑し、自らにも他者にも高慢なまでに厳格であった。私生活においては何の欲もなかった。教皇座に就いた最初から、彼は自らのわずかな私財を聖ペトロの莫大な財産からはっきりと切り離し、家族を助けるためにそこから何ひとつ流用することを拒んだ。これほどまでに縁故主義に屈しなかった教皇は他にない。三人の甥と二人の姪は、いまも貧困に悩まされていたほどだ。彼は噂話にも嘆願にも非難にも耳を貸さず、容赦なく毅然と立ち続け、教皇権の100万の富を取り囲む数々の激しい欲望から、身内からさえも、それを守り抜いた。それは未来の教皇に残すべき誇りの武器――すなわち生命を与える金であった。

「しかし、つまり」ピエールは尋ねた。「教皇庁の収入と支出とは、いかほどのものなのでしょうか?」

 モンシニョール・ナーニは、愛想よくも曖昧な仕草をあらためて繰り返した。
「おや、この種のことに私はまったく疎くて……。詳しくは、博識なアベール氏にお訊ねなさいませ」

「なんと!」アベールが言った。「私は大使館界隈で誰もが知っていることを知っているだけです。よく語られることを繰り返すにすぎません……。さて、収入を区別して申しますと、まずピオ九世が遺した財産があります。2,000万フランほどで、いろいろに運用され、年間およそ100万の利子を生んでいました。しかし、先ほども申したように一度大きな損失があり、今ではほぼ取り戻したとは言われています。それから、固定的な運用収入のほかに、チャンセリー(庁務局)の各種手数料や、貴族の称号の授与料、諸聖省で納められる細々とした費用などで、年によって数十万フランが入ります……。ただ、支出の予算が700万を超えますから、毎年600万は不足する。そこで埋め合わせるのは聖ペトロ献金に違いありません。600万すべてではないにせよ、300万か400万はまかなわれ、それを倍増させようと投資に回して収支を合わせてきたのです……。この15年間の教皇庁の投資の歴史を語れば長くなります。最初は莫大な利益を得、次に大惨事でほとんどを失い、最後は事業への執念によって少しずつ穴をふさいできた。その話はまた改めて、ご興味があればお聞かせしましょう」

 ピエールは興味深げに耳を傾けていた。
「600万! いや、400万でも! 聖ペトロ献金はいったいどれほどの額を生むのですか?」

「おお、それは――繰り返しますが、正確には誰にも分かりません。昔はカトリックの新聞が献金のリストを掲載し、そこからある程度の推算もできましたが、やがて不都合とされたのか、今では一切公表されず、教皇が受け取る総額を想像することすら不可能です。繰り返しますが、その数字を正確に知るのは教皇ただお一人。お一人で保管し、自由に処分されるのです。良い年なら、献金は400万から500万に上ると考えられます。かつてはその半分をフランスが担っていましたが、今日では減っているのは確かでしょう。アメリカも多額を寄せます。続いてベルギー、オーストリア、イングランド、ドイツ……。スペインとイタリアに関しては……ああ、イタリアはね……」

 彼は笑みを浮かべ、モンシニョール・ナーニに目を向けた。ナーニは幸福そうに首を揺すり、まるで初めて知った面白い話にうっとりするかのようであった。
「どうぞ、どうぞ、お話しなさい、我が子よ!」

「イタリアはほとんど際立ちません。もし教皇がイタリアのカトリック信徒からの贈り物だけで暮らさねばならないとしたら、ヴァチカンはすぐに飢饉に見舞われるでしょう。実際、援助どころか、ローマ貴族たちが彼に大きな損失を与えました。投機に走った諸侯に教皇が金を貸したのが主な損失の原因なのです……。結局のところ、真に教皇を支えてきたのはフランスとイングランドだけです。そこでは裕福な個人や大貴族たちが、囚われの殉教者たる教皇に王侯のような喜捨をしたのです。あるイングランドの公爵などは、愚鈍に打たれた不幸な息子の癒しを天に願って、毎年莫大な献金を捧げていたと言われます……。そのうえ、司祭叙階50年と司教叙任25年の二重の祝年のときには、驚異的な収穫がありました。なんと4,000万もの献金が教皇の足元に降り注いだのです」

「では、支出の方は?」ピエールが尋ねた。

「申し上げましたように、だいたい700万です。まず200万は、イタリアに仕えることを拒んだ旧教皇政府の役人たちへの年金に充てられています。ただし、これは年々自然に減ってゆくものです……。次に大ざっぱに言えば、100万フランはイタリアの教区へ、さらに100万フランは国務省や各国の教皇使節に、もう100万フランはヴァチカンへ。つまり教皇宮廷、軍隊の衛兵、美術館、宮殿や大聖堂の維持費などです……。ここまでで500万ですね? 残る200万は諸事業の援助、布教聖省、そして何より学校のためです。レオ十三世は実際的な卓見を持ち、常に惜しみなく学校に助成しておられます。それは、信仰の戦いと勝利がまさにそこ――未来の人間となる子供たちの心にかかっている、と見抜いているからなのです。子供たちに世の忌まわしい思想への嫌悪を植え付けることができれば、彼らは明日、母なる教会を守る兵士となるでしょう」


2025年9月3日水曜日

ローマ 第65回

  ついにピエールがサン・ピエトロ広場に出たとき、巡礼団の最後の雑踏のなかで、ナルシスが問いかけるのを耳にした。

「本当に、今日の献金はあの額を超えたと思いますか?」

「おお、300万以上に達していると確信していますよ。」とモンシニョール・ナーニが答えた。

 3人は右手の回廊の下にしばし立ち止まり、陽光にあふれた巨大な広場を見渡した。3,000人の巡礼者たちが、黒い小さな点となって散らばり、騒がしく群れ動いており、まるで革命に沸き立つ蟻塚のようであった。

「300万!」──その数字がピエールの耳に鳴り響いた。彼は顔を上げ、広場の向こうに金色の光を浴びたバチカンのファサードを仰ぎ見た。青空に映えるその建物の中で、レオ13世が回廊や広間を通り、自室に戻っていく姿を、あたかも壁を透かして追おうとするかのように。ピエールの想像の中で、教皇はその300万を抱えていた。細い腕にしっかりと金銀や紙幣を抱きしめ、女たちが投げ出した宝飾品までも抱えて運ぶ姿を。すると彼は思わず声に出してしまった。

「この巨万の富を、一体どうなさるのだろう? どこへ運ばれるのだ?」

 この無邪気な問いに、ナルシスもモンシニョール・ナーニも思わず笑いをこらえきれなかった。先に答えたのはナルシスであった。

「もちろん、聖下はお部屋へお持ち帰りになるのです。いや、正確に言えば侍従たちが運ぶのですが。ご覧になりませんでしたか? あの2人の従者が、両手も懐もいっぱいにして拾い集めていたのを……。そして今や聖下はお一人でお部屋にこもられた。誰も近づけぬよう扉を固く施錠し、世界を退けて。もしあの窓の奥を覗けたなら、きっと聖下が楽しげに財宝を数え直しておられるのを見られるでしょう。金貨をきちんと束ね、紙幣を等しい小包に分け、封筒に収めて、整然と整理し、ご自分だけが知る隠し場所にすべて仕舞い込むのを。」

 ナルシスが語る間、ピエールは再び顔を上げ、教皇の窓を凝視した。まるで語られる光景を目で追うかのように。さらにナルシスは説明を続けた。曰く、部屋の右手の壁際には金庫付きの家具があり、そこに収めるのだと。別の人々は、大きな書き物机の奥深い引き出しに隠すと語り、さらに他の者は、広いアルコーヴの奥に置かれた大きな錠付きのトランクに眠らせてあると主張した。

 左手の廊下を進んだ先、文書館へ向かうあたりには、会計総責任者の部屋があり、そこには三重の仕切りをもつ巨大な金庫が据えられている。だがそこにあるのは、ローマでの管理収入--聖ペトロ財産の金であって、全キリスト教世界から集まった「聖ペトロの献金」はレオ十三世の手元に残り、その正確な額を知るのは教皇ただ一人であった。しかも、その資金を完全に自由に扱い、誰に対しても説明責任を負わなかった。ゆえに、召使たちが掃除をする際にも、教皇は決して部屋を空けず、せいぜい隣室の敷居に立ち、埃を避ける程度であった。外出して庭に下りる数時間でさえ、扉に二重の鍵をかけ、その鍵は常にご自身が持ち歩き、誰にも預けることはなかった。

 ナルシスは話を締めくくり、モンシニョール・ナーニの方へ向き直った。

「ねえ、モンシニョーレ。これらはローマ中が知っている話ではありませんか?」

 微笑みを浮かべたまま、モンシニョール・ナーニは肯定も否定もせず、ただピエールの表情に映る反応を追い続けていた。

「まあ、そうですね……人は色々なことを申しますから。私は知りませんよ。ですが、アベール氏がそうご存知なら。」

「ええ。」とナルシスは続けた。「もっとも、私だって聖下を卑しい守銭奴と非難する気はありません。まことしやかに流布されている噂──金庫いっぱいの黄金に手を突っ込み、繰り返し数え直すことに時を費やす、などといった──そういう話は作り物でしょう。ただし、少しくらいはお金そのものを好んでおられるのではないでしょうか。触り、整理し、並べることを楽しむ……老人にとっては無害な小さな癖でしょう。そして私は急いで付け加えますが、聖下はお金を、それ自体よりもむしろ、その社会的な力のゆえに愛しておられるのです。未来の教皇権が勝利を収めるための決定的な後ろ盾として。」


ローマ 第71回

   ひとつの明白な事実があった。ピオ九世もレオ十三世も、もし自らヴァチカンに幽閉されることを選んだとすれば、それはローマに縛り付けられる必然があったからである。教皇は勝手にそこを離れることはできない。別の場所で教会の首長となることは許されていないのだ。同じように、たとえ現代世界...