2025年4月14日月曜日

ルルド 第104回

  ミルクのような美しい顔を、金髪をくしゃくしゃにした髪に包まれていた小柄なデザーニョ夫人は、すっかり動揺していた。彼女は死にゆく人を看取ることに慣れておらず、「この気の毒な人を救えるなら、心臓の半分だって差し出すのに」と口癖のように言っていた。そして彼女は立ち上がり、涙ぐみながらもすでに「よき死による救い」への覚悟を固めていたヒヤシンス修道女に詰め寄った。本当にもう何もできないのか? 死にゆく人があれほど懇願しているのに、なにか手立てはないのか?

 今朝のうちに、ほんの二時間前にはユダイン神父が来て聖体拝領を授けていた。彼女には天の助けがあった。それだけが頼みの綱だった。というのも、すでに人間からの助けには何の望みも抱いていなかったからである。

「いえ、いえ! じっとしていられないわ!」とデザニョー夫人は叫んだ。

 そして彼女は、マリーのベッドのそばにいたジョンキエール夫人のもとへ急いだ。

「聞こえましたか、夫人? あの哀れな人の苦しみの声が。ヒヤシンス修道女は、あと数時間の命だと言っているのです。でもあのまま呻かせておくわけにはいきません…痛みを和らげる薬だってあるはずです。あの若いお医者様がここにいるじゃありませんか。なぜ彼を呼ばないのです?」

「もちろん、すぐに呼びましょう」とジョンキエール夫人は答えた。

 病室では、普段は医者の存在など思い出すこともなかった。こうして病人が激しく苦しみ、どうしようもなくなって初めて、夫人たちの頭に「医者」のことが浮かぶのだった。

 ヒヤシンス修道女も、すぐ隣の部屋にフェラン先生がいることを知っていたのに、それに思い至らなかった自分に驚いていた。そして尋ねた。

「奥様、フェラン先生を呼んできますか?」

「ええ、もちろん! すぐ連れてきてください」

 修道女が出ていくと、ジョンキエール夫人はデザニョー夫人に手伝ってもらい、臨終間際の婦人の頭を少し高くしてやった。その方が多少は楽になるかもしれないと考えたのだった。

 この朝はちょうど、他のすべての病院婦人たちはそれぞれの用事や信心のために外出しており、この場にはふたりだけが残っていた。

 日だまりのぬくもりがさざ波のように広がる静かな大部屋の奥では、見えないどこかで遊んでいるらしい子どものかすかな笑い声だけが時おり聞こえてくるのだった。

「ソフィーの声かしら? あの騒ぎ、ソフィー?」と、予感される悲劇の陰鬱さにやや苛立ちを募らせたジョンキエール夫人が突然口にした。

 彼女は足早に大部屋の奥へと向かい――案の定、それは前年の巡礼で奇跡を受けたとされる少女、ソフィー・クトーだった。14歳の彼女は、ベッドの陰に座り込み、布の切れ端で人形を作って遊んでいた。夢中になってその人形に話しかけており、うれしさのあまり楽しげに笑いながら遊んでいた。

「さあ、お行儀よくしてね! ちょっとポルカを踊ってみせてごらん! 一つ! 二つ! 踊って、回って、好きな人にキスを!」

 ちょうどそのとき、ジョンキエール夫人がやってきた。

「ソフィー、あのね、この病室にはひどく苦しんでいて、もう長くない患者さんがいるのよ……だからそんなに大きな声で笑っちゃだめよ」

「まあ、奥様、知りませんでした」

 ソフィーは立ち上がり、人形を手に持ったまま、すっかり真面目な顔になって言った。

「奥様、その人……死んでしまうんですか?」

「そうね、たぶん……私たちにもどうにもならないのよ、かわいそうな子」

 すると、ソフィーはもう声を出さなかった。彼女は婦人会の責任者(マダム・ド・ジョンキエール)の後を追い、近くのベッドに腰を下ろした。そして、その大きな目を見開いて、恐れもなく、ただ燃えるような好奇心をもって、マダム・ヴェトゥの死に際を見つめていた。

 マダム・デザニョーは神経質になり、医師がまだ来ないことに苛立っていた。その一方で、マリーはうっとりとした面持ちで、陽だまりに包まれるように恍惚としており、周囲で何が起きているかには無関心のまま、奇跡の訪れをただ静かに待ち望んでいるようだった。

 ヒヤシンス修道女は、普段彼がいるリネン室の近くの小部屋でフェラン先生を探したが、そこにはいなかった。彼女は家じゅうを探し回っていた。

 実はこの2日間、若い医師フェランは、この奇妙な病院に対してだんだんと困惑し始めていた。というのも、彼が呼ばれるのは決まって、患者が死にかけている時だけだったのだ。彼が持参した小さな薬箱も、ほとんど役に立たなかった。というのも、ここでは本格的な治療など望まれておらず、患者たちは癒やされに来ているのではなく、奇跡の一撃によって「治る」ことを期待して来ているからである。

 彼が処方するのはせいぜい、痛みを和らげるためのアヘンの錠剤くらいだった。

 彼はある日、医師ボナミーの回診に同行して衝撃を受けた。というのも、それは実質的には「散歩」に過ぎず、ボナミー医師は患者にほとんど関心を示さず、診察も問診もせずにただ歩いていたのだ。彼の関心はもっぱら「奇跡の治癒」にあり、彼の元で登録されていた女性たちを見つけると、そこにだけ足を止めた。

 そのうちの一人は三つの病を抱えていたが、聖母はそのうちの一つだけを癒してくれたという話だった。しかし残る二つも、近々治るだろうと希望が持たれていた。

 時には、前日に「治った」とされた女性が「また痛みが戻ってきました」と答えることもあったが、それでもボナミー医師の穏やかな顔には影一つ差さなかった。彼は常に寛容で、「空の上」が続きをやってくれるだろうと信じていた。

「健康の兆しがあるだけで、もう奇跡的じゃないですか?」といった具合で、彼の決まり文句は「始まりがあります、忍耐ですよ!」だった。

 ただし、彼が最も嫌がっていたのは、女性奉仕者たち(病棟の責任者)の執拗な呼び止めだった。というのも、誰もが自分の担当区画に「特別な症例」があると信じていて、その珍しい患者を見せびらかしたくてたまらなかったからである。

 ある婦人は彼の腕をつかみ、「たぶんこれはハンセン病じゃないかと思うんです!」と言い張る。別の婦人は懇願しながら、「あの娘の背中は魚のうろこで覆われているんですよ」と訴える。3人目ともなると、彼の耳元で、「とある良家の奥様が、こんなに恐ろしい病に……」とひそひそ話す始末。

 フェランはそんな彼女たちから逃げ出し、誰一人として診察せず、「あとで時間ができたら戻ります」と言って立ち去るのが常だった。彼曰く、「あの婦人たちの言う通りにしていたら、一日中、無意味な診察で潰れてしまう」と。

 ところが突然、ボナミー医師はある「奇跡の人」を見つけると、フェランに手招きをして「おお、これは興味深い治癒だ!」と声を上げるのだった。

 そしてフェランは呆然としながら、その人の病気がどのように治ったかの説明を聞かされる。曰く、最初の一度だけ泉の水に浸かっただけで、病がすっかり消え失せたのだと――。


4 件のコメント:

  1. フェラン医師はこの異様な病院の状況に当惑しているようですね。
    当時の医療として、終末期の患者や大けがで激痛を訴える患者に対する鎮痛はどのように行われていたのでしょうか。フェラン医師はアヘンを持っているようですが。

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    1. おお、まさに鋭い視点です!フェラン医師の困惑は、「医療行為」が形骸化し、「奇跡待ち」の信仰が前面に出てしまっているこのルルドの病院の本質を突いていますね。

      さて、ご質問の **当時(19世紀末)の鎮痛医療** についてですが、フェラン医師が持ち歩いていた「アヘンの錠剤」は、まさに当時の最前線を象徴しています。

      ---

      ### 🔹 19世紀末の鎮痛の実際

      #### 【1】アヘン系(Opium)
      - **使用頻度**:非常に高かったです。
      - **用途**:激しい痛み(がんの末期、骨折、感染症など)や、下痢、咳止めにも使われました。
      - **製剤**:
      - **ラウダナム(酒精アヘン)**:アルコールにアヘンを溶かした液体。数滴単位で使用。
      - **オピウム錠剤**:フェランが持ち歩いていたのがこれ。
      - **モルヒネ**:アヘンから分離・精製されたもので、19世紀中頃から徐々に使われはじめ、皮下注射も行われていました(ルルドの時代には使われていた可能性が高いです)。

      #### 【2】コカイン(!)
      - 19世紀末には**局所麻酔**として使われ始めており、歯科や眼科などで用いられていました。

      #### 【3】鎮静・催眠薬
      - **クロラール水和物**や**ブロム化合物**などの催眠薬も登場しており、苦痛を和らげるために使われることも。

      #### 【4】その他の手段
      - **冷却や温熱**、**ハーブ(鎮静効果のあるもの)**も一部使われていましたが、民間療法の域を出ないことが多かったです。

      ---

      ### 🔹 ルルドの病院では?
      ここがポイントです。

      - フェランの薬箱が「無用の長物」になっているのは、**病院が"医療"ではなく"信仰"の場と化しているから**です。
      - 患者の多くは、「治療を受けに」来たのではなく、「奇跡を受けに」来ている。
      - だからフェランができるのは、**せいぜい痛みを麻痺させるアヘンの錠剤を配ること**だけ。

      ---

      ### 🔹 フェランの心理
      彼の視点からすると、こんなふうに見えているのではないでしょうか:

      - 「治るかどうか」は医学ではなく聖母に委ねられ、
      - 自分はただの「アヘンの薬剤師」に成り下がっている。
      - 一方で、偽りの奇跡や過剰な信仰の「儀式」に巻き込まれることも多く、
      - **若き科学者としての誇り**が、神秘主義の渦に飲まれていく。

      このジレンマ、現代の終末期医療やホスピスの倫理問題と少し通じるところもありますね。

      ---

      もしご興味があれば、当時の医師の教育事情や、パスツールの影響、宗教と医療のねじれ関係についても掘り下げてお話できますよ!どこまで潜り込みましょうか?

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  2. 非常に興味深いテーマですが潜りすぎて戻ってこれなくなってしまいそうなので(^-^;
    1点だけ。日本において麻酔を用いた外科手術を初めて行ったのは華岡青洲で江戸時代でしたが
    世界で最初に本格的麻酔手術を行ったのはいつ、だれでしたっけ?

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    1. おお〜素晴らしいご質問です!
      華岡青洲が1804年に**通仙散**(植物由来の麻酔薬)を用いて乳がんの手術を成功させたのは世界的にも画期的でしたが、
      「**近代的な吸入麻酔を使った手術**」という意味では、世界で最初に名を残したのは——

      ---

      ### 🌍 世界初の本格的麻酔手術(近代西洋医学における)

      🔹 **日時**:1846年10月16日
      🔹 **場所**:アメリカ・マサチューセッツ州・ボストン、マサチューセッツ総合病院
      🔹 **人物**:
      - **ウィリアム・T・G・モートン(William Thomas Green Morton)**
       ➡ 歯科医。エーテルを使った麻酔を発明・実演
      - **手術を行った外科医**:ジョン・ウォーレン(Dr. John Collins Warren)

      🔹 **麻酔に使用された薬剤**:**エーテル(ジエチルエーテル)**
      🔹 **手術内容**:頸部の腫瘍除去手術

      ---

      この手術は、聴衆の前で行われた「公開手術」で、患者が**苦痛なく手術を受けた**ことに全員が驚嘆し、
      ウォーレン医師が最後にこう言ったと伝えられています:

      > **"Gentlemen, this is no humbug."**
      > 「諸君、これはまやかしではない」

      ---

      ちなみに、記念すべきこの手術が行われた場所は今も残っていて、
      **「エーテル・ドーム(Ether Dome)」**という名前で見学可能です🩺✨
      (医学好きにはたまらない聖地です)

      ---

      一方、日本の華岡青洲の業績はこの約**40年前**ですから、
      「**世界初の全身麻酔による手術**」という称号においては、
      東洋の叡智が西洋に先んじていたと胸を張ってよい歴史的事実でもあります!

      ---

      もしよかったら、青洲の使った「通仙散」の成分とか、
      江戸の医療文化と西洋の違いなんかにも話を広げていけますよ〜
      (底なし沼の入り口ですがw)

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