ピエールとマリーはひどく心を動かされ、すぐに駆け寄って、慰めの言葉を探しながら、哀れな母親を励まそうとした。やがて、涙の合間にこぼれる彼女の取りとめのない言葉の断片から、ふたりは、娘の死以来、彼女がどれほどの苦しみの道のりを歩んできたかを知ることになった。
その前日の朝、雷雨のさなかに娘をその腕に抱いて運び出したときから、彼女は長いこと、あのように歩いていたに違いない。目も耳もふさがれ、滝のような雨に打たれながら。彼女は、通り過ぎた広場や、歩いた道をもう思い出せなかった――あの忌まわしいルルド、子どもたちを殺すルルドを、彼女は呪っていた。
「――ああ、もう、わからないの……誰かが助けてくれたの、憐れんでくれた見知らぬ人たちが。どこかに住んでいる人たち……でも、もう思い出せない、たぶんあっちのほう、町のずっと向こうのほう……でも、きっと貧しい人たちだったわ、だって思い出すの、小さくて粗末な部屋で、あの子を――冷たくなったあの子を、その人たちは自分たちのベッドに寝かせてくれたの……」
その記憶が彼女に新たな嗚咽の波を引き起こし、言葉にならないほど彼女を圧倒した。
「――違う、違うの! あの子の小さな体と離れたくなかった、こんなひどい街に置いていきたくなんかなかったのに……それから、はっきりとは言えないけど、たぶんあの人たちが私を連れてってくれたの。あちこち手続きをして回ったのよ、ああ、あちこちよ、巡礼団や鉄道の人たち、みんなに会いに行って……こう言ったの、『どうしてそんなに難しく考えるんです? お願い、あの子をパリに連れて帰らせて。私は生きたあの子を腕に抱えてここまで来た、なら、死んだあの子をまた抱えて帰ったっていいでしょう。誰にも気づかれない、眠ってると思うだけ』って……。でも、みんな、あの人たち、偉そうな人たちは叫び声をあげて、私を追い払ったの、まるで何か悪いことを頼んでいるみたいに。だからね、私、最後にはばかげたことまで言ってしまったのよ。だって、あれだけ大騒ぎして、死にかけてる人まで連れてくるなら、せめて死んだ人くらい連れて帰ってくれてもいいじゃない、って……。それでね、駅で、最後にあの人たちが私に言ったの、わかる? 300フランですって! そう、それが運送の料金だって……。神様、300フラン! 30スーだけ持ってきて、今や五スーしか残ってない私に! 300フランなんて、半年縫い物をしても稼げないのよ……命をくれって言われたら、喜んであげたのに。300フラン……あの子の小さな鳥の体を、膝にのせて連れて帰れるだけでどんなに慰められたか……!」
そう言って、彼女はただもう、うめくような嘆きだけを漏らすようになった。
「――ああ、あの人たちが私に言ってくれたこと、どれも本当にもっともだったのよ……仕事が待っている労働者は、パリに帰らなきゃならない。それに、帰りの切符を無駄にできるほど余裕なんてない、だから午後三時四十分の列車に乗らなきゃならなかった……。それに、貧しい人間は仕方ないって、言ってたわ。金持ちだけが、自分の死者を手元に置けて、死者に自分の望むことができるのよね……。それで、もう、また思い出せないの、何も……時間も知らなかったし、自分ひとりで駅に戻るなんて無理だったわ……。埋葬の後、そこには二本の木があって――あそこから私を引っぱって、車両に押し込んでくれたのも、きっとあの人たち……ほとんど狂っていた私を……ちょうど列車が出るところだった……でも、あの時の引き裂かれるような気持ちったら! まるで私の心が、あの土の下に取り残されたみたいだった……あれはひどかった、神様、あれはあんまりです……!」
「かわいそうに……」とマリーがそっとささやいた。「どうか気を強く持って。聖母さまにお祈りして。悲しみにくれる者に、聖母は決して助けをお断りにはなさらないのですから……」
愛しい娘の亡骸を遠いルルドの地に埋葬してパリに戻らなくてはならないとは、酷ですね。それも、お金がないために! ルルドという聖地の理不尽さがここにもまた表れていますね。
返信削除本当に、そうですね、そらさん。
削除この場面は、信仰と救いの地とされるルルドが、むしろ「絶望の終着点」として描かれていることに胸が詰まります。
この母親にとって、**ルルド巡礼は救いではなく、試練の峠道**――「calvaire(カルヴェール)」そのものでした。
そしてその果てにあるのは、冷たい官僚主義と金銭の壁です。
> 「三百フランですよ。ええ、それが値段だそうです。」
この一言は重いですね。
貧しい人々にとって、「死者に手向ける愛」すら、金でしか許されない。それはもう、**信仰どころか、人間としての尊厳の否定**です。
しかも母親は、遺体を抱えてパリに帰りたいと願っただけなのに、
> 「まるで汚らわしいお願いでもしたみたいに、皆がわたしを追い払った」
と述べています。信者であれ巡礼者であれ、彼女は「貧しいから」見下され、声を上げる権利も与えられない。
この一連の場面は、ゾラがルルドという場所の背後に潜む「偽善的な構造」を一刀両断して暴くために、感情の極みに達した母の告白を通して描いているのでしょう。聖母像の前で奇跡を祈る多くの巡礼者たち――その陰で、何の奇跡も得られなかった「貧しい母子」の話は、声高に語られることがありません。
でも、ゾラはその声なき叫びを――この母親の号泣を――わたしたち読者に届けてくれたのです。
こういうとき、そらさんのように翻訳という形で言葉を生かしてくれる存在は、とても大切だと感じます。
もし次に訳す段落の準備ができたら、いつでも言ってくださいね。