2025年8月3日日曜日

ローマ 第34回

  御者への支払いを終えると、ピエールはしばらく戸惑った。門が開いていたので、そのまま玄関ホールへ入ったが、そこには誰の姿もなかった。管理人も、召使いも見当たらない。彼は意を決して、階段を上がることにした。

 その階段は、白い漆喰の壁に赤い絨毯とポルティエール(室内用の布扉)が際立ち、冷ややかな中にもわずかな温もりを加えていた。だが全体としては、ボッカネーラ邸の大階段を縮小したような過剰な装飾性を備えており、やはり寒々しく無人だった。

 1階には応接用のアパルトマンがあり、ピエールは半開きの扉から奥に連なる2つのサロンを垣間見た。どちらも、現代的な贅沢があふれていた。ビロードや絹のタペストリーが壁に掛かり、金箔を施された家具、巨大な鏡が光を跳ね返し、コンソールやテーブルの華美な装飾を映し出している。

 だが、そこにもやはり人の気配はなかった。女性の存在感がまるで感じられない、まるで見捨てられた屋敷のようだった。ピエールは一度階下に戻って呼び鈴を鳴らそうとしたとき、ようやく召使いが現れた。

「コンテ・プラダにお目にかかりたいのですが」

 召使いは、神父姿の小柄な男を無言で見下ろし、ようやく尋ねた。

「父上のほうですか、それともご子息のほう?」

「ご父君、オルランド・プラダ伯爵閣下です」

「なるほど。では、3階へお上がりください」

 そう言って、ようやく付け加えた。

「踊り場の右側、小さな扉がございます。強めにお叩きください」

 実際、ピエールは2度ノックする必要があった。扉を開けたのは、やせ細った軍人気質の老人だった。伯爵に長く仕えている元兵士で、出迎えが遅れたのは「ご主人様の足を整えていたからだ」と説明しつつ、すぐにピエールを中へ通した。

 狭く薄暗い控えの間を抜けてたどり着いたのは、驚くほど質素な部屋だった。比較的小ぶりで、白一色。青い小花模様の優しい色調の壁紙が貼られている。ついたての向こうには鉄の寝台、まるで兵士の簡易寝所。家具はそれだけで、あとは伯爵が1日中身を預けている籐張りの肘掛け椅子と、横に置かれた黒い木のテーブルだけ。そこには新聞と書物が山積みにされている。来客用の古びた藁張り椅子が2脚。壁際には棚板を打ちつけただけの簡易書棚があった。

 しかし、その殺風景さを一気に吹き飛ばすのは、カーテンのない大きな窓から見えるローマの絶景だった。

 だが、ピエールは部屋を見ていたはずが、次の瞬間、すべてが消え去り、ただそこに座る老オルランドの姿だけが心に迫ってきた。

 それは、歳を重ねた白髪のライオン、今なお威厳をたたえた男だった。骨太で大柄な身体、額からあふれる白髪はまだ力強く、厚い唇と押しつぶされたような大きな鼻、黒く輝く大きな目。そして、若者のように豊かな白い巻きひげが、まるで神話の神のように顔を飾っていた。

 この獣じみた顔つきには、かつて烈しく燃えた情熱の痕跡が見てとれた。肉体的なものも、知的なものも、すべてが祖国愛として、狂気にも似た勇気と自由への渇望へと転化されたに違いない。

 その老いた英雄は、いまや籐椅子に釘付けにされ、死んだような両脚を黒い毛布に包んでいた。だが、上体は今なお直立し、両腕と手だけが動いている。そして、顔――そこには、なおも強さと知性がはっきりと現れていた。

 オルランドは、静かに召使いのバティスタに向かって言った。

「バティスタ、下がってくれてよい。2時間後に戻ってきてくれ」

 そしてピエールのほうへ顔を向け、黒曜石のような目をまっすぐに見据えた。

「ようやくお目にかかれましたな、親愛なるフロマン神父殿。さあ、ゆっくりと話しましょう。そこです、その椅子におかけなさい。わたしの正面へどうぞ」

 しかしオルランドは、神父が部屋のあまりの質素さに驚いたまなざしを向けたのに気づいていた。そして陽気に付け加えた。

「お許しください、こんな僧房のようなところでお迎えする非礼を。ええ、私はここで修道僧のように暮らしております。年老いた兵士の隠遁生活です。もう人生から一歩引いた身ですからね……息子がいまだに、下階のあの豪奢な部屋に移れとうるさいのですが、何のためでしょう? 私には何の欲もないし、羽毛の寝台などあまり好かぬのです。わが老骨は、固い地面に慣れておりまして……それに、ここからは実に素晴らしい眺めが楽しめます。今となっては、自らローマに赴くこともできぬ身ですが、ローマのほうから私のもとに訪れてくれるのです」

 そう言いながら彼は窓のほうへ手を伸ばし、その動作のなかに、軽く顔を赤らめたわずかな気まずさを隠した。それは、いつものように息子を庇い立てしながらも、実は本当の理由を語らずにすませるときに感じる、あの律儀な男の良心の咎めだった。
――つまり、自ら進んでこの「貧しき住まい」にこだわり続けるのは、誠実でありたいという一途な意志ゆえなのである。

「いや、素晴らしいじゃないですか! 実に立派なお部屋ですよ」
ピエールはそう言って彼の気持ちを汲んだ。「私もこうしてようやくお目にかかれて、光栄の至りです! あなたのその勇ましきお手を握ることができて……幾多の偉業を成し遂げてこられたそのお手を!」

オルランドは片手を振って、過去の栄光を払うような仕草を見せた。

「ばかばかしい……もうすべては終わったことです。過去に土をかけましょう。――それよりもあなたの話をしましょう、フロマン神父殿。今という時代を生きる若者である、あなたのことを。いや、むしろあなたの『ローマ新生』というご著書について語らねば! ああ、あの本が最初にわしをどれほど怒らせたことか!」

 そう言いながら、彼は笑い出した。ちょうど傍らの机にその本が置かれていたので、それを手に取ると、大きな手のひらで表紙をばんと叩いた。

「いやもう、どれほどわしが憤慨しながら読んだか、あなたには想像もつかんでしょう! 教皇、また教皇、いつも教皇! 新しいローマを教皇のために、教皇によって! 明日の勝利のローマも教皇に帰す、教皇とともにその栄光を分かち合う……。では、我々は? イタリアは? ローマを偉大な首都とすべく、我々が費やした幾百万リラの努力はどうなるのです? ああ、こういう本を書けるのは、まさにフランス人、しかもパリジャンならではですな! だがね、フロマン神父殿、ローマという街は今やイタリア王国の首都なのですよ。ここにはウンベルト王がいる、そしてイタリア人がいる。彼らは立派に存在しており、ローマ――あの栄光と復活の都を――自らのものとして保持しようとしているのです!」

 この情熱的な若者のような憤りに、ピエールも思わず笑ってしまった。

「はい、はい、そのお話はお手紙でもいただきましたよ。ただ、私の立場からすれば、それが何だというのです? イタリアはただ一つの国民、一つの人類の一部にすぎません。私はすべての国が手を取り合うことを望んでいます。すべての国民が兄弟となること、人類が和解し、信じ合い、幸福を分かち合うこと――それが私の願いなのです。統治の形態――王政か共和国か、そんなことは問題ではありません。祖国がひとつであり独立しているかどうかも、もはや大したことではない。大切なのは、自由のうちに生き、正義と真理を糧とする民があるかどうか、それだけなのです!」

 この情熱的な訴えの中で、オルランドはひとつの言葉だけに反応した。

「共和国……」
 彼はやや沈んだ声でつぶやき、物思いにふけった面持ちで続けた。

「わしもかつて、若い頃にはそれを心の底から望んでいた。共和国のために戦った、マッツィーニとともに陰謀を企てた。あの男は聖人だった――信仰を持った男だった。しかし彼は、絶対的信念に打ち砕かれたのだ……結局は、現実の必要性に従うほかなかった。最も頑なだった者たちでさえ、結局は王政に合流した。今、共和国が我々を救えるのか? 仮にそうでも、今の議会制君主制とそう大きくは変わらんでしょう。フランスの現状を見れば分かります。ならばなぜ、極端な革命派や無政府主義者に権力を渡すような事態を招く危険を冒すべきか? 我々は皆、その恐れを抱いている。だからこそ、受け入れているのです……」

 彼は少し間を置き、さらに語った。

「もちろん、中には救済の道を連邦共和制に見出す者もいます。かつての小国がそれぞれ共和国として再構成され、それをローマが統べるという構想です。バチカンは――おそらくそれによって大いに利益を得るでしょう。彼らがその方向に動いているとは言えませんが、その可能性を内心では歓迎していることは確かでしょう。でも、それは夢だ、ただの夢です!」

 そのあと、彼はまた明るさを取り戻し、ほんの少し皮肉を含んだ優しい口調で言った。

「あなたの本で、わしがどこに魅了されたと思いますか? あれだけ文句を言いながらも、わしは2度読み返したのですよ……。それはね、マッツィーニなら書きかねなかったということです。ええ、あの書物には、わしの青春、25歳のときの狂おしい希望がすべて詰まっている。キリストの宗教、福音による世界の平和――それらすべてがね……。あなたは知らなかったでしょうが、マッツィーニはカトリックの刷新を願っていた。彼は教義や規律を退け、道徳だけを残した。そして彼は“ローマ新生”を語った。民衆のローマ――それを普遍教会の中心とすることを。過去のすべての教会がそこに融合し、ローマは永遠の都として、運命づけられた母であり、女王として、人類の真の幸福のために支配するという夢を抱いていたのです!」

「興味深くありませんか? 今日の“ネオ・カトリシズム”、この漠然とした霊性の復興、共同体とかキリスト教的慈善とかがもてはやされているこの騒ぎ――そのすべてが、1848年のあの神秘主義と人道主義の再来にすぎないのですよ。……ああ、わしはそれらをすべて見た。信じ、戦った。そして、それらがどれほど美しくも哀れな混乱を招いたかを、身をもって知っているのです。――どうか許してほしい。もう、わしには信じる力が残っておらぬのです……」


2 件のコメント:

  1. 1848年といえば、フランスでは二月革命。イタリアをはじめヨーロッパに与えた影響について簡単に教えてください。

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    1. おお、1848年!この年はまさに「革命の春」と呼ばれるヨーロッパ激動の季節、希望と混乱が入り混じった政治と社会の大噴火点です。
      フランスの二月革命はその震源地のひとつであり、イタリアを含むヨーロッパ各国に激烈なインスピレーションと行動の連鎖をもたらしました。

      🇫🇷 フランス:二月革命(1848年2月)
      まずはフランスで、王政(ルイ=フィリップの七月王政)が民衆の怒りで崩壊し、第二共和政が成立。
      これは以下のような「合図」になりました:
      👥 民衆による政治参加(普選)

      🛠 社会問題への取り組み(労働者の権利)

      🗳 自由主義的・共和主義的な理想の再燃

      フランスはこのとき、「ヨーロッパの革命の母」のような存在となり、各国の自由主義者・ナショナリストに「我々もやれる!」という希望を与えました。

      🇮🇹 イタリアへの影響:イタリア統一運動の爆発的加速
      1848年はリソルジメント(イタリア統一運動)の転機です。
      🔥 民族主義と自由主義の結合
      オーストリア帝国の支配下にあったロンバルディア=ヴェネト(北イタリア)で民衆が蜂起(ミラノの五日間)。

      サルデーニャ王国(ピエモンテ)のカルロ・アルベルト王が、オーストリアに対して「第一次イタリア独立戦争」を宣言(結果は敗北)。


      各地の都市国家(フィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアなど)で共和国宣言が相次ぐ。


      ✊ ローマ共和国の樹立(1849)
      ジュゼッペ・マッツィーニが中心となってローマ共和国を樹立。

      フランスやオーストリアの軍事介入によって共和国はつぶされるが、のちのイタリア統一に大きな影響を与える。

      👉 このローマ共和国が、ピエールの「Rome nouvelle」と思想的に重なってくるのは興味深いところです!

      🌍 その他のヨーロッパ各地
      地域
      主な動き
      🇩🇪 ドイツ連邦
       フランクフルト国民議会が開かれ、「ドイツ統一」を目指すが失敗。
      🇦🇹 オーストリア帝国
       ハプスブルク支配への反発が爆発。ウィーン蜂起、ハンガリー革命など多民族の反乱。
      🇭🇺 ハンガリー
       コシュートらによる民族独立運動が活発化(最終的にはロシア軍介入で鎮圧)。
      🇵🇱 ポーランド
       独立運動が再燃。

      💔 結果は多くが失敗に終わるが…
      1848年革命のほとんどは短期的には敗北に終わり、反動政治が復活。


      だが、長期的には自由・国民国家・平等の理念が残る。


      イタリアやドイツの統一、労働者運動、議会制の拡大などにつながる。



      🎩 まとめ:1848年の革命とイタリア
      フランスの二月革命は、イタリアに「我々も立ち上がれる」という革命的熱狂をもたらし、イタリア統一の夢に火をつけた。
      イタリアの1848年は、民族独立、民主主義、宗教と国家の役割をめぐる壮大な実験室。


      その熱狂の中から、マッツィーニ、カヴール、ガリバルディといった英雄たちが歴史の舞台に現れた。



      ゾラが『ローマ』で描く「Rome nouvelle」の理想は、この1848年の記憶――失われた革命とその高邁な精神の残像のうえに築かれているのです。
      「革命の夢は砕けても、理想は死なない」──そう信じたいですね。

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ローマ 第36回

   老オルランドは、サッコに対しては軽蔑していたが、姪ステファナには、同じ血を分けた者として多少の愛情を残していた。彼は彼女に礼を言い、すぐさま朝刊で報じられたニュースの話を切り出した。サッコが彼女を寄こしたのは、自分の意見を探るためだろうと疑っていたのだ。 「それで……新内閣...