ピエールはすでに一時間半近く歩き続けていたが、まだ丘の北側と東側にある、より古い宮殿群の跡を見て回らねばならなかった。
「ここからは引き返さねばなりませんな」
と、案内役の守衛が言った。
「ご覧の通り、ヴィッラ・ミルズの庭園と聖ボナヴェントゥーラ修道院が行く手をふさいでおります。発掘でこの一帯が片づくまでは、通り抜けはできません…ああ! アッベ様、もし50年前にパラティーノを散策なさっていたら! わたしは当時の図面を見たことがございます。それはもう、ぶどう畑や小さな庭が生け垣で区切られた、まるで田園のような、まさに人っ子ひとりいない荒野でして…考えてもみてください、この広大な宮殿群が、ずっとあの地中に眠っていたのですぞ」
ピエールは彼のあとについて歩き、ふたたびアウグストゥスの家の前を通り、さらに登って、隣接する別荘の下に半ば埋もれた巨大なフラウィウス家の宮殿跡へと出た。そこは大小さまざまな部屋が数多く並んでいたが、それぞれの用途については今も議論が続いている。謁見の間、裁判の間、食堂、中庭付き回廊(ペリスティリウム)までは確かとされているが、その先はほとんど想像の域にすぎない。とりわけ私的居室の細長い部屋については、何の確証もない。しかも、完全に残っている壁はひとつもなく、地面からわずかに顔を出した基礎や切断された土台が、建物の平面図を描くのみであった。
奇跡的に保存されている唯一の遺構は、斜面の下にあるリウィアの家とされる小さな建物で、隣接する壮大な宮殿群に比べればごく控えめな造りだが、三つの部屋が完全な形で残り、壁には神話画や花・果実の絵が、驚くほどの鮮やかさで今も見られる。
一方、ティベリウスの家は完全に痕跡を失い、その遺構は、かつてのファルネーゼ庭園を受け継ぐ美しい公共庭園の地下に隠れている。また、その隣、フォルム上方にあったカリギュラの家は、セプティミウス・セウェルス宮殿と同様、巨大な基礎構造と控壁、積み重なった階層、高くそびえるアーチのみが残る。これらは宮殿を支えていた地下大空間で、召使いや近衛兵が居住し、飽食三昧の生活を送っていた場所だという。
こうして都を見下ろす高みには、ほとんど形を留めぬ遺構が点在し、灰色で裸の広大な発掘地が鍬で掘り返され、ところどころ古い壁が突き出しているばかりであった。ここにかつて栄えた帝政ローマの壮麗さを思い描くには、博識な想像力が必要であった。
それでも、守衛は落ち着いた確信に満ちて説明を続け、あたかも建物が今なおそびえ立っているかのように、空虚な空間を指し示した。
「ここがパラティナ広場です。ご覧ください、左がドミティアヌス宮殿の正面、右がカリギュラ宮殿の正面で、振り返れば、目の前にユピテル・スタトル神殿がございます…聖なる道(ヴィア・サクラ)はこの広場まで上がってきて、古代ローマの三つの門のひとつ、ムゴニア門の下を通っていたのです」
彼はそこで言葉を切り、丘の北西部を手で示した。
「ご覧の通り、この一帯にはカエサルたちは建築しておりません。それは明らかに、ローマ建国以前から民衆に崇拝されてきた古代の聖所を尊重したからです。そこには、エヴァンドロスと彼に従ったアルカディア人が築いた勝利の女神神殿、先ほどお見せしたルペルカルの洞窟、そして葦と土で造られたロムルスの粗末な小屋があったのです…すべて発掘されました、アッベ様。ドイツの学者たちが何を言おうと、疑う余地はございません」
だが突然、彼は何か一番面白いことを思い出したかのように声を上げた。
「おお、最後にカリギュラ帝が暗殺された地下回廊をご案内いたしましょう」
二人は長い屋根付きの通路を下っていった。今は壁の裂け目から陽光が差し込み、明るい光の筋を投げかけている。ところどころに漆喰の装飾やモザイクの一部がまだ残っていた。とはいえ、そこはやはり陰鬱で人気のない空間であり、悲劇的な恐怖にふさわしい場所だった。
元兵士の声は沈み、彼は語り始めた――「カリギュラ帝は、パラティナの祭典からの帰途、この回廊に一人で降りてくるという気まぐれを起こされました。そこでは、若いアジア人たちが聖なる舞踊の稽古をしておりまして…その時こそ、謀反人の首領ケレアスが最初の一撃を帝の腹に浴びせたのです。陛下は悲鳴を上げ、逃げようとなさいました。しかしその瞬間、刺客たち――それは陛下の側近であり、最も愛された友人たちでもあったのですが――が一斉に襲いかかり、彼を地に倒しては斬りつけ、何度も何度も刺し続けました。陛下は狂ったように怒号と恐怖の声を上げ、この暗く反響する回廊を、まるで屠られる獣のような叫びで満たされたのです。やがて命が絶えると、静寂が戻り、刺客たちは恐怖に駆られて逃げ去りました」
Caligula はカリギュラと訳されることが多いので、カリグラではなく、カリギュラにしてください。
返信削除カミュに戯曲「カリギュラ」ってありましたよね。
史実をもとにカミュ作品にも触れながら、カリギュラのことを教えてください。
いいですね、「カリギュラ」つながりで史実と文学を往復するのは、ローマ好きにも文学好きにもたまらない話題です。
削除ではまず史実から整理して、そこからカミュの戯曲に移りましょう。
---
## 1.史実のカリギュラ(Gaius Julius Caesar Augustus Germanicus, 12–41年)
* **あだ名の由来**:「カリギュラ」は「小さな軍靴(カリガ)」という意味。幼い頃、父ゲルマニクスの軍営にかわいい軍装をして現れたため、兵士たちにそう呼ばれました。
* **在位**:37年〜41年(第3代ローマ皇帝)
* **前半は理想的統治者**:即位当初は民衆に人気があり、恩赦や税の軽減を行い、期待を集めました。
* **急変のきっかけ**:即位後数か月で重病にかかり、回復後に性格が変わったとされます(現代では脳炎や鉛中毒説なども)。
* **暴君のイメージ**:
* 元老院を軽視し、自己神格化を推し進める。
* 宮廷の浪費、奇抜な事業(海に橋を架ける、愛馬を執政官にしようとする等)。
* 残虐な処刑や恐怖政治。
* **最期**:41年、親衛隊長カッシウス・ケレアス(カミュの戯曲ではケレア)が首謀する陰謀で暗殺される。場所はパラティーノの宮殿の回廊(今回の翻訳で出てきたあの場所)。
---
## 2.カミュの戯曲『カリギュラ』(1944年初演)
* **着想**:カミュは史実のカリギュラを素材に、「不条理」と「絶対自由」の問題を描きます。
* **あらすじ**:
* 皇妃(妹でもあるドラシラ)の死によって、カリギュラは人生の無意味さに直面。
* 「人間は死ぬ。それなら生きる意味は何だ?」という問いから、あらゆる道徳や秩序を否定し、絶対的な自由を追求。
* しかし、その自由は他者にとっては暴虐と無秩序となり、反発と陰謀を招く。
* 最後は自らも暗殺されるが、その瞬間まで「自分の求めた自由」に殉じる。
* **テーマ**:
* 不条理な世界における人間の選択。
* 「神なき時代」の自由の重さ。
* 死の確実性が与える生の意味(あるいは無意味)。
* **史実との違い**:
* カミュのカリギュラは単なる狂王ではなく、哲学的探求者として描かれます。
* 暴政は彼の思想実験の一部であり、史実の奇行は「不条理を押し広げるための行動」として再構成されている。
---
## 3.まとめると
史実のカリギュラは、権力の頂点で狂気に傾いた暴君として記録されます。
カミュはその人物像を借りて、「不条理を悟った人間が絶対的な自由を求めたら何が起こるか」という哲学的悲劇に作り替えました。
今回の翻訳箇所の「暗殺現場の回廊」は、史実でも重要な場所で、カミュの戯曲でも象徴的な舞台となる空間です。
ある意味、パラティーノのその一角は、ローマ史と20世紀文学史が重なるスポットともいえます。
---
ご希望あれば、この**パラティーノ宮殿の地図に「カリギュラ暗殺回廊」の位置を追加**してお見せできますが、どうしますか?
(史実とカミュ版で、同じ回廊が全然違う意味を帯びるのが面白いんですよ)