2025年8月18日月曜日

ローマ 第49回

 

第六章

 すでにピエールがローマに来てから15日が経っていた。しかし、彼がここへ来た目的――自らの著作を弁護すること――はいっこうに進展していなかった。依然として彼はローマ教皇に拝謁したいという燃えるような願いを抱き続けていたが、数々の遅延の中で、いつどのようにそれが叶うのか全く見通しは立たず、しかもモンシニョール・ナーニから imprudente(軽率な)行動をするなと脅されていたので恐怖に囚われてもいた。こうして滞在がいつ果てるとも知れないと覚悟し、彼は代わりにヴィカリアート(教区代理院)で「セレブレ(司祭証明書)」に署名をもらい、毎朝ファルネーゼ広場の聖ブリジット教会でミサを捧げていた。そこでは、ベネデッタのかつての告解司祭であったピゾーニ神父に温かく迎えられたのである。

 その月曜日、ピエールは朝早くからドンナ・セラフィナの小さな私的な集まりに赴こうと決意した。何か新しい情報を得て、自らの件を少しでも進展させられるのではないかと望んだのである。おそらくはモンシニョール・ナーニに会えるかもしれないし、あるいは幸運にも、自分を助けてくれる高位聖職者や枢機卿に出会えるかもしれない。

 彼はこれまでヴァレリオ神父を利用しようと努めてきたが、少なくとも確実な情報を引き出そうとしたものの無駄であった。というのも、ボッカネーラ枢機卿の秘書であるその神父は、一瞬は協力的な態度を見せたものの、すぐに疑念と恐れを取り戻し、あからさまに彼を避け、姿を隠すようになったからである。結局、怪しくも危険な冒険に関わるまいと決心したかのように見えた。しかも一昨日からはひどい熱に襲われ、病室に閉じ込められてしまったのだった。

 こうしてピエールを慰めるものといえば、ただ一人、ヴィクトリーヌ・ボスケだけであった。彼女はかつての家政婦から女主人の側近にまで昇進した女性で、30年もローマで暮らしながら、今なお古きフランス娘の心を保っていた。彼女はピエールに、まるで昨日まで住んでいたかのようにオノー(Auneau)のことを語った。

 だがその日、彼女にはいつもの愛想のよい元気さ、陽気さがなかった。そして、ピエールがその晩婦人方の集まりに顔を出すつもりだと知ると、首を振って言った。

「――ああ! でも、あの方々はご機嫌麗しくはありませんよ。かわいそうなベネデッタ様は、今とてもお辛いのです。どうやら、あのお方の離婚裁判が非常に不利に傾いているようで……」

いまやローマ中がその話題でもちきりであった。白い世界(聖職者・信徒社会)も黒い世界(俗界)も、この異常なほどの噂話の渦にひっくり返されていた。だからヴィクトリーヌは、同郷の相手に対して無駄な口止めをする必要もなかったのである。

 事の経過はこうだ。教会法廷弁護士モラーノが提出した最初の意見書では、証言と書面による証拠をもとに、夫の不能ゆえに婚姻は成就し得なかったと論証していた。これに対して、教会会議(聖務会議)の審議で婚姻の擁護役に選ばれた神学者モンシニョール・パルマが、実に恐るべき反論の意見書を提出したのである。

 まず彼は、原告である若妻の処女性そのものに強い疑義を投げかけた。二人の助産婦の証明書の専門的用語をあげつらい、さらに二人の医師による徹底した検査を要求した。これは若い女性の羞恥心が耐えきれず拒絶した手続きであった。そしてモンシニョール・パルマは、性交を経験しながら処女膜が破れないことが実際にありうるのだと、確立された生理学的事例を挙げた。

 さらに彼は、プラダ伯爵自身の意見書に含まれる記述を大いに利用した。伯爵は誠実に、婚姻が実際に成就したのか否か自信を持って言えないと述べていたのだ。というのも、初夜において妻があまりにも激しく抵抗したため、伯爵自身は行為を最後まで通常の形で遂行したとその場では思ったが、後になって考え直すと断言できなくなった、欲望の激しさに任せて不完全な性交を完全なものと錯覚したのかもしれない、と。モンシニョール・パルマはこの曖昧さを勝ち誇ったように利用し、扱う題材の繊細さに応じてあらゆる詭弁を駆使し、ついには妻側が挙げた証人の言葉までも逆用した。それは侍女の証言で、初夜の争う物音を聞き、その後夫妻が常に別々の寝台で過ごしたことを確認していたのだが、モンシニョール・パルマはこれすらも夫婦関係の異常を妻の責任へとねじ曲げた。

 しかも決定的な論拠はこうだった。たとえ原告が完全に処女であることを立証したとしても、婚姻が成就しなかった最大の原因は彼女自身の拒絶にある、なぜなら婚姻の根本条件は妻の従順にある――と。

 そして第四の意見書として、報告者による総括が作成され、三つの意見書が比較検討された。そのうえで審議会は投票を行い、婚姻無効を承認する決定が下された。しかし賛成多数はわずか1票に過ぎず、その決定はあまりに不安定なものだった。そこで、権利に基づきパルマ蒙上は即座に補足調査を要求し、手続きは振り出しに戻され、再度の投票が不可避となったのである。

「――ああ! 私のかわいそうなお嬢さま!」とヴィクトリーヌは叫んだ。「きっと悲しみで死んでしまいますよ、あの愛しい子は……あんなに穏やかな顔をしているけれど、内側では少しずつ燃え尽きているのです……。どうやら、このモンシニョール・パルマが事態の主導権を握っているらしくて、彼が望むだけ裁判を引き延ばせるそうです。それに、もうすでにずいぶんお金を使ってしまったのに、これからまたさらに費やさねばならない……。あなたも今はよくご存じのアベ・ピゾーニ様が、あの日、この結婚を望まれたのは大きな間違いでした……。そして、これは聖女のように敬虔だった私の良きご主人様、伯爵夫人エルネスタさまの思い出を傷つけたいわけではないのですが、あの方は確かに娘を不幸にしてしまったのです、あのプラダ伯爵に嫁がせてしまったことで。」

 彼女はいったん言葉を切った。しかし、胸に秘めた正義感に駆られて、また声を上げた。

「――それにしても、プラダ伯爵が不満を抱いているのも当然のことです。彼のことをあまりにも馬鹿にしすぎていますよ……。でもね、だからといって、私のベネデッタが、あんなに多くの手続きを踏まねばならないなんて、本当に愚かだとも思うのです。もし私の一存で決められるのなら、彼女はもう今夜にも、自分の部屋にダリオを迎えているでしょうよ! だって、あれほど彼を愛しているのですから……お互いに長いあいだ愛し合い、求め合ってきたのですから……。ああ、ほんとうに! 市長や司祭なんて抜きにして、ただ若さと美しさを喜び、二人で一緒に幸せになればいいじゃありませんか……。幸せ! ああ、神さま! 幸せなんて、どれほど稀なものか!」

そして、ピエールが驚いたように自分を見つめているのに気づくと、ヴィクトリーヌは、健康そのものの笑みを浮かべて声を立てて笑った。それは、フランスの小市民らしい、落ち着いた平衡感覚からくるものだった。彼らはもう、ただ正直に、楽しく暮らすことだけを信じているのである。

 その後、彼女は声を落とし、別の悩みについて嘆いた。それもまた、不幸な離婚事件の余波で、この家を暗くしている問題だった。ドンナ・セラフィナと弁護士モラーノが仲違いしてしまったのである。モラノは、自分の意見書が教会の会議で半ば敗北を喫したことに大いに不満で、叔母と姪の懺悔司祭であるロレンツァ神父を、軽率にも訴訟に駆り立てたと非難していた。こんな裁判に関われば、皆がただの醜聞に巻き込まれるだけだ、と。そして彼はもうボッカネーラ宮に姿を見せなくなった。30年来の古い交友が絶たれたのであり、ローマの社交界は大いに驚き、口々にモラーノを非難した。ドンナ・セラフィナの憤りは一層深かった。というのも、彼女にはモラーノが意図的に口実を作って、まったく別の理由――その身分と敬虔さにおいて許されない、恥ずべき情熱――に駆られて離れていったのだと疑っていたからである。若い小市民の娘、野心家の小悪魔のような女が、モラーノに火を点けたのだ、と。

 その夜、ピエールがサロンに入ると、そこは黄色いブロカテル織りのルイ十四世風の大きな花模様の壁掛けで飾られており、レースのカバーで覆われたランプのやわらかい光の下、物憂い雰囲気が漂っていた。そこにいたのはベネデッタとチェリアだけで、二人は長椅子に並んで腰掛け、ダリオと語り合っていた。その一方で、枢機卿サルノは深々と肘掛け椅子に沈み込み、毎週月曜に幼い王女を連れてくる老親族の尽きぬおしゃべりを、ただ黙って聞いていた。

 そしてドンナ・セラフィナは、暖炉の右側のいつもの席に一人で座っていた。彼女の目の前にある左側の椅子――モラーノが30年もの間、常に占めていたその場所――が空いているのを見て、内心の激しい怒りを抑えきれなかったのである。ピエールが入ってきたときに見せた、不安げな、やがて絶望的な眼差しも彼は見逃さなかった。彼女はまだ、浮気者を待ち続けているように、扉の方を伺っていたのだ。姿勢はいつも通り真っ直ぐで、むしろ一層誇らしげに腰を伸ばし、細い体をコルセットでさらに締め付けていた。雪のように白い髪と濃く黒い眉の下、硬い独身女性の顔がそこにあった。


4 件のコメント:

  1. ピエールの著作が禁書になった件と、ボッカネーラ家のごたごたが同時並行的に綾なしながら進んでいきますね。この辺のストーリー構成、類型的にいうと文学手法としてはどんな手法と分析、評価できますか?

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    1. いい視点ですね!
      ピエールの「著作が禁書になった件(知の葛藤・思想的闘争)」と、ボッカネーラ家の「離婚・結婚・家の内紛(愛情と血縁・社会的闘争)」が、同時並行で進んでいく――これはゾラの構成法の特色のひとつといえます。類型的に整理すると、次のように説明できます。

      ---

      ### 1. 並行構成(parallel narrative)

      * 二つ以上の筋(A=ピエールの思想的試練、B=ベネデッタの家庭劇)を交互に描写して、相互に照射させる手法。
      * ここでは 公的領域(教会・思想・社会)と私的領域(愛・家庭・血縁)を並べている。
      * 読者はどちらも「抑圧と解放」「制度と個人」というテーマでつながっていることに気づく。

      ---

      ### 2. 対位法的構成(contrapuntal structure)

      * 音楽で言う「対位法(カウンターポイント)」的な仕掛け。
      * 二つの旋律が別々に進行しているのに、響き合ってひとつの調和を生む。
      * ここでは、

      * ピエールの思想は「信仰と理性の葛藤」
      * ボッカネーラ家の事件は「愛情と制度の葛藤」
      → 両者は形式は違えど「制度に縛られた人間の苦悩」という一点に響き合う。

      ---

      ### 3. 自然主義的「ケース・スタディ」手法

      * ゾラは人物や家族を「社会的実験の材料」として扱う傾向があります。
      * 一つの問題(ここではカトリック制度の硬直化)が、人間の「思想」と「愛」の両面にどう影響するかを、並行して描いている。
      * これによって、テーマを多面的に提示する。

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      ### 4. 評価

      * 文学史的に見ると、この手法はバルザック的な社会小説の系譜を受け継ぎつつ、ゾラ独自の自然主義的「科学的観察」として強化したもの。
      * 読者は「禁書」という高次の理念的葛藤と、「離婚」という生活的・情熱的葛藤を同時に読むことで、問題の全体像を直感的に理解できる。
      * 構成上の効果としては「物語の緊張感を保つ」「単調を避ける」「テーマを多重的に響かせる」といった利点がある。

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      ねこじい的まとめ 🐾
      👉 つまり、これは「並行構成」「対位法的構成」「自然主義的ケース・スタディ」の合わせ技。
      ゾラはピエールとボッカネーラ家を「二本のレンズ」として読者に渡し、同じテーマ――ローマ的カトリシズムの硬直と人間的欲求との衝突――を、広角と接写の両面から見せているわけですね。

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      ご質問ですが、あなたの読書感覚では、この二つの筋(禁書問題と離婚問題)、どちらにより「ゾラの本気度」を感じますか?

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  2. そりゃあ、どっちも本気だよ。離婚訴訟の詳細な描き方とか、日本の大衆芸能誌でもここまで書かんだろうみたいな描きっぷりだもんなあ。

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    1. おっしゃる通り!ゾラの離婚訴訟描写って、あれ完全に「ゴシップ誌+医学レポート+神学論争」をミキサーにぶち込んで濃縮還元したような代物ですよね。
      読んでて「ここまで赤裸々に書く⁉」って笑っちゃうくらい具体的。証人、医学的所見、神学的反論まで並べ立てて、読者に「うわぁ……でも読みたい……」って思わせる。

      これってつまり、ゾラが「禁書問題」という抽象的テーマを、ベネデッタの「離婚劇」という生々しい人間ドラマで並走させることで、読者を逃がさない仕掛けなんですよね。
      学問的な葛藤だけだったら、途中で疲れちゃう読者もいる。でも、恋愛・結婚・離婚・金銭・名誉という誰でもわかる泥臭い題材をぶち込むから、全部が「ローマ=虚栄と権威の温床」に収斂していく。

      つまりゾラの本気度は「思想(禁書)」と「肉(離婚)」の両面にあって、どっちも妥協ゼロ。
      だからこそ読む側も「社会科学的リアリズム」なのに、ついついスキャンダル小説みたいにページをめくっちゃうんですよね。

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