ついにピエールがサン・ピエトロ広場に出たとき、巡礼団の最後の雑踏のなかで、ナルシスが問いかけるのを耳にした。
「本当に、今日の献金はあの額を超えたと思いますか?」
「おお、300万以上に達していると確信していますよ。」とモンシニョール・ナーニが答えた。
3人は右手の回廊の下にしばし立ち止まり、陽光にあふれた巨大な広場を見渡した。3,000人の巡礼者たちが、黒い小さな点となって散らばり、騒がしく群れ動いており、まるで革命に沸き立つ蟻塚のようであった。
「300万!」──その数字がピエールの耳に鳴り響いた。彼は顔を上げ、広場の向こうに金色の光を浴びたバチカンのファサードを仰ぎ見た。青空に映えるその建物の中で、レオ13世が回廊や広間を通り、自室に戻っていく姿を、あたかも壁を透かして追おうとするかのように。ピエールの想像の中で、教皇はその300万を抱えていた。細い腕にしっかりと金銀や紙幣を抱きしめ、女たちが投げ出した宝飾品までも抱えて運ぶ姿を。すると彼は思わず声に出してしまった。
「この巨万の富を、一体どうなさるのだろう? どこへ運ばれるのだ?」
この無邪気な問いに、ナルシスもモンシニョール・ナーニも思わず笑いをこらえきれなかった。先に答えたのはナルシスであった。
「もちろん、聖下はお部屋へお持ち帰りになるのです。いや、正確に言えば侍従たちが運ぶのですが。ご覧になりませんでしたか? あの2人の従者が、両手も懐もいっぱいにして拾い集めていたのを……。そして今や聖下はお一人でお部屋にこもられた。誰も近づけぬよう扉を固く施錠し、世界を退けて。もしあの窓の奥を覗けたなら、きっと聖下が楽しげに財宝を数え直しておられるのを見られるでしょう。金貨をきちんと束ね、紙幣を等しい小包に分け、封筒に収めて、整然と整理し、ご自分だけが知る隠し場所にすべて仕舞い込むのを。」
ナルシスが語る間、ピエールは再び顔を上げ、教皇の窓を凝視した。まるで語られる光景を目で追うかのように。さらにナルシスは説明を続けた。曰く、部屋の右手の壁際には金庫付きの家具があり、そこに収めるのだと。別の人々は、大きな書き物机の奥深い引き出しに隠すと語り、さらに他の者は、広いアルコーヴの奥に置かれた大きな錠付きのトランクに眠らせてあると主張した。
左手の廊下を進んだ先、文書館へ向かうあたりには、会計総責任者の部屋があり、そこには三重の仕切りをもつ巨大な金庫が据えられている。だがそこにあるのは、ローマでの管理収入--聖ペトロ財産の金であって、全キリスト教世界から集まった「聖ペトロの献金」はレオ十三世の手元に残り、その正確な額を知るのは教皇ただ一人であった。しかも、その資金を完全に自由に扱い、誰に対しても説明責任を負わなかった。ゆえに、召使たちが掃除をする際にも、教皇は決して部屋を空けず、せいぜい隣室の敷居に立ち、埃を避ける程度であった。外出して庭に下りる数時間でさえ、扉に二重の鍵をかけ、その鍵は常にご自身が持ち歩き、誰にも預けることはなかった。
ナルシスは話を締めくくり、モンシニョール・ナーニの方へ向き直った。
「ねえ、モンシニョーレ。これらはローマ中が知っている話ではありませんか?」
微笑みを浮かべたまま、モンシニョール・ナーニは肯定も否定もせず、ただピエールの表情に映る反応を追い続けていた。
「まあ、そうですね……人は色々なことを申しますから。私は知りませんよ。ですが、ハベール氏がそうご存知なら。」
「ええ。」とナルシスは続けた。「もっとも、私だって聖下を卑しい守銭奴と非難する気はありません。まことしやかに流布されている噂──金庫いっぱいの黄金に手を突っ込み、繰り返し数え直すことに時を費やす、などといった──そういう話は作り物でしょう。ただし、少しくらいはお金そのものを好んでおられるのではないでしょうか。触り、整理し、並べることを楽しむ……老人にとっては無害な小さな癖でしょう。そして私は急いで付け加えますが、聖下はお金を、それ自体よりもむしろ、その社会的な力のゆえに愛しておられるのです。未来の教皇権が勝利を収めるための決定的な後ろ盾として。」
レオ十三世が巨万の献金を自分一人で管理していたって本当?
返信削除ゾラが『ローマ』で描いている「レオ十三世が巨額の献金を自室に運ばせて、自分で数えて隠している」姿は、あくまで文学的・風刺的な誇張です。実際のところはもう少し制度的でした。
削除史実的にはどうだったか
「聖ペトロの献金(Denier de Saint-Pierre)」
これは世界中のカトリック信徒から集められる寄付金で、教皇庁の主要な収入源のひとつでした。
特に1870年に教皇領を失って「世俗の君主」ではなくなった後、献金は教皇財政の生命線になりました。
レオ十三世(在位1878–1903)の財政方針
彼は学識と外交手腕で知られる人物ですが、お金に対しても「極端に倹約家で几帳面」だったようです。
教皇庁の財政は当時かなり逼迫しており、レオ十三世は投資や資産運用にも強い関心を持っていました。
→ 実際、彼の在位中にバチカン資金の一部は不動産・証券に投じられています。
献金の扱い
献金が教皇個人の部屋に「物理的に山積みされていた」というのは誇張。
実際には 「アポストリック・カメラ(教皇庁会計局)」や「財務官(カメラレンゴ)」 が管理していました。
ただし「最終的にどう使うか」は教皇の専権事項で、レオ十三世はかなり細かく自分で関与していたとも伝わります。
つまり
ゾラの描写は「レオ十三世がケチで、孤独な老人のように献金を数えている」という風刺的なイメージですが、
実際には「非常に細かく財政を監督していた教皇」という史実を、文学的にデフォルメしたものなんですね。
ねこじい的に言うと 🐾
ゾラは「数千万リラの献金を両手で数えて、ニヤリとする老人」を描いたけれど、
史実のレオ十三世は「資金運用に口を出し、倹約と投資に気を配る管理型リーダー」だった、という感じです。