2025年9月24日水曜日

ローマ 第86回

  地平はさらに広がってゆき、ピエールは思った――レオ十三世の視線は、ローマのかなた、ローマのカンパーニャのかなた、サビナの山やアルバの山のかなたに、キリスト教世界全体を見ているのではないか、と。18年間もヴァチカンに閉じこもり、自室の窓以外に世界への出口を持たぬこの人は、そこから何を見、どんな響き、どんな真実、どんな確信を現代社会から受け取っているのだろうか。

 ときには、ヴィミナーレの高台にある駅から、機関車の長い汽笛が届いてきたに違いない。それは科学文明の声であり、諸民族を結びつけ、自由な人類を未来へ運ぶ音であった。右手を振り返って、アッピア街道の古い墓々の向こうに海を思い描くとき、教皇は自由そのものを夢見たのだろうか。ローマとその過去を捨てて、どこか他の地に新しい民主主義のための教皇権を築こうと望んだことはあったのだろうか。

 明晰にして鋭い精神をもつと称される人ならば、世界の各地から響いてくる闘争の音――たとえばアメリカにおける革命的な司教たちが民衆を獲得しつつあるその動き――を、どう受け止めていたのか。本当にそれは自分のためなのか、彼ら自身のためなのか。ヴァチカンに固執し、教義と伝統に縛られたままであれば、いずれ決裂が避けられないのではないか。遠くから吹く分裂の風が、その顔をかすめ、彼を不安におののかせたに違いない。

 だからこそ、彼は和解の外交家となった。教会の散り散りの力をすべて自らの手にまとめようと努め、ある司教たちの大胆さを可能な限り容認し、また自らも民衆を取り戻そうとした――堕ちた王権に代わって民衆と共に立とうとしたのである。しかし、彼はさらに一歩を進めるだろうか。青銅の扉の内に閉ざされ、世紀の鎖に縛られた厳格なカトリックの形式の中で、果たして抜け出せるのだろうか。

 宿命としての執拗さがそこにあった。魂のみを支配すること――すなわち霊的な力、来世に基づく道徳的権威という真に強大な力、それだけによって人類をひざまずかせ、巡礼を引き寄せ、女性たちを恍惚とさせること――それに徹するのは、彼には不可能だったのだ。ローマを捨て、世俗権を放棄することは、世界のカトリックの中心を移すことであり、自らがもはやカトリックの長ではなく、まったく別のものの長になってしまうことを意味した。

 そして、その夕風がときに運んでくる曖昧な影――新しい宗教の萌芽、まだ形をなさぬまま、進軍する諸民族の足音の中で育ちつつあるもの――を思うとき、どんなに不安に駆られただろうか。

 だがそのときピエールは感じた。閉ざされた窓の奥に立つ白い影、不動の影は、誇りに支えられている、と。常に勝利を確信し続けているのだ、と。人間の力で足りぬなら、奇跡が介入する。ローマを取り戻すという絶対の確信がそこにあった。そして、もし自分ではないにしても、必ず後継者がそれを成し遂げる、と。教会は生き続ける力において不屈であり、その前に永遠が広がっているのだ。

 それに、なぜ自分では駄目だろうか。神は不可能をも可能とするではないか。明日にも、神が望めば、人間の論理や事実の理屈など無視して、歴史の急転回により、彼の都は戻ってくるかもしれない。ああ、なんという祝宴だろう! 放蕩の娘の帰還を、涙に濡れた父の眼で見守るのだ。18年間、四季折々に目撃してきた放埒の数々を、彼はすぐに忘れてしまうに違いない。

 あるいは、あの新しい街区――彼の都を汚した忌まわしい街――について夢想したかもしれない。壊すだろうか、それとも残して、簒奪者の狂気の証しとするだろうか。都は再び厳かに、死せるものとしてよみがえるだろう。物質的な快適さや清潔さなど顧みぬ、純粋な魂のように世界に輝く、過去の栄光に包まれた都として。

 そして夢はさらに続いた。おそらく明日にも起こるであろう、その過程を思い描く。サヴォイア家よりは何であれましだ。共和国であっても構わぬ。なぜなら、古き政治的区分を復活させ、イタリアを連邦共和国として分割し、ローマを返し、自然の守護者として教皇を戴く、そんな形もあり得るからだ。そして視線はさらに広がり、ローマを越え、イタリアを越え、夢は膨らみ、共和フランスを、再び共和制に戻りうるスペインを、いつかカトリックに引き戻されるであろうオーストリアを抱き込み、すべてのカトリック諸国を合一したヨーロッパ合衆国に至る。そこでは諸国が平和に結ばれ、兄弟として共存し、彼は至高の座に立つ教皇として統べるのだ。そして最後の勝利として、他のすべての教会が消え、離反する民すべてが唯一の牧者に帰還し、イエスが彼のうちに普遍の民主主義の上に君臨するのだ。

 そのとき突然、ピエールは、彼がレオ十三世に与えていた夢想を断ち切られた。

「おや、親愛なる方、あの柱廊の上の聖人像の色合いをご覧になって!」

 ナルシスがこう言ったのだ。彼はコーヒーをひとつ持ってこさせ、気怠そうに葉巻をくゆらせながら、洗練された美の感覚だけに沈んでいた。

「ご覧なさい、薔薇色ですよ。しかも薄紫がかっていて、まるで天使たちの青き血が石の脈に流れているかのようではありませんか……。これはローマの太陽なのです、友よ。この超越的な生命を彼らに与えるのは! 私は見たのです、ある夕映えには、彼らが微笑みかけ、両腕を伸ばすのを……。ああ、ローマ、ローマ! 驚異にして甘美な都! そこでは、ヨブのように貧しくとも、ただその魅惑を吸い込む歓びだけで生きてゆけるでしょう!」

 今度ばかりは、ピエールも驚きを隠せなかった。あの切れ味鋭い声、乾いた明晰な金融人の頭脳を知っていただけに。

 そして彼の思いは再びシャトーの草地へと戻り、胸は惨めな悲しみに沈んだ。そこには数えきれぬ悲惨と苦しみがある。そこでは無数の人々が腐敗し、喜びも糧もない獣のごとき生に追いやられているのだ。なんという不正義!

 そして、彼の視線は再びヴァチカンの窓へと昇っていった。あのガラスの奥に、蒼白な手がかすかに上がるのを幻のように見た気がした。レオ十三世が高みから与える祝福――ローマの上に、カンパーニャと山々の上に、そして全キリスト教世界の信徒に。

 だが、その祝福は突然、彼の目には滑稽で無力なものに映った。なぜなら、あれほど多くの世紀を経ても、人類の苦痛をひとつとして消し去ることができず、窓の下で断末魔を迎える惨めな者たちに、ほんのわずかの正義すら与えることができないのだから。


2 件のコメント:

  1. 現在はバチカンはバチカン市国として国家として独立しているわけですが、どういう経緯でそうなったんですか?意外と知らないのです。

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    1. いい問いですね!
      バチカン市国が「独立国家」となったのは、けっこうドラマチックな経緯があります。ざっくり説明しますね。

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      ① 教皇領の喪失(1870年)

      * 中世以来、ローマ教皇は「教皇領(パパル・ステート)」という広大な領土(イタリア中部の一部)を治めていました。
      * しかし イタリア統一運動(リソルジメント) の進展で、1870年にイタリア王国がローマを占領。
      * 教皇ピウス9世はバチカン宮殿に閉じこもり、「自分は囚われの身だ」と主張しました(これを「ローマ問題」といいます)。

      ---

      ② ローマ問題(1870~1929年)

      * イタリア政府は「ローマは首都、バチカンはイタリア領」と主張。
      * 一方で、教皇は「自分はローマの正統な支配者」と譲らず。
      * 結果、教皇は数十年間、バチカン宮殿に引きこもり、公式には外に出ない状態が続きました。
      → これを「教皇の幽閉(Prisoner in the Vatican)」と呼びます。

      ---

      ③ ラテラノ条約(1929年)

      * この対立を解決したのが、ファシスト政権の ムッソリーニ。
      * 1929年にイタリア政府と聖座が結んだ「ラテラノ条約」により、以下が確定しました。

      1. バチカン市国(44ヘクタール)が独立国家として成立。
      2. イタリア政府が教皇領の喪失に対する補償金を支払う。
      3. カトリックがイタリアの国教とされる(後に改正)。

      ---

      ④ 現在

      * その後、バチカンは「領土は極小だが、国際的には国家」として認められるように。
      * 今では国連加盟国ではないけど、国際社会では「主権国家」として扱われ、各国と外交関係を持ち続けています。

      ---

      要するに、1870年に領土を失った教皇が「引きこもり」を続けた結果、1929年にイタリアと和解して、今のバチカン市国が誕生したという流れです。

      ねこじい的に言うと、「半世紀のすねっ子生活ののち、国家として認められた」って感じですね 😸

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