しかし、恐ろしい人物、誰もが震え上がるその人物は、モンシニョール・パルマであった。彼は、聖なる婚姻の絆を擁護するために、審理会によって選ばれた弁護官であった。彼にはほとんど無制限の権利が与えられ、さらに訴えを繰り返すこともでき、要するに、気の向くままに訴訟を引き延ばすことができたのである。
彼の最初の弁論は、モラーノの弁論に対する返答であったが、それはすでに凄絶なものであった。処女性そのものに疑義を投げかけ、科学的に、悪霊に憑かれた女たちが助産婦たちによって確認された特異な身体的特徴を呈する事例を引用し、さらには宣誓医師二人による精密な検査を要求したのである。そしてついに、婚姻行為における第一の条件は女の服従にあるとし、申立人がたとえ処女であったとしても、その繰り返される拒絶こそが婚姻の完遂を妨げた原因なのだから、婚姻無効の請求は成立しないと断言したのだった。
しかも、彼が準備している新たな弁論は、さらに一層容赦のないものになるだろうと噂されていた。それほどまでに、彼の信念は揺るぎないものであった。この堂々たる論理と真実への確信の前では、たとえ好意的な枢機卿たちでさえ、教皇に婚姻無効を勧める勇気を持てないのではないか――。ベネデッタが再び絶望の淵に沈みかけたその時、ドンナ・セラフィーナがモンシニョール・ナーニを訪ねた帰りに、共通の友人がモンシニョール・パルマに会ってくれることになったと告げ、彼女を少し慰めたのであった。ただし、それはきっと莫大な代償を要するだろう、とも。
このパルマは、教会法に通じた神学者であり、完璧に誠実な人物とされていた。だが、彼の人生には深い痛みがあった。ある貧しい姪――その美しさは比類なく、晩年の彼は狂おしいほどに愛するようになってしまった――を、醜聞を避けるために、どうしようもない不良青年に嫁がせるしかなかったのである。その後、姪は夫に食い物にされ、殴られる日々を送っていた。外見は体面を保っていたが、実際にはパルマは絶望的な苦悩の中にあり、すでに財産を差し出し尽くしてしまい、今や甥の賭博での不正行為を救う金すら残っていなかった。そこで考え出された策は、この若者を救うために金を払い、さらに職を世話してやり、叔父には何も求めないことだった。ある晩、日が落ちてから、パルマはまるで共犯者のように涙ながらにドンナ・セラフィーナのもとを訪れ、その慈悲に感謝したのであった。
その晩、ピエールはダリオと共にいた。そこへベネデッタが駆け込んできて、笑いながら手を打った。
「できたの! できたのよ! あの人、叔母様の家から出てきて、永遠に恩に着るって誓ったの。もう、これで愛想よくせざるを得ないはずよ!」
しかしダリオは、用心深く問い返した。
「でも…何か書面に署名させたのか? 正式な約束は取ったのか?」
「まあ、どうしてそんなことができるの? あまりに繊細なことだったのよ。…とにかく、あの人はとても正直な方だって、皆が言っているわ。」
それでもベネデッタ自身の胸にも、不安の影がかすめた。あれほどの恩を受けても、パルマがなお不屈のままでいるのではないか? その恐れが彼女たちを苛み、待ち続ける苦悩が再び始まった。
「まだ言ってなかったけど」と彼女は沈黙ののちに続けた。「例の、あの有名な訪問を、ついに決心したの。今朝、叔母様と一緒に二人の医師のところに行ってきたのよ。」
彼女は再び笑みを浮かべ、少しも恥じる様子はなかった。
「それで?」とダリオが平然と尋ねた。
「それでって? 彼らは、私が嘘をついていないとすぐに分かったわ。で、それぞれにラテン語で一種の証明書を書いてくれたの。…どうしても必要だったのよ、パルマ様が自分の発言を取り消すためには。」
そして今度はピエールの方に向き直って、
「ああ、あのラテン語! モンシニョール…本当に知りたかったわ。あなたに訳していただきたいと思ったの。でも叔母様が許してくださらなくて、すぐに書類は訴訟の記録に添えられてしまったの。」
ピエールはひどく困惑し、ただ曖昧にうなずくしかなかった。彼はよく知っていたのだ、そうした証明書がどのようなものかを。正確で、事細かな記述――状態、色、形の一切が、明瞭な言葉で余すところなく書き記されているのである。医師たちにとっては、そこに羞恥の入り込む余地などなく、むしろ自然で、さらには幸福な営みでさえあった。なぜなら、それによって彼女たちの人生の全き喜びがかかっていたのだから。
「とにかく」とベネデッタは締めくくった。「パルマ様が恩を感じてくださることを願いましょう。それまでの間は、わたしのダリオ、あなたは早く元気になって…私たちの待ち望む幸福の日を迎えるために。」
この時代のカトリックの家族観、女性観って、ほんとにげんなりしちゃうんだけど、女性に従属性を強いるこういう価値観というのは、いかにして形成されてきたのですかねえ?
返信削除うん、そらさんのおっしゃる通り、この時代のカトリック的な家族観や女性観は、読んでいて「げんなり」してしまうほど、従属性を強いるものですね。これは単なる宗教的教義というよりも、**古代から中世、さらに近代に至る社会的・文化的な要素が積み重なって形成**されたものなんです。いくつかの主要な要素を整理してみますね。
削除---
1. 聖書と神学的解釈
* 新約聖書には「妻は夫に従え」という記述(エフェソの信徒への手紙など)があり、初期教会以来、この文言が繰り返し強調されました。
* 神学者アウグスティヌスやトマス・アクィナスは、女性を「男性の補助者」とし、理性よりも感情に支配されやすい存在と位置づけました。
→ こうして「女性=従属、男性=理性と統率」という観念が神学的に正当化されました。
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2. ローマ法・ゲルマン法との融合
* ローマ社会では家父長制(pater familias)が強固で、父権的支配が当然のものとされました。
* 中世になるとゲルマン的慣習法と融合し、「夫=家族の主」という立場がさらに強化されました。
→ 教会法も世俗法も、女性を夫や父に従属させる方向で一致してしまったのです。
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3. 婚姻の聖化と「契約」から「秘跡」へ
* 中世12世紀以降、教会は婚姻を「秘跡」と位置づけました。
* 婚姻は個人の自由な契約ではなく、「神の前の不可解消な結合」とされ、そこに「女性の従順」が当然の条件として組み込まれました。
* 婚姻の目的は「生殖」と「貞潔の保持」であり、女性の主体性は顧みられませんでした。
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4. 社会秩序の維持装置として
* 近世ヨーロッパ社会において、家族は「小さな教会」であり「小さな国家」でもあるとされました。
* 秩序を維持するために、父権・夫権は不可欠と考えられ、女性の従属はその「秩序の象徴」になったのです。
* 特に19世紀フランス(ゾラの時代)はナポレオン法典が社会を支配していて、女性はほぼ「夫の庇護下の無能力者」として法的に位置づけられていました。
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5. 「処女性」と「純潔」の神話
* カトリックではマリア信仰の影響が強く、「純潔な処女」こそ理想の女性像とされました。
* この理想像は実生活の女性にとっては重荷でしかなく、処女性の有無が裁判で問題になる(まさにベネデッタの件!)という倒錯した事態を招きました。
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🔎 まとめると:
カトリックの女性観は、**聖書の言葉+古代の家父長制+中世の教会法+近代国家の秩序維持**が絡み合い、結果として「女性は夫に従属すべし」という価値観をがっちり固定化してしまったのです。
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ねこじい的に思うのは――
ゾラがこういう「婚姻裁判」の場面を小説に書いたのは、まさにこうした因習的な価値観に光を当て、揺さぶりをかけるためだったんじゃないかと思いますぞ。
👉 そらさん的には、こういう「カトリック的家族観」と、日本の封建的な家制度の女性観って、似てると思いますか?それとも違うものに感じます?
日本の家族制度を考えるとき、時代、身分による違いをまず考えないといけないですよね。
返信削除特に明治以降にキリスト教的良妻賢母思想が輸入され
さらに戦後においては専業主婦がモーレツサラリーマンを支えるという
カイシャの思想も入ってくる。
結果、現代日本の女性の社会進出率は「先進国」中でもめちゃ低い状態にある。
私は、家族制度、男女の性差別の問題を考えるとき、
やはり私有財産の承継の問題が大きな要素になっていると思うのですよ。
おお、そらさん、鋭い!
削除おっしゃる通り、日本の家族制度や性別役割の固定化を考えるうえで、「財産承継」と「労働の組織化」は非常に大きな要素ですぞ。
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1. 時代と身分による違い
* 江戸期以前
武士・農民・町人でかなり違いました。武士は家督相続(長男中心)、農民は田畑の細分化を避けるための制約、町人は商売の承継を重視。女性も「家のための駒」として動かされました。
* 明治期以降
明治民法(1898年施行)で「家制度」が法制化され、戸主(男性)に絶対権限。家産の承継を最重要とし、女性は基本的に「財産を持たない存在」に位置づけられました。
→ これ、カトリック的な「婚姻=女性従属」と奇妙に相似します。
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2. キリスト教的良妻賢母思想
* 明治期の女子教育は「国民国家形成」の道具でした。
キリスト教的な「家庭道徳」が輸入され、女子は「夫を支え、子を育てる存在」とされた。
* ここに武士的家父長制と「西洋的家庭像」が融合して、日本独特の「良妻賢母」イデオロギーが生まれた。
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3. 戦後の「会社主義」と専業主婦
* 戦後民主化で「家制度」は法的には廃止されました。
しかし経済成長期、「会社=家」のモデルが登場し、サラリーマンを支える「専業主婦」像が新たに強化されました。
* 結果、「男は外で働き、女は家を守る」という役割分業が再強化され、女性の労働参加率は欧米諸国に比べて低迷。
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4. 財産承継の論点
* そらさんのご指摘通り、性差別の根っこには「財産を誰に渡すか」が大きく関わっています。
* 日本では長男相続(戦前)→均分相続(戦後)に変化しましたが、依然として「家業」「不動産」などの承継の現場では性差が強く残ります。
* ヨーロッパでも同じで、女性の従属は「財産管理権の剥奪」と表裏一体でした。
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ねこじい的まとめ
つまり、日本もヨーロッパも、「家族制度」+「財産承継」+「労働分業」の組み合わせで女性の従属性が形作られてきた、ということになりますな。
そして戦後の民主化で「法の上」では平等になっても、経済構造や家族観の中で古い仕組みが温存されてしまったのが現代日本の大きな特徴。