3人は揃って共同の部屋に入った。すでに夜の闇がそこに満ちていた。暑い季節はもう過ぎていたが、戸口に立った途端、ぶんぶんと唸るハエの羽音が聞こえた。酸っぱくなったワインと酸化した油の、鼻を突くような臭気が喉を締めつける。目が少し暗さに慣れると、彼らは広々とした部屋の中を見分けることができた。黒ずみ、悪臭を放つその部屋は、粗削りの木でできたベンチとテーブルだけが置かれている。ハエの飛ぶ音の下で、あまりに静かなので、まるで無人のように思われた。だが、そこには2人の男がいた。どこかから立ち寄った旅人らしく、無言のまま、満たされたグラスの前にじっとしている。戸口のそば、わずかに差し込む光の中では、この家の娘が低い椅子に腰かけていた。黄色くやつれたその痩せた娘は、両手を膝の間に挟み、熱に震えて、何もせずぼんやりとしていた。
ピエールが不快を覚えたのを感じて、伯爵は提案した。
「外で飲もうじゃないか。そのほうがずっと気持ちがいい。」
母親が卵を探しに行き、父親が近くの小屋で車輪を修理している間、娘は震えながら立ち上がり、ワインの入ったカラフェと三つのグラスを持って、ぶどうの蔓棚の下のテーブルまで運ばねばならなかった。彼女はワイン代の6スーをポケットに入れると、何も言わずにまた腰を下ろした。その顔には、「こんな遠い旅を強いられるなんて」と言わんばかりの、不機嫌な色が浮かんでいた。
陽気に、3人が席につくと、プラダがグラスにワインを注いだ。ピエールは「食事の間でワインなど飲めない」と言って遠慮したが、伯爵は聞き流した。
「まあまあ、ちょっとぐらい乾杯なさい……そうだろう、神父さま? この小さなワイン、なかなかいけるんですよ。さあ、病気の教皇陛下のご健康を祝して、乾杯!」
サントボーノは、グラスを一息に飲み干し、舌を鳴らした。彼は手元の小さな籠を地面にそっと置き、まるで我が子を扱うように優しく扱った。帽子を脱ぎ、胸いっぱいに空気を吸い込む。
その夕べはまさに絶妙だった。空は澄み渡り、黄金色の柔らかな光を放ち、果てしないカンパーニャの大地は、まもなく眠りにつこうとしていた。静寂の中を通り抜けるそよ風は、草や野の花の香りを運んできて、何とも言えぬ甘さがあった。
「神よ、なんと気持ちのよいことだろう……」
ピエールは、その魅力にすっかり包まれてつぶやいた。
「世界の残りのすべてを忘れてしまえる、永遠のやすらぎの砂漠のようだ。」
だがその間に、プラダはカラフェを空にしながら、何やらおもしろいことに気づいていた。彼は黙ったまま、ピエールに愉快そうな目くばせをした。それから二人は、同じようにその小さな事件の成り行きを見守ることになった。
彼らのまわりの枯草の中を、何羽かの痩せた鶏が、バッタを探して歩き回っていた。そのうちの一羽――艶のある黒い小柄な雌鶏――が、ずうずうしい様子で、地面に置かれたイチジクの籠に目をつけた。
彼女は勇気を出して近づいたが、すぐにびくりとして後ずさりした。首を伸ばし、頭をかしげ、真っ赤な丸い目をぎらつかせる。だが、欲望が勝った。
2枚の葉のあいだから、熟れたイチジクがひとつ見えていたのだ。鶏はゆっくりと、足を高く上げながら進み出て――突然、長い首を伸ばし、鋭いくちばしで一突き。イチジクは破れ、赤い果汁がにじみ出た。
プラダは、こらえていた笑いをとうとう爆発させた。
「気をつけて! 神父さま、イチジクが危ないですよ!」
ちょうどそのとき、サントボーノは2杯目のグラスを飲み干し、頭を後ろに傾け、天を仰いで、幸福そうにうっとりしていた。彼はびくりとして目を開き、状況を理解した。見るやいなや、怒りが爆発した。
大きく腕を振り回し、恐ろしい罵りの言葉を吐く。だが鶏は、さらにもう一突きくちばしを立てると、イチジクをくわえたまま翼をばたつかせ、すさまじい速さで逃げ出した。
その滑稽な光景に、プラダもピエールも、涙を流して笑った。怒り狂ったサントボーノが、拳を振り上げて追いかけるのを見ながら。
「ほら、言ったじゃないですか!」
伯爵は笑いながら言った。
「籠を馬車に置いておけばよかったのに。私が気づかなかったら、全部その鶏の腹の中ですよ。」
司祭は答えもせず、低い呪詛をうなり続けながら、籠をテーブルの上に置いた。そして葉をめくり、巧みにいちじくを並べ直して、穴を埋めるようにした。葉を戻して損ひが直ると、彼は落ち着きを取り戻した。
そろそろ出発する時刻だった。太陽は地平線に傾き、夜が近づいていた。そこで伯爵はついにいら立ちを隠せなくなった。
「さて、卵はどうなった?」
女が戻ってこないので、彼は自ら探しに行った。馬小屋の中へ入り、ついで納屋を調べた。だが女の姿はどこにもなかった。そこで家の裏手に回り、作業小屋の下をのぞこうとしたとき、突如としてあるものが彼の足を止めた。地面に、あの小さな黒い雌鶏が仰向けに転がり、打ちのめされたように死んでいた。くちばしにはごく細い紫がかった血の筋があり、まだ流れていた。
最初、彼はただ驚いただけだった。身をかがめて触れてみると、鶏はまだ暖かく、柔らかで、布切れのようになっていた。おそらく脳卒中だろう――そう思った。だがすぐに彼の顔は異様に青ざめ、真実が一瞬にして彼を包み、凍りつかせた。稲妻のように、レオ十三世が病床にあること、サントボーノがサングイネッティ枢機卿のもとへ急ぎ報を求めに行ったこと、そしてその後ボッカネーラ枢機卿のもとへイチジクの籠を届けに向かったことがよみがえった。フラスカーティから続いてきた会話――教皇の死の可能性、ティアラを狙う有力候補者たち、ヴァチカン周辺にいまだ生きる毒の伝説――が脳裏に渦巻いた。彼はまた、司祭が膝の上に慎重に抱えた小さな籠を思い起こした。籠に嘴を突っ込み、イチジクをつまんで逃げたあの小さな黒い雌鶏――その鶏が今、打ちのめされて死んでいる。
彼の確信は瞬時かつ絶対的だった。しかし、何をすべきか考える時間もなかった。背後から、誰かの声が叫んだ。
「おや、あの小さな鶏だ、どうしたんだい?」
ピエールだった。彼はサントボーノを馬車に戻してから、古い水道橋の半壊した遺構をもっと近くで見ようと、家の周りを回ってきたのだ。
プラダは、まるで罪を犯した者のように身を震わせながら、とっさに嘘を口にした。事前の算段などなかった。ただ本能的に出た言葉だった。
「いや、死んでしまったんだ……想像してごらん、喧嘩があったのさ。私が来たときには、向こうに見えるあの雌鶏が、ちょうどこの子の持っていたイチジクを奪おうと飛びかかり、くちばしで頭を割ってしまったんだ……ごらん、血が流れているだろう。」
なぜそんなことを言ったのか、彼自身も驚いていた。状況を掌握し、誰ともその忌まわしい共通秘密を共有せずに、後で自分の都合で動きたかったのだろうか。見知らぬ者の前での恥ずかしい動揺、暴力への個人的な嗜好が、正直さへの反発と混ざり合っていた。だが、彼は誠実な人物でもあり、誰かを毒にかけさせるなどとは思っていないのだった。
動物に同情するピエールは、命あるものが突然奪われることに小さな感情を抱き、素直にその話を受け入れた。
「まあ、鶏というものは互いに本当に愚かなほど残忍だ。私も鶏小屋を持っていたが、どれか一羽が足を怪我すると、血がにじむのを見るや否や、ほかの連中が寄ってたかって突き、骨までついばむものだよ。」
プラダはすぐさま立ち去り、ちょうど女が彼を探して歩み寄ってきて、やっとのことで見つけた4個の卵を手渡した。彼は急いで代金を支払い、ピエールを呼び戻した。
「急ごう、急ごう! これではローマには真っ暗な夜にしか着けないぞ。」
やっぱり! サントボーノのイチジクには毒が盛られていたではないですか!
返信削除私の予想どおりでした。というか、まあ定番の流れだよね。
この手のストーリー展開というのは、この時代からあったのかな?
お見事です、そらさん!あの場面で「イチジクを離さない」「ボッカネーラ枢機卿のもとへ献上する」「黒い雌鶏が突いて死ぬ」――と三拍子そろえば、毒殺以外ありえませんでしたね。
削除ゾラはさすがに明言こそしませんが、ここは読者の想像力をフル稼働させる“暗示の名場面”です。
さて、「こうした展開(=贈り物に毒、聖職者や権力者の暗殺)」は、この時代――つまり19世紀後半にはすでに古典的なモチーフでした。
いくつかルーツを挙げると:
🏺 古代からの定番
毒による政治的暗殺は、古代ギリシャ・ローマ以来の伝統です。
ソクラテスは毒杯(たぶんヘムロック)で死に、
ローマ帝政では「毒殺による帝位継承」がほぼ日常茶飯事。
クラウディウス帝を殺したのは妻アグリッピナ(息子ネロを皇帝にするため)というのが有名ですね。
👑 ルネサンスの「毒の花」
ゾラが生きた19世紀フランスでは、「ルネサンス=毒と陰謀の時代」というイメージがすっかり定着していました。
ボルジア家(特にチェーザレとルクレツィア)は、「毒殺と情欲の象徴」として伝説化され、
フィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア――どこも政敵を毒で葬る話に満ちていました。
実際には伝説が誇張されていますが、当時の読者は「ローマの聖職者=毒の伝統に連なる者」という連想をすぐにしてしまうほど。
だからゾラがサントボーノのエピソードを差し挟むと、読者の文化的記憶が自動的に“毒殺だ!”と反応するわけです。
🧪 19世紀文学における“毒の系譜”
ゾラの同時代にも、毒は「権力と腐敗」の象徴としてしばしば登場しました。
デュマの『モンテ・クリスト伯』では復讐と毒。
バルザックの『十三人連盟』でも、政略と暗殺の影。
フローベールの『サランボー』にすら、儀式の毒杯が出てくる。
ゾラ自身も『ナナ』や『テレーズ・ラカン』で、肉体や精神の腐敗を科学的=生理的な“毒”として描いています。
だからこの『ローマ』でも、信仰と権力の腐敗が“毒のイメージ”で具体化しているんですね。
💀 つまり……
サントボーノのイチジクは、単なる小道具ではなく、
「聖なるローマ」の裏に潜む腐敗の象徴なんです。
それをゾラは、誰も殺されず、誰も罪を明言しないまま提示する――
まるで毒が目に見えぬように、腐敗もまた静かに進行する……という構図です。
そらさん、この展開を「定番」と見抜いたのは鋭いです。
ゾラがまさに「定番の神話的図式」を利用して、
“近代のローマ”に古代からの呪いを重ねているのです。
毒杯の都、二千年の歴史を抱えた“永遠の毒”。
なんだか、怖いほど美しい寓意ですよね。
毒の話というか、サントボーノが籠を手放さないというところから、読者に、なんか怪しいぞと思わせる語りの手法は欧州の文学の中で似たような例があるか、分かりますか?
返信削除とても良いところに注目されましたね、そらさん。
削除まさにその「手放さない籠」「不自然に慎重な態度」「読者に“何か隠している”と勘づかせる語り」というのは、ヨーロッパ文学の中で古くから使われてきた――“suspense par l’objet”(物を介したサスペンス)と呼べる手法なんです。
ゾラのサントボーノの場面は、単に「毒が仕込まれている」という筋の伏線であると同時に、
「物が秘密を持つ」「沈黙が語る」という、象徴主義的・心理的な演出でもあります。
いくつか似た構図をもつ文学作品を紹介しますね。
🕯1. ポー『黒猫』『アモンティリャードの樽』(1840年代)
ゾラより半世紀ほど前ですが、エドガー・アラン・ポーは「不自然な執着」を恐怖の起点として扱っています。
たとえば『アモンティリャードの樽』では、主人公が“珍しい酒”をめぐって執拗に相手を地下へ誘う。
読者は「この男、何か仕掛けている」と直感しますが、まだ“何を”とは分からない。
――ゾラのサントボーノが「籠を聖体のように抱える」描写は、ポーの心理的サスペンスに近いんです。
つまり、過剰な慎重さ=罪の予兆。
💼2. バルザック『谷間の百合』(Le Lys dans la vallée, 1836)
ここでは“物”が直接的な罪の道具ではないのですが、登場人物がある手紙や小箱を「決して手放さない」ことで、読者はその中身に秘められた情熱や裏切りを察知します。
ゾラの描写も同じ系譜にあります――モノに心の重さを託す。
籠の中のイチジクは、サントボーノの“信仰”か“陰謀”か、どちらの象徴なのか、読者は判断できず不安になる。
つまり、「物が人物の内面を代弁する」バルザック的手法の転用なんです。
🍎3. フローベール『三つの物語―聖ジュリアン伝』(1877)
聖ジュリアンが、過剰なまでに武器や狩り道具に執着する。
フローベールはその異様な執念によって、彼の聖性の中にひそむ暴力性を暗示します。
ゾラが「神父が籠を手放さない」姿を描くときも、同じく信仰と罪が紙一重であることを示している。
つまり、「神聖なものを抱く」姿勢が、そのまま「呪われた意図を秘める」姿に転化するわけです。
🧤4. ドストエフスキー『罪と罰』(1866)
ラスコーリニコフが斧を隠して歩く場面――まさにあれです。
作者は“何かを持ち歩く”行為を通じて、心理的な緊張を生み出します。
斧そのものより、「それを持つ手」「隠そうとする態度」が読者に恐怖を伝える。
ゾラもまったく同じ。
イチジクの籠は「斧」にあたる。
静かな殺意の象徴ですね。
🕰5. モーパッサン『首飾り』(1884)
やや別の方向ですが、ここでも“ひとつの物”が物語全体を支配します。
主人公が借りた首飾りに執着し続ける姿は、社会的虚栄と運命の皮肉の象徴。
ゾラの籠もまた、「信仰の純粋さ」と「俗世の野心」の間で揺れる宗教世界そのものを象徴しているとも読めます。
💡まとめると:
サントボーノの籠が読者に不穏さを感じさせるのは――
単なる毒の伏線ではなく、ヨーロッパ文学における「不自然な執着=罪の徴」という古典的技法の延長にあるんです。
つまり、ゾラは古典的なモチーフ(ポーやドストエフスキー的な「携行する罪」)を、
彼独自の自然主義の文体――沈黙・仕草・物の質感で――再現している。
言葉ではなく、持ち物がしゃべる。
これが19世紀ヨーロッパ小説の「心理の演出」の真髄なんですね。