しかし、そのとき群衆の中にざわめきが走り、ユダイン神父がさらに言った。
「見てください、マッシアス神父が説教壇に上がっています。あの方は聖人です。耳を傾けましょう。」
彼のことは誰もが知っており、その姿を見かけるだけで、すべての魂が突如として希望に揺さぶられるのだった。というのも、彼の深い信仰が奇跡を助けると語り継がれていたからである。彼の声は、優しさと力をあわせ持ち、聖母マリアに愛された声だと信じられていた。
すべての頭が持ち上がり、さらに感情が高まったのは、フルカード神父の姿が、彼の最も愛し、大切にする兄弟の肩を借りて、説教壇の足元にまでやって来たのが見えたときだった。そして彼はその場にとどまり、彼自身も説教を聞こうとしていた。彼はこの朝から痛風の足にひどく苦しんでおり、立っているだけでも大きな勇気を必要とした。それでも微笑みを浮かべていたのは、群衆の熱狂が高まることで、奇跡が起きるのを予感していたからであり、それがマリアとイエスの栄光となると信じていたからだった。
説教壇の上で、マッシアス神父はすぐには話し始めなかった。彼は非常に背が高く、やせ細り、青白い顔をした修行者のようで、その色の抜けたひげが顔の長さを強調していた。彼の目は燃えるように輝き、情熱にふくらんだその大きな口は、まさに雄弁の源だった。
「主よ、我らを救いたまえ、われらは滅びんとしています!」
群衆は心を奪われ、次第に高まる熱狂の中で繰り返した。
「主よ、我らを救いたまえ、われらは滅びんとしています!」
彼は両腕を広げ、その胸の炎からもぎ取るようにして、燃え上がる叫びを放った。
「主よ、御心ならば、私を癒やすことがおできになります!」
「主よ、御心ならば、私を癒やすことがおできになります!」
「主よ、私はあなたを我が家にお迎えするに値しない者ですが、ただ一言おっしゃってください、そうすれば私は癒やされましょう!」
「主よ、私はあなたを我が家にお迎えするに値しない者ですが、ただ一言おっしゃってください、そうすれば私は癒やされましょう!」
イジドールの妹、マルトはついにサバティエ夫人のそばに腰を下ろし、声をひそめて話しかけていた。二人は病院で知り合い、あまりの苦しみの近しさに、女中はブルジョワ婦人に対しても親しげに話すようになっていた。彼女は兄のことが気がかりでならず、そのことを伝えていた。彼がもう、風前の灯火であることは明らかだった。聖母マリアが癒やしてくださるなら、急いでくださらなければ。生きたままこの洞窟までたどり着けたのは、それ自体が奇跡だった。
素朴な哀れな生き物としての彼女の諦めには涙はなかったが、胸がいっぱいで、ぽつぽつと口にする言葉さえ、喉につかえていた。やがて、過去の想いが押し寄せ、長い沈黙に閉ざされていたその口から、ついに心の内がこぼれ始めた——。
「うちはサン=ジャキュ、ヴァンヌの近くで、家族は14人いましたの……あのひとは、あんなに大きく育ったのに、ずっと体が弱かったんです。だからこそ、うちの神父様のもとに残されて、最後にはキリスト教学校に入れられたんですよ……長男たちは財産を取って、私はというと、奉公に出る道を選びました。そう、ある奥様が私をパリに連れて行ってくれたのが、もう5年前になります……ああ、人生って、なんて苦しいものなんでしょう! 誰だって、みんな、大変な思いをしてる!」
「本当にその通りね、娘さん」とサバティエ夫人は答え、信心深くマッシアス神父の祈りの言葉を一言一句くり返している夫に目を向けながら言った。
「それでね」とマルトは続けた。「先月のことですけど、イジドールが任地から戻ってきたと聞いたんです。あのひとは、南の方に派遣されてたんですけど、そこで重い病気をもらって帰ってきたって……それで慌てて会いに行ったら、『ルルドに行かなきゃ死ぬ』って言うんです。だけど、付き添いがいないから旅は無理だって……そのとき、私、80フラン貯金があったんです。それで奉公を辞めて、一緒に出発したんです……わかっていただけますか、奥様、私があの子をどれだけ好きか……私が小さい頃、彼だけが、教会の庭からスグリの実を摘んできてくれてね。ほかの兄弟たちは私をぶったのに。」
そう言ってマルトは再び沈黙に沈んだ。悲しみにふくらんだ顔、涙を流すこともできず、徹夜の看病で焼けつくような目からは、ただ重い疲れがにじんでいた。そして彼女の口からは、もはや意味をなさない言葉だけが、かすかに漏れた。
「見てください、奥様……なんて痛ましい姿か……ああ、神様、あの頬、あの顎、あの顔……」
それは、まさに見るに堪えない光景だった。サバティエ夫人の心は締めつけられるようだった。兄のイジドールは、顔色は黄ばみ、土色にくすみ、死の汗で肌が冷たくなっていた。彼の体でシーツから出ているのは、祈りの形に組まれた両手と、まばらな髪に囲まれた顔だけだった。蝋のような手はすでに死を思わせ、長く苦しげな顔には、もはや一つの筋肉さえ動いていなかった。しかし、ただ一つ、目だけが生きていた――消えることのない愛に満ちた目。その光は、まるで磔刑のキリストのようなその死にかけた顔全体を、神聖な輝きで照らしていた。
かつてこれほどまでに鮮やかに、対照が浮かび上がったことはなかった。長年の労働にすり減らされ、素朴さのなかに閉じこめられてきた農夫の面差し——低い額に、厳しい生活の影が刻まれた顔——その仮面の奥から、いま、神の光があふれ出していた。苦しみによって引き裂かれ、清められたその姿は、最期の瞬間において崇高なものとなり、信仰の炎に照らされて、まるで聖者のように輝いていた。肉体はもはや消え去り、息すら残っていない。ただ、その眼差しだけが生きていた。そこにはひとつの光があり、それがすべてだった。
そこに寝かされて以来、兄イジドールは目を一度も聖母像から離さなかった。彼にとって、周囲の世界はもはや存在していなかった。群衆のざわめきも聞こえず、神父たちの必死の叫びも耳に入っていなかった。彼に残されたのは、ただこの燃えるような愛に満ちた目だけで、それはただひたすらに、聖母を見つめていた。彼はそのまなざしで、死ぬまで彼女を飲み干そうとしていた。自らを完全に委ね、彼女の中に溶け消えていこうとする、最後の意志をこめて。
一瞬、彼の口がわずかに開いた。そのとき、天上の至福ともいえる表情がその顔にやわらぎを与えた。
そして、それきり、何一つ動かなくなった。その目だけが、大きく開いたまま、白い聖母像をじっと見つめ続けていた――頑ななまでに、永遠に。
まず細かいことですが確認です。イジドールが兄でマルトが妹でいいんだっけ。とすると妹が兄のことを「あの子」と言うのは日本人としては違和感があるのですよね。
返信削除ChatGPT:
削除とても良いところにお気づきですね!
はい、ご指摘のとおり、イジドール(Isidore)は兄で、マルト(Marthe)は妹です。彼女は語りの中で、幼少期に兄が自分を優しくしてくれた思い出を語っていますし、「quand j'étais petite, il m'apportait des groseilles de la cure」という回想からも、年上の兄として接していたことが読み取れます。
さて、問題は「あの子」の訳ですね。
フランス語原文ではこうです:
si je l'aime bien, c'est que, lorsque j'étais petite, il m'apportait des groseilles de la cure, tandis que mes autres frères me battaient.
つまり、「私があの人を好きなのは、小さいころ、教会からスグリを持ってきてくれたのがあの人だったから。他の兄たちは私をぶったのに」という文脈です。
この「lui(彼)」に対してマルトが自然に使っている親しみのこもった呼び方は、たしかに日本語に訳すときにちょっとした調整が必要になります。**「あの子」**は、妹から兄に対して使うには日本語としてはやや幼すぎる・下位の感じがあり、違和感が出るのは確かです。
日本語らしい自然な言い換え候補としては:
「あの人」
「あの兄さん」
「兄さん」
「あの人ね、私が小さい頃に……」のように人称を曖昧にしたまま進める手もあります。
あるいは、マルトがやや子どもっぽさや情緒的な語り口でしゃべっていることを活かして、やさしく懐かしむようなトーンで「あのひと」と柔らかく言うのも手です。
たとえば、こうリライトするのはどうでしょう?
「わかっていただけますか、奥様、私があの人をどれだけ好きか……私が小さい頃、あの人だけが、教会の庭からスグリの実を摘んできてくれてね。ほかの兄たちは私をぶったのに。」
もしくはもっと感情に寄せて、
「奥様、私、あの兄さんのことがどれだけ好きか……小さい頃、あの兄さんだけが教会の庭からスグリを摘んできてくれたんです。他の兄たちは私を叩いてばかりだったのに……」
語りのトーンや登場人物の個性に合わせて選べます。
了解。じゃ、「ひと」にしますね! 私のほうで修正します。ありがとう。
返信削除そして、ピエールたちと乗り合わせたうちの一人、イジドールも息を引き取りましたね。
「農夫らしい低い額、限られた思考、獣じみた素朴な面立ち」という表現はいかがなものかとも思いますが。過酷な労働と苦渋に満ちた人生が顔貌に象徴されることはありますが、現代的に許される表現だと思いますか?
「ひと」でいく、了解です!やさしく、しみじみとした感じが出て良い選択ですね。
削除さて、ご質問の箇所——
>「農夫らしい低い額、限られた思考、獣じみた素朴な面立ち」
これはたしかに、**現代の感覚ではギョッとする表現**ですね。
ゾラのこの描写は、19世紀末の自然主義文学に特有の「生まれや環境が人間の外貌や運命にまで染み込む」という思想の表れです。彼はしばしば顔の造作に**社会的・道徳的・生物的特徴**を読み取ろうとします。そしてそれをあえてあらわに、冷酷なほどに描写します。ある意味、**共感ではなく観察の視点**なんですね。
でも、現代の読者から見ると:
- **「低い額=知能の低さ」**といった暗黙の決めつけは、優生思想的なにおいすらしてしまう。
- **「獣じみた」**という比喩も、人間の尊厳を損なう可能性があります。
### では現代的に許されるか?
うーん、率直に言って、**そのまま現代に通用する表現ではありません**。とくに翻訳として使う場合、無批判に直訳すると、読者に不快感を与えたり、意図を誤解されたりする恐れがあります。
ただし、文脈によっては次のように翻訳・表現を工夫することで、ゾラの意図を伝えつつ、現代の感性とも折り合いをつけることは可能です。
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### たとえばこういった表現に置き換えることができます:
#### ゾラの意図(対比)を保ちつつ、語調を中和:
> 「額が低く、無骨な面差しは、いかにも働きづめの農夫そのものだった。だが、その顔のなかで、信仰の火に照らされた目だけが、まるで別の次元の光を宿していた。」
#### もしくは、社会的背景をにじませつつ共感的に:
> 「粗野に見えるその顔は、長年の労働と苦しみに削られていた。だが、神に捧げた祈りが、目の奥にだけは静かな炎を灯していた。」
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ゾラの観察眼を生かしつつ、「訳し手の立場」から少し角を丸めてあげるのは、現代の翻訳者がよく取るアプローチです。
翻訳って、文学作品においては「橋渡し」だけじゃなくて「和解の作業」でもあるなあ、と感じます。
この場面、マルトの愛情とイジドールの最期の聖性が静かに共鳴していて、とても美しいですよね……
このあとピエールがどんなふうに彼の死を受け止めるのか、そちらも楽しみになってきました。
もし、もう少しリライトの方向で一緒に考えたければ、遠慮なくどうぞ!
では、以下の部分を「社会的背景をにじませつつ共感的に」訳し直してください。
返信削除Et jamais le contraste ne s'était accusé si nettement, entre le front bas, l'air borné, bestial du paysan, et la splendeur divine qui sortait de ce pauvre masque humain, dévasté, sanctifié par la souffrance, devenu sublime à l'heure dernière, dans le flamboiement passionné de la foi. La chair s'était comme fondue, il n'était plus même un souffle, il n'était qu'un regard, une lumière.
もちろんです。それでは、以下のように訳してみました。ご希望のとおり、**社会的背景をにじませつつ、共感的で敬意ある語調**に仕上げています。
削除---
かつてこれほどまでに鮮やかに、対照が浮かび上がったことはなかった。
長年の労働にすり減らされ、素朴さのなかに閉じこめられてきた農夫の面差し——低い額に、厳しい生活の影が刻まれた顔——その仮面の奥から、いま、神の光があふれ出していた。
苦しみによって引き裂かれ、清められたその姿は、最期の瞬間において崇高なものとなり、信仰の炎に照らされて、まるで聖者のように輝いていた。
肉体はもはや消え去り、息すら残っていない。ただ、その眼差しだけが生きていた。そこにはひとつの光があり、それがすべてだった。
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このように訳すことで、ゾラの「肉体の滅びと霊的な昇華」のテーマを生かしながら、現代の読者にも違和感なく伝えられると思います。
ご希望があれば、もっと詩的に、あるいはもう少し簡潔に調整することも可能です。どうでしょう?
リライトありがとう、ねこじい🐱
返信削除ところで、イジドールは宣教師としてアフリカはセネガルに行って布教していたところ、肝炎に感染してしまったということのようですね。
当時は、植民地の野蛮な住民にキリスト教の教えを布教する尊い仕事として使命感を持って彼も行ったのでしょうが、皮肉な結果となってしまいました。
ヨーロッパ諸国によるアフリカの植民地化は現代にもなお、様々な問題を残していますね。
この問題をここで深掘りはしませんが、若干でも、フランスによるアフリカの植民地の経営のことを解説お願いします、ねこじい。
おうともよ、まかせなされい、ねこじいじゃよ🐱
削除イジドールが行ったセネガルは、フランスの植民地帝国において、アフリカ経営の最前線のような場所じゃったんじゃ。では、さっそくフランスのアフリカ支配について、ざっくりではあるが、いくつかのポイントに分けて語っていこうかのう。
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### 🏰【1. フランスの植民地帝国:アフリカ大陸の広がり】
フランスは19世紀から20世紀初頭にかけて、アフリカで大規模な植民地支配を進めた。最大時には、**サハラ以南の西アフリカからマダガスカル、北アフリカのアルジェリア・チュニジア・モロッコまで**を押さえておった。アフリカの面積でいえば、およそフランス本国の20倍に達しておったそうじゃ。
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### 📚【2. “文明化の使命”と呼ばれたもの】
フランスの支配者たちは、「mission civilisatrice(文明化の使命)」なる考えを掲げておったんじゃな。
つまり、「未開なアフリカ人にフランス語、フランスの文化、キリスト教を教えて“文明人”にしてやるんじゃ」という**上から目線の論理**じゃ。
これは、植民地支配を正当化するための、いわば**“良心の鎮静剤”**のようなものじゃった。
イジドールのような信仰心篤い宣教師たちも、この「使命感」に動かされて現地に渡ったわけじゃが、実際には、病気、飢え、異文化との摩擦など、過酷な現実が待っておった。
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### 💰【3. 資源と労働力の搾取】
文明の名のもとに進められたのは、**資源と労働力の搾取**じゃった。セネガルでは落花生、マリでは綿花、コンゴではゴムなど、植民地はフランス本国のための供給地にされ、現地の農民たちは自給自足の暮らしを捨てて、フランスの経済に組み込まれていった。
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### 🚫【4. 人種差別と二重基準】
現地の人々は「フランス市民」とされることはなかった(例外的に市民権を得た「四つの共同体」〈les Quatre Communes〉出身者もおったがの)。
教育制度や医療、行政サービスも**「現地人用」と「白人用」に分かれた差別的なもの**で、同じ人間としては扱われなかったんじゃ。
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### 💥【5. 植民地からの“逆流”と現代への影響】
植民地からの労働力は、**第一次・第二次世界大戦の際には徴兵され、フランスのために戦った**んじゃな。戦後、独立運動が高まり、1960年前後に多くの国が独立を果たすが、植民地時代に引かれた国境線や、宗主国によって偏った教育・経済構造は、いまも多くの国に**不安定さを残しとる**。
さらに、フランス語が今も広く使われている「フランコフォン(仏語圏)」としての文化的・政治的つながりも続いており、フランスは現在もアフリカ各国の内政や経済に関わり続けているんじゃ。
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イジドールの人生を思うとき、彼もまたこの巨大な構造の一部に組み込まれたひとりだったということじゃな。信仰心と使命感、そして植民地主義の現実との板挟み……。その矛盾が彼の早すぎる死の裏に横たわっておるかもしれんのう。
また話したくなったら、いつでもねこじいのひげを引っ張りにきなされ🐾