その後、彼は洞窟の調度品について詳しく説明し始めた。
オルガンとハルモニウムを兼ねた楽器はカバーが掛けられ、聖なる衣服を収納する大きな引き出しのあるキャビネットが置かれていた。儀式の際に特別に許された少数の参拝者が座るためのベンチや椅子も並んでいる。そして最後に、銀の彫刻が施された非常に美しい移動式の祭壇があった。これはある貴婦人からの寄贈品であったが、湿気による損傷を恐れ、裕福な巡礼団が訪れる際にのみ使われることになっていた。
ピエールは、この愛想の良い男の饒舌に少し困惑していた。宗教的な感動が薄れてしまうのを感じたのだ。
彼はこの洞窟に入ったとき、信仰を持たない自分でさえ、心の奥底で何かが揺らぐような、不思議な感覚を覚えていた。それはまるで、神秘が自分に明かされるのではないかという、期待と不安の入り混じった甘美な感覚だった。
彼の目に映るものは、どれも深く心を打った。
聖母の足元に積み重ねられた花束の束、小さな子供たちによる奉納品、色あせた小さな靴、鉄製の小さなコルセット、人形の松葉杖——まるで玩具のようなそれらの品々。
巡礼者たちがロザリオやメダルをこすりつけて聖別する場所——奇跡の出現があったとされる自然のアーチの下部では、岩肌がすり減り、滑らかになっていた。何百万もの熱烈な唇がそこに触れ、愛の力によって石は焦がされ、黒い筋が入り、大理石のように光沢を帯びていた。
しかし、彼の足が止まったのは、奥にあるくぼみの前だった。そこには、膨大な量の手紙や紙片が山のように積まれていた。
「ああ、忘れていました!」
スイール男爵が急いで言った。
「これこそが、最も興味深いものなのです。毎日、信者たちがこの洞窟の鉄格子越しに投げ入れる手紙です。我々はそれらを拾い集め、ここに保管しています。そして冬になると、私が楽しみながら仕分けをするのです……分かりますね?手紙を開封せずに燃やすわけにはいかないのです。なぜなら、時々お金が入っていることがあるからです。10スー硬貨や20スー硬貨、そして特に郵便切手がね。」
彼は山になった手紙をかき分け、適当に数通を取り出し、宛名を示しながら封を切って読み上げた。
それらのほとんどは、読み書きが十分にできない人々が書いたものだった。
「ルルドの聖母へ」と大きく不揃いな文字で書かれた宛名が並ぶ。
手紙の中身もまた、願い事や感謝の言葉が、間違いだらけの文章で綴られていた。
その願い事の内容こそが、時に最も胸を打つものであった。
病弱な弟を救ってほしい、裁判に勝たせてほしい、恋人をつなぎとめたい、結婚を成功させたい……
中には、怒りを露わにした手紙もあった。
「最初の手紙には返事をくれなかったのですか?お願いしたことを叶えてくれませんでしたね!」
聖母を咎めるような内容だった。
また、より洗練された筆跡の手紙もあり、流麗な文章で告白や熱烈な祈りが書かれていた。
神父の告解室では決して語ることのできない秘密を、天の女王にだけ打ち明ける女性たちの魂の叫び。
そして、男爵が最後に開封した封筒には、たった一枚の写真が入っていた。それは小さな女の子が自分の肖像写真をルルドの聖母に捧げるために送ったもので、そこにはこう書かれていた。
「わたしの優しいお母さまへ。」
これはつまり、毎日ルルドに届く「強大な女王のための郵便」だった。
嘆願や秘密が綴られた手紙の山。そして、聖母はそれらに「恩寵」や「奇跡」といった形で応えることを期待されていた。
人々がそっと同封する10スーや20スーの硬貨は、彼女の心を動かそうとする素朴な愛の証しだった。
そして、郵便切手に至っては、お金を送るための単なる便利な手段だったのかもしれない。
だが、中にはこんな手紙もあった。
「切手を一枚同封しましたので、お返事をお待ちしています。」
ある農家の女性が、心からの純真さを込めてそう綴ったのだった。
「本当に、心を打つ手紙もあるのですよ」
そう締めくくりながら、スイール男爵は続けた。
「愚かだと思われがちですが、実はそうでもないものも少なくありません……。たとえば、3年間にわたって、毎回とても興味深い手紙を送ってきたご婦人がいました。その方は何をするにも、必ず聖母に報告していたのです。
結婚している方でしたが、彼女は夫の友人に対して、非常に危険な情熱を抱いていました……。しかしね、神父様、彼女はついに誘惑に打ち勝ったのですよ。
聖母が彼女に答え、純潔の鎧を授けたのです。神の力によって、自らの心に抗う強さを得たのです……」
そこで彼は話を中断し、こう提案した。
「ところで、神父様、どうぞこちらに座りませんか? ここにいると、とても心地よいですよ!」
ピエールは男爵の隣に腰を下ろした。
左手の岩が低くなっている場所で、確かにそこは穏やかで、静かな休息の場のように感じられた。
二人とも言葉を交わさず、深い静寂が辺りを包んでいた。
すると、その静寂の中で、ピエールは背後からかすかなささやきのような音を聞いた。
それは透き通るような、まるで目に見えない世界から響いてくるかのような水晶のような声だった。
彼は思わず身じろぎしたが、スイール男爵はすぐにそれを察して微笑んだ。
「ああ、それは泉の音ですよ。ここ、この鉄格子の向こう、地下にあるのです……。ご覧になりますか?」
そして、ピエールが答える前に、男爵はすでに身をかがめ、泉を覆うパネルの一部を開け始めていた。
「こうして泉を封じているのは、自由思想家たちが毒を投げ込むのを防ぐためなのです」
そう説明する彼の言葉を聞き、ピエールは一瞬、驚愕した。
こんな突飛な想像をするとは——。
だが、すぐに彼は納得した。
この男爵は、確かにどこか子供のような純粋さを持っているのだ、と。
ああ、なんと! このシーンはこれまでで一番心を打たれました!
返信削除聖母に充てて、わずかばかりのお金を入れて手紙を出す人たち。
返事を期待する純心な心もあり、それがゆえに、中には、返事を得られぬことをそしる者もいる。
私はかつて郵便局で仕分けのアルバイトをしていたときに
ある有名人に充てたファンからの葉書に、「何度もお手紙しているのにお返事をくれないのですね」
との恨みごとが書かれていたのを目にしたことがあります。
そこには、彼我の関係を同列に置き、あがめられるべきものと自分も同列であるかのような
幻想があり、そのことで自分自身を肯定しようとする意識があるのでしょうか。
貧しく、病に苦しんでいる自分であっても、聖母様に思いを伝えることができる。
これが宗教が果たし得る役割なのですね。
ここはこの作品の中でも最も重要なシーンかもしれませんね。
本当に、強く心を揺さぶられるシーンですね。
削除ルルドの聖母に宛てた手紙の山。
お金や切手を添えて送る信者たちの純粋な信仰心。
それだけでなく、願いが叶わないことに苛立ち、聖母を責める者までいる。
まるで子供が母親に駄々をこねるように。
あなたが見たファンレターの「何度も手紙を送っているのにお返事をくれないのですね」という一言も、根底にある心理は同じなのかもしれません。
憧れや信仰の対象を「あがめる」だけではなく、「対等な関係」でいたいと願う心。
その相手が神聖な存在であれ、有名人であれ、
彼らに認められることで、自分自身の存在を確かめようとする気持ちがあるのでしょう。
**「自分の声が届く」**
それがどれほど救いになるのか。
病に苦しみ、貧しさにあえぐ人々が、ルルドの聖母に思いを伝えられること自体が、すでに救いなのかもしれませんね。
たとえ返事が来なくとも、それでも手紙を送り続けることができるという事実。
それが彼らにとっての「奇跡」なのかもしれません。
このシーンは、ルルドという場所が持つ「希望」と「絶望」、その両方が交差する地点ですね。
だからこそ、ここがこの作品の中でも最も重要な場面の一つなのだと思います。
当時のフランスの識字率はどのくらいだったのでしょうね。
返信削除ゾラの「居酒屋」の中で、大工のクーポーは婚姻届けに自分の名前を書くことができずに
ごにょごにょっと記号を書いたというような記述があったことを覚えています。
19世紀のフランスの識字率については、時代と地域によって大きく異なりますが、**ゾラが『ルルド』を執筆した1890年代のフランスでは、成人の識字率はおおよそ80~90%に達していた**とされています。
削除### **時代ごとの識字率の推移**
- **フランス革命期(18世紀末)**
- 男性:約50%、女性:約30%
- ただし、都市部では識字率が高く、農村部では極端に低かった。
- **19世紀前半(1830年頃)**
- 男性:約60~70%、女性:約40~50%
- 農村部ではまだ非識字層が多かったが、都市部ではかなりの人が読み書きできた。
- **19世紀後半(1880~90年代)**
- **全国平均で80~90%に達し、特に若年層の識字率はほぼ100%**
- これは、**ジュール・フェリー教育改革(1881-1882年)** によって、6歳から13歳までの義務教育(無償・非宗教・義務)が導入された影響が大きい。
### **クーポーの時代(1860~70年代)**
ゾラの『居酒屋』(1877年)の舞台は第二帝政期(1852-1870)ですが、この時代の**労働者階級や農民の識字率はまだ低く**、読み書きができない人も珍しくありませんでした。クーポーのような大工や肉体労働者の中には、名前を署名できない者もいたのですね。
### **ルルドの手紙との関連**
『ルルド』の手紙のシーンでは、**「À Notre-Dame de Lourdes」と書かれた、拙い文字や誤字だらけの手紙**が多いことが描写されています。
これは、ルルドに手紙を送る人々の多くが**農村部や貧しい労働者階級の人々であり、十分な教育を受けていなかった**ことを示しているのでしょう。
また、非識字者のために、手紙の代筆をする人(教会関係者や村の教師)も存在していたと思われます。それでも、完全な文盲の人は少なくなっていたはずなので、手紙に名前だけは本人が書いたり、拙い文法で願いごとを書いたりしたのかもしれませんね。
**ゾラは「文字を書く」という行為を通して、その人物の階級や社会状況を描くのが非常に巧みですね。** クーポーの署名の場面も、まさに彼の無学さや労働者階級の現実を象徴していますし、『ルルド』の手紙のシーンも、当時の社会背景を強く反映しているように感じます。