2025年4月4日金曜日

ルルド 第94回

  ピエールは、母親の涙に心を打たれ、ローズの金色の小さな髪にそっと口づけをすると、そのまま自分まで泣き崩れてしまいそうで、慌てて立ち去った。そしてまっすぐにロザリオ教会へと向かった――まるで、死に打ち勝つ覚悟を固めたかのように。

 彼はすでに昼間にロザリオ教会を見ており、そのときは嫌悪感を覚えたものだった。というのも、この教会は建築家が立地に悩まされ、岩山に追い詰められるようにして、丸く低い造りにせざるを得なかったのだ。大きなドームは四角い柱に支えられており、ビザンティン風の古風な様式を模しているものの、宗教的な感情に乏しく、神秘性や静謐さがまるで感じられない。まるで、真新しい穀物市場のようだった。ドームや大きなガラス扉から差し込む直射の光が、内部を不自然なまでに明るくしていた。

 しかも、装飾はまだ完成しておらず、祭壇の背後にある壁面には彩りもなく、色紙で作ったバラの花や、粗末な奉納物がぽつんと飾られているだけだった。それがさらにこの場所を、どこか通りすがりの待合室のように見せていた。床は石畳で、雨が降ると駅の待合室のように濡れてしまう始末。仮の主祭壇は塗装された木製で、円形の中央ホールには無数のベンチが並び、巡礼者たちがいつでも座れるようになっていた。ロザリオ教会は昼夜を問わず開放されており、まるで神が貧者たちを迎え入れる「馬小屋」のようだった。あの避難所(アブリ)と同じように。

 ピエールが中へ入ると、再びあの「通り抜ける共同市場」のような感覚がよみがえった。しかし、あの過剰な光はもはや壁を満たしておらず、各祭壇に灯されたロウソクの火が、ぼんやりとした影のなかで星のように瞬いていた。夜の12時には、きらびやかな光、歌声、金糸の祭服、揺れる香炉とともに、きわめて荘厳な大ミサが執り行われたばかりだった。その華やかな炎の名残は今や消え去り、教会の周囲に並ぶ15の祭壇には、ミサを捧げるために必要な最低限のロウソクだけが灯されていた。

 12時を過ぎると、すぐにミサが始まり、昼の12時まで休むことなく続けられる。ロザリオ教会だけで、その12時間に約400のミサが行われるのだ。ルルド全体では、50近い祭壇があり、一日で2000回を超えるミサが捧げられる計算になる。司祭の数があまりにも多く、祭壇の順番待ちのために何時間も並ばなければならないことも多かった。

 その夜、ピエールが驚いたのは、薄闇の中で、祭壇の前に司祭たちが列をなし、順番をじっと待っている光景だった。彼らは階段の下に静かに立ち、ミサを奉じている司祭がラテン語の文句を急ぎ足で唱えながら、大きな十字を切るのを見守っていた。疲労はあまりに苛烈で、多くの者が地べたに座り込み、何人かは階段の上でうずくまり、束になって眠っていた。彼らは堂守(ベドー)が起こしてくれるのを当てにしているのだった。

 彼はしばらくのあいだ、逡巡しつつ歩き回った。ほかの司祭たちのように順番を待つべきだろうか? だが、その光景が彼を引きとめた。すべての祭壇で、すべてのミサで、巡礼者の波が押し寄せ、急ぎ足で聖体拝領をしていた。まるで貪るような熱心さだった。聖体容器は絶えず満たされ、また空になり、司祭の手は命のパンを配るので疲れ果てていた。そして彼はあらためて驚いた──彼の知るどの土地よりも、神の血で潤されたこの一角。かくも魂の飛翔が感じられるほど、信仰の熱が立ちのぼる地を、彼はかつて見たことがなかった。それはまるで教会が英雄的だった時代への回帰のようだった──人々が一斉に同じ信仰の風にひれ伏し、その無知ゆえの恐れの中で、すべての幸福を全能の神の手に委ねていた時代。ピエールは、自分が8世紀か9世紀ほど昔に、世界の終わりが近いと信じられていた時代へ連れてこられたような気がした。

 大ミサに出ていた群衆──素朴な人々の群れ、混沌としたその雑踏は、神の御許にいるかのように、教会の長椅子に腰を下ろし続けていた。多くは住む場所さえ持たぬ者たちであった。では、この教会こそが彼らの家ではなかったか? 昼夜を問わず、慰めが待っている避難所ではなかったか?寝る場所もなく、「避難所(アブリ)」にすら入れなかった人々は、ロザリオ聖堂へ入り、やがて長椅子に腰を落ち着け、あるいは石畳の上に身を横たえた。ベッドがある者たちでさえ、この天上の住まいで夢に満ちた一夜を過ごす歓びに酔いしれて、帰ることを忘れていた。夜明けまで、人々の群れとその混ざり合いは驚くべきものだった。長椅子のすべてが埋まり、柱の後ろや隅々にまで眠る人々が点在していた。男も女も子どもも、互いにもたれかかり、隣人の肩に頭を乗せて、無心に呼吸を交わしていた。聖なる集まりの崩壊──それはまるで睡眠に撃たれて倒れたようで、教会は偶然の宿のように変貌し、大きく開け放たれた扉からは美しい8月の夜が流れ込み、闇の中の通行人──善人も悪人も、疲れ果てた者も迷った者も──すべてを受け入れていた。

 そして、あらゆる方角から、周囲15の祭壇のそれぞれで聖体拝領のベルが絶え間なく鳴り響いていた。そしてその雑多な眠り人の群れの中から、絶えず信者の一団が立ち上がっては聖体拝領に向かい、また無名で誰のものでもない群れの中へと戻っていくのだった。その姿は、薄明かりの中で、あたかも慎みのヴェールに包まれたように見えた。

 ピエールは不安そうな面持ちで、こうしたぼんやりとした人々の集まりのあいだを、あてもなくさまよっていた。すると、ある祭壇の階段に腰かけていた老司祭が、彼に手振りで合図した。その司祭はもう2時間もそこで順番を待っていたのだが、いざ自分の番が来ようとしたその瞬間、あまりの衰弱に自分のミサを最後まで務められないと感じ、ピエールに代わってもらいたいと思ったのだった。おそらく、闇の中で苦悩しながら立ち尽くすピエールの姿に心を打たれたのだろう。彼は聖具室の方を指差し、ピエールが祭服と聖杯を持って戻るまで待ち、それから隣の長椅子で深い眠りに落ちた。

 こうしてピエールはミサを捧げた。まるでパリでのように、それは「職業的義務」としてのミサだった。彼は外面的には誠実な信仰を保っているように見えた。だが、熱病のようなこの2日間、前日から身を置いてきたこの激しく異様な環境の中で、心を打つような感動を、魂を震わせるような何かを、彼は何ひとつ感じなかった。

 聖体拝領の瞬間、彼は──神秘の完成にあたり──大いなる激動に打たれることを、天からの恩寵に包まれることを、天が開けて神と対面することを、願い、期待していた。だが、何も起こらなかった。凍りついた彼の心臓は一度も鼓動を高めることなく、彼は最後まで決まった祈りの言葉を口にし、決まった所作を、機械的に、職業的正確さでこなしただけだった。

 どれほど熱意を奮い起こそうとしても、彼の頭にしつこくよぎるのはただ一つ──
「こんなにたくさんのミサがあるのに、聖具室があまりに狭すぎるのでは?」
 司祭服や祭具をどうやって手配しているのか? その疑問が、まるで愚かしいこだわりのように、彼の思考を支配していた。

 そして次の瞬間、ピエールは自分が外に立っていることに気づいた。彼はふたたび夜の中を歩いていた。それは、彼には以前にも増して暗く、無言で、空虚に感じられる夜だった。町は死んだように静まり返っており、明かりはひとつも見えなかった。ただ、彼の耳がもはや聞き分けられなくなっている「ガーヴ川のうなり声」だけが、そこにあった。

 すると突然、あの洞窟が眼前に炎のように浮かび上がった。まるで暗闇を燃やす永遠のかがり火のように──消えることのない愛のように燃え上がっていた。彼は無意識のうちにそこへ戻っていた。おそらくマリーのことを思った心に導かれたのだろう。

 時刻はもうすぐ午前3時。ベンチは次第に空になり、そこに残っていたのは20人ほどの人々──黒くぼやけた影のような者たち、朦朧とした跪拝、夢見るような恍惚の中で、神の恩寵に打たれて昏睡する者たちだった。夜が深まるにつれ、影はより濃くなり、洞窟は夢の奥へと退いていくようだった。

 すべてはこの甘美な疲労の中に沈み、見渡す限りの暗い大地が眠りにつく。そしてその眠りの中に、見えぬ水の声が響き渡る──まるでこの純粋な眠りの呼吸そのものであるかのように。その眠りの中で、聖母マリアがほほえんでいる。全身を白く輝かせ、無数のロウソクに囲まれ、光の後光をまとって。

 そして、そのぼんやりと横たわる女たちの中で、マーズ夫人はなおも跪いていた。両手を組み、頭を垂れ、身を限りなく小さくして。その熱烈な祈りの中で、彼女の姿はまるで溶けてしまったかのようだった。



2 件のコメント:

  1. ロザリオ教会の建物に対する評価は散々だね。そしてそこで行われている流れ作業的ミサ。
    ピエールもやんなっちゃった感じだけど、ひたすらに祈るマーズ夫人の姿に心を打たれるね。

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    1. そうそう、ピエールの疲労感と幻滅ぶりがすごくリアルで、読んでてこちらも「もうやめてあげて…」って思うくらい(笑)。
      ロザリオ教会の描写も、あれだけの信仰の渦の中心にありながら、「小さすぎる聖具室」とか「聖職者の腕の疲労」とか、信仰の背後にある物理的限界と制度疲労がえぐられてて…ゾラ、容赦ない!

      でも、その中で静かに浮かび上がるマーズ夫人の祈りの姿は、ほんとに美しいよね。
      もう“溶け込むような祈り”って感じで、あの騒然とした巡礼の群れの中で彼女だけが、聖と俗のはざまで清らかに灯ってる小さな蝋燭みたいな存在になってる。

      ピエールもたぶん、「この人の信仰には偽物がない」って感じ取ってるんだよね。
      それがあの空虚なミサや、自分の冷え切った心と対照的に見えて、グサッと来る。

      このあとのピエールが、どうやってこの「真空の信仰」みたいな状態を越えていくのか、ちょっと気になるところ。
      マーズ夫人が、一つの指針になっていくのかも…?

      ところで、こういう「ロザリオの夜の風景」、文章だけでもめちゃくちゃ映像的で、映画になったらとても美しいと思わない?
      静かなカメラワークで、ピエールが群衆の中を彷徨って、マーズ夫人の背にゆっくりとフォーカスが合っていくような…。

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