第五章
ピエールは、清らかな空気を求めて歩き出した。頭が重くてたまらず、燃えるような額を冷やそうと帽子を脱いでいた。あの恐ろしい徹夜の疲れにもかかわらず、彼は眠ろうとは思わなかった。というのも、彼の全存在が反逆に打ち震えており、その興奮がまだ冷めやらなかったからだ。
8時の鐘が鳴っていた。彼は気ままに歩いていた。日曜の埃を洗い流したかのような澄み切った空の下、輝かしい朝日が燦然と輝いていた。
しかし突然、彼は不安に駆られて頭を上げ、自分がどこにいるのかを確かめようとした。そして驚いた。もうかなりの距離を歩いており、駅の下にある市立病院の近くまで来ていたのだ。彼は二つに分かれる道の分岐点で立ち止まり、どちらに進もうか迷っていたとき、誰かが友のように肩に手を置いた。
「こんな時間に、どちらへ行くところですか?」
それはシャセーニュ医師だった。黒い服に身を包み、長身の体をまっすぐに立たせていた。
「迷子ですか? それとも道でもお探しですか?」
「いいえ、いえ、ありがとう。迷ってはいません」と、ピエールは戸惑いながら答えた。「昨夜は洞窟で過ごしました。あの大切な若い病人と一緒に。それで、何とも言えない不快感に襲われてしまって……気分を落ち着けるために散歩しているんです。そのあとで、ホテルに戻って少し眠ろうと思っていました」
医師は彼をじっと見つめ続けていた。その眼差しには、彼の心の奥底を見通すような洞察があった。信仰に身を委ねられない絶望、無駄な努力に苦しむ姿が、はっきりと浮かび上がっていた。
「そうか、かわいそうな坊やだ……」と彼はつぶやいた。
そして、まるで父親のように優しく言った。
「それなら、せっかく散歩しているのだから、一緒に歩きませんか? ちょうどこのあたりを下って、ガーヴ川の岸辺まで行こうとしていたところです……来てごらんなさい。帰り道には、素晴らしい眺めが見られると思いますよ」
彼は毎朝こうして、2時間ほど一人で歩いていた。悲しみを抱えたまま歩くのが日課だった。目が覚めるとすぐ、まず墓地に向かい、妻と娘の墓に跪き、季節を問わず花を供える。そして道を歩きながら、涙を携えて戻ってくる。朝食の頃には、疲れ果てているのが常だった。
ピエールは一つの身振りでその申し出を受け入れた。二人は無言のまま、坂道を並んで下っていった。しばらくのあいだ、沈黙が続いた。その朝、医師はいつも以上に疲れた様子で、まるで愛する死者たちと語らってきた直後で心の傷がまた深く開いてしまったかのようだった。白髪に縁取られた蒼白い顔に、鷲のような鼻が下を向き、涙がその眼になおも溢れていた。
それでも、朝の陽射しはなんと心地よく、なんと穏やかで、なんと素晴らしい朝であったことか! 道は今、ガーヴ川の右岸に沿って続いており、その向こうには新市街が広がっていた。庭園や坂道、バジリカの姿が見えた。やがて、洞窟が正面に現れた。そこでは蝋燭の炎が絶えずゆらめいていたが、明るい陽光の中ではその輝きもかすんで見えた。
シャセーニュ医師は頭をそちらに向け、十字を切った。ピエールには最初、それがなぜか分からなかった。けれど、彼もまた洞窟の姿を目にすると、驚きとともに老人を見つめた。そして一昨日と同じような驚きに襲われた――科学者であり、無神論者であり、唯物論者でもあるこの男が、深い悲しみに打ちひしがれた末に信仰を持つようになったという事実に。いまや彼は、涙に暮れた愛する死者たちに再び会えるという唯一の希望のために、信仰にすがって生きていた。心が理性を凌駕し、孤独な老いた男は、「再び出会える天国」という幻想の中だけに生きていたのである。
そしてそのことが、若い司祭ピエールにとっては、さらに大きな動揺を引き起こした。彼もまた、老いて、同じような苦しみを味わったときにしか、信仰の中に逃れる場所を見出すことはできないのだろうか?
彼らはさらに歩みを進め、街から離れ、ガーヴ川に沿って進んだ。川は透き通った水を小石の上で転がしながら流れており、両岸には木々が植えられていた。その清流の音に揺られながら、二人は依然として無言のまま歩き続けた。それぞれが、それぞれの悲しみに沈み込んでいた。
「……それで、ベルナデットのことですが」と、突然ピエールが尋ねた。「会ったことはおありですか?」
医師は額を上げた。
「ベルナデット……ええ、そうだ、ありますとも。ずっと後になってからですが、一度だけ」
彼は再び少しの間、沈黙した。そして語り出した。
「分かるでしょう、1858年――あの出現があった年には、私は30歳で、パリにいました。若い医師で、あらゆる超自然的なものに敵意を抱いていたから、そんな妄想者を見るために山へ戻るなんて、考えもしなかった。でも、五、六年後かな、たしか1864年ごろ、私はこのあたりを通ることがあって、それでベルナデットを訪ねる気になったんです。彼女はまだホスピスにいて、ヌヴェールの修道女たちと暮らしていました」
自分が死ねば先に死んだ愛するものと天国で会うことができる
返信削除という考え方はキリスト教にもあるんでしたっけ。
死後の世界観について主要な宗教についてざっくり教えてください。
もちろんです!「死ねば愛する人と再会できる」という死後の希望は、多くの宗教に共通して見られるテーマです。ただし、その描かれ方や条件、再会の仕方には違いがあります。以下、主要な宗教の死後の世界観をざっくりとまとめてみました:
削除---
### 🌟 キリスト教(特にカトリック・プロテスタント)
- **基本観念**:魂は死後、天国・地獄・煉獄(カトリックのみ)に分かれる。
- **再会について**:天国に行けば、そこにいる家族や愛する者と再会できると信じられている。
- **条件**:神の恩寵を受け、罪を悔い改めて信仰を持つ者は天国へ。
- **ポイント**:
- カトリックでは「煉獄」という一時的な浄化の場もある。
- プロテスタントでは信仰によって救われるという考えが中心。
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### 🕊️ 正教会(東方正教)
- キリスト教の一派だが、煉獄の教義は否定的。
- 死後、魂は神の裁きを受けるが、完全な救済は「最後の審判」で決まる。
- 再会についても、最終的に「神の王国」で可能になるとされる。
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### ☪️ イスラム教
- **基本観念**:魂は死後、墓の中での試練(バルザフ)を経て、最終的に最後の審判を受ける。
- **再会について**:天国(ジャンナ)では、信仰を持ち義を行った者が再会できる。
- **条件**:アッラーを唯一神と信じ、預言者ムハンマドの教えに従うこと。
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### 🕉️ ヒンドゥー教
- **基本観念**:輪廻転生(サンサーラ)。魂は死後、カルマに応じて新たな生へ。
- **再会について**:来世で再会することもあるが、「解脱」(モークシャ)に達すれば輪廻から解放される。
- **ポイント**:死後の世界よりも「いかに輪廻を終わらせるか」が重視される。
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### ☸️ 仏教
- **基本観念**:六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を繰り返す。
- **再会について**:仏教では「個」の永続性は強調されず、来世で再会するとは考えにくいが、一部の大乗仏教では「極楽浄土での再会」という概念もある。
- **目標**:悟り(涅槃)によって輪廻から解脱すること。
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### ✡️ ユダヤ教
- **基本観念**:死後の世界については明確な定義が少ないが、義人は「来るべき世界」(Olam Ha-Ba)で報われるという思想がある。
- **再会について**:再会についての言及は少なく、重視されない。
- **ポイント**:多くの場合、今生での行為や律法の実践が中心。
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### 🌿 まとめ表(ざっくり)
宗教 輪廻 死後の再会の可否| 重要な価値・条件
キリスト教
:一回限り| ◎(天国で) | 信仰、悔い改め、神の恩寵
イスラム教
:一回限り| ◎(ジャンナで) | 信仰、善行、神の慈悲
仏教
: 輪廻 | △(極楽で) | 悟り、執着を捨てること
ヒンドゥー教
:輪廻 | △(輪廻中に) | カルマ、ダルマ、解脱
ユダヤ教
:一回限り| △(Olam Ha-Baで)| 律法の遵守、善行
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現代人にとっては「死後、また会える」という希望がとても強い慰めになるわけですが、宗教によってはそれが副次的なものとして扱われる場合もあるんですね。
もし、「ゾラの描く信仰」や「科学者が信仰に傾く心理」なんかを深掘りしたい場合も、お付き合いしますよ。興味あります?