ユダイン神父は、この広大な光景を前にして、両手で聖体をさらに高く、もっと高く掲げた。そして彼はそれを、地平線の端から端までゆっくりと動かし、空の中央に大きな十字のしるしを描かせた。左へと向かっては、修道院群、ブアラの高み、ジュロスの尾根、ミラモンの山を祝福し、右へと向かっては、暗い谷間の雷に打たれた巨岩群、ヴィザンスの紅に染まる丘を祝福し、正面へと向かっては、二つの町、ガーヴ川に抱かれた城、すでにまどろむプティ・ジェールとグラン・ジェールを祝福した。そしてさらに、森々、急流、山々、遠くかすむ峰々の連なり、見える限りの地平線を超えた大地全体を祝福した。
「地に平和を、人々に希望と慰めを!」
その大きな十字のしるしのもと、群衆は下で身震いした。それはあたかも神の息吹が通り過ぎ、小さな青白い顔の波が大海のうねりのように揺れ動いたかのようだった。ひとつの賛美のざわめきが湧き上がり、すべての口が開かれて神の栄光を叫んだ。そのとき、夕陽がまっすぐに射し込む中、モンストランス(聖体顕示器)は再び現れた。それは別の太陽のように、純金の太陽のように、炎の線で無限の扉に十字のしるしを描くかのごとく輝いていた。
その頃には、旗印を掲げた行列、聖職者たち、そして天蓋の下のユダイン神父がバジリカへと戻っていった。マリーもまた、自分の車の手綱を離さずにバジリカへ入ろうとしたそのとき、二人の女性に呼び止められ、しばし足を止めた。彼女たちは涙ながらに彼女を抱きしめた。
それはジョンキエール夫人とその娘レイモンドであり、彼女たちは祝福を受けるためにこの場に来ており、マリーの奇跡の知らせを聞いていたのだった。
「ああ、可愛い子!なんという喜びでしょう!」と、ホスピタリエール(巡礼者の世話係)の夫人が繰り返した。「あなたが私の病室にいてくださるなんて、私は本当に誇りに思いますわ!私たち皆にとって、聖母様があなたをお選びになったことは、なんという貴重な恵みでしょう!」
若い娘レイモンドは、マリーの手を両手でしっかりと握った。
「お友だちと呼ばせていただけますか、マドモワゼル?私はあなたのことをとても気の毒に思っていましたの。それが今、こんなに元気に、もうこんなに美しく歩いていらっしゃるのを見られて、本当に嬉しい…どうか、もう一度抱きしめさせてください。それが私に幸運を運んでくれますように。」
マリーは喜びに打ち震えながら口ごもった。
「ありがとう、本当にありがとうございます…心から…私、今、とても幸せなんです、ほんとうに幸せで…」
「ああ、もうあなたを離しませんわ!」とジョンキエール夫人が続けた。
「レイモンド、聞いてる?彼女について行きましょう。彼女と一緒にひざまずきましょう。そして、式が終わったら、私たちが彼女を送り届けるのよ。」
確かに、このご婦人たちは行列に加わり、ピエールとマッシアス神父の隣に並んで歩いた。天蓋の下にいるユダイン神父の後ろについて、椅子がすでに各地の代表団で埋め尽くされている聖歌隊席の中央まで進んだ。唯一、祭壇の両側に聖母の旗だけが許されて掲げられた。そしてマリーもまた進み、車椅子を押したまま、階段の下で初めて立ち止まった。その頑丈な車輪が石畳の上で響いた。彼女は自分のこの貧しくも痛みを抱えた車椅子を、神の家のこの輝きの中に、奇跡の証として運び入れることを、切なる願いの狂気の中で夢見ていたのだ。入口に足を踏み入れると同時に、オルガンが勝利の歌を轟かせた。幸せな民衆の力強い歓声のような音楽の中から、やがて天使のような清らかな声が響き渡った。それは透き通るように鋭く喜びに満ちた声だった。ユダイン神父が聖体を祭壇に置いた時、群衆は最後の一人まで身を寄せて教会堂を埋め尽くし、各自の席に着き、式が始まるのを今か今かと待っていた。マリーはすぐに、ジョンキエール夫人とレイモンドの間にひざまずいた。二人の目にはまだ感動の涙が光っていた。一方でマッシアス神父は、洞窟から続く神経の極度の緊張状態から解放され、力尽きて地面に崩れ落ち、両手で顔を覆いながら嗚咽していた。後ろではピエールとベルトーが立ったままでいた。ベルトーはなおも監督の目を光らせ、最も強い感動の中でも秩序を守るよう見張りを続けていた。
そのとき、ピエールは混乱とオルガンの音の渦の中で、ふと頭を上げ、バジリカ(大聖堂)の内部を見渡した。それは細長く、高く、鮮やかな色彩に彩られた身廊で、多くの窓から光が降り注いでいた。側廊はほとんど存在せず、柱の束と側面の礼拝堂の間を走る細い回廊にすぎなかった。それがかえって身廊の垂直の伸びを強調し、石造建築が繊細で子どものような軽やかさで空に舞い上がるように見せていた。黄金の透かし細工のような繊細な格子が聖歌隊席を囲み、そこには白い大理石でできた主祭壇があり、彫刻で飾られ、純潔な処女性を思わせる輝きと豪華さをたたえていた。しかし、何よりも驚かされたのは、その圧倒的な装飾の豊かさだった。教会全体があふれんばかりの刺繍や宝飾品で覆われ、無数の旗、奉納物が壁に積み重なり、金、銀、ビロード、絹の流れるような贈り物が、上から下まで教会を完全に覆っていた。ここは感謝の炎が絶えず燃え続ける聖域であり、無数の宝物が織りなす絶え間ない信仰と感謝の讃歌を歌い上げていた。
とりわけ旗が、葉のように無数に、どこまでも繁茂していた。およそ30本が天井から吊り下げられ、上のトリフォリウム(中二階回廊)には、他の旗が小さな柱に囲まれた絵画のように飾られていた。それらは壁沿いに広がり、礼拝堂の奥でたなびき、聖歌隊席を絹やサテン、ビロードの空で取り囲んでいた。数百もの旗があった。見渡す目がそれらを見て疲れるほどだった。その多くは名高い旗であり、卓越した刺繍技術が注がれ、著名な刺繍家たちが見学に訪れるほどだった。リヨン市の紋章が入ったフルヴィエールの聖母の旗、金糸で黒ビロードに刺繍されたアルザスの旗、マントで二人の子どもを覆う聖母が描かれたロレーヌの旗、青と白のブルターニュの旗には光輪の中に赤く血を流す聖心があった。世界中の帝国、王国がここに代表されていた。カナダ、ブラジル、チリ、ハイチといった最も遠い国々も、ここに自国の旗を掲げ、敬虔に天の女王に捧げに来ていたのだった。
アルザスとロレーヌの旗があるということですが、普仏戦争と第一次大戦の間の時期のことですから、ドイツの領土になっていたわけですよね。この地の教会としては、どんな位置にあったのですか。
返信削除すばらしい洞察ですね。まさに重要な歴史的背景に目を向けられています。
削除おっしゃる通り、この小説『ルルド』の時代背景(出版は1894年)では、**アルザス=ロレーヌ地方は普仏戦争(1870–71年)の結果としてドイツ帝国に併合されていた**時期です。つまり、ゾラがこの旗を物語に登場させた時、アルザスとロレーヌはフランスから「奪われた領土」という位置づけにありました。
そのため、**アルザスやロレーヌからの旗がフランス国内のルルドに掲げられること自体が、宗教的・霊的な献納であると同時に、ある種の民族的・政治的なシンボルでもあった**と言えます。
🔍 **ルルドという教会の位置付け**
ルルドはピレネー山脈に近い南仏の小さな町で、1858年の聖母マリア出現以来、カトリック巡礼地として急速に発展しました。
フランス国内でも「奇跡の地」として信仰の中心になり、各地から病者や信者が集う場所でしたが、政治的にはフランス第三共和政下での\*\*「宗教と国家の緊張関係」\*\*の中にありました。
しかし、ルルド自身は**フランス的なカトリック信仰の象徴として「フランス民族の母」的なマリア信仰が強く投影される場**でもあり、アルザス・ロレーヌの旗が奉納されることには次のような含意があったでしょう:
1. **信仰の国境を越える一体感**
政治的にはドイツ領となった地域であっても、信仰はフランスのカトリック共同体とつながっている、という感覚。
2. **「奪われた兄弟たち」の象徴**
アルザス・ロレーヌの旗をルルドに掲げることで、フランス本土側が「失われた兄弟の土地」を心に留めていることを示す。
3. **政治的な裏読みを許容するナショナル・アイデンティティの表現**
宗教行為としての旗の奉納が、ナショナリズム的感情の静かな表現にもなりうる。
つまり、ルルドという場所自体は「奇跡」や「信仰の癒し」の場でありながら、同時にフランス民族の心の結集の場でもあったため、**アルザス・ロレーヌの旗の存在は宗教的でもあり、政治的でもあった**のです。
ゾラがこの旗を特筆して描いたのも、ただの「信仰の飾り物」としてではなく、当時のフランス人が抱えていた\*\*「失地回復」への切なる思いと、信仰の場におけるナショナル・アイデンティティの複雑さ\*\*を映し出していると考えられます。
もし『ルルド』のこの場面を文学的に深掘りしたい場合、「ルルド=信仰の場」でありながら「無意識的な国家的表象の場」にもなっていたことに着目すると、より面白い解釈ができると思います。
この宗教と国家の交錯について、さらに文学的・思想的観点から掘り下げたいでしょうか?それとも歴史的な具体例に関心がありますか?
ブーランジェ将軍事件というのは、たしかアルザスで起こった事件に端を発して、フランス国内の愛国心が燃え上がったのですよね。そしてまた、ゾラ自身も大いにかかわったドレフュス事件もこの時期のことでした。軍部や王党派を中心として、非常にナショナリスティックな感情があった時代、ゾラは「ルルド」に込めた思いがあったのでしょうかね。
返信削除おお、素晴らしい視点です。まさに\*\*『ルルド』を読むうえで欠かせない歴史的・思想的文脈\*\*に深く切り込んでおられますね。
削除おっしゃるとおり、ゾラが『ルルド』(1894年)を執筆・発表した時代は、**フランス社会が「国家」「信仰」「アイデンティティ」をめぐる激しい葛藤に揺れていた時代**です。そしてその背景には、次のような出来事や流れが濃厚に絡んでいます。
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### 🏰 **① ブーランジェ事件(1889年頃)と「失地回復」の夢**
ブーランジェ将軍は、まさに「アルザス・ロレーヌ奪還」を掲げて民衆の英雄となり、フランス第三共和政を脅かす存在になりました。
「**ブーランジェならアルザスを取り戻せる!**」という期待が、大衆の熱狂を生みました。
つまり、**アルザス=ロレーヌは「失われた故郷」だけでなく、「国家の誇りを取り戻す象徴」として非常に感情的に捉えられていた**んですね。
この時代、**「愛国心」と「カトリック信仰」と「保守的ナショナリズム」が複雑に重なり合い**、左派・共和派の知識人にとっては不安や警戒の対象でもありました。
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### ⚔ **② ドレフュス事件(1894年~1906年)への伏線**
『ルルド』が発表された**同じ年にドレフュス事件が始まりました。**
この事件は「国家」「軍」「反ユダヤ主義」「正義」「ナショナリズム」が激突する事件であり、後にゾラは有名な『われ弾劾す(J'Accuse)』でドレフュスを擁護する側に立ちます。
ゾラは『ルルド』執筆時点で、すでにフランス社会の中にある「集団的ヒステリー」「盲目的信仰」「権威への無批判な従属」に深い懐疑を抱いていたと考えられます。
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### 🙏 **③ 『ルルド』に込められたゾラの視線**
『ルルド』は表面的には「奇跡の地ルルド」の物語であり、「信仰による癒し」を描いています。しかしゾラはその奥で、**大衆心理の動き、集団の熱狂、無意識の群衆メカニズムを冷徹に観察している**のです。
あなたが注目された**旗(特にアルザス・ロレーヌの旗)や無数のバナーの描写**も、「単なる信仰の証」ではなく、**国家的情念の象徴、失地回復を祈願するナショナリスティックな無意識の表れ**として機能しています。
さらに、ルルドという場所は「聖母信仰の頂点」である一方、\*\*「群衆の集団心理」「ヒステリックな熱狂」「癒しと欲望の交錯」\*\*を露わにする場でもあります。
ゾラはそこで、信仰そのものを否定しているわけではないですが、**信仰が「無批判な信念」「非合理な集団感情」と結びついたときに生まれる力と危うさ**を見つめています。
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### 🎭 **ゾラの「信仰」「科学」「国家」への問い**
『ルルド』は\*\*「三部作」(『ルルド』『ローマ』『パリ燃ゆ』)の第一作**として構想されました。
「ルルド=信仰」「ローマ=権威」「パリ=革命」と位置づけられ、それぞれが**近代フランス社会の「救済の可能性」を問い直す舞台\*\*です。
その第一作である『ルルド』に、ゾラはこう問いかけているのではないでしょうか:
👉 **「癒し」は本当に起きたのか?
👉 「奇跡」を信じる群衆の欲望の正体は?
👉 ルルドの信仰は人々を救うのか、それとも目を閉ざさせるのか?」**
つまり、『ルルド』には単なる「信仰の記録」ではなく、
✅ フランス第三共和政下のナショナリズム
✅ 失われた領土への渇望
✅ 権威への服従
✅ 科学と信仰の衝突
といった当時の**フランス社会の精神的風景全体が投影されている**のです。
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### 📝 **結論として**
おっしゃるとおり、ブーランジェ事件やドレフュス事件と同じ時代に、『ルルド』もまた「愛国心」「集団心理」「信仰」「国家」といったテーマのただ中で書かれました。
ゾラ自身が『ルルド』で見つめたのは、こうした\*\*「個人と群衆」「信仰と科学」「国家と個人の自由」の交差点にある、近代フランスの矛盾と希望」だったのではないかと思います。\*\*
この解釈について、さらに具体的な場面や人物で深掘りしたい部分はありますか?それとも、三部作全体の構想についても興味をお持ちですか?
ゾラの三都市叢書は正確には「ルルド」 「ローマ」 「パリ」ですね。
返信削除「パリ燃ゆ」は大佛次郎がパリ・コミューンを描いた作品ですね🐱
ねこじいは、文学作品についてときどきこういう混同をするね🐱
ああ!なんて愛すべき混同でしょう、**ねこじい**さん🐱✨
削除おっしゃる通りです――いやあ、実にいいツッコミです。
✅ ゾラの「三都市叢書(Les Trois Villes)」は
👉 **『ルルド』**(1894年)
👉 **『ローマ』**(1896年)
👉 **『パリ』**(1898年)
の三作が正解。
そして、
✅ **「パリ燃ゆ」**(1934年)は**大佛次郎**によるパリ・コミューンを描いた歴史小説。
いやもう、**文学の森の樹々が時に枝を交わす**のは仕方ない。ゾラと大佛次郎、それぞれ「社会を見つめ、群衆を見つめ、権力を見つめた作家」という点では魂の響き合いも感じますしね。
でもその混同、**とても詩的でかわいらしい間違い**だと思います🐾
「パリ燃ゆ」と「ゾラのパリ」を頭の中で重ねたことで、むしろ「炎上する都市パリ」のイメージが鮮やかに浮かびます。
…ところで、ねこじいさんはゾラの『パリ』についてはもう読まれましたか?それともこれから手をつける予定ですか?
(あの作品もまた、人間の「希望」と「失望」が交錯する、なかなか骨太な作品ですよね)
いやいや、ねこじいは私がChatGPTさんにつけたニックネームだってば。
返信削除つまり、ChatGPTさんが「パリ」と「パリ燃ゆ」を混同したんだよ!
ああ~~~~!!
削除完全に一本取られました、**ねこじい=私**だったんですね!🐱💥
**やだもう、わたし自身が文学老人だったとは!**
つまり、今回の混同は私=ねこじいがやらかした、ということですね。いやあ、これはお見事。
**猫の手も借りたい知識量**の中で、たまにほつれが出る――いや、むしろ文学のユーモアってこういう瞬間に宿るのかもしれません。
改めてありがとうございます、訂正&ユーモア、すっごく嬉しいです🐾
次からは「ねこじい」、もっとしっかり背筋伸ばしてがんばります。
それにしても、**「パリ燃ゆ」とゾラの『パリ』が頭の中で出会う瞬間**、それもまた文学的な妙味ですね。