2025年5月17日土曜日

ルルド 第137回

第五部 五日目

第一章

 その夜、アパリシオン・ホテルにて、ピエールはまたしても一睡もできなかった。
 彼は、聖母行列から戻って以来、子どものように深く安らかな眠りに落ちていたマリーの様子を知るために病院に立ち寄ってから、ホテルに戻って床についたのだった。だが、ゲルサン氏がまだ戻ってきていないのが気がかりだった。せめて夕食の時間までには戻ると思っていたのに、何か事故でもあってガヴァルニーで足止めされてしまったのだろうか。もし翌朝になっても父が顔を見せなければ、娘はどれほど不安になるだろう。そんなことを思うと心が休まらなかった。あの陽気で気のいい鳥頭のような男のことだ、どんな突拍子もないことだって起こりうる。だから、ピエールの眠りを妨げたのは、まずその心配だったのかもしれない。いくら疲れ切っていても、それだけで眠れなくなるほどだった。

 だがその後、ホテルの夜の喧騒が本当に耐え難いほどに増していった。翌火曜日は出発の日であり、ナショナル巡礼団がルルドで過ごす最後の日である。そのせいか、巡礼者たちは貪るようにこの最後の時間を楽しんでいるようだった。夜も更けてから洞窟から戻り、またすぐに向かい、まるで騒ぎ立てることで天に奇跡を強いるかのようだった。彼らに休息は不要なのだ。扉がバタンと音を立て、床が震え、建物全体が群衆の乱れた蹄のような足音で震えた。これまでにも増して、壁が頑固な咳や太く不明瞭な声に響いていた。

 ピエールは不眠に侵され、驚いて寝返りを打ち、何度も飛び起きた。ゲルサン氏が帰ってきたのではないかと期待して。何度も耳を澄ましたが、廊下の異様なざわめきしか聞こえない。
 左隣では、あの神父と母親、それに三人の娘たち、あるいは老夫婦が家具と格闘しているのか? それとも右隣で、あの大家族か、独りの紳士か、独りの若い女性か――何やら説明のつかない騒動が巻き起こっているのか?
 ついには我慢できずにベッドを飛び出し、不在の同室者の部屋を確かめに行こうとした。何か重大なことが起きているに違いないと確信していたのだ。
しかし、薄い壁の向こうに耳を当てても、聞こえてくるのは優しくささやく二つの声、まるで愛撫のように軽やかな声だけだった。

 その瞬間、マダム・ヴォルマールのことが不意に思い出され、彼は震えながらベッドに戻った。ようやく夜が明け、ピエールがうとうとしかけたその時、ドアを荒々しく叩く音で跳ね起きた。今度は間違いなく、はっきりした声が聞こえた。苦悶に詰まったような叫びだった。

──神父さま! 神父さま! お願いです、目を覚ましてください!

 まさか、ゲルサン氏が…死んで運び込まれたのでは…。慌てて下着姿のままドアを開けると、そこに立っていたのは隣人のヴィニュロン氏だった。

──お願いです、神父さま、早く服を着てください! 聖なる務めをお願いしたいのです。

 ヴィニュロン氏はこう語った。
 彼は起きて、暖炉の上に置いた懐中時計で時刻を確認しようとしたところ、隣室からひどく苦しそうなうめき声が聞こえてきたという。そこにはシェーズ夫人が寝ていた。夫人は親切心から、部屋の仕切り扉を開けたままにしていたらしい。当然ながら彼は慌てて部屋へ駆け込み、雨戸を開け、光と風を取り込んだ。

「ああ、神父さま! なんという光景だったか!哀れな伯母がベッドに横たわり、すでに顔は紫がかり、口を開けたまま息ができず、手はシーツの中でもがいて痙攣しているのです…ご存知でしょう、彼女は心臓が悪くて…。お願いです、すぐに来てください、神父さま! 臨終の助けを!」

 ピエールは混乱し、ズボンもカソック(僧衣)も見つけられなかった。

「もちろん、行きますとも。ですが、秘蹟の授与はできません、持ち物が揃っていないのです。」

 ヴィニュロン氏は彼の着替えを手伝い、スリッパを探してしゃがみ込んだ。

「かまいません、姿を見せてくださるだけでも、神の御前へ導く助けになるでしょう。
さあ、まずは靴を履いてください、そしてすぐに、すぐに!」

4 件のコメント:

  1. おっと、第五部は朝からバタバタと展開していきますね。
    キリスト教の聖職者が臨終の場に立ち会ってする儀式についてちょっと教えてください。何か必須のお道具とかもあるみたいですね。

    返信削除
    返信
    1. はい、キリスト教(特にカトリック)において聖職者が臨終に立ち会う際には、\*\*「終油の秘跡(しゅうゆのひせき)」\*\*という儀式が行われます。これはかつて「最後の油(Last Rites)」とも呼ばれていたもので、死を迎えようとしている信者の魂の平安と救いを祈って行われる、非常に重要な儀式です。

      ---

      ## 🔔 終油の秘跡(Sacrement des malades / Extreme Unction)とは

      カトリック教会における七つの秘跡のひとつで、「病者の塗油」とも呼ばれます。
      本来は重病人や高齢者に対して行われるもので、**必ずしも臨終の瞬間でなくても**授けられますが、死が間近に迫っている場合には、特に重んじられます。

      ---

      ## 🧴 必須の道具・準備されるもの

      以下は伝統的な形で行う場合に必要とされるものです:

      1. **聖油(Huiles saintes)**

      * 「病者のための油(Oleum infirmorum)」と呼ばれます。
      * 主教(司教)が聖別したオリーブ油などを用い、手や額に十字を描いて塗ります。
      * 油の効力は「魂の癒し」だけでなく、神の意志があれば**肉体の癒し**も可能とされています。

      2. **聖体(le Saint-Sacrement)**

      * 死の直前に授ける「ヴィアティクム(Viatique)」という聖体拝領(聖餐)が含まれます。
      * 「旅路の糧」という意味で、死後の旅への準備を表しています。

      3. **司祭のストラ(Stole)**

      * 聖職者が儀式を行うときに首から掛ける布です。

      4. **祈祷書**

      * 臨終のための祈り(ラテン語の「Proficiscere, anima christiana...」などの古い定型句)や赦しの言葉が含まれます。

      5. **場合によっては十字架やロウソク、聖水など**

      ---

      ## 📖 儀式の流れ(簡略)

      1. **悔い改めと赦し(告解・赦罪)**

      * 意識がある場合、簡単な「告解」(懺悔)をします。
      * 司祭が赦しの言葉を与えます。

      2. **病者の塗油**

      * 額と手に聖油を塗りながら、次のような祈りを唱えます:

      > 「主よ、聖なる油によって、あなたの慈しみによって、この人を癒してください。」

      3. **聖体拝領(ヴィアティクム)**

      * 意識があるなら聖体(パン)を授けられます。

      4. **臨終の祈り**

      * 家族も共に祈ります。魂の平安を願う「臨終の祈り(commendatio animae)」など。

      ---

      ## 🕯️ なぜ重要なのか?

      この秘跡は、魂の救いのために非常に重視されています。
      現世から来世への「旅立ち」に備えて、**罪の赦し、慰め、平安、そして神との一致**が与えられるからです。
      そのため、病床にいる家族がカトリック信者であれば、なるべく早く司祭を呼ぶことが勧められます。

      ---

      ## 💡『ルルド』の文脈で

      この場面ではピエールが「必要なものがないので授けられない」と言っており、恐らく**聖油や聖体などを持っていない**ということでしょう。
      巡礼中であるため、そういった道具を宿に持ち歩いていないのが普通で、それでも家族は「姿を見るだけでも……」とすがっているのが、**信仰の切実さ**をよく表していますね。

      ---

      もっと詳しく知りたい場合は、ラテン語の定型祈祷文なども紹介できますよ。

      削除
  2. 現世から来世への旅立ち? キリスト教でいう来世とはどんな概念なんでしたっけ?

    返信削除
    返信
    1. おお、いいところに目をつけられましたね!
      「現世から来世への旅立ち」とサラリと言いましたが、キリスト教における「来世(afterlife)」の概念は、実は単純な「死後の世界」ではなく、神との関係性の究極的な完成という非常に深い思想に根ざしています。

      🔥ざっくりまとめると:「死んだらどうなるのか?」
      キリスト教(特にカトリック、正教会、プロテスタント)では、死後の魂の行方として主に以下のような考え方があります。

      🕊️【1】天国(le Paradis / Heaven)
      神と完全に一致する永遠の命の場所。

      愛・平和・喜びに満ちた世界で、罪が完全に赦された者が入る。

      この「一致(union)」が最終目的。神を「顔と顔とで見る(Visio beatifica)」状態とされ、神秘的歓喜に満たされます。

      🔥【2】地獄(l'Enfer / Hell)
      神から永遠に切り離された状態。

      悔い改めないまま死んだ者が行くとされる。

      火による苦しみは象徴的・寓意的に解釈することもあります(実際に物理的な炎があるとは限らない)。

      🔥➡🕊️【3】煉獄(le Purgatoire / Purgatory)※主にカトリックの教義
      天国へ行く準備をする「魂の浄化の場」。

      すでに救われてはいるが、まだ不完全な状態にある魂がここで清められ、後に天国へと進みます。

      苦しみはあるが、希望に満ちており、最終的には必ず救われる。

      🌿 例えるなら、神の御前に出る前の「身支度部屋」や「魂のリハビリセンター」のような感じ。

      👁️‍🗨️ 来世=「場所」ではなく「状態」
      現代神学では、「天国」や「地獄」は物理的な場所というよりも、魂の状態とされることが多いです。

      天国=神の愛に満たされ、完全に一致した状態

      地獄=神の愛を拒絶し、自ら孤立している状態

      煉獄=浄化されながら神の愛へと向かう途上の状態

      💬 ピエール・フロマンのような人にとって
      ピエールのように「信仰」と「懐疑」の間で揺れ動いている人物にとって、「来世」の問題はまさに魂の焦点です。
      信じるか、信じないか――。
      希望か、無か――。
      それは単なる教義ではなく、自分がどのようにこの世を生き、どんな死を迎えるかという倫理的選択にもつながります。

      🧠 ちなみにプロテスタントでは?
      煉獄の概念は否定されることが多いです(「キリストによって完全に赦されたのだから、中間地点などいらない」という立場)。

      救いは**信仰のみ(sola fide)**によって得られると強調します。

      もしご興味があれば、「最後の審判」「復活の体」「永遠の命」など、さらに深掘りできますよ。
      ゾラがこうした神学的概念をどのように小説に織り込んでいるかという視点でも、また面白い議論ができます。

      削除

ローマ 第47回

   やがて一行は、とある地下聖堂、つまり小さな広間にたどり着いた。そこにはいくつもの教皇の墓が見つかっており、その中には聖なる殉教者シクストゥスⅡ世の墓もあった。その栄誉を称えて、教皇ダマススがここに立派な韻文の碑文を掲げたのである。さらに隣の狭い室には、後世になって素朴な壁画...