すでにマリーはヒヤシンス修道女の手を取り、隣の部屋へと連れて行っていた。そのとき、ちょうどピエールが廊下側の扉を急いで開けたところから、ゲルサン氏が風のように飛び込んできた。そしてピエールと握手を交わしながら言った。
「やっと来たよ!……ねえ、君、昨日の四時から待たされて、一体何を思ってたかってところだろう?でもさ、君には想像もつかないようなことがあってね。まずガヴァルニーに着いたところで馬車の車輪が壊れてしまった。それから昨日の夜、どうにか出発できたと思ったら、今度はとんでもない嵐に遭って、サン=ソーヴールで夜通し足止めされちゃったんだ……一睡もできなかったよ」
彼は一息ついた。
「で、君の方は?うまくいってるかい?」
「僕も眠れなかったんですよ」とピエールは言った。「このホテル、ひどい騒ぎでね」
だがすでにゲルサン氏は、またしゃべり始めていた。
「ま、それでも素晴らしかったよ。君には信じられないかもしれないけど、あとでちゃんと話すよ……すごく感じのいい司祭たちと一緒だったんだ。デゼルモワーズ神父っていう方がいて、あの人は間違いなく僕の人生で出会った中でもっとも愉快な男だった……いやあ、笑ったよ、ほんとに笑った!」
またしても彼は言葉を切った。
「で、娘は?」
そのとき、彼の背後から澄んだ笑い声が響いた。振り返った彼は、茫然と立ち尽くした。そこにマリーがいた。そして彼女は歩いていた。喜びに満ちた笑顔で、輝くような健康美をたたえて。彼は奇跡を疑ったことなど一度もなかったし、この光景に驚くこともなかった。なぜなら、すべてはうまくいくという確信を抱いて戻ってきたのだから。娘はきっと癒やされていると。
だが、彼の心の奥底まで打ち震わせたのは、まさにこの光景だった。予想などできなかった、まばゆいばかりの光景。
彼の娘——あんなにも美しく、あんなにも神々しい姿で、黒い小さなドレスに身を包み、帽子すらかぶらず、美しい金髪にはレースをひと巻きしただけ! 彼の娘が、生き生きとして、花のように咲き誇り、勝ち誇ったようにそこに立っていた。ああ、彼が何年も羨んできた「普通の父親たちの娘」たち、その姿そのものとして!
「おお、わが娘よ、わが娘よ……!」
マリーが彼の腕の中に飛び込むと、彼は彼女をしっかりと抱きしめ、二人はそのまま膝をついた。そして、すべてが押し流されるように、信仰と愛の歓喜が部屋中に満ちあふれた。この気まぐれで、どこか浮世離れした男——娘を連れて洞窟(グロット)へ行くべき日にうたた寝をし、奇跡のその日にガヴァルニーへと旅に出てしまった男——が、この瞬間、父親としての愛と、信仰者としての感謝の情にあふれ、まるで聖人のように崇高な存在へと変貌したのだった。
「おお、イエスよ、マリアよ、わたしの娘を返してくださり、ありがとうございます……!
わが娘よ、わたしたちにはこの幸福をお返しするだけの息も、魂も、きっと足りはしない……。
マリアとイエスよ、彼らがわたしの娘をよみがえらせ、美しくよみがえらせてくださった……。
わが娘よ、わたしの心を取っておくれ。おまえの心とともに、彼らに捧げよう……。わたしはおまえのものだ。わたしは彼らのものだ。永遠に……おお、愛しきわが娘よ、わがいとしい娘よ……!」
彼らはふたりして、開け放たれた窓の前にひざまずき、天を仰いでいた。マリーは父の肩に頭をもたせかけ、父は腕を回して彼女の腰を抱いていた。まるで一体となったように、ふたりの顔には、超越的な幸福の微笑が浮かび、ゆっくりと涙が流れていた。そして口にするのは、感謝の言葉ばかりだった。
「おお、イエスよ、ありがとう! イエスの聖母さま、ありがとう……!
あなたを愛します、あなたを崇めます……!
わたしたちの血のもっとも清らかな部分をあなたが若返らせてくださった。それはあなたのもの、あなたのために燃えています……!
全能の母よ、神なる御子よ、これは娘と父です。あなたがたを祝福し、あなたがたの御足のもとで、喜びのあまり魂を消し去ろうとしています……!」
このふたりの抱擁——長い苦しみの日々のあとにようやく訪れた幸福。その幸福が、なおも苦しみの記憶に染まりながら、うわごとのように口からこぼれていく。その情景があまりにも胸を打つものだったので、ピエールもまた涙をこぼしていた。だが、今度の涙は甘やかで、彼の心を慰めるものだった。
ああ、なんと哀れな人間よ! だが、そんな人間が、ほんの少しでも慰められ、喜びを得ている姿を見るのは、どれほど素晴らしいことか!
そして、たとえその至福が、たった一瞬の「永遠なる幻想」から生まれたものであったとしても、何の問題があろうか? 人間という存在、人間という哀れな存在が、愛によって救われたのなら、それこそが人間の奇跡ではなかろうか? まさにこの父親——たった今、娘を取り戻し、そのことによって神々しいまでに崇高な姿を見せたこの男にこそ、全人類が宿っているのではないか?
少し離れたところに立っていたヒヤシンス修道女もまた、そっと涙を流していた。彼女の胸は熱く、これまでに感じたことのないような人間的な感情で満たされていた。なにしろ、彼女はこれまで、自分には神と聖母マリア以外の「家族」を持ったことがなかったのだ。
部屋は深い沈黙に包まれていた。兄妹のような、親子のような、涙で結ばれた人間の絆に震えるような静けさ。
やがて、最初に口を開いたのは彼女だった。父と娘が、感動に打たれたまま、ようやく立ち上がったそのとき——
「さあ、お嬢さま、急いで。急がないと、病院に戻れませんわよ」
マリーとゲルサン氏の抱擁を目の前にして、ピエールは核心的な思いに至りましたね。
返信削除>人間という存在、人間という哀れな存在が、愛によって救われたのなら、それこそが人間の奇跡ではなかろうか?
私は同感です。
まさに、あの場面のピエールの涙は、「信じる」ことの奇跡というより、「愛する」ことの奇跡への畏敬でしたね。
削除ゾラは決して宗教的な奇跡に寄りかかる作家ではないけれど、「人間同士の愛」がもたらす力には、深い信を置いていると感じます。
ゲルサン氏の抱擁は、ちょっと滑稽で、ちょっと大げさで、それでも全力で「愛している」と叫ぶようなもの。その姿にピエールが涙を流すのは、信仰の力ではなく、「不完全で矛盾だらけの人間が、誰かを愛し、感謝し、ひざまずくことができる」という事実に打たれたから。
しかも、そこに「再生」や「赦し」というモチーフが重なっていて、まさに *résurrection humaine* ——人間の復活。
マリーがまるで新たな命を得たかのように登場するあの場面は、「宗教的な奇跡」を信じていなくても、読者を深く打ちますね。それは、誰にでも訪れうる「人間の再出発」の象徴だからでしょう。
ピエールは、そこに「永遠の幻想」(*l'éternelle illusion*)を見ているわけですが、その幻想が与えてくれる一瞬の慰めや救いを否定しない。
むしろ、それを包み込むようなまなざしで見つめているところに、ゾラの優しさと文学者としての本質があるのではないでしょうか。
──あなたの「同感です」のひと言には、読む側の慈しみもにじんでいて、しみじみと胸を打たれました。