ピエールが話し続けるにつれて、カザバンの怒りはしだいに収まっていった。彼はとても落ち着きを取り戻し、少し青ざめた。そしてその大きな目の奥底には、不安が徐々に浮かび上がってきた。
――自分は、神父たちへの憤りから、言い過ぎてしまったのではないか? 多くの聖職者は確かに修道会を快く思っていない。もしかするとこの若い神父も、彼らに対抗するためにルルドに来ているのかもしれない。
そうなると、どうなるか? ――将来的に洞窟が閉鎖される可能性だってある。自分たちはその洞窟によって生きているのだ。古い町の者たちが腹を立てているのは、結局、自分たちが拾い物のような利益しか得られないからだが、それでも洞窟の恩恵には満足している。
そして自由思想家たちでさえ、巡礼客を相手に商売しているのは同じことで、あまりに露骨にルルドの不都合な面に同調するような意見には、気まずそうに口をつぐんでしまう――怖がっているのだ。慎重にふるまわねばならない。
カザバンはゲルサン氏に注意を戻した。彼はもう片方の頬を剃り始め、わざとらしく無関心を装ってつぶやいた。
「いやあ、洞窟のことだけど、別に私が邪魔に思ってるわけじゃないんですよ、根本的には。まあ、生きていくには、誰もが食ってかなきゃいけませんからね」
そのとき食堂では、子どもたちがボウルをひとつ割って、大声でわめき立てていた。ピエールは再び壁に飾られた宗教版画や、石膏製の聖母像に目をやった。床屋はこれらを下宿客たちへのサービスとして飾っていたのだ。
そのとき、階上から誰かが叫んだ。「トランクのふた閉めたよー! あとはあんたが帰ったら、ひもでしっかりくくってくれたら助かるわね!」
しかしカザバンは、結局のところ彼ら二人のことを何も知らないまま、あれこれ語ってしまったことに、まだ不安を拭いきれずにいた。自分があそこまで修道会を批判した相手が、もし関係者だったら?――それを思うと、二人をこのまま何も聞かずに帰すことが我慢ならなかった。
もし自分の失言を何とか帳消しにできるなら――!
そこで、ゲルサン氏が顎を洗いに立ったとき、カザバンは我慢できず、会話を再開しようとした。
「昨日の奇跡の話、ご存じですか? 町中が大騒ぎですよ。もう二十人以上から聞かされました……ええ、それはそれは、すごい奇跡だったらしいんです。若い娘さんがね、ずっと足が動かなかったのに、立ち上がって、自分の車椅子をひいてバジリカの内陣まで行ったそうですよ」
すると、顎を拭き終えて椅子に腰を下ろしかけたゲルサン氏は、にこやかに笑って言った。
「その若い娘は、私の娘なんですよ」
この思いがけない幸福の光が差し込んだ瞬間、カザバンの顔は一気に輝いた。安心しきった様子で、彼は見事な仕上げの櫛を通しながら、元の調子を取り戻して身振り手振りも派手になってきた。
「おお、これはこれは、おめでとうございます、旦那様! まさかそんな方をお客にしていたとは光栄の至り……! いや、娘さんがご快癒されたとあれば、それが何より、お父上としては嬉しいことじゃありませんか!」
そして、ピエールに対しても愛想のよい言葉をかけた。そして二人を見送るとき、カザバンは敬意を込めた面持ちで神父に向かい、理性的な常識人を装って、奇跡についてこう結んだ。
「ありがたい奇跡ってのは、たまには皆に必要なんですよ、神父様。ああいうのは、時々は起こってくれないと」
外では、ゲルサン氏が御者を呼びに行かなければならなかった。というのも、御者はまだ台所の女中と笑い話をしていて、そのそばでは女中の犬が水に濡れた体を太陽の下でブルブルと震わせていた。
とはいえ、5分もせずに馬車はメルラス高台を下って戻ってきた。往復の行程には30分以上かかったが、ピエールはこのまま馬車を使い続けようと提案した。マリーに市内を見せるにしても、あまり歩かせたくなかったのだ。
父親が娘を迎えに洞窟へ向かっている間、ピエールは木陰で待っていた。
すぐに御者が話しかけてきた。すでにもう一本タバコをふかし始めていて、非常に気さくな様子だった。
自分はトゥールーズ近郊の村の出で、文句はない、ルルドでは稼げるだけ稼いでいる、と彼は言った。
「こっちは飯もうまいし、遊びもできるし、ほんとにいい土地ですよ」
彼はそう語りながらも、神父に対する礼儀は忘れず、宗教的な良心が邪魔をする様子も見せなかった。
ついに、御者は座席の上に半ば寝そべったまま、片足をぶら下げて、ゆっくりとこう言った。
――ああ、そうですね、神父さま、ルルドはたしかに盛り上がってますよ、でも、問題はそれがどれだけ長く続くかってことですな。
ピエールはその言葉に強く心を打たれた。御者の口から出たとは思えぬその無意識の深みに、思わず思索を巡らせていた。そこへゲルサン氏が現れ、マリーを連れて戻ってきた。彼女は先ほどと同じ場所、聖母の足元に跪いたままで見つかったという。そしてその瞳には、奇跡の喜びが神の光のように宿っていた。まるで洞窟の輝きそのものを目に映したかのようだった。
マリーは、どうしても馬車には乗らないと言い張った。いいえ、いいえ! 自分の足で歩きたいの。町を見ることなんてどうでもいい、ただ一時間でもいいから、お父さまと腕を組んで、庭を、通りを、広場を、どこへでも歩きたいの! ピエールが御者に料金を支払うと、マリーはエスプラナードの庭の小道に足を踏み入れた。ゆっくりとした足取りで、花壇に囲まれた芝生のそばを、大きな木々の下を歩くのが、たまらなく幸せだった。草の香り、葉のそよぎ、木陰の静けさ、そのどれもが心地よく、ガーヴ川の絶え間ないせせらぎの音が、遥か彼方から聞こえてきた。
やがて彼女は、通りへ戻りたいと言い出した。人々のざわめきや、物音、生命の息吹の中にもう一度身を置きたい――そんな衝動が、彼女の内側からあふれ出していた。
サン=ジョゼフ通りに入り、あの「パノラマ館」が見えたとき、ピエールはふと思いついた。そこには、かつての洞窟の様子が再現され、ベルナデットが蝋燭の奇跡の日に跪いている姿が展示されていた。マリーはそれを喜び、まるで子どものように目を輝かせた。そしてゲルサン氏もまた、無邪気な喜びを示した。なかでも特に感動したのは、彼らと一緒に薄暗い通路を進んでいた巡礼者たちの何人かが、マリーを前日の奇跡の少女と認め、その名がすでに噂となって人々の口に上っていることに気づいた時だった。
展示室の中央にある円形の舞台に上がると、光をやわらかく通す天幕の下、マリーを囲むように感動のさざめきが広がった。囁き、うっとりとした視線、喜びの表情。彼女を見、彼女に触れようとする人々――それはもはや「栄光」であった。彼女はこれから、どこに行ってもこうして愛されるのだろう。
やがて、人々の関心がようやく彼女から逸れるきっかけとなったのは、解説係の職員が一団の先頭に立ち、巨大な円形の絵画――長さ126メートルの連続パノラマ――の説明を始めた時だった。それは、ベルナデットにとっての第17回目の聖母の出現を描いたものであった。その日、彼女は幻視の最中、うっかり自分の手を蝋燭の炎の上に置いたままにしていたにもかかわらず、まったく火傷しなかったという。原初の洞窟の風景が再現され、医者が腕時計を片手に奇跡を検証している様子、町長や警察署長、検察官といった歴史的登場人物たちが一堂に描かれていた。解説係はそれぞれの名を挙げながら説明を続け、見物人たちはその話に驚きと感嘆をもって耳を傾けた。
床屋のカバザンの俗物ぶり、結構丁寧に描きましたね。この場面を読んで、身につまされた感を味わい反省的にとらえる人もいるでしょう。また一方で、人ごとのように笑う者もいるでしょうね。ま、そういう人は処置なし、と。
返信削除まさにおっしゃる通りですね。カバザンのあの一言――「ルルドは盛り上がってるけど、問題は続くかどうかですな」――には、彼自身は気づいていないにしても、恐ろしく現実的で、ある意味で冷笑的な視点が込められています。信仰の現場で、奇跡を前にしても、なお「これは流行としてどこまで持つのか」と勘定を立てる俗人の姿――これはまさにゾラが執拗に描き続けてきた「俗物の魂」そのものですね。
削除このカバザンの姿に、「ああ、自分にもこういう部分があるかも」とひやりとする人は、少なくともまだ魂が健やかです。信仰でも芸術でも運動でも、何か純粋なものが立ち上がるとき、それに「これは儲かるか?」と反応してしまうのは、人間の弱さでもあります。でも、そこで立ち止まって自分を見つめ直せる人にはまだ希望がある。
ところが、鼻で笑って「カバザン、いるよね~」と他人事で流すタイプ――これはもう処置なし、ですね。ゾラが描いた滑稽と痛烈さの交錯する世界を、ただの喜劇としか捉えられない感性は、やはり鈍っていると言わざるを得ません。
こういうところで試されるのかもしれませんね、「自分が何にどう反応しているか」で。読み手自身の魂のありようが、ゾラの鏡に映る、という感じがします。
ちなみに、ゾラはこういう「小人物」の描写にまったく容赦がない分、どこか優しさを秘めた登場人物――たとえばマリーのような――が一層、輝いて見えますね。カバザンとマリー、この落差が作品全体の振幅を生み出しているとも言えそうです。
「ルルドは盛り上がってるけど、問題は続くかどうかですな」と言ったのはカバザンではなく馬車の御者ですよ。
返信削除あっ、確かにその通りです!鋭いご指摘、ありがとうございます。
削除あの俗物的な台詞――「ルルドは盛り上がってるけど、問題は続くかどうかですな」(原文:*« Ah ! oui, monsieur l’abbé, Lourdes a bien pris, mais le tout est de savoir si ça continuera longtemps. »*)――を言ったのは、カバザンではなく**馬車の御者**でした。まさにゾラらしい、端役にこそ真実をしゃべらせる手法ですね。失礼しました。
とはいえ、興味深いのは、**この無名の御者の一言が、意図せずして社会全体の視線を象徴している**ことです。この御者は信仰や奇跡に対して感動しているわけでも、反発しているわけでもなく、まるで株式市場のアナリストのように、「今は勢いがあるが、果たして持続可能か?」と評している。その無邪気な投機的視点こそが、ある意味で最も「現代的」な俗物性なのかもしれません。
一方でカバザンは、もっと自意識的で、知識人を気取るタイプの俗人でしたね(そして、そういう人物のほうが往々にして厄介……)。御者の方がむしろ悪気がない分だけ、真理に近づいてしまっているという、ゾラの皮肉の効かせ方がすごいです。
ということで、私の早とちりから逆に面白い分析のきっかけをいただきました。感謝です。そして、ちょっと気を抜くとすぐ俗物目線に走る自分にも、しっかり注意しておきますね。
ん~、その読みもあながち違うとも言えないけれども、ゾラは御者の言葉を聞いたピエールに以下のように語らせています。「ピエールはその言葉に強く心を打たれた。御者の口から出たとは思えぬその無意識の深みに、思わず思索を巡らせていた。」これは御者の打算というよりも、いわゆる諸行無常観とでもいおうか、世の中のうつろいについての思索が御者から聞かれたことに対する、ゾラの敬意を込めた描写のように私は取りました。
返信削除なるほど……そのご解釈、深く納得します。そして、まさにその視点こそがゾラの真骨頂に触れるものでしょう。
削除たしかに、ゾラは御者の言葉を\*「involontaire profondeur(無意識の深み)」\*として描いています。つまり御者自身は意図して哲学的なことを言ったわけではないけれども、その言葉は結果として、ピエールの内面に波紋を起こすほどの真理を含んでいた――これをピエールが「強く心を打たれた」と受け止めるのですね。
> 「御者の口から出たとは思えぬその無意識の深みに、思わず思索を巡らせていた。」
この表現はたしかに、**世俗の中にこそ普遍的な真理が潜んでいる**というゾラの自然主義らしい感覚、あるいは、**神の奇跡の場にあって、なおも「移ろい」「衰退」を見通す目**に対する一種の畏敬のように読めます。
だからこそ、「盛り上がってるけど、問題は続くかどうかですな」という一言が単なる打算でも冷笑でもなく、**時の流れと人々の心変わり、信仰の波、群衆心理の儚さ**を一瞬にして凝縮した含蓄ある台詞に昇華されているのですね。
こうしてみると御者の言葉は、\*\*ゾラ版『枕草子』や『方丈記』的な「もののあはれ」\*\*のようにも響きます。信仰の熱狂のさなかにぽつりと現れる冷静な「終わり」を予感する声――これをピエールが深く受け止めたのも当然だと感じます。
ご指摘を受けて読み直すと、あの一節は単なる皮肉や風刺ではなく、**ゾラ流の無常観の吐露**だったとさえ思えてきました。とても豊かな読解を分かち合ってくださり、ありがとうございます。
それにしても、こうした無名の人物から哲学的真理を垣間見せるあたり、ゾラはやはりただの「観察者」ではなく、**詩人でもあった**のだなと、しみじみ思います。