2025年6月16日月曜日

ルルド 第167回

  しばしのあいだ、ふたりは口を閉ざした。信仰の深淵が自分たちの間に横たわっているのを痛切に感じながら、残酷な悲しみに沈んでいた。彼らがこれ以上、互いに近づくことはもうないだろう――それがもはや決定的であることに、そしてその距離を埋められないことに、絶望していた。天すらも、ふたりの絆を結び直すことを拒んだのだ。彼らは並んで座り、別れの涙を流していた。

「わたし……」と、彼女は苦しげに言葉を継いだ。「あんなにあなたの回心を祈っていたのに……あんなに幸せだったのに……! あなたの魂が、わたしの魂に溶け込んでいくように感じて……いっしょに救われたことが、あんなにも甘美だったのに! わたし、生きる力を感じていたの、ええ、世界を持ち上げられるくらいの力を!」

 彼は何も言わなかった。涙だけが、絶えることなく流れ続けていた。

「なのに……」と彼女は続けた。「癒やされたのは、わたしひとり……この大いなる恵みを、あなた抜きで受けたなんて! こんなにも見捨てられて、こんなにも絶望しているあなたを見ていると、胸が張り裂けそうになるの……わたしは、恵みと喜びで満ちているというのに……ああ、聖母さまはなんて厳しいの! なぜ、わたしの体を癒やすと同時に、あなたの魂を癒してくださらなかったの?」

 それは最後の機会だった――彼は語るべきだった。この無垢な少女に、理性の光をもたらすべきだった。奇跡の正体を語り、真実を分かち合ってこそ、人生は癒しのわざを完成させ、ふたりを結びつける勝利の時を迎えたはずなのだ。

 彼もまた、癒されていた。いまや理性は健やかであり、彼の涙は信仰を失ったことへのものではない。彼が喪ったのは、彼女自身だったのだ――そのことにこそ、彼は泣いていた。

 だが、その大きな悲しみの中で、彼の心を満たしたのは、どうしようもない哀れみだった。
 いいや、違う。彼はこの魂を乱すまい。信仰を奪いはすまい――この世の苦しみの中で、もしかしたらいつか、彼女の唯一の支えとなるかもしれぬ信仰を。子どもや女に、理性の苛烈な英雄主義を求めることはできぬのだ。彼にはその勇気がなかった。それどころか、自分にはその権利さえないのだと感じていた。それはまるで、彼にとっては暴力であり、残酷な殺人に思えた。

 そして彼は語らなかった。よりいっそう熱い涙を流しながら、愛を捧げるように沈黙を守った。彼女の無垢さを守るため、彼女の幸福を壊さぬため――自らの幸福を、絶望のうちに犠牲にして。

「……ああ、マリー、僕はなんて不幸なんだ!」
「この道の上にだって、監獄にだって、これほどまでに不幸な者はいない……! ああ、マリー、君が知らないだけで……僕がどんなに不幸か、君に分かってもらえたなら……!」

 マリーは呆然とし、震える腕で彼を抱きしめ、兄妹のように慰めようとした。その瞬間、女としての直感が目覚め、すべてを悟った。そして彼女もまた泣き出した。人間の意志、神の意志――それらがふたりを引き裂いていることに気づいたからだった。

 これまで彼女は、そんなことなど考えたこともなかった。だが、いま突然、人生が――情熱と闘争と苦しみに満ちた人生が、目の前にひらけたのだった。

 彼の傷ついた心を少しでも慰めたいと、彼女は何か言葉を探し、声にならぬほどのかすれた声で、悲しみに震えながら、やっとこうささやいた。

「……わかってる、わかってるの……」

 やがて、彼女は答えを見つけた。そして、それはまるで天使たちにしか聞かれてはならぬ秘密のように思えたのか、そわそわと気にして、車内を見回した。けれども、そこにはさらに深く眠りが降りていたようだった。父はまだ眠っていた、大きな子どものような無垢さのままで。巡礼者たちも、病人たちも、激しく揺れるこの列車に身を任せたまま、誰ひとり動いていなかった。ヒヤシンス修道女でさえ、圧し掛かるような疲労に屈して、ついにまぶたを閉じていた。彼女もまた、自分の席のランプにスクリーンを引いていた。そこにはもはや、曖昧な影ばかりで、無名の物体の中にぼんやりと身体が埋もれ、ただ嵐のような風が吹き抜け、狂おしく駆ける闇の奥へ、限りなく遠くへと押し流されていく一群があるだけだった。

 マリーは、車窓の外を走り去ってゆく漆黒の田園風景にも、警戒心を抱いた。その見知らぬ景色は、左右から列車を呑みこみつつ、何の森を、何の川を、どんな丘を通り過ぎているのかさえ分からぬまま、ひたすら続いていた。つい先ほど、一瞬だけ火花のような明かりが現れた――もしかすると、どこか遠くの鍛冶場の火、あるいは働く者や病める者の、物悲しい灯りだったかもしれない。だが、すぐにまた、深い夜が押し寄せてきた。それは名もなき、暗く、無限の海であり、自分たちはただそのなかを、ますます遠く、どこでもなく、どこまでも運ばれているようだった。

 するとマリーは、羞じらうように頬を紅潮させながら涙のなかで、そっとピエールの耳元に唇を寄せて囁いた。

「聞いてください、ピエール……わたしと聖母のあいだには、大きな秘密があるのです。それは誰にも話さぬと誓ったこと……でも、あなたはあまりに不幸で、苦しんでいるから……聖母様もきっとお許しくださる。だから、お話しします」

 そして、吐息のような声で続けた。

「あの夜のこと……そう、洞窟の前で過ごした、あの燃えるような恍惚の夜に、わたし、聖母様に誓ったのです。もし癒してくださったら、わたしの処女性をささげると……。そして、本当に癒された今——わたし、二度と結婚はしません。いいですか、ピエール? わたしは、決して誰とも結婚しません」

 ああ、それはまさに思いがけない甘美な慰めだった。傷つききった彼の心に、露のようにやさしく降りそそいだ。神聖な魅力がそこにあり、言いようもない救いがあった。彼女が他の誰のものにもならないなら、それはつまり、どこかで彼のものであり続けるということだ。彼の痛みを、彼女は完全に理解していたのだ。そして、それを癒すために何を言えばよいかも。生き続ける希望さえ、そこにあった。

 ピエールは、彼女に応えたかった。感謝の言葉を伝えたかった。彼女にも、自分は永遠に彼女のものだと、少年のころから彼女をどれほど愛してきたか、言いたかった。かつて交わしたたった一度の接吻が、彼の生涯にどれほど芳香を残したかを語りたかった。けれどもマリーは、それをさえぎった。すでに心配していたのだ、この清らかな一瞬を壊してしまうことを。

「だめ、だめよ、ピエール。これ以上はだめ。きっと、それはよくないこと……。わたし、すごく疲れているから。今なら、安心して眠れそう」

 そして、彼女はそのまま、ピエールの肩に頭をもたせかけ、すぐに眠りに落ちた。信頼しきった妹のように。彼はしばらく目を閉じずにいた。ふたりで味わった、あの「諦めの幸福」のなかに佇みながら。
  これで、すべては終わったのだ。犠牲は果たされたのだ。彼はこれから独りで生きていく。ほかの人々の人生の外に。女を知ることは決してない。彼から生まれる命は、決して存在しない。
 彼に残されたのは、ただ慰めとしての誇りだけだった。この意志して受け入れた自己犠牲のなかに——自然を逸脱した、悲愴な存在のなかで。

2025年6月15日日曜日

ルルド 第166回

  そして再び沈黙が訪れたあと、彼(ピエール)がとても感動して黙ったままでいると、彼女が口を開いた。

「むかしはね、まだそんなに苦しんでいなかったころ、けっこう上手に細密画を描けたのよ。覚えてる? パパの肖像画を描いたでしょ、とてもよく似てるって、みんなが褒めてくれた… あなた、手伝ってくれるわよね? 肖像の資料を探してくれるでしょう?」

 そして彼女は、自分がこれから送る新しい生活について語りはじめた。部屋を飾りたいのだという。最初の貯金で、青い小花模様のクレトンヌ(厚手の綿布)を張ってね。ブランシュが、大型百貨店ではなんでも安く買えるって教えてくれたの。ブランシュと一緒に出かけて、少し走ったりできたら、それはもう楽しいでしょうね。だって私、何も知らないのよ。何も見たことがないの。子どものころからずっと寝たきりだったから。

 ピエールは一瞬心が静まったかに見えたが、再び苦しみが押し寄せた。彼女の中に燃えるような「生きたい」という渇望を感じてしまったからだ。なんでも見たい、知りたい、味わいたいという情熱。そのすべてが彼の胸を締めつけた。

 それはまさに、彼がかつて子ども時代の中に感じ取り、密かに愛していたあの「これから目覚める女性」の姿だった。陽気さと情熱に満ちた、可愛い存在。花のような唇、星のような目、ミルクのように白い肌、黄金の髪。存在することの喜びに満ちあふれた、あの輝ける少女。

「ああ! 私、働くわ、いっぱい働く! それにね、あなたの言う通り、楽しまなきゃ。だって、楽しくあることは悪いことじゃないでしょう?」

「いや、いや、マリー。もちろんそんなことはないよ」

「日曜日には田舎に行くの。とっても遠くまで、森の中の美しい木々のあるところまでね… それから、お芝居にも行けるかもしれない、パパが連れてってくれたら。聞いたのよ、たくさんのお芝居が見られるって。でもまあ、それだけじゃなくてね。外に出て、通りを歩いて、いろんなものを見るだけで、私、どんなに幸せになるか…きっとウキウキして帰ってくるわ! だって、生きるってほんとうに素晴らしいことでしょう、ピエール?」

「うん、うん、マリー、とっても素晴らしいことだよ」

 そのとき、ピエールは死のような冷たさに包まれていた。もう男ではなくなってしまったという悔しさに、彼の魂はあえいでいた。なぜ、彼女がこんなにも無邪気に、そして痛ましいほど魅力的に彼を誘っているというのに、彼は自分を焼き尽くすような真実を打ち明けないのだろう?
 彼は彼女を奪いたかった。彼女を自分のものにしたかった。かつてないほど苦しい葛藤が、彼の心と意志の中でせめぎ合った。取り返しのつかない言葉を口にしそうになった瞬間もあった。だが、すでにマリーは、またあの少女のような明るい声で言い出した。

「まあ、見てよ、あのかわいそうなパパ、なんて幸せそうにぐっすり寝てるのかしら!」

 確かに、向かいのベンチでは、ゲルサン氏がまるで自分のベッドにでもいるかのような幸福そうな顔で眠っていた。絶え間ない揺れに、まるで気づいていないかのようだった。この揺れ、単調な上下動は、今や列車全体を包み込む子守唄のようになっていた。完全な脱力、荷物の乱雑な山の中に、身体ごとくずおれて、まるでそれらも一緒に眠り込んでいるかのように。ランプの煤けた光の中で、車両はまるで昏睡状態に沈んでいた。車輪の規則的な響きだけが、夜の闇の中を走り続ける列車とともに、途切れることなく響いていた。時おり、駅や橋の下を通ると、走行中の風が吹き込み、突然、嵐のような一瞬の風圧が車内を駆け抜ける。しかしまたすぐに、子守唄のような同じ響きが果てしなく続いていく。

 マリーはそっとピエールの手を取った。彼らは、ほとんど見失われたように、全身の力を抜いて眠る人々の中で、ふたりきりのように感じていた。夜の闇を突き抜けて進む列車の中で、轟音に包まれた静けさのなかに。彼女の青い大きな目には、これまで隠されていた悲しみが戻ってきていた。

「ねえ、ピエール。これからも、たびたびご一緒してくれるわよね?」

 彼女の小さな手が彼の手を握りしめたとき、ピエールはびくっとした。彼の心は喉元までこみあげていた。もう、話す決心をしかけていた。しかし彼はまたも思いとどまり、口ごもりながら言った。

「マリー、僕はいつも自由ってわけじゃないんだ。司祭は、どこへでも行けるわけじゃないから」

「司祭……そうね、司祭……わかってる、わかってるわ」

 そして今度は彼女が話しはじめた。出発以来、彼女の心を押し潰していた死のような秘密を告白しはじめたのだった。彼女はさらに身を寄せて、より低い声で言った。

「聞いて、ピエール……私、とても、とても悲しいの。嬉しそうにしてたけど、心の中には死があるのよ……あなた、昨日、私に嘘をついたわ」

 ピエールはうろたえ、最初は何のことかわからなかった。

「僕が君に嘘を? どうして?」

 彼女はためらっていた。彼の良心の深みに踏み込むことを前にして、どこか恥じる気持ちが彼女を引きとめていた。しかし、友として、姉妹として語った。

「ええ、あなたは、私と一緒に救われたって、そう信じさせてくれたけど……それは本当じゃなかった、ピエール。あなたは失った信仰を取り戻していなかったのよ」

 神よ、彼女は知っていたのだ! それは彼にとって、絶望のどん底のような、完全なる破局であり、もはや自分の苦悩すら忘れさせるほどだった。最初、彼はあくまでも兄妹愛の嘘を貫こうとした。

「でも、信じてくれ、マリー! そんなひどい考え、どこから出てきたんだ?」

「お願い、黙って……ね、お願いよ。あなたがさらに嘘を重ねたら、私は耐えられない……わかってしまったのよ。あの駅で、出発の時、不幸なあの人が亡くなったとき……ユダイン神父が跪いて、あの人の魂のために祈っていた。でも、あなたは跪かなかった。祈りの言葉があなたの口からは出なかった……そのとき、すべてを感じたの。すべてを理解したのよ」

「マリー、本当に、僕は……」

「違うの、あなたは祈らなかった、もう信じていないのよ……それに、もっと他にもあるの。私には感じられるの、あなたの絶望が、あなたの目の憂いが……私を見るたびに、あなたの目が沈んでしまう……聖母さまは私の願いを聞き届けてくださらなかった。あなたの信仰は戻らなかったの。私は、とても、とても悲しいわ!」

 彼女は泣いていた。一粒の熱い涙が、彼女が握りしめている神父の手に落ちた。それが彼を圧倒した。彼はもう抵抗しなかった。彼も涙を流しはじめ、ついに打ち明けた。とても低い声で、言葉を詰まらせながら、こう言った。

「マリー……僕も、本当に、とても、とても、悲しいんだよ……」

2025年6月14日土曜日

ルルド 第165回

  ピエールは、マリーとふたりきりになったように感じた。マリーは、横になろうとはしなかった。「もう十分に長いこと、七年も寝ていたのだから」と言った。そしてピエールは、ボルドー以来、子どものように深く眠りこけているゲルサン氏に少しでも楽をさせようと、彼女のそばに座りに来ていた。ランプの明かりがまぶしいと彼女が言うので、ピエールはその灯に覆いをかけた。ふたりは影の中に包まれた。透き通った、限りなくやさしい影の中に。

 そのとき、列車は平野を走っていたに違いない。夜をすべるように進んでいた。終わりのない飛行のように、巨大で規則正しい羽音のような轟音を響かせながら。彼らが少し開けた窓からは、田園の中からやってくる、格別にすがすがしい空気が入ってきた。黒々とした田畑。底知れぬ闇。村の灯さえ見えない、何もない広がり。一瞬、ピエールは彼女の方を振り向いた。彼女は目を閉じていた。けれど眠っているのではないと、彼にはわかった。雷鳴のような列車の轟音の中、全速力で闇を突き抜けていくその静けさのなかで、彼女は深く安らぎを味わっていたのだ。そしてピエールも彼女にならい、まぶたを閉じ、長い夢想に身をゆだねた。

 再びよみがえる過去。ヌイイの小さな家。咲き乱れる生け垣のそば、木漏れ日の下で交わした、あのひとつのキス。なんと遠くまで来てしまったことか。けれどその一瞬の香りが、彼の人生すべてに染みついていた。その後には、あの苦い日があった。彼が神父になった日。彼女が女であることを諦めたのと引き換えに、自分も男であることをやめた。それが彼らふたりの永遠の不幸のはじまりだった。皮肉にも、自然は彼女を再び、妻へと、そして母へと作り変えてしまおうとしていたのだ。

 せめて信仰を保っていたなら、永遠の慰めがそこにあったはずだった。だが彼は、信仰を取り戻すためにすべてを尽くしてきた——ルルドへの巡礼、洞窟の前での祈り、マリーが奇跡的に癒やされれば、自分も信じることができるかもしれないという、一瞬の希望……
 だが、あの治癒が、科学的に説明のつくかたちで訪れたとき——すべては、無残に、取り返しのつかないかたちで崩れ落ちた。

 そしてまた、あの純粋で痛ましい愛の物語——涙に濡れた彼らの長い優しさの歴史が、次々に脳裏に浮かんできた。
 マリーもまた、彼の悲しみを悟っていた。彼の回心の奇跡を天に願うためにルルドに来たのだ。あのローソクの行列のとき——バラの香りの漂う闇の中で、木々の下にふたりきりでいたとき、ふたりは互いのために祈りを捧げ合った。互いに溶け合うように、互いの幸福を熱く願って。洞窟の前でも、マリーは聖母に願った——「私のことなど構わないから、彼を救ってください」と。もし神の子から一つしか恩寵が得られないのであれば、自分ではなく彼に、と。

 そしてマリーが癒されたとき、彼女は我を忘れていた。愛と感謝に打ち震え、車椅子のまま坂道をバジリカ聖堂へと押し流されながら、彼女は自分の願いが叶ったと信じて叫んでいた。
「一緒に救われたのね! 私たち、ふたり一緒に!」

――ああ、その嘘、その慈しみの嘘。そのときから彼女を欺き続けている、この幻想の重みが、彼の心をどれほど圧し潰していることか! それは、彼が自らの墓穴にかぶせた重たい石。生きながらにして封じ込められた、墓の石だった。

 彼は思い出していた。あの地底聖堂で、死にかけたような発作に襲われた夜を。泣き叫び、最初は激しく逆らい、自分だけのものにしたいという激しい欲望が噴き出して……
彼女は自分のものだという確信。男としての情熱の奔流。だがやがてそのすべては、涙の奔流の中に沈んでいった。そして彼は、マリーの聖なる幻想を壊さないため、兄妹のような憐れみから、その偽りを貫くという英雄的な誓いを立てたのだった。

……そして今、彼はその誓いの中で、静かに、確かに、息絶えつつあった。

 ピエールは夢想の中で身震いした。この誓いを、果たしてずっと守り通す力が自分にあるのだろうか?駅で彼女を待っていたとき、自分の心に芽生えていたものは何だったのか。過剰に愛されすぎたこのルルドを後にして、どこか遠くへ行けば、彼女が再び自分のもとに戻ってくるかもしれない――そんな漠然とした希望と、嫉妬まじりの焦りだったのではなかったか?
 もし自分が司祭でなければ、彼女と結婚していただろう。なんという歓喜、なんという愛すべき幸福な人生だろう、彼女にすべてを捧げ、彼女のすべてを手にし、やがて生まれてくる愛しい子に自分たちの命を託して生きる…。ほんとうの意味で「神聖」なのは、そうした生の充足、創造に満ちた人生そのものなのではないか。彼の夢はどんどん膨らんでいった――彼は結婚し、歓喜に満たされた。なぜこの夢が叶わぬのか? 彼女はまるで十歳の少女のように何も知らない、だからこそ自分が導けばいい。彼女の魂を、自分の手で作り直せばいい。彼女が聖母マリアに与えられたと思っているその治癒も、本当は唯一無二の母、すなわち、冷静で揺るがぬ「自然」から来たものなのだと、やがて彼女も理解するはずだ。

 だが、そうやってすべてを理路整然と構築していくほどに、彼の胸の奥底ではある種の「神聖な恐怖」がふつふつと湧き上がってきた。それは彼の宗教教育の根底から、彼の内部を這い上がってくるものだった。――神よ! 彼女に与えたいと思っているこの人間的な幸福が、はたして彼女のいまの聖なる無垢、子どものような素朴さに、勝るものなのだろうか? もし彼女が幸福になれなかったら、いつか自分を責めるのではないか? そして、もし自分が聖職を捨て、奇跡の癒やしを得たばかりの彼女と結婚することになれば、それは彼女の信仰を打ち砕くような、取り返しのつかない冒涜にならないだろうか?

けれど、そう、まさにそこにこそ「勇気」があるのではないか? そこにこそ「理性」が、「人生」が、「真の男」と「真の女」があるのではないか? ――この大いなる結びつきにこそ。なのに、なぜだ、神よ! なぜ自分にはそれができないのか? 夢はたちまち痛ましい悲しみに曇り、彼にはもはや、自らの哀れな心の痛みしか感じられなくなった。

 列車は依然として、あの巨大な羽ばたきのような音を響かせながら走り続けていた。車内のほとんどの人は眠りに落ちていたが、まだ目を覚ましているのはヒヤシンス修道女だけだった。
 そのとき、マリーがそっとピエールの方に身を寄せ、静かに言った。

「不思議ね、ピエール……眠くてたまらないのに、どうしても眠れないの」

 そして、かすかに笑って続けた。

「頭の中が、パリでいっぱいなの」

「パリ?」とピエールが聞き返す。

「そうなの、パリが待ってるって思うと……もうすぐ戻るのね……ああ、何も知らないこのパリで、私、生きていかなきゃいけないのよ!」

 それを聞いたピエールの胸は、締めつけられるような痛みで満たされた。やはりそうだ、彼は予感していた。彼女はもう自分のものではない。彼女は他人のものになる。ルルドが彼女を彼に返したとしても、パリが彼女を奪っていく。

 彼は想像した。まだ世間を知らぬこの純真な魂が、やがて「女」としての教育を自然と受けていくさまを。病気によって人生から引き離され、小説すら読んだことのなかった無垢な心――だが今、その心は自由を得て飛び立とうとしている。彼は目に浮かべた。元気になった笑顔の娘が、街を駆け回り、世界を見つめ、学び、そしていつか、彼女を完全に「目覚めさせる」夫と出会うのだと。

「じゃあ……パリで楽しいことでも考えてるの?」と彼は尋ねた。

「私? まあ、なんてこと言うの……そんなお金ないじゃないの!」

 彼女は少し笑って続けた。

「実はね、ブランシュ姉さんのことを考えてたの。私、パリで何ができるかな、少しでも彼女の負担を減らせるようにって。あの人、本当に優しくて、一生懸命働いてくれてるから……私、もう彼女一人に稼がせたくないの」

2025年6月13日金曜日

ルルド 第164回

  彼女はあわてて立ち上がった。しかし、ヒヤシンス修道女のほうが素早く身をひるがえしていた。そして、ひどい咳の発作に襲われてベンチに倒れこむグリヴォットを、その腕の中に受け止めた。哀れな彼女は5分間、息も絶え絶えに咳き込み、激しい発作に体を揺さぶられ、その細い身体がきしむようだった。やがて、赤い筋が流れ出し、彼女は喉の奥から血を吐き出した。

「まあ、なんてこと……また始まったわ!」
 ジョンキエール夫人は絶望的な声で繰り返した。
「やっぱりね、どうも落ち着かないと思っていたのよ……なんだか変だったもの。――待ってて、そばに座るわ」

 だが、修道女はそれを制した。

「いいえ、だめです、奥様。少しお休みになってください。私が看ますから……
奥様はご経験がないのですから、このままではお身体を壊してしまいます」

 そして彼女はその場に腰を下ろし、グリヴォットの頭を自分の肩に抱き寄せ、血に濡れた唇をやさしくぬぐった。やがて発作は治まったが、彼女の虚脱はあまりにも激しく、かろうじてうわごとのように呟くのがやっとだった。

「……ああ、大したことないの、大丈夫……
わたし、治ったの、治ったのよ、完全に、治ったの……!」

 ピエールは打ちのめされていた。この雷に打たれたような再発が、車内の空気を凍りつかせた。何人かが身を起こし、恐怖に目を見開いた。だが皆、すぐにまた席に沈みこみ、誰ひとり口を開かず、誰も身動きしなかった。

 ピエールは、この娘が示した驚くべき医学的なケースについて思いを巡らせた。あちらでは体力が回復し、食欲も旺盛で、長い距離を元気に歩き、顔には輝きが戻り、四肢は踊るようだった。
 それがいま、血を吐き、咳きこみ、顔色は死の影に覆われ、病が容赦なく戻ってきた――勝ち誇ったかのように。これは、ある種の神経症をともなった特異な結核なのか?
 あるいは、まったく別の病――診断のすれ違いの中で静かにその役目を果たしている、未知の病気なのだろうか?
 ここからが、無知と誤診の海、人間の科学がなおももがき苦しむ闇の領域なのだ。

 彼の脳裏には、シャセーニュ医師が肩をすくめて見せた、あの軽蔑のしぐさがよみがえった。
 そして同時に、ボナミー医師が見せた、あの落ち着いた静かな態度――奇跡を否定される証拠など誰も持っていないという確信。その一方で、彼自身も奇跡を証明できるわけではなかったのに。

「……でも、こわくないの……」
 グリヴォットはまだ呟いていた。
「みんなが言ってくれたのよ、あっちで……
 わたし、治ったの、ほんとうに治ったの、完全に……!」

 列車は暗黒の夜の中を走り続けていた。各自が思い思いに寝る準備を整え、少しでも快適に休めるよう身を横たえていた。ヴァンサン夫人には無理やり横になってもらい、枕も与えられて、その痛む可哀そうな頭を休めることができるようにした。子どものように素直になり、呆然とした様子で、まるで悪夢の中にいるようなまどろみの中で、彼女の目を閉じた顔には大粒の涙が静かに流れ続けていた。

 エリーズ・ルケもまた、ひとりでベンチを占有できたので、そこに横たわろうとしていた。しかし、顔は相変わらず手鏡に向けられたまま、就寝前の身だしなみを念入りに整えていた。頭には傷を隠すために使っていた黒いスカーフを結び直し、「この姿は美しいかしら」と、腫れの引いた唇の様子を見つめていた。

 そして、再びピエールは驚かされた――あの癒えかけた傷、あるいはすでに癒えたと言っていいほどの傷に。もはや見るに耐えなかった怪物のような顔が、いまでは恐怖を感じずに見られるようになっている。再び不確実性の海が広がりはじめる。あれは本当にループス(皮膚狼瘡)だったのか? あるいは、未知の種類の潰瘍、ヒステリー由来のものだったのか? それとも、栄養不良によって引き起こされた一部のループスが、強い精神的衝撃によって改善される場合もあるというべきか? もしそうでないなら、これは奇跡だった。あるいは……3週間後、3か月後、あるいは三年後に、グリヴォットの肺病のように再発する可能性があるのではないか。

 夜の10時頃、ラモットを出た時点で、車内全体が眠気に包まれていた。グリヴォットの頭を膝に乗せていたヒヤシンス修道女は、立ち上がることができなかった。そして、車輪の轟音にかき消されそうな軽い声で、形式的にこう言った。

「静かに、静かに、お静かにね、みなさん!」

 しかし隣のコンパートメントの奥から、何かががさごそと動いている音が続いており、それが彼女の神経を逆なでした。そしてついには理解した。

「ソフィー、どうしてベンチを蹴っ飛ばしているの? もう寝なさいな、子どもでしょう?」

「蹴ってるんじゃないの、修道女さま。靴の下で鍵が転がってたの。」

「鍵ですって? ちょっと、渡してちょうだい。」

 彼女は鍵を調べた。とても古びた、みすぼらしい鍵だった。使い古されて黒ずみ、細くなり、光るほどに磨耗しており、輪の部分は溶接の痕があり、傷跡が残っていた。みな自分のポケットを探ったが、鍵を失くした者はいなかった。

「隅っこで見つけたのよ」とソフィーが続けた。「あの男のものじゃないかしら?」

「どの男のこと?」と修道女が訊いた。

「だから、ここで亡くなった男の人。」

 ああ、彼のことはもう忘れられていた。ヒヤシンス修道女は思い出した――そうそう、きっとあの男のものに違いない。というのも、彼の額を拭っていた時、何かが落ちる音を確かに聞いたのだった。そして彼女はその鍵をひっくり返して見つめた――みすぼらしく、哀れで、もう何の役にも立たない鍵。世界のどこか、知られざる錠前を二度と開けることのない鍵。しばらくの間、その哀れな小さな鉄片を、あの男の残した唯一の遺品として、慈悲の気持ちからポケットにしまおうとした。しかしすぐに、信仰心から、「この世の物に執着すべきではない」という思いが浮かび、半分開けた窓からその鍵を夜の闇に投げ捨てた。

「ソフィー、もう遊んじゃだめよ。寝なさいね。さあ、さあ、みんな、お静かに!」

 そして、ボルドーでの短い停車の後――夜の11時半ごろになって、ようやく車内には本格的な眠りが戻り、全体を圧倒した。ジョンキエール夫人はもう我慢できず、壁の板に頭をもたれかけ、疲労の中にも幸福そうな顔で眠っていた。サバティエ夫妻も同様に、静かに、息を殺して眠っていた。そして、ソフィー・クトーとエリーズ・ルケが向かい合ってベンチに横たわっている隣のコンパートメントからも、物音ひとつ聞こえなかった。

 時折、ヴァンサン夫人の口から、呻くようなうめき声や、苦しみに満ちた夢の中の叫びが漏れ聞こえることがあった。眠りながらも、悪夢にうなされていたのだ。こうして、列車の振動に揺られながら、ほとんどの乗客たちが横たわり、無防備に眠っていた。四肢はだらりと垂れ、頭はがくんと落ち、車内に揺らめく淡いランプの光に照らされていた。

 奥の十人の女性巡礼たちが眠るコンパートメントでは、若い者も老いた者も、無残に口を開けたまま、讃美歌を歌い終えた直後のような姿で、まるで雷に打たれたかのように眠りに落ちていた。そして、そこから立ちのぼってくるのは――五日間にもわたる狂おしい希望、無限の陶酔、そのすべてに押しつぶされた哀れな人々への、深い哀れみであった。明日には、彼らは再び、過酷な現実という名の世界へと目を覚ますことになるのだ。

2025年6月12日木曜日

ルルド 第163回

  彼の目には大粒の涙がふたつ、ぽろりと浮かんだ。それは、おそらく耐えがたい苦悩の時であったのだろう。しかし彼は、頑なな忍耐を湛えた四角い大きな顎をもつ頭を上げて言った。

「これでルルドは7年目になりますが……聖母様は、今年も私の願いを聞いてはくださいませんでした。それでも、私は来年もまた行きますよ。ひょっとしたら、今度こそ、耳を傾けてくださるかもしれないですからね。」

 彼には、反抗の念がなかった。ピエールは話しながら、その粘り強い信仰心に驚かずにはいられなかった。知的な教養を持つこの男の頭脳に、それでもなおしぶとく根を張り続けるこの信仰とは、いったい何なのだろう? 癒やされたいという熱烈な願望、その生への渇望が、ここまで人を現実から目を背けさせ、あえて盲目でいようとする意志を生むのか? 彼は自然の法則すべてを否定してでも救われたいと願っているのだ。奇跡という経験がすでに何度も裏切ってきたにもかかわらず。

 今回の失敗についても、彼なりに原因を考えていた。洞窟の前で気が散っていたからかもしれない、悔悟の念が足りなかったのかもしれない、小さな罪がいくつも重なって聖母様を怒らせたのかもしれない……そんなふうに。彼はすでに来年の巡礼に向けて、どこかで九日間の祈り(ノヴェナ)を捧げるつもりでいた。

「そうそう、思い出しましたよ」と彼は続けた。
「私の代わりに行った、あの結核の青年のこと、覚えていますか? 私が旅費の五十フランを払って、かわりに病院に入院して…その彼が、見事に癒やされたんです!」

「えっ、あの結核の男がですか?」と、ゲルサン氏が驚いた。

「そうですとも、まるで手で治したかのように完璧にね! ひどく痩せて、顔色も土気色だったのが、ルルドから帰った後、私のお見舞いに来たときは元気そのもので。だからね、思わず1フランあげちゃいましたよ。」

 ピエールは、つい笑いそうになるのをこらえなければならなかった。その話には聞き覚えがあったからだ。シャセーニュ医師から聞いていたのだ。
 その「奇跡の人」は詐欺師だった。巡礼医療事務局で、ついに正体がばれていた。少なくとも3年は、毎年ちがう病を装って現れていた。一度は麻痺、またある時は腫瘍――いずれも完全回復と称していた。

 毎回、車いすで運ばれ、宿泊し、食事を提供され、最後には寄付までたっぷりと受け取って帰る。元は病院の看護助手で、病気の演技には驚くべき技術を持っていた。化粧や体のこなしも完璧で、とうとうボナミ医師が偶然からその欺瞞に気づくまで、誰も疑わなかったほどだ。とはいえ、その件については、すぐに神父たちが口外を禁じた。スキャンダルが新聞の笑い種になるのを避けるためである。

 ルルドには時おり、こうした“奇跡の詐欺”が紛れ込むことがあったが、実のところ、ヴォルテール風の人々が噂するような頻度ではなかった。信仰の外では……信じたいという心と、無知と、そして愚かさだけでも、十分に奇跡は成立してしまうのだ――哀しいことに。

 サバティエ氏は、自分の費用で旅をさせたあの男が天のご加護を受けて癒やされたという考えに、ひどく心をかき乱されていた。一方で自分は、無力なまま、みじめな状態のまま帰ることになるのだった。彼はため息をつき、ほんの少しの羨望を交えた諦めの中で、ついこう結んでしまった。

「まあ、仕方がありませんよ。聖母様が何をなさるのかは、きっとご自身でよくお分かりなのです。わたしやあなたが、そのお考えを問いただすようなことは、ありませんよね……。お望みのときに、わたしに一瞥をくださるのなら、そのときにも、わたしは変わらず御足元におりますから」

 モン=ド=マルサンでは、アンジェルスの後、ヒヤシンス修道女が第二のロザリオ――苦しみの五端を唱えさせた。すなわち、「オリーブ山のイエス」「鞭打たれるイエス」「茨の冠を被せられるイエス」「十字架を背負うイエス」「十字架上で死ぬイエス」。その後、列車内で夕食がとられた。次の停車駅はボルドーで、到着は夜11時の予定だったからだ。

 巡礼者たちのかごはどれも食料でいっぱいだった。しかも、サン=フランソワ修道女が食堂から用意してくれたミルク、スープ、チョコレート、果物もあった。兄弟的な分け合いがあちこちで始まり、皆は膝の上で食べ、近くの者同士で馴染み、各コンパートメントは偶然に集った一つの食卓のようになり、小さな持ち寄りの晩餐会になった。

 やがて食事が終わり、残ったパンや油染みの紙が片付けられていると、列車はモルサンの駅前を通過した。

「子どもたち、夜のお祈りですよ」

 ヒヤシンス修道女が立ち上がって呼びかけた。

 すると車内はざわめきに包まれ、「主の祈り」「アヴェ・マリア」、良心の省察、悔悛の祈り、神と聖母、諸聖人への全的な委ね、幸せな一日への感謝の祈りが続いた。そして最後に、生きとし生ける者と信仰ある死者のための祈りが唱えられた。

「10時になったら、ラモットに着きます。そのときは静かにさせますからね。でも、あなたたちならきっとお利口にしていて、あやす必要もないでしょう」

 修道女がそう言うと、くすくすと笑いが起こった。時刻は8時半。夜の帳がゆっくりと田園を包み込んでいた。丘陵だけがまだ薄暮の名残をとどめており、濃くなった闇の海が低地をすべて覆っていた。列車は蒸気を吐きながら大平原に突入し、無限のような暗黒の海を走っていた。空は黒に近い青で、星々が散りばめられていた。

 ピエールはここしばらく、グリヴォットの様子に驚いていた。巡礼者や病人たちが、荷物の間にうずもれて次々に眠り始め、列車の揺れに揺られていたそのとき、彼女だけが突然立ち上がり、まっすぐな姿勢のまま、仕切り壁にしがみついていたのだ。突然の不安が彼女を襲っているのだった。

 ランプのかすかな黄色い光に揺られながら、彼女は再びやせ衰えたように見えた。顔は青ざめ、苦悶に歪んでいた。

「奥さん、気をつけて! 倒れますよ!」

 ピエールは、まぶたを閉じて眠りかけていたジョンキエール夫人に向かって叫んだ。

2025年6月11日水曜日

ルルド 第162回

  すると、激しい怒りが彼女を揺さぶった。

「嘘よ! 聖母なんて、私をあざ笑ってる! 聖母なんて、うそつきだわ!……どうして私を騙したのよ? あの教会であの声を聞かなければ、絶対にルルドなんか来なかったのに。娘はまだ生きていたかもしれない。お医者さんが助けてくれたかもしれないのに……。私がね、どんなことがあっても坊さんのところなんかに行かなかったのに! ああ、やっぱり私が正しかったんだ! 聖母なんていやしない! 神様なんていないのよ!」

 彼女は言葉を続けた。あきらめもなく、幻想もなく、希望もなく、 ――それは庶民の荒々しい罵倒、肉体の痛みを剥き出しにした叫びだった。そのあまりの凄まじさに、ヒヤシンス修道女が思わず割って入った。

「なんてことを……黙りなさい! あなたを罰しているのは神様なのです、あなたの傷を流血させることで!」

 この場面は長く続いていた。列車がリスクルを蒸気の勢いで通過する頃、修道女は再び手を叩き、
“ラウダーテ、ラウダーテ・マリアム”を歌う合図をした。

「さあ、さあ、皆さん、心をこめて、一緒に歌いましょう!」

天にも地にも
すべての声が
あなたのために、ああ我が母よ、
ひとつになって歌わん。
ラウダーテ、ラウダーテ、ラウダーテ・マリアム。

 この愛の賛歌にかき消されるように、ヴァンサン夫人の嗚咽は二つの手の中に沈んでいった。
 もはや反抗する力もなく、弱々しく口ごもるだけの、悲しみに打ちのめされた哀れな女となって。

―――

 歌のあと、車内には疲労がじわじわと広がっていった。
 出発時と変わらぬ元気を保っていたのは、ヒヤシンス修道女とクレール・デ・ザンジュ修道女だけだった。
 クレールはやさしく、真面目で、小柄な修道女。 彼女たちは、ルルド滞在中もずっと、まるで長年慣れきった専門家のような落ち着きで、すべてを乗り越えてきた。白いスカーフとコルネットの清らかな明るさの中で、彼女たちの快活さは勝利のようだった。

 ジョンキエール夫人はというと――この5日間、ほとんど眠れず、今や目を開けているのもやっと。それでも彼女の心は喜びに満ちていた。娘を嫁がせ、皆が口にする“奇跡の少女”を連れて帰れるのだ。

「今夜こそは眠るつもりよ……たとえ列車がどれだけ揺れてもね」

 そうつぶやきながらも、彼女の心には一つの不安がよぎっていた。
 グリヴォットの様子がどうにもおかしい。落ち着きなく、うわごとのように興奮し、目は虚ろで、頬には赤黒い斑点が浮かんでいた。
 夫人は10回も彼女をなだめようとしたが、グリヴォットは手を合わせ、目を閉じてはいても、じっとしていなかった。

 一方、他の病人たちはというと、皆どこか安堵したか、あるいは疲れ果てて、もう眠りかけていた。

 エリーズ・ルケはポケット鏡を手に入れ、それを手放さずに見つめ続けていた。
「私、きれいになった……」
 そう思いながら、少しずつ進む回復に胸を躍らせ、唇をとがらせたり、笑顔を試してみたり――かつて怪物のようだった顔が人間らしさを取り戻しつつあるのだ。

 ソフィー・クトーは、子どもじみた仕草で遊んでいた。誰も彼女の足を診ようとしないのを見て、自分で靴を脱ぎ、
「きっと、靴下に石ころが入ってただけよ」
と繰り返していた。そして、誰も気にかけていないその“聖母に触れられた足”を両手で抱え、なでたり、喜んだり、まるでおもちゃのようにいとおしんでいた。

 ゲルサン氏は立ち上がり、仕切り壁にひじをついて、サバティエ氏の方を見つめていた。

「ねえ、お父さん、見て! 木に傷がついてる……あれ、私の車いすの金具が当たったのよ!」

 と、マリーが突然声をあげた。

 その「痕跡」を見つけたことで、彼女はあまりにもうれしくなり、一瞬、自分が隠そうとしていた秘めた悲しみさえ忘れてしまった。まるで、ヴァンサン夫人が娘の手が触れた革のつり紐を見て嗚咽したように、彼女もまた、そこに刻まれた傷を目にして突然歓喜の声を上げたのだった。長い苦しみの日々を思い出させるこの傷、その場所に、あの忌まわしいものが存在していたのだ。だがそれも、いまではまるで悪夢のように消え失せてしまっていた。

「信じられない……まだたった四日前のことなのよ! 私、そこに寝かされて、まったく身動きできなかったのに、今は、今は、歩ける、動ける、なんて楽なの、神さま!」

 ピエールとゲルサン氏は、そんな彼女に微笑みかけていた。そしてその時、サバティエ氏がそれを耳にしていたようで、ゆっくりと口を開いた。

「本当にそうですね。人は物の中に、自分の苦しみや希望の一部を残していく。そして、それを再び目にしたとき、その物たちが語りかけてくるのですよ、昔のことを、悲しかったことや嬉しかったことを。」

 サバティエ氏は、ルルドを発ってからずっと、自分の隅の席で諦めたような表情を崩さずに黙っていた。妻が彼の足を包んであげながら「痛くない?」と訊いても、ただ首を横に振るばかりだった。痛みはなかった。ただ、抗いがたい疲労感に支配されていたのだ。

「例えば、私の場合ですがね……」と彼は続けた。「行きの道中、退屈しのぎに天井の装飾を数えていたんです。ほら、あのランプから窓のところまで。13ありました。そして今、また数えてみたら、やっぱり13……当然のことですけどね。で、ここの横にある真鍮のボタン、これですよ。これを夜中に見つめていてね、あの時、神父さまがベルナデットの話を読んでくださった夜のことです。私は夢を見ていたんです、自分が治って、ローマへの旅に出る夢――もう二十年来、語ってばかりで実現していない旅です――歩いて、世界を駆け回る夢……もう、本当に馬鹿げていても幸せな夢でしたよ……。でも、今またパリに向かっていて、あの上の13の装飾はそのまま、ボタンも光っていて……それが私にこう言ってるんですよ、『またこの座席で、死んだ脚を抱えたままなんだ』ってね……はあ、わかったさ、私は――これからもずっと――哀れな老いぼれさ、救いようのない。」

2025年6月10日火曜日

ルルド 第161回

  ピエールとマリーはひどく心を動かされ、すぐに駆け寄って、慰めの言葉を探しながら、哀れな母親を励まそうとした。やがて、涙の合間にこぼれる彼女の取りとめのない言葉の断片から、ふたりは、娘の死以来、彼女がどれほどの苦しみの道のりを歩んできたかを知ることになった。

 その前日の朝、雷雨のさなかに娘をその腕に抱いて運び出したときから、彼女は長いこと、あのように歩いていたに違いない。目も耳もふさがれ、滝のような雨に打たれながら。彼女は、通り過ぎた広場や、歩いた道をもう思い出せなかった――あの忌まわしいルルド、子どもたちを殺すルルドを、彼女は呪っていた。

「――ああ、もう、わからないの……誰かが助けてくれたの、憐れんでくれた見知らぬ人たちが。どこかに住んでいる人たち……でも、もう思い出せない、たぶんあっちのほう、町のずっと向こうのほう……でも、きっと貧しい人たちだったわ、だって思い出すの、小さくて粗末な部屋で、あの子を――冷たくなったあの子を、その人たちは自分たちのベッドに寝かせてくれたの……」

その記憶が彼女に新たな嗚咽の波を引き起こし、言葉にならないほど彼女を圧倒した。

「――違う、違うの! あの子の小さな体と離れたくなかった、こんなひどい街に置いていきたくなんかなかったのに……それから、はっきりとは言えないけど、たぶんあの人たちが私を連れてってくれたの。あちこち手続きをして回ったのよ、ああ、あちこちよ、巡礼団や鉄道の人たち、みんなに会いに行って……こう言ったの、『どうしてそんなに難しく考えるんです? お願い、あの子をパリに連れて帰らせて。私は生きたあの子を腕に抱えてここまで来た、なら、死んだあの子をまた抱えて帰ったっていいでしょう。誰にも気づかれない、眠ってると思うだけ』って……。でも、みんな、あの人たち、偉そうな人たちは叫び声をあげて、私を追い払ったの、まるで何か悪いことを頼んでいるみたいに。だからね、私、最後にはばかげたことまで言ってしまったのよ。だって、あれだけ大騒ぎして、死にかけてる人まで連れてくるなら、せめて死んだ人くらい連れて帰ってくれてもいいじゃない、って……。それでね、駅で、最後にあの人たちが私に言ったの、わかる? 300フランですって! そう、それが運送の料金だって……。神様、300フラン! 30スーだけ持ってきて、今や五スーしか残ってない私に! 300フランなんて、半年縫い物をしても稼げないのよ……命をくれって言われたら、喜んであげたのに。300フラン……あの子の小さな鳥の体を、膝にのせて連れて帰れるだけでどんなに慰められたか……!」

 そう言って、彼女はただもう、うめくような嘆きだけを漏らすようになった。

「――ああ、あの人たちが私に言ってくれたこと、どれも本当にもっともだったのよ……仕事が待っている労働者は、パリに帰らなきゃならない。それに、帰りの切符を無駄にできるほど余裕なんてない、だから午後三時四十分の列車に乗らなきゃならなかった……。それに、貧しい人間は仕方ないって、言ってたわ。金持ちだけが、自分の死者を手元に置けて、死者に自分の望むことができるのよね……。それで、もう、また思い出せないの、何も……時間も知らなかったし、自分ひとりで駅に戻るなんて無理だったわ……。埋葬の後、そこには二本の木があって――あそこから私を引っぱって、車両に押し込んでくれたのも、きっとあの人たち……ほとんど狂っていた私を……ちょうど列車が出るところだった……でも、あの時の引き裂かれるような気持ちったら! まるで私の心が、あの土の下に取り残されたみたいだった……あれはひどかった、神様、あれはあんまりです……!」

「かわいそうに……」とマリーがそっとささやいた。「どうか気を強く持って。聖母さまにお祈りして。悲しみにくれる者に、聖母は決して助けをお断りにはなさらないのですから……」

2025年6月9日月曜日

ルルド 第160回

 第四章

 ふたたびパリへ――帰路の途中、白い列車が走っていた。
 そして三等車の車両では、高らかに響く甲高い声で歌われる《マニフィカト》が、車輪の轟音をかき消していた。
 そこには以前と同じ部屋が、同じ動く共同病室のような空間があった。低い仕切り越しにひと目で見渡せるその中には、即席の救護所らしい雑然とした風景が広がっていた。ベンチの下には、壺や洗面器、箒、スポンジが半ば隠れるように転がっていた。あちこちには荷物の包みが積み上がり、使い古された哀れな品々が山と化していた。その混雑は空中にまでも及び、銅のフックには包みや籠、袋が吊り下げられ、終始ぶらぶらと揺れていた。
 そこにはアスンプシオン修道会の同じ修道女たち、同じ慈善婦人たちが、病人たちとともに居た。巡礼者たちの詰め込みも以前と同様で、すでに圧倒的な暑さと耐え難い臭気に苦しめられていた。車両の奥には、やはり例の女性たちだけのコンパートメントがあり、十人の巡礼者たちが肩を寄せ合うようにして座っていた――若い者も年老いた者も、皆が同じように哀しい醜さをまといながら、やかましく、調子はずれに、悲しげな調子で歌をうたっていた。

「パリには何時ごろ着くんでしょう?」と、ゲルサン氏がピエールにたずねた。
「たしか、明日の午後二時ごろだったと思います」と、神父が答える。

 マリーは出発して以来、どこか不安そうな面持ちで彼を見つめていた。突然訪れた悲しみに囚われているようで、それを言葉にはしていなかった。しかし、それでも彼女は、取り戻した健康の笑みを浮かべ直した。
「二十二時間の旅かぁ。でも行きよりは短くて楽ね」
「そうそう」と父も続けた。「向こうにけっこう人を置いてきたから、今回はゆったりしてるよ」

 実際、マーズ夫人がいないおかげで、ベンチの端にひと席空きができており、マリーはそこに座って、もう自分の車椅子で場所を取ることもなかった。さらに、小さなソフィーも隣の車両に移されていた。そこには、兄イジドールもいなかったし、妹のマルトも、ある敬虔な婦人のもとでルルドに残ったと噂されていた。反対側では、ジョンキエール夫人とヒヤシンス修道女も、ヴェトゥ夫人の席のおかげで空間に余裕ができていた。二人はさらにエリーズ・ルケをもソフィーの隣に移し、自分たちの区画にはサバティエ夫妻とグリヴォットだけを残すようにしていた。この新しい配置のおかげで、幾分息苦しさが和らぎ、おそらくは少し眠ることもできるかもしれなかった。

《マニフィカト》の最後の一節が歌い終わると、婦人たちはできるだけ快適に過ごせるよう、それぞれ自分の小さな「家事」に取りかかった。特に足元を邪魔していた、満杯の亜鉛の水差しの位置をどうにかしなければならなかった。
左側の扉のブラインドはすべて下ろされていた。斜めに差し込む太陽が、列車をじりじりと照りつけ、車内へと熱い光の波を流し込んでいた。
 だが、最近の雷雨がほこりを鎮めたのか、夜はきっと涼しくなるだろう。さらに、痛みの数も減っていた――もっとも重篤な者たちは、死によって列車を降りていたのだ。残されていたのは、ただひたすら疲弊し、感覚の鈍った痛みだけで、ゆっくりと昏睡のなかへ沈みこんでいった。まもなく、大きな精神的衝撃の後に必ず訪れる「虚脱の反動」が訪れようとしていた。魂たちは、すでにその全力を注ぎ出してしまった。奇跡は起き、今は深い安堵のなかで茫然とした緩みが広がっていた。

 タルブの駅までは、そんなふうに皆がそれぞれ忙しく、席を整えたり、改めて自分の場所を確保したりしていた。そして駅を出たとき、ヒヤシンス修道女が立ち上がり、手を叩いて言った。

「みなさん、あのやさしい聖母さまを忘れてはいけませんよ……さあ、ロザリオを始めましょう」

 車両の中全体が彼女とともに最初のロザリオ――五つの「喜びの神秘」(受胎告知、訪問、降誕、清め、神殿での再会)を唱えた。それから「仰ぎ見ん天使の姿を…」というカンティク(聖歌)が始まり、その声はあまりにも高く、沿道の畑にいた農夫たちが顔を上げ、歌う列車を不思議そうに見送った。

 マリーは車窓の外に広がる広大な田園と、どこまでも果てしない空を見つめていた。空は次第に暑さの靄を払い、輝くような青へと変わりつつあった。それは一日の、そして美しい旅の甘やかな終わりであった。
 だが彼女のまなざしは、再びピエールの方へ戻ってゆき、どこか哀しげな陰りを帯びたまま彼に注がれた。その時だった――突然、激しい嗚咽が車内に鳴り響いた。

 歌が終わったところで、ヴァンサン夫人が泣き叫んでいた。言葉にならない言葉を、涙で引き裂かれた声で口にしていた。

「ああ、わたしのかわいい子…ああ、わたしの宝物、いのちだったのに……!」

 これまでの彼女は車両の片隅にひっそりと身を潜めていた。口を閉ざし、瞼を閉じ、孤独のなかで、あの忌まわしい苦しみにさらに沈み込んでいた。
 だが、ふと目を開けたその瞬間――ドアのそばにぶら下がっていた革の吊り紐が目に入ったのだ。それは、あの子が触れていたものだった。あの子が遊んでいたものであった。その一瞥が、彼女を絶望のどん底へと突き落とした。抑え込んでいた沈黙の誓いも狂乱の叫びに打ち砕かれた。

「ああ、わたしの可哀そうなローズ……あの子の小さな手がそれを掴んで、くるくる回してた……きっと、それが最後のおもちゃだったんだわ……。あのときは二人でここにいた、あの子はまだ生きていて、わたしの膝の上にいた、腕の中にいた……なんて、なんて幸せだったのに……今はもういない、もう二度と……わたしの可哀そうなローズ、ローズ……!」

 錯乱し、すすり泣きながら、彼女は空っぽの膝を見下ろし、空っぽの腕を見つめていた。どう扱えばよいのかわからなかった。あまりにも長くその腕で娘を抱き、膝であやしてきたせいで、いまやそれは彼女の身体の一部を失ったかのような錯覚すら覚えさせていた。ひとつの役割が失われたのだ。自らのなかに余白が生まれ、用のない両腕と膝はただ彼女を混乱させ、所在なくさせるだけだった。腕が、膝が、邪魔だった。


ルルド 第167回

   しばしのあいだ、ふたりは口を閉ざした。信仰の深淵が自分たちの間に横たわっているのを痛切に感じながら、残酷な悲しみに沈んでいた。彼らがこれ以上、互いに近づくことはもうないだろう――それがもはや決定的であることに、そしてその距離を埋められないことに、絶望していた。天すらも、ふた...