2025年9月23日火曜日

ローマ 第85回

  そしてまさにこの事実が、ピエールの心をますます捕らえ、こみ上げる感情で満たしていった。ヴァチカンが閉ざされていると人は語る。しかし彼は、暗く高い城壁に囲まれた牢獄のような宮殿を想像していたのだ。誰も言わず、誰も知らぬようであったのは、この宮殿がローマを見下ろし、その窓から教皇が世界を望んでいるということだった。

 その広大な光景を、ピエールはよく知っていた。ヤニクルムの丘の頂きから、ラファエロのロッジアや大聖堂の円蓋から見渡したあの光景である。そして今、窓の奥に白く静止するレオ十三世が目にしているものを、彼もまた思い描き、共に見るかのようであった。

 広大なカンパーニャの荒野、その果てを囲むサビーナ山脈とアルバン丘陵。その中心に七つの名高い丘が並ぶ。パンフィーリ邸の樹々に冠されたヤニクルム、緑の中に半ば隠れて三つの聖堂を残すのみのアヴェンティヌス、奥まって今も人影少なくマッテイ邸の熟したオレンジに香るケリオ、皇帝たちの墓のように痩せた糸杉が並ぶパラティヌス、サンタ・マリア・マッジョーレの尖塔を突き出すエスクィリヌス、切り裂かれた採石場のように白っぽい新築群を積むヴィミナーレ、わずかに元老院宮の鐘楼が印すカピトリウム、そして黒々とした庭園を背に王宮の黄色い建物が長く横たわるクイリナーレ。

 またサンタ・マリア・マッジョーレだけでなく、すべての大聖堂が見えた。ラテラノの聖ヨハネ――教皇座のゆりかご、城壁外の聖パウロ、サンタ・クローチェ、聖アニェーゼ、そしてジェズ教会、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ、サン・カルロ、サン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニの円蓋。400の聖堂がローマを十字架の林立する聖地と化している。

 さらに数世紀の誇りを刻む遺構も見える。皇帝の墓が教皇の要塞へと変わったサンタンジェロ城、アッピア街道に並ぶ白き古代の墓々、カラカラ浴場やセプティミウス・セウェルス邸の廃墟、崩れ散った円柱や凱旋門。ルネサンスの枢機卿たちが競った壮麗な宮殿や邸宅――ファルネーゼ宮、ボルゲーゼ宮、メディチ荘……その数限りなく、屋根と壁面が群れをなして押し寄せる。

 だが何よりも彼の目に迫るのは、窓のすぐ下に広がる「城の牧草地」の未完の新市街の惨状であった。午後、教皇がレオ四世の城壁に囲まれた庭園を歩くとき、マリオ山の麓が無残に掘り返され、煉瓦工場が乱立した谷が広がる。その工場群も今は閉ざされ、煙を吐かぬ高い煙突だけを残す廃墟。緑の斜面は黄色い切り込みで裂かれ、見るに堪えぬ光景と化していた。日々窓辺に立つたび、そこに横たわるのは、かつて無数の煉瓦窯が供した新築群、だが生きる間もなく死んだ建物ばかりで、今はただローマの貧苦が群がり、旧き社会の腐敗そのもののように朽ち果てていた。

 そしてピエールは想像するのだ。白き影となったレオ十三世が、やがて都市全体を忘れ、ただパラティヌスに夢を凝らしているのではないかと。黒い糸杉を空に突き立て、今は冠を失った丘。その上に皇帝たちの宮殿を心に再建し、紫衣をまとった栄光の亡霊を呼び覚ます。己の真の祖先、皇帝と大祭司たち――彼らのみが世界をいかに支配するかを伝えることができるのだから。

 やがて視線はクイリナーレに移り、そこに「向かい合う王権」の姿を凝視し続ける。奇妙な対峙――互いに睨み合う二つの宮殿、クイリナーレとヴァチカン。中世とルネサンスの屋根群の上に聳え立ち、テヴェレのほとりで相対する。劇場用の双眼鏡があれば、教皇と国王は窓越しに互いの姿を明瞭に認めることさえできる。

 無限の広がりの中で彼らは取るに足らぬ点に過ぎぬ。だがその間に横たわるのは、幾世紀もの歴史、苦闘と受難の世代、滅びた栄光、そして未来への種子であった。互いに見つめ合いながら、両者はなお果てなき闘いを続ける――群衆を掌握するのは誰か。魂の牧者たる教皇か、肉体の支配者たる君主か。

 その時ピエールは思った。あの窓の奥で、蒼白な幻影のように佇むレオ十三世は、何を思い、何を夢見ているのかと。荒廃した旧市街、破局に打ちのめされた新市街。その光景を前に、彼はきっとイタリア政府の「大首都建設」が招いた惨めな失敗を内心喜んでいるに違いない。奪われた都を取り戻すと叫ぶ彼に、見せつけるかのように築かれた新首都は、醜悪な未完の建物群と化し、収拾もつかぬ惨状を晒していた。

 確かに彼は、簒奪政権の窮地に喜んだであろう。政治危機、財政危機、膨らむ国民的不安。やがてその体制は沈むだろう――そう望んだに違いない。だが一方で、彼もまた祖国を愛する者であり、イタリアの精神と野心が血に脈打つ子であった。イタリアが地上の覇者たるべきことを、誰よりも望んでいたのではないか。

 だからこそ、その国が没落と破産に晒されている現実は、彼に痛苦を与えたはずだ。混乱し未完のローマは、国家の無力を世界に曝していた。だが、もしサヴォイア王朝が一日崩れ去るなら――その時こそ彼は再び都の支配者として帰還し、世界に君臨し得る。預言によって永遠と普遍の覇権を約束された「選ばれた都市」で、再び玉座に昇るのであった。





2 件のコメント:

  1. 権力の問題。それは宗教者にとっても、共和主義者にとっても至上命題なのだよね。
    一方で、体制内変革によって漸進的な社会改革と人民民主主義の実現を図ろうとする社会民主主義的な考え方もありますね。
    また、無政府主義という考え方もある。
    当時はそのような思想の揺籃期であったと思う。いまだに決着はついていないのですが。
    19世紀後半からの政治権力に関する考え方をざっくりまとめてください。

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    1. いいテーマを投げてくださいましたね、そらさん。
      ゾラが生きた19世紀後半というのは、まさに「権力をどう扱うか」という大問題が、宗教・政治・思想のすべてに貫通していた時代です。ざっくりですが、当時の主要な考え方を整理してみます。

      ---

      19世紀後半の政治権力をめぐる思想の潮流(ざっくり版)

      ① 国家と権力の正当性をめぐる論争

      * 絶対主義の余韻:王や皇帝による「神から授かった権力」という考えはまだ根強い。
      * 立憲主義・共和主義:フランス革命以降、「人民主権」が力を持つ。選挙制度の拡大や議会政治がヨーロッパ各地で進展。

      ② 宗教と権力

      * カトリック教会:世俗権力を失いながらも(イタリア統一運動で領地を奪われる)、精神的権威の保持を模索。教皇は「信仰の絶対性」で対抗。
      * 世俗主義(ライシテ):国家と宗教を分離しようとする動きがフランスなどで強まる。

      ③ 社会主義・共産主義

      * 空想的社会主義(サン=シモン、フーリエ、オーウェンなど):理想共同体による調和を夢見る。
      * マルクス主義(『共産党宣言』1848):権力=階級支配の道具と定義し、資本主義を打倒して労働者が権力を握る必要を説く。19世紀後半にはヨーロッパ各地で労働者政党が結成。

      ④ 社会民主主義

      * 革命ではなく「議会政治・社会改革を通じて労働者の地位を改善」する路線。
      * ドイツ社会民主党(SPD)が代表例。後に福祉国家の基盤を築いていく。

      ⑤ 無政府主義(アナーキズム)

      * プルードン、バクーニン、クロポトキンら。
      * 国家そのものを否定し、自発的な共同体による自由・平等を目指す。
      * 19世紀末には暗殺事件などの形で激しい抵抗も展開。

      ⑥ ナショナリズムと帝国主義

      * 国民国家形成が進む(ドイツ・イタリア統一)。
      * 権力は「民族の独立・統一」を正当化する武器となる。
      * 同時に、対外的には帝国主義が強まり、植民地支配の正当化に使われた。

      ---
      まとめると

      * 宗教者にとって:「権威を保ちつつ世俗権力にどう向き合うか」
      * 共和主義者にとって:「人民主権をどう制度化し守るか」
      * 社会主義者にとって:「資本主義の権力を打破・改革する方法は革命か議会か」
      * 無政府主義者にとって:「権力そのものを廃絶すべき」

      まさに19世紀後半は、権力の正当性とあり方が「揺籃期」にあったといえる時代でした。そして、20世紀に入ってからファシズムや社会民主主義国家、ソ連体制といった「実験」へとつながっていくわけです。

      ---

      ねこじい的に言えば――
      「権力を握るか、権力を壊すか、その両極に揺れながら、人類はまだ答えを見つけていない」ってところでしょうかね。

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ローマ 第85回

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