モンシニョール・フォルナーロは、いかにも説明好きに話し始めた。原則として、印刷業者は本を印刷する前に、その原稿を司教の承認に提出しなければならなかった。だが、今日のように印刷業が恐ろしいほど膨大な出版物を生み出している時代にあっては、もし突然、印刷業者たちがその規則に従おうとしたら、どれほど教区が混乱に陥るかは想像に難くない。時間も、資金も、人手もまったく足りないのだ。
そこで禁書目録省は、いちいち審査などしていられないため、ある種のカテゴリーに属する書物をひとまとめにして、すべて発行禁止とすることにしていた。すなわち、まず風紀に害のある本、官能的な書物、すべての小説。ついでに、俗語(つまりラテン語以外)で書かれた聖書。なぜなら、聖なる書は誰にでも無差別に許されるものではないからだ。さらに、魔術や呪術に関する書物、教義に反する科学書、歴史書、哲学書、異端者や神学者たちの著作、宗教論争を扱う神父の書物なども含まれた。
これらはすべて、歴代の教皇によって定められた賢明な法令であり、その要約が「禁書目録」の序文として掲げられていた。もしその法令がなければ、禁書の一覧だけでひとつの図書館が埋まるほど膨大なものになってしまうだろう。結局のところ、実際にその目録をめくってみれば、禁止の対象になっているのは主として聖職者自身の著書であった。ローマは、この難解かつ果てしない作業にあって、もはや教会の「良き秩序」を守ることだけに関心を向けていたのである。
ピエールと彼の著作も、まさにそのような扱いを受けた一例だった。
「お分かりでしょう」
モンシニョール・フォルナーロは続けた。
「我々は、不健全な本の山を、わざわざ個別に非難して宣伝してやるつもりはありません。そんなものはどの国にも掃いて捨てるほどある。紙もインクも足りません。だから時おり、有名な名前が署名されたり、あまりに騒ぎを起こしたり、信仰に危険な攻撃を含んだりするものを、ひとつ選んで処分するだけなのです。それで十分。我々が存在し、正統信仰を守っていることを世に思い出させるには、それで足ります。権利も義務も、何ひとつ放棄してはいません。」
「でも、私の本が? 私の本がどうして?」とピエールは叫んだ。
「なぜ、私の本が追及されるのですか?」
「お話できる範囲でご説明しますよ、親愛なるフロマン氏」
モンシニョール・フォルナーロは穏やかに言った。「あなたは神父であり、しかも本が評判になっている。廉価版まで出して、よく売れている。文学的にもすぐれ、真の詩情が息づいていて、私も感動しました。心から称賛を送ります……。ですがね、あなたがその本の中で、我らの聖なる宗教の消滅と、ローマの破壊を結論としているようなものを、見て見ぬふりはできません。」
ピエールは呆然とした。信じられないというように目を見開いた。
「ローマの破壊だなんて、天に誓って! 私はローマを若返らせたい、永遠にしたい、再び世界の女王としたいと願っているんです!」
再び熱に浮かされたように、ピエールは自らの信念を語りはじめた。――カトリックを原初の教会へと立ち返らせ、イエスの兄弟愛に満ちたキリスト教から再び新しい血を汲み取らせること。教皇を地上の王権から解き放ち、慈愛と愛によって人類全体を治めさせること。そうして社会的危機に瀕した世界を救い、真の神の王国へと導くこと――すべての民族が一つに結ばれた、キリスト教共同体の実現を!
「ローマ教皇が私を否認することがあるでしょうか? これこそ、教皇の胸に秘められた思想ではないのですか? 私はただ、それを早く、自由に口にしただけでは? もしお目にかかることができれば、訴追の取り消しをすぐにでも得られるはずです!」
モンシニョール・フォルナーロは、もう何も言わなかった。ただ静かに首を横に振るだけで、ピエールの若々しい激情にも腹を立てる様子はなかった。
むしろ、その無垢さと夢想に心底おかしさを感じているように、やさしく笑みを浮かべた。
そして、愉快そうに言った。
「まあ、まあ……私はあなたを止める立場ではありません。何も申し上げるなと命じられていますからね。ただ――“世俗の権力”ですよ、世俗の権力……」
「世俗の権力、ですって?」とピエールは尋ねた。
モンシニョール・フォルナーロは再び口をつぐんだ。その穏やかな顔を天に向け、白く柔らかな両手を軽く振るわせる。そして、再び話し出したとき、彼はこう言葉を添えた。
「それに――あなたの“新しい宗教”のこともありますな……。
あの言葉が二度も出てくる――“新しい宗教”、 “新しい宗教”……ああ、なんということだ、神よ!」
彼は身振りを大きくし、まるで卒倒しそうなほどに嘆き、ついにピエールが堪えかねて叫んだ。
「モンシニョール、どのような報告をなさるおつもりかは分かりませんが、私は断言します。決して教義を攻撃する意図などありませんでした! 良心にかけて申します、私の本全体を読めば明らかです。私はただ、慈悲と救いの業を為したかったのです。どうか、公平に、意図というものを考慮していただきたい!」
モンシニョール・フォルナーロは再び穏やかさを取り戻し、いかにも父親めいた口調で言った。
「おお、意図ですか、意図ね……」
彼は立ち上がり、訪問者を下がらせようとした。
「どうか確信してくだされ、親愛なるフロマン氏。私はあなたが私を訪ねてくださったことを光栄に思っております……。もちろん、私の報告がどうなるかは申し上げられません。すでに話しすぎましたし、本来ならあなたの弁明をお聞きすることさえお断りすべきだったのです。しかし、あなたが私の職務に反しない範囲であれば、できる限りお力になりたいと思っています。
……ですが、残念ながら、あなたの書はおそらく――間違いなく――禁書となるでしょう。」
ピエールが驚いて身を乗り出すと、フォルナーロは肩をすくめて続けた。
「ええ、そうですとも。裁かれるのは“意図”ではなく、“事実”なのです。どんな弁明をしても無駄です。書物はそこにあり、ありのままの姿で存在している。いくら説明しても、それを変えることはできません。ですから、禁書目録省は被告を呼び出すこともせず、ただ“純粋で明白な撤回”だけを受け入れるのです。――それが、あなたにとっても最も賢明な選択でしょう。本を取り下げ、従うことです。いや? 従いたくないと? ああ、あなたはなんと若いのでしょう、わが友よ!」
彼は、ピエールの胸に走った反抗と誇りの身ぶりを見て、愉快そうに声を立てて笑った。それから、戸口まで彼を送りながら、急に声を落として、親しげに言った。
「さあ、親愛なる方、あなたのためにできることを一つ教えましょう。よい助言です――。私はね、実のところ、何の力もありません。報告を書いて提出する、それだけです。印刷され、読まれ、結局は誰にも顧みられないことも多い。しかし、禁書目録省の書記官、ダンジェリス神父――彼なら何でもできる。いや、“不可能なこと”さえ。スペイン広場の裏手、ドミニコ会の修道院へ行ってみなさい。私の名は出さないように。そして……ごきげんよう、親愛なる方、さようなら。」
――ピエールは気が遠くなる思いのまま、ナヴォナ広場に出ていた。もう、何を信じ、何を期待すべきなのか分からなかった。
ひとつの臆病な思いが彼を支配した――なぜ、敵の姿も掴めぬ戦いを続けるのか? なぜ、この情熱的でありながら、これほど失望を与えるローマに、なお執着するのか? 逃げてしまおう。今夜のうちにパリへ戻り、姿を消し、最も謙虚な慈善の実践の中で、この苦い幻滅を忘れてしまおう――。
それは、長いあいだ夢見てきた使命が、ふと不可能に思えてくる“挫折の時”だった。しかし、混乱のただ中でも、ピエールの足は自然と目的地へと向かっていた。気がつけば、コルソ通り、コンドッティ通り、そしてスペイン広場に出ていた。――彼は決心した。もう一度、ダンジェリス神父に会ってみよう。ドミニコ会修道院は、トリニタ・デイ・モンティ教会の下にある。
ああ、ドミニコ会! ピエールはその名を聞くだけで、尊敬と、少しの恐れを覚えずにはいられなかった。
何世紀にもわたり、彼らは権威主義的で神権的な理念の、もっとも力強い支柱であった。教会は彼らに、その確固たる権威の多くを負っている。彼らは勝利の栄光を担う兵士たちだった。
聖フランチェスコがローマのために貧しき者の魂を征服したのに対し、聖ドミニコは知者と権力者――すなわち“高貴なる魂”をローマに従わせた。それは燃えるような信仰と意志の炎に支えられ、説教、著述、警察的・司法的な手段――ありとあらゆる方法によって遂行された。
彼自身が異端審問を創設したわけではないが、それを最大限に活用した。その心は優しさと兄弟愛に満ちていながら、血と火によって分裂と闘ったのだ。彼とその修道士たちは、貧困・純潔・服従――この誇り高く乱れた時代における三つの徳をもって生き、街々を巡り、異端者に説教し、彼らを教会に戻そうと努め、言葉が通じぬときは宗教裁判に委ねた。
さらに彼らは“学問”にも挑んだ。それを自らのものとし、理性と人間の知識の武器によって神を擁護しようとした。かくして生まれたのが、“天使博士”トマス・アクィナス――中世の光。心理学、論理学、政治学、倫理学――あらゆるものを『神学大全』に収めた。
こうしてドミニコ会士たちは世界に満ち、ローマの教義を各国の講壇で支え、大学の自由な精神とほぼ至るところで戦い、教義の番人として目を光らせ、教皇権の繁栄を築く不眠の職人となった。
芸術、科学、文学の分野でも、彼らは最も力強い労働者として、今日なお存在するカトリックという巨大な建築物を築き上げたのである。
ドミニコ会! 知ってるようで知らない、キリスト教の歴史。教えてください。
返信削除いい質問です!✨
削除「ドミニコ会(Ordo Praedicatorum、略称:O.P.)」は、キリスト教の歴史の中でもとても重要な修道会のひとつです。
名前だけ聞いたことがあっても、実際にはその思想や役割を知ると、「ああ、ここから近代ヨーロッパの知の流れが生まれたのか」と思わされるほど深いんです。
🕊️ 創立の背景
12世紀末〜13世紀初頭、ヨーロッパは教会の腐敗と異端の拡大(特に南フランスのカタリ派)に揺れていました。
そんな中で、スペイン出身の聖ドミニコ(ドミニコ・デ・グスマン, 1170–1221) が登場します。
彼は、教会が権威や富に頼るのではなく、説教と清貧によって信仰を説くべきだと考えました。
そこで創設したのが「説教者修道会(ドミニコ会)」です。
✝️ 特徴:知と説教の修道会
当時の修道会(例:ベネディクト会やシトー会)は「祈りと労働」が中心でしたが、
ドミニコ会は「学びと説教」を重視したのが大きな違いです。
つまり、
神を愛するには、まず理解しなければならない。
理解するには、学ばなければならない。
という姿勢。
これがのちの**スコラ哲学(理性による神学)**の発展に直結します。
📚 有名な思想家たち
ドミニコ会は「知の巨人」を多数輩出しました。代表的なのが:
トマス・アクィナス(1225–1274)
→ ドミニコ会士。理性と信仰の調和を説いた中世最大の神学者。
→ 彼の思想はカトリック神学の根幹になっています。
アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus)
→ トマスの師であり、自然科学を重視した先駆的な人物。
→ アリストテレス哲学をキリスト教に導入したことで有名。
⚖️ 異端審問との関係
中世の「異端審問所(Inquisition)」を担当したのも、主にドミニコ会士でした。
理由は、彼らが神学的知識に長けていたから。
この点は暗い影の部分でもあり、
「知による信仰防衛」がいつの間にか「知による弾圧」へ変質していった面もあります。
(代表例:ドミニコ会士トマス・トルケマダによるスペイン異端審問)
🕯️ 現代のドミニコ会
今でも世界各地に修道院を持ち、教育や研究活動を中心に活動しています。
フランスのサン=ジャック修道院やローマのサンタ・サビーナ教会は有名です。
「言葉」「理性」「説教」を重視する精神は、
現代のカトリック知識人たちにも受け継がれています。
ちなみに、ルネサンス期のファルネーゼ宮の建設に関わった枢機卿たちも、
しばしばドミニコ会出身の学僧と交流していました。
建築や芸術の裏にも、こうした「理性的信仰」の潮流が流れていたんです。