2025年10月16日木曜日

ローマ 第108回

  しかし今やピエールには、かつて石灰と砂で永遠に築かれたと思われていたあの大伽藍――すなわち教会そのもの――が、音を立てて崩れかけているのを感じられた。そして彼は思わず自問するのだった。あの古い時代の労働者たち――警察も法廷も、すでに忌まわしい記憶として死に絶え、言葉は誰にも聞かれず、書物はほとんど読まれず、学問と文明の先導者としての役割をも失った――彼らが、いまなお何の役に立つというのだろうか、と。

 確かに、彼らはいまもなお、影響力と繁栄を保つ一つの「秩序」として存在している。だが、彼らの総長がローマを支配し、「聖なる宮廷」の主としてヨーロッパ全土に修道院と学校と信徒を擁していたあの時代とは、なんと遠いことか。ローマ教皇庁の中で、彼らがかつての広大な遺産の中からいまも保持しているのは、わずかな既得の地位――たとえば、かつて異端審問所の一部であった禁書目録審議会の書記という役職――それくらいのものにすぎなかった。

 ピエールはすぐに、ダンジェリス神父のもとへ案内された。部屋は広く、白く、がらんとしており、眩しいほどの陽光に満ちていた。そこには一つの机と数脚の腰掛け、そして壁には大きな真鍮の十字架が掛けられているだけだった。

 机のそばに立っていた神父は、およそ五十歳ほどの、ひどく痩せた男であった。白と黒のゆったりとした修道服を、厳格なまでにきちんとまとっている。長い禁欲者のような顔――薄い唇、細い鼻、そして固く尖った顎。その中で灰色の瞳だけが、落ち着かぬほどに鋭く、動かずに相手を射抜いていた。そして彼は、明晰で、簡潔で、氷のように冷たい礼儀をもってピエールを迎えた。

「ピエール・フロマン神父。『新しきローマ』の著者であらせられますね。」

 そう言うと神父は腰掛けに座り、もう一つの腰掛けを手で示した。

「どうぞ、神父さま。ご訪問の目的をお聞かせください。」

 ピエールはそこで、再び自らの説明と弁明を繰り返さねばならなかった。しかしそれはすぐに、ほとんど耐えがたい苦痛となった。というのも、彼の言葉は沈黙の中へ、死のような冷気の中へ、吸い込まれていくばかりだったからである。

 ダンジェリス神父は微動だにせず、膝の上で指を組み、灰色の鋭い目をピエールの目にじっと据えたまま、ひとことも口を開かなかった。

 やがてピエールが話し終えると、神父はゆっくりと、落ち着いた口調で言った。

「神父さま、私はお話の途中で口をはさむのを控えましたが、正直に申し上げれば、ここまで伺う必要もなかったのです。あなたのご著書についての審理はすでに進行中であり、この世界のいかなる権威も、その手続きを妨げることはできません。ですから、あなたが私に何をお望みなのか、正直のところ理解しかねます。」

 声を震わせながら、ピエールは答えた。
「私は、慈悲と正義を――それを期待してまいりました。」

 宗教者の唇に、誇り高い謙虚さを帯びた淡い笑みが浮かんだ。

「ご安心なさい。神は常に、私のつつましい務めを照らしてくださいました。もっとも、私には裁きを行う権限などございません。私はただ、案件を整理し記録する小さな奉仕者にすぎません。最終的に判断を下されるのは、枢機卿閣下方――すなわち、教理省の尊きメンバーたちでございます。彼らはきっと、聖霊の導きをもってあなたの書を審査なさるでしょう。その裁きが教皇陛下のご承認によって確定したとき、あなたはただ、それに従って頭を垂れればよいのです。」

 そう言い終えると神父はきっぱりと話を打ち切り、立ち上がった。それに促されて、ピエールも立ち上がらざるを得なかった。

――まるでモンシニョール・フォルナーロのもとで聞いた言葉を、そのまま冷徹に言い直したかのようだった。彼はどこへ行っても、同じ無名の力、同じ機械のように組み上げられた組織の壁に突き当たるのだった。その歯車たちは互いを知らず、しかし確実に押しつぶす。そしてピエールは悟った――彼はこれからも、あちらへこちらへとたらい回しにされるだけで、決してその頭脳、すなわち「考え、決める意志」にまでたどりつくことはないのだと。もはや、頭を垂れるほかになかった。

 それでも彼は去る前に、ひとつだけ思い出して口にした。最近その力の大きさを知りつつある、あの人物の名を。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。実は、モンシニョール・ナーニ閣下のご厚意あるお勧めに従い、こちらに伺ったのです。閣下は、私にご関心をお寄せくださっております。」

2 件のコメント:

  1. ドミニコ会は、この当時は、カトリック教会の中での勢力としては弱まってしまっていたのですね。
    カトリック教会内の勢力争いをざっくり教えてください。

    返信削除
    返信
    1. とても鋭いところに気づかれましたね、そらさん。
      そう、ゾラが『ローマ』を書いた19世紀末の時点では、ドミニコ会(Dominicains)はすでに教会内で「往年の栄光を失った修道会のひとつ」でした。
      ここからはざっくり、しかし構造が見えるように、カトリック教会内部の勢力バランスの変遷をお話ししますね。

      🕊 カトリック教会の勢力構造(ざっくり歴史俯瞰)
      🏛 ① 中世(13世紀頃)―「修道会の黄金時代」
      この時代、ドミニコ会とフランチェスコ会が「説教修道会」として登場します。
      目的は、当時広がっていた異端(特に南フランスのカタリ派)への対抗と、都市部の民衆教育。
      ドミニコ会:理性・学問による正統信仰の防衛(神学・弁証論)。トマス・アクィナスを輩出。

      フランチェスコ会:清貧と慈愛を重視し、民衆的で情熱的な信仰運動を展開。

      当初はこの二つの会派が、教皇庁の精神的支柱として並び立ちました。
      特にドミニコ会は、異端審問の実務を任され、「信仰の守護者」として大いなる影響力を持ちます。

      ⚖ ② ルネサンス〜宗教改革期(15〜16世紀)
      教会が堕落・腐敗する一方で、ルターらによる宗教改革が始まります。
      このとき新たに登場したのが、教会を立て直す「近代型の修道会」――
      → イエズス会(Jesuites)
      創設:1534年(ロヨラのイグナチオ)

      特徴:知的・実務的で、教皇への絶対服従を誓う。

      武器:教育・布教・政治工作。


      結果:世界中にミッション(布教拠点)を展開。アジアではフランシスコ・ザビエル、日本にも。


      この時期から、カトリック教会内では
      👉 「古い修道会(ドミニコ、フランチェスコ)」 vs 「新興勢力(イエズス会)」
      という構図が生まれます。

      🕯 ③ 近世(17〜18世紀)―イエズス会の全盛と失脚
      イエズス会は、教育・外交・王室顧問などで権勢を極めました。
      フランスではルイ14世の時代、ヨーロッパ中で「イエズス会=教皇の頭脳」と恐れられるほど。
      しかしその一方で、
      政治介入(各国の宮廷や植民地政策への干渉)


      経済活動(ミッション経営の富)
      が反感を買い、
      1767年にスペイン、1773年にはついに教皇クレメンス14世によって解散命令が出ます。


      このとき、一時的にドミニコ会などの古い修道会が復権しますが、
      全体としては教会の求心力が衰え、「勢力均衡の時代」に入ります。

      ⛪ ④ 19世紀―ゾラの時代:衰退と再編
      フランス革命(1789年)で教会財産は没収され、多くの修道会は壊滅。
      ナポレオン時代に宗教は国家管理下に置かれました。
      その後、教皇ピウス9世(ゾラの時代の前)とレオ13世(ゾラの時代)によって、
      教皇権の再建(ウルトラモンタニズム)が進みます。
      しかし――
      科学・社会思想(ダーウィン、マルクス、実証主義)


      国家の世俗化(教育の国有化、政教分離)
      が進むなか、
      古い修道会(特にドミニコ会)は“形式的な職務”に押し込められていったのです。


      ゾラが描く「禁書目録審議会のドミニコ会士・ダンジェリス神父」は、
      まさにこの「かつての異端審問官の亡霊」の象徴なのです。

      📜 ⑤ 現代(20世紀〜)
      イエズス会は再興し、現在も教育・知的分野で圧倒的。


      ドミニコ会は学問修道会として一定の地位を保つが、数は減少。


      フランチェスコ会は貧者救済や環境・平和運動で新たな役割を模索。

      そらさんが『ローマ』で感じた「古びた歯車のような宗教機構」は、まさにこの19世紀の背景を映しています。

      削除

ローマ 第130回

   3人は揃って共同の部屋に入った。すでに夜の闇がそこに満ちていた。暑い季節はもう過ぎていたが、戸口に立った途端、ぶんぶんと唸るハエの羽音が聞こえた。酸っぱくなったワインと酸化した油の、鼻を突くような臭気が喉を締めつける。目が少し暗さに慣れると、彼らは広々とした部屋の中を見分け...