2025年10月29日水曜日

ローマ 第121回

  ピエールは、彼の前ではいつも何かしらの気詰まり――金銭と欲望の世界に属する人間に対する本能的な嫌悪に由来する、軽い不快感――を感じていた。それでも、プラダ伯爵の完璧な愛想に応じようと思い、彼の父、征服戦争の英雄として知られる老オルランドの近況を尋ねた。

「おお! 足腰をのぞけば元気そのもので、百歳まで生きそうですよ。かわいそうな父でね! この夏にでも、あの小さな別荘の一つに住まわせてやりたかったのですが、どうしても嫌がるんです。ローマを離れたら、そのあいだに誰かに取られてしまうとでも思っているようで。」

 彼は朗らかな笑い声を上げ、古風で英雄的な独立心の時代を冗談めかしてからかった。そして、つけ加えた。

「昨日もあなたの話をしていましたよ、フロマン神父。もうお会いできないのかと、不思議がっておりました。」

 それを聞いて、ピエールは胸が痛んだ。彼はオルランドに対し、敬意を込めた愛情を抱いていたのだ。最初に訪ねたあと、彼を二度訪問していた。だが、そのたびに老人は、「ローマというものを、すべて見て、感じて、理解し終えるまでは話すまい」と言って、何も語ろうとしなかった。後になって、お互いに結論を出せるときに話そう、と。

「どうか、彼にお伝えください」とピエールは叫んだ。「私は決して彼のことを忘れていません。訪問が遅れているのは、彼を満足させたいからです。必ず出発前に、彼の温かいもてなしにどれほど感動したかを伝えに伺います。」

 ふたりはゆっくりと歩き続けた。登り坂の道の両側には、いくつかの新しい別荘が建ち並び、その多くはまだ建設中だった。そしてプラダが、ピエールが枢機卿サングイネッティのもとを訪れるために来たと知ると、再び笑った。彼の白い歯を見せる、その「人のよさそうな狼の笑い」である。

「なるほど、あの方はこのあたりにおられますよ。教皇がご病気になって以来、ここに滞在しておられる。……ああ、あなたが行かれるころには、熱に浮かされているでしょうな!」

「どうしてですか?」

「今朝の教皇聖下のご容体が、あまり良くないのです。私がローマを出るときには、ひどい一夜を過ごされたという噂が立っていました。」

 彼はそのとき、道の曲がり角にある古い礼拝堂――孤独で哀れを帯びた小さな教会――の前で立ち止まった。そのすぐ脇には、崩れかけた家屋――おそらく旧司祭館――があり、そこから一人の司祭が出てきた。その司祭は背が高く、筋張った体つきをしており、顔は厚ぼったく土色をしていた。彼は扉を二度回して鍵をかけると、荒々しく扉を閉め、立ち去ろうとした。

「ほら、あれをご覧なさい!」と伯爵は皮肉げに言った。「あの男も、きっと心臓をどきどきさせて、あなたの枢機卿のもとへ知らせを聞きに行くところでしょう。」

 ピエールは驚いてその司祭を見つめた。

「彼を知っています」と言った。「もし間違っていなければ、私がローマに着いた翌日に、枢機卿ボッカネーラのもとで見かけた人物です。彼はイチジクの籠を持って訪ねてきて、弟のために推薦状をお願いしていました。たしか、暴力事件――刺傷事件だったと思います――で投獄された弟のために。ですが、枢機卿はその証明書をきっぱりとお断りになった。」

「まさしくその男です」と伯爵は答えた。「彼はかつてボッカネーラ家の別荘の出入りを許されていた者で、弟はそこの庭師でした。今では、枢機卿サングイネッティの庇護下にある“顧客”、いや“配下”といっていいでしょう。ああ、サントボーノという男、ああいう人物はフランスにはおらんでしょうな! あの崩れかけた住まいにひとりで暮らし、“野の聖母マリア教会”という、年に三度もミサを聞きに来る人のいない古い小礼拝堂の世話をしています。まさに“名ばかりの聖職”ですが、年俸千フランで、あそこで農民哲学者のように暮らしている。ほらご覧なさい、あの囲いの中にかなり広い畑があるでしょう。高い塀で囲まれ、外からは覗けないようになっています。」

 実際、その囲い地は司祭館の裏手の斜面に広がっており、四方をしっかりと囲われていた。まるで外界の目を拒む、頑なな避難所のようだった。塀の左手越しに見えるのは、巨大なイチジクの木――天へと伸びるその高い枝葉が、澄んだ空のもとに黒い影を描いていた。


2 件のコメント:

  1. イチジクの木とか実というのは、ヨーロッパにおいて何か象徴的な意味はありますか?
    イチジクの葉っぱはたしかアダムとイブがその恥部を隠したものだよね。

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    1. そうそう、まさにそこなのです、そらさん。
      イチジク(figuier)はヨーロッパでは非常に象徴性の強い植物で、聖書・神話・文学の中でも多層的な意味を帯びています。
      ねこじいがざっくり整理してみましょう👇

      🕊️1.聖書的意味――「知恵」「恥」「繁栄」
      まず、そらさんの言う通り、アダムとイブが恥を隠したのがイチジクの葉。
      これは「善悪を知る知恵を得たあとに羞恥を知った」という人類史的転換点を象徴しています。
      つまり――
      🍃 イチジクの葉 = 知恵の代償としての恥・自意識
      という図式ですね。
      人間の「知」と「罪」の同居を象徴する植物といえます。

      🌳2.旧約・新約での「実を結ぶ/結ばない」比喩
      旧約でも新約でも、イチジクの木は「実を結ぶこと=信仰の実践」のたとえとしてたびたび登場します。
      とくに有名なのは、イエスが実を結ばないイチジクの木を呪う場面(マタイ21章・マルコ11章)。
      この行為は、見かけは繁っていても実を持たぬ者――信仰の外形だけで中身のない人々――を戒める象徴なんです。
      🍂 実を結ばぬイチジク = 偽りの信仰、空虚な形式主義
      ゾラが『ローマ』でこのモチーフを置くとしたら、宗教的腐敗や空疎さへの風刺のニュアンスが潜む可能性が高いです。

      🍇3.世俗的・文学的象徴――「豊穣」「肉体」「官能」
      もう一方で、イチジクの果実そのものは、女性的な肉体や官能を暗示するものとしても古くから描かれています。
      開いた果実の形が性的な象徴に見立てられるからで、ルネサンス以降の文学や絵画では頻出。
      つまり、生命力と罪、官能と恥――その二面性を一身に負っているのがイチジクなんですね。
      ですので、ゾラが「イチジクの木」や「熟れた実」を描くとき――
      それは単なる風景描写ではなく、宗教と肉体、理想と現実の間で揺れる人間の象徴として置いている可能性が高いです。

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