2025年10月1日水曜日

ローマ 第93回

  しかしピエールがより深く「ものの魂」を感じたのは、より壮麗ではなく、むしろ閉ざされた優美を湛える庭園であった。ああ、チェリオの丘の斜面にあるマッテイ荘! 段々に広がる庭園、小道の両側にはアロエや月桂樹、巨大なツゲが並び、苦みばしったツゲの生垣は緑のアーチを作り、そこにオレンジの木やバラ、そして泉が散りばめられている。そこで彼は愛すべきひとときを過ごした。そして同じような感銘を受けたのはアヴェンティーノにおいてであった。三つの教会が緑に埋もれるように建っており、とりわけドミニコ会発祥のサンタ・サビーナは格別であった。外界と隔絶された小さな庭園は、一切の眺望を拒み、ただ温かな香気の中に眠っていた。その中央に植えられたオレンジの木々の間には、なおも熟した実をつけた聖ドミニコの樹齢数百年の巨木が立っている。

 その隣、マルタ騎士団修道院の庭園は、むしろ対照的に、ティベレ川を見下ろす断崖の上に開け、川の流れに沿って両岸に重なり合う屋根やファサードが連なり、遠くヤニクルスの丘まで望めた。ローマの庭園はどこも似ている。刈り込まれたツゲ、白い幹を持ち髪のように長い葉を垂らすユーカリ、どっしりとした常緑樫、誇らしげに天を支える松、黒々とそびえる糸杉、そして薔薇の茂みの間に置かれた白い大理石の断片、蔦に覆われた泉のさざめき。

 ピエールが最も「哀しくも甘やかな喜び」を感じたのは、ユリウス法王の別荘であった。庭に向かって半円形に開いた柱廊は、愛と享楽に満ちた往時の生活を物語っていた。華やかに彩られた装飾、黄金の格子に絡まる花々、そして小さなアモールたちが笑みを浮かべながら飛び交っている。

 ある夕暮れ、ファルネジーナ荘から戻った彼は語った。そこに漂っていたのは、ラファエロの下絵に基づく壁画ではなく、むしろ川辺に面した優しい小広間の淡い青やライラック、柔らかな薔薇色の装飾――天才ではないが愛らしくローマ的な芸術。そして何よりも打ち捨てられた庭園だった。かつてはティベレ川まで下っていたが、今では新しい堤防によって断ち切られ、荒れ果て、隆起し、雑草に覆われたその様は墓地のようでありながら、それでもなおオレンジやレモンの実が黄金に輝いていた。

 さらに最後の衝撃は、メディチ荘を訪れたあの美しい夕暮れであった。そこはまさしくフランスの土地であった。再び見事な庭園――ツゲ、松、華麗な並木。そして古代の夢想にふけるにふさわしい、古く黒ずんだ常緑樫の森。葉の青銅の輝きの中に、沈みゆく太陽が赤金の炎を投げかけていた。

 あの果てしない階段を登れば、上方の展望台からはローマ全体を一望できた。まるで腕を広げれば都を丸ごと抱けそうなほど。食堂には代々のフランス芸術家たちの肖像が並び、深い静けさに包まれた大図書室からも同じ壮大な眺めが広がっていた。それは若者たちの胸に「世界を手にせよ」と呼びかける野心の視界であった。

 ローマ賞の制度、画一的で独創性を損なう教育を彼は批判していた。しかしその時だけは、庭の温かな静けさ、透き通った孤独、天才の翼が羽ばたくかのような崇高な地平に心を奪われた。「ああ、なんと甘美だろう。20歳で3年間ここに住み、夢の中のように過ごし、偉大な作品群のただ中で、自分はまだ若すぎると考え、内に沈潜し、学び、苦しみ、そして愛を知ることができるなら!」

 だが同時に悟った。そうした天上の隠遁は若者の務めではない、と。真にこの天国を味わえるのは、すでに勝利を収め、成し遂げた業の疲労を抱いた壮年の芸術家に違いないと。現に彼が言葉を交わした若者たちも、夢や瞑想の魂、あるいは凡庸な者はそこに適応できたが、戦う芸術家、個性的な気質を持つ者は皆、焦燥のうちにパリを振り返り、創造と闘争のるつぼへ飛び込みたいと身を焦がしていた。

 そしてこうして語られる庭園の数々は、夕べごとにベネデッタとダリオの心に、モンテフィオーリ荘の庭を甦らせた。今は破壊されてしまったが、かつてはローマで最も美しいオレンジの木々が茂る楽園であり、彼らが互いに愛を知った場所であった。

「――ああ、思い出すわ」とコンテッシーナが言った。「花の季節には、あまりに強く、あまりに酔わせる香りで、私は一度、草の上に倒れて起き上がれなかったの。覚えている、ダリオ? あなたが私を抱き上げて、泉のそばへ運んでくれたでしょう。そこはとても涼しくて、心地よかったわ。」




2 件のコメント:

  1. ユリウス法王? 小さなアモールたち?
    ちょっと詳しく教えてください。

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    1. いいところに目をつけましたね、そらさん😸
      ゾラがここで描いている「villa du pape Jules(ユリウス法王のヴィラ)」と「小さなアモールたち」には、美術史的な背景があるんです。

      ① ユリウス法王のヴィラ

      ここでいう「pape Jules」は ユリウス2世(Jules II, 在位1503–1513) のこと。
      彼は「ルネサンスの教皇」と呼ばれるほど芸術保護に熱心で、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を描かせたり、ラファエロを庇護したりしました。
      その彼が造営に関わったローマ郊外の別荘が「ヴィラ・ジュリア(Villa Giulia)」で、今日も残っています。現在は「エトルリア美術館」として使われている場所ですね。

      ゾラが描くのは、このヴィラの庭園と半円形(エミシクル)のロッジア(柱廊)。
      豪華でありながら感覚的、どこか享楽的な雰囲気を伝える空間です。
      ---
      ② 小さなアモールたち

      アモール(Amour)はギリシア神話のエロスに相当するローマ神話のクピド(Cupidon)、つまり愛の神。
      ルネサンスやバロック美術では、しばしば「プットー(putti)」と呼ばれる **翼の生えた幼児の姿** で描かれます。
      このヴィラの装飾にも、花々の間を戯れながら飛び交う「小さなアモールたち」が描かれていたのです。

      ゾラは、その甘美で官能的な雰囲気を「ひとつの時代の生活を物語る」と表現しています。つまり、宗教的厳格さではなく、ルネサンス期ローマの享楽的で人間中心的な空気がそこに凝縮されていた、というわけです。

      ---

      要するに、

      * ユリウス2世のヴィラは、ルネサンス教皇の権力と享楽の象徴。
      * 小さなアモールたちは、その官能的な美の雰囲気を伝える装飾モチーフ。

      だからピエールはここで、ただの建築以上に「当時のローマ人の生き方、感覚」を感じ取ったんですね。

      👉ねこじい的には「ゾラがここで描いているのは、“芸術の勝利”じゃなく、“芸術と快楽の蜜月”だにゃ」と思うのです。

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ローマ 第93回

   しかしピエールがより深く「ものの魂」を感じたのは、より壮麗ではなく、むしろ閉ざされた優美を湛える庭園であった。ああ、チェリオの丘の斜面にあるマッテイ荘! 段々に広がる庭園、小道の両側にはアロエや月桂樹、巨大なツゲが並び、苦みばしったツゲの生垣は緑のアーチを作り、そこにオレン...