2025年11月5日水曜日

ローマ 第128回

  しかしプラダは、さらにその傷口をえぐろうとした。

「結局のところ、あなたはあの方を認め、あの方をあまりに愛しておられる。ゆえに、その方の勝算を喜ばずにはおられまい。そして今回は間違いないと、わたしは思っております。なにしろ皆が確信しているのですから──ほかの者を選ぶ余地はないと。さあ、あの方は偉大なお方だ。用いられるのは、あの大いなる白衣(しろごろも)ですよ。」

「大いなる白衣、大いなる白衣だと……」と、サントボーノが低く、思わずうなった。
「もっとも、もしそれが……」

 だが彼は言葉を終えず、ふたたび激情を押し殺した。沈黙のうちに聞いていたピエールは驚嘆した。なぜなら彼は、かつてサングイネッティ枢機卿の邸で耳にした会話を思い出していたからである。明らかに、あのイチジクは単なる口実にすぎず、ボッカネーラ枢機卿邸への門を開かせるためのものだった。おそらくは旧友のひとり──禁書目録省の事務官であるパパレッリ神父だけが──確かな情報を伝えられる人物だったのだ。それにしても、この激情家が、心の最も乱れた動揺のただ中にあっても、これほどまでに自らを制御できるとは、なんという自制力だろう!

 道の両側には、カンパーニャの草原が果てしなく広がっていた。プラダはそれを見ながらも、もはや目に入らぬように黙し、真剣で沈思の面持ちになっていた。やがて彼は、独り言のように考えを言葉にした。

「ご存じだろう、神父さま。もし今回、あの方がお亡くなりになったら、ローマでは何と言われるか……。この急な不調、この激しい腹痛、そして隠されている報せ──あまり芳しくないね。そう、そう、“毒”だ。ほかの者たちの時と同じく。」

 ピエールは驚愕に身を震わせた。教皇が、毒を盛られるだって!

「な、なんですって、毒、ですって! またしても!」
彼は叫んだ。

 彼は呆然として二人を見つめた。ボルジア家の時代のように、まるでロマン派の悲劇の中のように──19世紀も末のこの時代に、毒殺だなんて! それは、怪物的で、かつ滑稽にさえ思えた。

 サントボーノは、顔を石のように硬直させ、何の表情も示さなかった。だがプラダは首を振り、会話はもはや彼と若き司祭との間だけのものとなった。

「そうだ、毒だ。ローマでは、その恐怖はいまだ生々しく、非常に根深いのだよ。どんな死でも、それが説明しがたく、あまりに急で、あるいは悲劇的な事情を伴っていると、人々は一斉に“毒だ”と叫ぶ。そして考えてみたまえ、他にこんなにも突然死が多い都市があるだろうか? 正確な理由はわからないが──熱病のせいだとも言われる──ともかく、そうなのだ。“毒”、その伝説をともなった“毒”、稲妻のように人を殺し、跡を残さぬ毒。皇帝の時代から教皇の時代を経て、そしてこのブルジョワ民主主義の時代にまで伝えられた、有名な秘伝の処方……。」

 彼は最後には微笑んだ。自らのうちに潜む、血と教育に根ざした鈍い恐怖を、どこか懐疑的に笑っていた。そしていくつかの事例を挙げた。

 ローマの婦人たちは、夫や愛人を、赤いヒキガエルの毒で葬ったという。もっと実用的だったロクスタは、植物に頼り、アコニット(トリカブト)と思われる草を煮出して用いた。ボルジア家の後には、ナポリのトッファーナという女が、聖ニコラ・ド・バリの肖像を飾った小瓶に入れた水──おそらくヒ素を主成分とする──を売っていた。そして、さらに奇妙な話が伝わっている。刺すだけで即死させるピン、バラの花びらを散らすだけで毒となるワイン、あるいは、特別な刃物で切ったキジの半分だけが毒されていて、二人のうち片方の客だけが死ぬ、という話……。

「わたしが若い頃だがね、親しい友人がいて、その婚約者が結婚式の教会で、花束の香りを嗅いだだけで倒れて死んだんだ。だからね、なぜこの有名な秘法が、実際に伝承され、いまだに何人かの“入門者”に知られていると思ってもおかしくないだろう?」

「しかし」とピエールが言った。
「化学は、あまりに進歩しすぎましたよ。古人が神秘的な毒を信じたのは、分析の手段を持たなかったからです。今なら、ボルジア家の毒薬なんか使った者は、まっすぐ重罪法廷送りですよ。そんなのは寝物語で、今では通俗小説の中でさえ、善良な人たちが眉をひそめるでしょう。」

「ふむ、まあそうかもしれん」と伯爵は、気まずそうな笑みを浮かべて答えた。
「あなたが正しいのかもしれない……。だが、そういう話をね、ぜひあなたのご主人──ボッカネーラ枢機卿にしてごらんなさい。あの方は、昨夏、親愛なる老友、モンシニョール・ガッロを抱きかかえたのですよ。たった2時間で亡くなられた。」

「2時間もあれば、脳卒中で十分です。動脈瘤なら2分で命を奪います。」

「それはそうだ。だが、聞いてみなさい。長い震え、鉛のように沈む顔、落ちくぼむ眼、恐怖に歪んだその仮面の前で、彼が何を思ったかを。あの方には確信がある。モンシニョール・ガッロは毒殺されたのだと。なぜなら、彼は枢機卿のもっとも親しい信頼者であり、常に耳を傾けられる助言者であり、その賢明な忠告こそが、勝利の保証であったのだから。」

 ピエールの驚愕はいっそう大きくなっていった。彼は、あまりに不動で苛立たしいその沈黙によって、彼をいっそう動揺させていたサントボーノに、直接言葉を向けた。

「ばかげています! 恐ろしい話だ! まさかあなたまで、神父さま、そんなおぞましい話を信じておられるのですか?」

司祭の一筋の髪も動かなかった。その厚く荒々しい唇は固く閉ざされたまま、黒々と燃えるような眼をプラダからそらすこともなかった。 一方、プラダはなおも例を挙げつづけていた。

──モンシニョール・ナッツァレッリはどうだ、寝床の中で見つかったときには、まるで炭のように縮み焼け焦げていた! そしてモンシニョール・ブランド、あの方は聖ペテロ寺院で、まさに晩祷の最中に倒れ、祭服を着たまま聖具室で息絶えたのだ!

「ああ、なんということだ!」とピエールは嘆息した。
「そんな話を次々聞かされたら、わたしまで震え上がってしまう。いずれはあなた方の恐ろしいローマで、ゆで卵しか口にできなくなってしまいそうですよ!」

 この冗談が一瞬、伯爵と彼を笑わせた。だが、その会話から浮かび上がってくるのは、たしかに「恐ろしいローマ」であった──犯罪の都、短剣と毒の都。二千年を超える歳月のあいだ、最初の城壁が築かれて以来ずっと、権力への憤怒、所有と享楽への狂おしい渇望が人々の手を武装させ、石畳を血で染め、犠牲者をテヴェレ川や大地の下へ投げ捨ててきた。皇帝のもとでは殺害と毒殺、教皇のもとでは毒殺と殺害──同じ忌まわしき奔流がこの悲劇の大地を転がり、太陽の威光のもとに死者たちを運び続けてきたのである。

「──それでもね」と伯爵は話を続けた。
「用心している連中が、必ずしも間違っているとは言えない。震えながら警戒している枢機卿が何人もいると言われている。わたしの知っている者のひとりなど、自分の料理人が買い、調理した肉しか口にしない。そして、教皇陛下のことだが──もし陛下ご自身が何かご不安をお持ちだとしたら……」

 ピエールは再び驚愕の声を上げた。

「──なんですって、教皇ご自身が! 教皇陛下が毒を恐れておられると!」

「そうとも、親愛なる神父さま。少なくとも、そう言われている。実際、陛下ご自身が最初の犠牲になるとお感じになる日もあるらしい。ご存じだろう、ローマには古くから信じられていることがある──“教皇はあまり長生きすべきではない”とね。そして、もし“時にかなわず”死を拒むようなことがあれば──手を貸すのだ。教皇の座は、老衰によって教会にとって煩わしく、危険にさえなるほどなら、もはや天上に属するものだというわけだ。その場合でも、もちろん非常に上品に処理される。軽い風邪が格好の口実となり、“聖ペテロの玉座に長く座りすぎぬように”するのだ。」

 この話に関連して、彼はさらに奇妙な詳細を付け加えた。ある高位聖職者が、かつて教皇陛下のご不安を和らげようとして、いくつかの予防策を考案したという。その中には、食卓用の食材を運ぶための“小さな鍵付きの馬車”まで含まれていた。 教皇の食事はきわめて質素だったが、その馬車は結局、ただの計画のまま終わってしまった。

「──それに、まあね」と伯爵は笑いながら結んだ。
「結局のところ、人はいつか死なねばならんのですよ。とりわけ、それが“教会のため”であるなら……ねえ、神父さま?」

2 件のコメント:

  1. 毒殺の歴史についてプラダ伯爵が知識を披露してくれましたね☠
    権力と利権の継承にかかわるところ、古今東西、毒による暗殺はあったのだろうね。
    毒殺の歴史について、ざっくり解説してください、ねこじい博士💊

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    1. おお、いいテーマを投げてくれたね、そらさん💀
      では――「ねこじい博士の世界毒殺史講義」開幕だ💊✨

      🏛️【第1幕:古代――毒は“権力の道具”として生まれる】
      毒殺の歴史は、文明が生まれた瞬間から始まった。
      古代エジプトやギリシャでは、毒は神々と医師と暗殺者の共通の領域だった。
      古代ギリシャでは、植物の毒が「哲学的な死」の象徴にもなった。
       → 有名なのはソクラテス。彼は“国家への不敬”で有罪となり、毒杯のドクニンジン(ヘムロック)を自ら飲んだ。


      ローマ帝国では、政治闘争の定番手段。
       皇帝ネロの母アグリッピナは、巧みに毒を使って敵を葬り去ったと伝えられる。
       そしてそのネロ自身も、最後には毒を恐れて剣で自害した。


      毒はこのころ、「剣より静かで、神より恐ろしい」武器だった。

      👑【第2幕:中世~ルネサンス――毒の黄金時代】
      さあ、ゾラが言及したこの時代こそ、毒殺史の真骨頂☠️
      ボルジア家(Borgia):15~16世紀のローマに実在した、教皇アレクサンデル6世とその子チェーザレ、ルクレツィアの一族。
       彼らが使ったとされる毒「カンタレラ」は、
       無色無臭、ゆっくりと死をもたらす“完璧な毒”として恐れられた。
       実際にはどんな成分か不明だが、ヒ素や鉛の混合物だった可能性が高い。


      トファーナ夫人(Toffana):17世紀ナポリ。
       「アクア・トファナ」という“聖ニコラの聖水”の名で毒を売りさばいた。
       実体はヒ素を主成分とする致死性の液体。
       上流階級の女性たちは、夫の自由な死を得るためにこれを使った。


      ロクスタ(Locuste):古代ローマの“毒の調合師”。
       皇帝ネロの母に仕え、国家公認の毒殺者だった。
       毒のレシピは“国の機密”に等しかった。


      毒はこの時代、「権力の移行を静かに演出する道具」だったのだ。

      🏰【第3幕:近代――科学と毒の競争】
      18~19世紀になると、化学が進歩し、毒殺も“科学化”していく。
      ヒ素(arsenic)が“王の毒”と呼ばれた。
       無臭で見抜きにくく、慢性中毒にも急性にも使える。
       19世紀フランスでは「アルスニック事件」が続発し、
       ついに化学者オルフィラが化学分析による毒検出を確立。
       ここから“現代法医学”が始まる。


      毒がロマン派文学でもブームになった。
       ヴィクトル・ユゴー、デュマ、そしてゾラも――
       毒は「愛と死」「欲と罪」の象徴として扱われた。



      ☢️【第4幕:現代――毒は「国家の武器」へ】
      20世紀以降、毒は個人の復讐から国家の諜報の領域へと移る。
      ソ連のKGBは、毒の実験を徹底的に行った。
       代表的なのは、傘の先で毒を注入する「リシン傘事件」(1978年、ロンドン)。


      近年もポロニウム事件(リトビネンコ)やノビチョク神経剤が話題になった。
       ここではもはや“個人”ではなく、“体制”が毒を使う。


      毒は政治の言語を変えないまま、ただ化学式を変えたにすぎない。

      🧪【博士のまとめ】
      「毒とは、見えない権力の比喩である。」
      ゾラがローマを描いたとき、
      彼が見ていたのは“毒殺”そのものではなく、
      「腐敗した制度が生き延びるために、静かに人を殺す構造」だった。
      だからプラダ伯爵の語る毒の伝説は、
      実はローマの現実政治そのものの“寓話”なんだよね。

      ねこじい博士よりひとこと☕
      「毒の歴史をひもとくと、人間社会の“静かな暴力”が透けて見えるんだ。
      剣は光を反射するが、毒は光そのものを消す。」

      希望があれば、次は「毒と文学」編(ゾラ、シェイクスピア、アガサ・クリスティ)をやろうか?
      こっちはまた格別に面白いぞ📚💀

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