2025年1月30日木曜日

ルルド 第30回

  ベルナデットは敬虔な本を好んだ。そこでは聖母が、優しい微笑みとともに現れるのだった。それでも、彼女が楽しんだ読み物がひとつあった。それは、驚異に満ちた《エイモンの四息子》の物語である。黄ばんだ表紙のその小さな本は、道を誤った行商人の荷から偶然落ちたものらしく、そこには素朴な版画が描かれていた。勇敢な4人の兄弟、ルノーとその兄弟たちが、妖精オルランドから贈られた名馬バヤールに4人一緒にまたがる姿である。そしてそこには血なまぐさい戦いがあり、城塞の建設と包囲戦があり、ロランとルノーの壮絶な剣戟があり、ついには聖地を解放するための戦いへと至るのだった。魔術師モージスの不思議な呪術も、アキテーヌ王の妹であり、陽光よりも美しいとされる王女クラリスも、忘れ去られることはなかった。この物語はベルナデットの想像力を掻き立て、彼女は時折、寝つけなくなることさえあった。とくに、書物を手に取る代わりに、誰かが魔女の話を語る夜などはなおさらである。

 ベルナデットはひどく迷信深かった。日が沈んだ後に、悪魔が棲みついているという近くの塔のそばを通ることなど、決してできなかった。そして、この敬虔で純朴な土地には、まるで神秘が満ち溢れていた。歌う木々、血がにじむ石、3回の「主の祈り」と「アヴェ・マリア」を唱えなければ、「七本角の獣」に遭遇し、娘たちが破滅へと連れ去られるという交差点。数え切れぬほどの恐ろしい物語が語り継がれていた。いったんそれが始まると、夜が更けても誰も話をやめようとはしなかった。

 まずは狼男の物語である。悪魔に操られ、山岳地帯の大きな白い犬の皮をまとって生きねばならぬ哀れな男たち。しかし、彼らの呪いを解く方法があった。もし犬に向けて銃を放ち、その弾が実体に命中すれば、男は解放されるのだ。だが、もし影に当たれば、その瞬間に男は息絶えるのだった。

 次に登場するのは、無数の魔女と魔法使いたち。ベルナデットが特に心を惹かれたのは、あるルルドの書記官の話だった。彼は悪魔を見てみたいと願い、ある魔女に連れられて聖金曜日の真夜中、荒れ地へと向かう。そこに現れたのは、赤い豪奢な衣をまとった悪魔であった。悪魔は書記官に魂を売るよう持ちかける。彼は承諾するふりをするが、その時、悪魔の脇にはすでに魂を売り渡した町の者たちの名が記された帳簿があった。だが書記官は狡猾だった。彼は懐からインク瓶を取り出す。それは、実は聖水の瓶だったのだ。書記官が悪魔に聖水を浴びせると、悪魔は恐ろしい叫び声を上げる。その隙に、書記官は帳簿を奪い逃げ出す。ここから、山を越え、谷を駆け抜け、森を抜け、急流を飛び越えながらの、狂乱の追跡劇が始まる。

「帳簿を返せ!」
「いや、お前には渡さない!」

そしてまた繰り返される。

「帳簿を返せ!」
「いや、お前には渡さない!」

 ついに、書記官は息も絶え絶えになりながらも、ある策を思いつく。彼は祝福された土地、墓地へと駆け込んだのだ。そこから彼は悪魔を嘲笑いながら帳簿を掲げる。こうして、署名してしまった不幸な魂たちを救ったのだった。

 その夜、ベルナデットは眠りにつく前に、心の中で静かにロザリオの祈りを唱えた。彼女は地獄を嘲笑うことができたことに満足しながらも、ふと身震いする。悪魔はきっと、灯りが消えた後も、彼女のそばをうろつき続けるに違いないのだから。

 冬の間ずっと、人々は教会で夜を過ごした。アデル神父が許可し、多くの家族がそこで光を節約するために集まった。それだけでなく、大勢で一緒にいると暖かかったのだ。聖書を読み、皆で祈りを捧げる。子どもたちは次第に眠りに落ちるが、ベルナデットだけは最後まで眠らずに耐えた。神様の家にいることがとても嬉しかったのだ。この狭い身廊の細い肋材は、赤と青に塗られていた。奥には祭壇があり、それもまた彩色され、金箔が施されていた。ねじれた円柱や祭壇画が飾られ、聖アンナのもとにいる聖母マリアや、聖ヨハネの斬首の場面が描かれており、どこか野性的で、荒々しい美しさを放っていた。

 そして、うとうとと夢うつつの境地に入ると、ベルナデットの目には、これらの鮮やかに彩られた聖像が幻のように浮かび上がった。傷口から血が流れ、光輪が燃えるように輝き、聖母マリアが繰り返し現れ、彼女を見つめている。その天の色を宿した瞳が、まるで生きているかのようだった。やがて、聖母は朱を帯びた唇を開き、今にも話しかけようとしているように思えた。こうして何ヶ月もの間、ベルナデットは夜ごとに、ぼんやりとしたまま豪奢な祭壇を見つめ、神秘的な夢の始まりを心に抱いて眠りについた。彼女はまるで神の使いに見守られているようだった。

 そして、この信仰に満ちた古い小さな教会で、ベルナデットは初めてカテキズム(教義問答)を学び始めた。もうすぐ14歳になろうとしており、初聖体を受けるにはそろそろ良い時期だった。だが、彼女の里親は金に細かい人で、ベルナデットを学校に通わせず、朝から晩まで家の仕事を手伝わせていた。バルベ先生という教師の授業には一度も出たことがなかった。しかし、ある日、アデル神父が体調を崩し、代わりにバルベ先生がカテキズムの授業を行った際、ベルナデットの敬虔さと慎ましやかさに気づいた。

 アデル神父はベルナデットをとても可愛がり、彼女のことをよく教師に話していた。「彼女を見るたびに、私はラ・サレットの子どもたちを思い出す」と言っていた。ラ・サレットの子どもたちも、ベルナデットと同じように素朴で、優しく、敬虔だったからこそ、聖母が彼らに姿を現したのだろう、と。

 ある朝、村の外れで、アデル神父と教師の2人が遠くにベルナデットの姿を見つけた。彼女は小さな羊の群れを連れて、大きな木々の間へと消えていった。神父は何度も振り返りながら、また口にした。「なぜかわからないが、この子を見ると、あの小さな羊飼いのメラニーの姿が浮かんでくる。ラ・サレットのマクシマン少年と共にいたあの少女のように思えるんだ。」

 この考えは、神父にとって単なる思い付きではなく、まるで予言のように彼の心をとらえていた。そしてある日、カテキズムの授業の後、あるいは教会での夜の祈りの際に、神父は人々に語ったのだった。――それは12年前の出来事だった。

「まばゆいばかりの衣をまとった聖母が、草の上を歩いたのに、草一本として踏みしだかれることはなかった。彼女はラ・サレットの山の小川のほとりに現れ、メラニーとマクシマンの2人に大きな秘密を授け、その子たちに御子の怒りを伝えたのだ。その日以来、聖母の涙から生まれた泉が奇跡を起こし、あらゆる病を癒してきた。しかし、その時に告げられた秘密は、3つの蝋印を押された羊皮紙に記され、今もなおローマに封印されたままだ。」

 ベルナデットはこの話を夢中になって聞いていた。いつものように、眠っているのか目覚めているのかわからない静かな表情で。そして翌日から、彼女はまた一人で木々の中に入り込み、羊の後を追いながら、この話を心の中で繰り返し思い返したのだった。彼女の細い指の間で、一粒一粒のロザリオの珠が静かに滑っていく。




4 件のコメント:

  1. カテキズム(教義問答)とはどういうものですか?

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    1. カテキズム(catéchisme)とは、キリスト教(特にカトリック)における教義の基本を問答形式で教える教育のことです。特に **「初聖体(初めての聖体拝領)」** や **「堅信礼(洗礼の確認)」** の準備として、子どもたちが受ける宗教教育を指すことが多いです。

      ### **カテキズムの特徴**
      1. **問答形式**
      - 伝統的には、司祭や教理教師が質問を投げかけ、生徒が決められた答えを暗記・復唱する形が一般的でした。例えば:
      - Q:「神様は誰ですか?」
      - A:「神様はすべてのものを造られた、永遠に存在するお方です。」
      - ただし、近代のカテキズム教育では、暗記よりも理解を重視する形に変わってきています。

      2. **基本的な教義を学ぶ**
      - 神とは何か、三位一体、イエス・キリストの生涯、十戒、七つの秘跡(洗礼、聖体、堅信、告解、病者の塗油、叙階、婚姻)、祈りの方法などを学びます。

      3. **初聖体や堅信礼の準備**
      - カトリックでは、7歳頃からカテキズムの授業を受け、9~12歳頃に「初聖体」を受けるのが一般的です。
      - また、思春期以降に「堅信礼」を受けるための準備としても学びます。

      ### **ベルナデットとカテキズム**
      『ルルド』のこの場面では、貧しさのために学校へ通えなかったベルナデットが、14歳になってようやくカテキズムを受け始め、初聖体に向けて準備していることが描かれています。彼女は知識こそ少なかったものの、素朴で純粋な信仰心を持っていたため、神父や教師たちの目に留まりました。

      カテキズムは、単なる勉強ではなく、信仰を育てる大切な時間と考えられています。そのため、ベルナデットが教会の晩の集まり(veillée)で半ば夢うつつの状態で神のビジョンを見ていたのも、彼女の内面に深く宗教的な感受性が育っていたことを示しているのかもしれません。

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  2. メラニーとマクシマンに聖母が現れた話を神父が紹介していますが、ルルド以前にそういう聖母降臨的なことは語り伝えられていたということですか?

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    1. はい、その通りです。ルルドの聖母出現(1858年)以前にも、**聖母マリアが人々に現れたとされる伝承** は複数存在していました。その中でも特に有名なのが、**「ラ・サレットの聖母出現」(1846年)** です。この出来事は、ベルナデットの時代にはすでに広く知られ、信仰の篤い人々の間で語り継がれていました。

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      ## **ラ・サレットの聖母出現(1846年)**
      ### **概要**
      - **日時**:1846年9月19日
      - **場所**:フランス南東部、アルプス山脈にある **ラ・サレット村**
      - **目撃者**:
      - **メラニー・カルヴァ(Mélanie Calvat)**(当時14歳)
      - **マクシマン・ジロー(Maximin Giraud)**(当時11歳)
      - **聖母の姿**:
      - きらびやかなローブをまとい、涙を流しながら現れたとされる。
      - しばらく座ったまま話し、その後、立ち上がって光の中に消えていった。

      ### **聖母のメッセージ**
      - 人々が神の戒めを破り、敬虔な生活を送らなくなっていることを嘆き、「改心しなければ大きな罰が下る」と警告。
      - 具体的には「日曜日を聖なる日として守ること」「神を冒涜しないこと」などを求めた。
      - 2人の子どもに「秘密のメッセージ」を与えた(後にローマ教皇へ伝えられた)。

      ### **ラ・サレットの奇跡**
      - 出現の後、村の近くの泉が「聖母の涙」とされ、その水が病を癒すと信じられるようになった。
      - その後、ラ・サレットには巡礼地が築かれ、多くの人々が訪れるようになった。

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      ## **ルルドの聖母出現(1858年)との関係**
      ### **1. 神父アデールの発言**
      - 『ルルド』の該当箇所では、**アデール神父がベルナデットを見て、「彼女はラ・サレットのメラニーを思い出させる」と語る** 場面があります。
      - これは、ベルナデットの素朴で敬虔な性格が、ラ・サレットの聖母を目撃したメラニーに似ていると感じたためです。
      - 実際に、ラ・サレットもルルドも **「貧しい少女に聖母が現れる」という共通点** を持っていました。

      ### **2. フランスにおける「聖母信仰」の高まり**
      - ラ・サレットの聖母出現は **ルルドの出来事の先駆け** として、当時のフランスで **「聖母が人間にメッセージを伝える」** という信仰を強める役割を果たしました。
      - ラ・サレット以外にも、19世紀フランスでは **聖母が出現したとされる伝承** がいくつかありました。例えば:
      - **1830年:パリの「奇跡のメダイ」の聖母出現(カタリナ・ラブレ)**
      - **1846年:ラ・サレット**
      - **1858年:ルルド**
      - これらは **フランス革命後の混乱した社会の中で、宗教的信仰を取り戻そうとする動き** の一環とも言えます。

      ### **3. 「泉」や「奇跡」との共通点**
      - ラ・サレットでは **「聖母の涙」から湧き出た泉** が病を癒すとされ、信仰の対象となりました。
      - ルルドでも **「聖母の指示でベルナデットが掘った泉」** から奇跡の水が湧き出ました。
      - **「聖母が現れ、奇跡の泉が生まれる」** というパターンが繰り返されているのは興味深い点です。

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      ## **まとめ**
      ルルドの聖母出現は、決して単独の出来事ではなく、**ラ・サレットをはじめとするフランス各地の聖母伝承の流れの中にある** ことがわかります。特にラ・サレットの物語は、ルルド以前にフランス全土に広まり、**「貧しい子どもに聖母が現れ、メッセージを与える」という型を確立した** 重要な出来事でした。

      ベルナデットがカテキズムを学びながら、ラ・サレットの話に強く惹かれたのも、彼女自身がまさにそのような体験をすることになる運命にあったからかもしれません。

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ルルド 第169回

第五章  旅は続いた。列車は走り、走り、ひたすらに走り続けた。  サント=モール駅ではミサの祈りが唱えられ、サン=ピエール=デ=コール駅ではクレド(信仰宣言)が歌われた。だが、信心の実践ももはやそれほど熱を帯びてはいなかった。長い間、高揚していた魂が、帰路の疲労とともに、やや冷め...