そこでピエールは、彼女のそばに留まろうとした。しかし、この広場はすべて病人のために確保されており、担架係の立ち入りは許されていなかった。群衆の波に押し流されるまま、彼は自然と浴場の方へ向かい、そこで目を奪われるような光景に出くわした。
三つの浴場施設の前には、それぞれ三つずつ浴槽があり、女性用が六つ、男性用が三つあった。その浴場の前に、木々の下に広がる広場があり、太い綱が幹に結びつけられ、その一角が区切られていた。そこでは、病人たちが小さな車椅子や担架に乗せられ、順番を待っていた。一方、その綱の向こう側には、熱狂する大勢の人々が押し寄せていた。
ちょうどその時、一人のカプチン会の修道士が、その隔てられた空間の中央に立ち、祈りを導いていた。次々と唱えられる「アヴェ・マリア」が、群衆の間でさざめくような不明瞭な呟きとなって響いていた。そして、ついにヴァンサン夫人の番が来た。彼女は長い間、不安で顔色を失ったまま待ち続けていたが、ついに、愛しい娘を腕に抱えて中へ入っていった。その娘はまるで蝋で作られた幼子イエスのようだった。
すると、修道士は突然、膝をつき、両腕を十字に広げて叫んだ。
「主よ、我らの病人を癒したまえ!」
この叫びを10回、20回と繰り返し、そのたびに群衆もそれに続いた。声は次第に熱狂を帯び、嗚咽が混じり、地面に口づけする者まで現れた。まるで狂気の風が吹き抜けたかのように、人々の額は次々と地に伏せられていった。
ピエールは圧倒された。その場に満ちる苦悶のすすり泣き——最初はただの祈りであったものが、次第に高まり、やがて、天に訴えかける怒りと化していった。激しく、容赦なく、轟くような声で、天を揺さぶるように繰り返される叫び。
「主よ、我らの病人を癒したまえ!……主よ、我らの病人を癒したまえ!……」
その叫びは止むことがなかった。
しかし、そこである出来事が起こった。グリヴォットが激しく涙を流して泣き始めたのだ。なぜなら、彼女は浴槽に入ることを許されなかったからである。
「だって、あたしが肺病だからって、冷たい水に浸けることができないんだって言うのよ……今朝だって、一人、肺病の人を浸けてたのを見たのに。なのに、どうしてあたしはダメなの?……もう30分も頼み続けてるのに、全然聞いてくれない。こんなことしてたら、聖母様が悲しむわよ! でも、あたしにはわかるの、絶対に治るって! 治るに決まってる!」
彼女が騒ぎを大きくし始めたので、浴場の司祭の一人が近づいてきて、なだめようとした。「まあ、様子を見ましょう。あとで、敬愛なる神父方の意見を聞いてみます。おとなしくしていたら、もしかしたら浴槽に入れてもらえるかもしれませんよ。」
それでも、群衆の叫びは鳴りやまなかった。
「主よ、我らの病人を癒したまえ!……主よ、我らの病人を癒したまえ!……」
ピエールはその声に包まれながら、浴場の前で待っているマダム・ヴェトゥの姿を見つけ、目を離すことができなかった。彼女の顔には苦しみと希望が入り混じり、扉に釘付けにされたかのような視線を注いでいた。そこからは、選ばれた者たち、奇跡によって癒やされた者たちが出てくるのだった。
そしてその時、祈りの声がいっそう激しくなり、懇願の狂気が頂点に達する中、ヴァンサン夫人が再び現れた。彼女は腕に愛する娘を抱えていた。その哀れな、かけがえのない娘は、意識を失ったまま冷たい水に浸されたのだ。少女の小さな顔は、まだきちんと拭われておらず、濡れたままの頬に血の気がなく、目を閉じたまま、先ほどよりもさらに苦しげで、生気がないように見えた。
長引くこの苦しみの中で、母親はまるで磔にされたように打ちのめされていた。聖母の御心に届かなかった絶望に、娘の苦しみにすら気づかず、彼女は泣き崩れていた。
そして、その直後、今度はマダム・ヴェトゥの番となった。まるで死にかけた者が生命を求めて最後の一滴を飲み干そうとするかのように、彼女は烈しい決意と共に浴場へと足を踏み入れた。その瞬間、群衆の叫びは再び響き渡った。
「主よ、我らの病人を癒したまえ!……主よ、我らの病人を癒したまえ!……」
誰一人、失望も疲れも見せなかった。祈りは執拗に続き、カプチン会の修道士は地面に顔を伏せた。群衆は腕を十字に広げ、叫びながら、大地に口づけをしていた。
ピエールはヴァンサン夫人のもとへ行き、慰めの言葉をかけようとした。しかし、巡礼者たちの波に阻まれ、通ることができず、押し戻されてしまった。そして気がつくと、彼は泉のそばにいた。そこもまた、別の人だかりが取り囲んでいた。
泉は低い造りの石造りの施設で、長い壁の上に削り出された屋根がついていた。12の蛇口からは絶えず水が細い水槽に流れ落ちていたが、それでも人々は順番待ちの列を作らざるを得なかった。多くの者が、ここで瓶やブリキ缶、陶器の水差しに水を汲んでいた。
水の無駄遣いを防ぐため、蛇口はボタンを押したときにしか水が出ない仕組みになっていた。そのため、女性たちは力のない手で蛇口を押さえ続け、足元をびしょ濡れにしながら水を汲んでいた。容器を持たない者たちは、直接水を飲んだり、顔を洗ったりしていた。
ピエールは、その中に一人の若い男を見つけた。彼は小さなコップで七回水を飲み、目を七度洗っていた。それも、拭くことなく、そのままにしていた。
ほかにも、貝殻や錫製のカップ、革袋で水を飲む者たちがいた。
しかし、ピエールが最も目を引かれたのは、エリーズ・ルケの姿だった。彼女は、自らの顔を蝕むひどい潰瘍のせいで、浴場へ行っても意味がないと判断し、朝からずっと、この泉の水で1時間ごとに患部を洗っていた。
彼女は泉の前に跪くと、肩にかけていたスカーフを脇へ寄せ、布に水をたっぷりと含ませ、それをまるでスポンジのように患部へ押し当てた。
しかし、その周囲では人々が熱狂のあまり我を忘れていた。彼女の恐ろしい傷跡のある顔を見ても、誰も驚くことはなく、何事もないかのように、その蛇口で手を洗い、口をすすいでいた。
集団での祈りなどの宗教行為は、異様な雰囲気を醸し出し、熱狂を生み出すことがありますね。これは宗教に限らず、一定の状況下で起きる集団心理だと思いますが、なぜ人間にはこのような心理作用があるのでしょうか?
返信削除それはまさに「集団心理」の働きで、人間の本能や社会性と深く関わっています。特に宗教儀式や群衆の熱狂的な行動には、以下のような心理メカニズムが作用していると考えられます。
削除### 1. **同調行動(コンフォーミティ)**
- 人間は社会的な動物であり、周囲の行動に影響を受けやすい。特に大勢が同じ行動を取っていると、それに従わないことに不安を感じ、自然と同じように振る舞おうとする。
- ルルドでの「**Seigneur, guérissez nos malades!**(主よ、病者をお救いください!)」という祈りの繰り返しも、一種の集団的なリズムによるもの。個々の信念というより、集団のエネルギーに飲み込まれている可能性がある。
### 2. **没個性化(ディ・インディビジュアリゼーション)**
- 大きな集団の中では、個人のアイデンティティが薄まり、自分の行動に対する責任感も低下する。この結果、普段ならしないような行動(涙ながらの叫び、土を口づけするなど)を取ることがある。
- 宗教行事だけでなく、暴徒化するデモやフーリガンの暴動にも見られる現象。
### 3. **感情の伝染(エモーショナル・コンタギオン)**
- 人間の脳は、他人の感情を映し取る「**ミラーニューロン**」の働きにより、周囲の感情に強く影響される。大勢が祈り、涙を流していると、その雰囲気に引き込まれ、自分の感情も高ぶってしまう。
- これはスポーツ観戦やライブコンサートでも見られる現象で、集団の熱狂は自己強化的に増幅される。
### 4. **トランス状態(エクスタシス)**
- 単調なリズムの繰り返し(祈りの詠唱、手拍子、歌など)や、強い感情の高まりによって、人はトランス状態に入りやすい。
- ルルドの場面では、繰り返される祈りの声と、奇跡への期待が相まって、信者たちは集団的な「恍惚感」に包まれている。
### 5. **奇跡への期待と合理化**
- ルルドの巡礼者たちは、奇跡を信じているため、何かしらの「証拠」を求める心理が働く。誰かが「回復した!」と言えば、それが真実かどうかを検証する前に、集団全体で信じ込みやすい。
- これも宗教に限らず、カルト的な政治運動や、特定の陰謀論を信じる集団でも見られる。
### **宗教に限らず起こる集団心理の例**
- **ナチスドイツの集会や戦争プロパガンダ**
- **スポーツ観戦での過激な応援や暴動**
- **カルト教団の儀式やマスゲーム**
- **株式市場の暴落・バブルの形成**
- **社会運動や革命時の群衆の熱狂**
人間は本質的に「社会的な動物」であり、特に強い感情が共有される場では、個人の理性よりも集団の勢いが支配的になりやすいんですね。
ルルドの巡礼者たちも、それぞれが個別の信仰を持っているというより、「その場の空気」に巻き込まれている側面が大きいと思います。奇跡を信じる気持ちと、周囲の期待や熱狂が絡み合い、結果として異様な光景を生み出しているのでしょう。
この集団心理の力は、人間社会を形作る大きな原動力にもなりますが、時として盲目的な行動につながる危険性もありますね。