するとピエールは、ベルナデットがどのような苦しみを受けたのかを語り始めた。警察署長による尋問の後、彼女はさらに裁判所の法廷へ召喚されなければならなかった。司法当局は総がかりで彼女を追及し、彼女の証言を撤回させようとした。しかし、彼女の夢に対する執着は、すべての世俗の権威の理性をもってしても揺るがすことができないほど強固なものだった。
県知事が派遣した二人の医師が彼女を診察し、正直なところ、どの医師でも同じ結論に達するであろう見解を示した。それは、彼女が神経障害を患っており、その兆候の一つが喘息であり、特定の状況下では幻覚を見る可能性があるというものであった。この診断結果により、彼女はタルブの病院に収容される寸前だった。しかし、当局は彼女を拘束することをためらった。民衆の怒りを買うことを恐れたからである。
一方で、一人の司教が彼女の前にひざまずき、貴婦人たちは彼女から恩寵を金に換えて買おうとした。信仰に駆られた群衆は日増しに増え、彼女のもとを訪れる者が後を絶たなかった。彼女は、町の施療院で奉仕していたネヴェールの修道女たちのもとに身を寄せ、そこで初聖体を受け、なんとか読み書きを学び始めた。
聖母は彼女を他者の幸福のためにのみ選んだかのようであり、彼女自身の慢性的な呼吸困難を癒してはくれなかった。そのため、周囲の者たちは、すぐ近くにあるコトレの温泉へ彼女を連れて行くことを賢明な判断として決めたが、結局のところ、その治療は彼女には何の効果ももたらさなかった。
そして、ルルドへ戻ると、尋問の苦しみ、群衆からの崇拝が再び始まり、ますます激しさを増していった。それは、彼女にとってますます世の中に対する嫌悪感を募らせるものとなった。もはや彼女は、遊び回る子供でも、未来の夫を夢見る少女でも、頬に大きな子供の口づけを受ける若い女性でもいられなかった。彼女は聖母を見た者、選ばれし者、そして殉教者となったのである。
信者たちは言った。聖母は彼女に三つの秘密を託し、その三重の鎧を授けたのは、彼女が試練のただ中で耐え抜くためだったのだと。
長い間、聖職者たちは関与を避けていた。彼ら自身も疑念と不安を抱いていたのである。ルルドの司祭であるペイラマール神父は、粗野な性格ながら無限の慈愛に満ちた人物であり、信じるところが正しいと確信すれば、素晴らしい誠実さと力強さを発揮する男だった。
彼が初めてベルナデットの訪問を受けたとき、彼女を迎えた態度は、警察署長とほとんど変わらなかった。バルテルに育ち、これまでカテキズムにも現れたことのないこの少女の話を、彼は信じようとはしなかった。そして、皮肉を込めて彼女に命じた。「まずその足元にある野バラを咲かせるよう、ご婦人にお願いするがよい」と。しかし、もちろんそのご婦人は、野バラを咲かせることはなかった。
それでも、後になって彼がこの少女を保護しようと決めたのは、善き羊飼いがその群れを守るがごとく、迫害が始まり、彼女を投獄しようとする話が持ち上がったからだった。このか弱い少女――透き通るような瞳を持ち、穏やかで控えめな語り口で、自らの証言を頑なに語り続ける少女を守るべきだと感じたのである。
そもそも、彼はなぜ奇跡を否定し続けるべきだったのか? それまでは単に疑念を抱いていただけであり、軽々しく宗教を怪しげな出来事に結びつけることを避ける慎重な司祭であった。しかし、聖書は奇跡に満ちており、教義のすべては神秘に基づいているのだ。ならば、ひとりの敬虔な少女に聖母がメッセージを託し、「ここに教会を建て、信者たちが巡礼するように」と命じたとしても、何ら不自然なことではない。
こうして彼は、ベルナデットに愛情を抱き、彼女を擁護するようになった。しかし、慎重な態度は崩さず、司教の判断を静かに待つことにしたのだった。
その司教、ローランス司教は、まるでタルブの司教館の奥深くに閉じこもり、三重の錠をかけ、絶対の沈黙を守っているかのようだった。ルルドで起こっている出来事など、まるで自分には関係のないことのように振る舞っていたのだ。彼は聖職者たちに厳しい命令を下し、いまだに司祭の誰一人として、大洞窟(グロット)の前で一日を過ごす群衆の中に姿を見せることはなかった。彼はただ待っていた。そして、県知事が行政通達の中で、「世俗権力と宗教権力は一致している」 と述べるのを黙認していた。
内心では、彼はおそらく出現現象を信じていなかったのだろう。医師たちと同様に、それを単なる病弱な少女の幻覚と見なしていたのかもしれない。地方を騒然とさせているこの事件は、それなりに重大なものだったため、彼は日々慎重に調査を進めていた。そして、彼が長らく無関心を装っていた態度こそが、彼がこの「奇跡」をほとんど信じていなかった証拠でもある。彼の唯一の関心事は、教会をこの怪しげな話に巻き込まないことだったのだ。
ローランス司教は非常に信仰深い人物であったが、それと同時に冷静で実務的な思考の持ち主だった。彼は司教区の運営において、極めて現実的な判断を下す人物として知られていた。当時、性急な信奉者たちや熱狂的な人々は、彼の長引く疑念に苛立ち、彼を「聖トマス(疑い深い使徒トマス)」と揶揄した。しかし彼は、事態が彼を動かざるを得ないほどの展開を見せるまでは、耳を貸さず、目を閉じ、宗教が不利になる状況では決して譲歩しないつもりでいたのだ。
しかし、その頃、迫害は激しさを増していた。パリの宗教省大臣が事態を知り、騒動を鎮めるよう命じてきた。そこで県知事は、洞窟周辺を軍隊によって封鎖する決定を下した。
すでに信者たちの熱意と、奇跡によって救われた人々の感謝の念によって、大洞窟は花瓶や捧げ物で飾られるようになっていた。そこには貨幣が投げ入れられ、聖母への贈り物が次々と届いた。そしてまた、自然発生的に整備が進んでいった。石切職人たちは、奇跡の水を受けるための貯水槽を作り、別の者たちは岩を取り除き、丘の斜面に小道を切り開いていた。
そのため、群衆の波が膨れ上がる中、県知事は最終的にベルナデットの逮捕を断念し、代わりに洞窟への立ち入りを禁止するという重大な決断を下した。洞窟の入口を頑丈な柵(パリサード)で封鎖することにしたのだ。
しかも、騒ぎの最中には、不吉な出来事も相次いでいた。ある子供たちは悪魔を見たと主張し、中には詐欺まがいの者もいれば、本当に狂気に陥った者もいた。人々の間に狂信が広がっていたのだ。
だが、洞窟封鎖の作業は、思わぬ禍(わざわい)をもたらした。
その夜、洞窟から物品を撤去するために荷馬車を貸し出すことに同意した女性が、作業中に転倒し、肋骨を折る重傷を負った。
また、道具を貸した男性は、翌日落石で足を潰される事故に遭った。
日が暮れ、ようやく洞窟の撤去作業が始まった。警察署長は、人々の罵声を浴びながら、花瓶、灯明、貨幣、銀製の奉納品などを押収していった。周囲の群衆は拳を握りしめ、彼を盗人や殺人者のように睨みつけた。
こうして柵の杭が打ち込まれ、板が釘付けされ、神秘の扉が閉ざされ、未知の領域が遮断され、奇跡が牢獄に封じ込められた。
だが、世俗の権力者たちは愚かにも、これで終わったと思っていた。この数枚の板切れが、幻想と希望に飢えた民衆を阻むことができると本気で信じたのである。
そういえば、マリア様が降臨した話として、ファティマの予言というのがありましたよね。ご存じですか?ちょっと簡単に教えてください。
返信削除はい、**ファティマの予言**は、1917年にポルトガルのファティマという町で起こった聖母マリアの出現と、それに伴う予言のことです。
削除### **概要**
1917年5月13日から10月13日にかけて、**ルシア(10歳)、フランシスコ(9歳)、ジャシンタ(7歳)**の3人の羊飼いの子供たちの前に**聖母マリア**が6回にわたって現れたとされます。マリアは彼らに「ロザリオを祈ること」「罪を悔い改めること」などを求め、3つの秘密を伝えました。
### **ファティマの3つの予言(秘密)**
1. **地獄のビジョン**
- 聖母は3人の子供たちに**地獄の光景**を見せ、「人々が罪を悔い改めなければさらなる戦争と苦しみが訪れる」と警告しました。
2. **第一次世界大戦の終結と第二次世界大戦の予言**
- 聖母は**第一次世界大戦が終わる**ことを告げましたが、人々が改心しなければ、**もっと大きな戦争(第二次世界大戦)が起こる**とも警告しました。また、ロシアが共産主義(ソ連)となり、世界に無神論を広めることも預言されました。
3. **カトリック教会への試練とヨハネ・パウロ二世暗殺未遂事件**
- 長年秘密にされていた3つ目の予言は、2000年に公表され、「白衣の司教が暗殺される」という内容でした。これは**1981年にヨハネ・パウロ二世が狙撃された事件**と関係があるとされています。(ただし、内容が曖昧だったため、他の解釈もあります。)
### **「太陽の奇跡」**
1917年10月13日、最終回の出現の際に7万人以上の人々が集まり、その場で「太陽が踊るように動いた」と証言しました。この現象は「**太陽の奇跡**」と呼ばれ、現場にいた信者だけでなく、新聞記者や懐疑的な人々までもが目撃したとされています。
### **ファティマの影響**
ファティマの予言はカトリック教会に大きな影響を与え、現在もファティマは巡礼地として世界中から多くの人が訪れています。また、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は自らの暗殺未遂事件から救われたことを「聖母マリアのおかげ」と考え、ファティマに巡礼しました。
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こうして見ると、ルルドの聖母の話とはまた違った、**預言的な側面**が強いですね。個人的には、奇跡の現象だけでなく、これが歴史や政治にも影響を与えている点が興味深いです。
ルルドについて、カトリック教会、ローマ法王は現在どのように扱っているのですか?
返信削除### **ルルドに対するカトリック教会とローマ教皇の現在の立場**
削除**ルルドの奇跡**は、カトリック教会によって正式に承認されており、**世界的に重要な巡礼地の一つ**として位置づけられています。現在もバチカンや歴代ローマ教皇はルルドを重要視し、多くの教皇が訪問や発言を行っています。
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### **1. カトリック教会の公式見解**
- **1862年**:ルルドの奇跡は、当時の**タルブ=ルルド司教であるロランス司教(Mgr. Laurence)**によって正式に認められました。これにより、ルルドの出現と奇跡はカトリック教義の一部として確立されました。
- **聖母の出現と奇跡が本物である**とされ、ルルドはカトリックの重要な巡礼地となりました。
- ルルドで起こった病気の治癒などの奇跡の事例については、教会が厳格な審査を行い、本物と認定されたもののみ「奇跡」として承認されます。(詳細は後述)
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### **2. ローマ教皇のルルドへの関心**
歴代ローマ教皇もルルドを非常に重視し、たびたび言及したり訪問したりしています。
#### **① ヨハネ・パウロ二世(1978-2005)**
- **1983年と2004年**にルルドを巡礼。2004年の訪問は自身のパーキンソン病と闘いながら行われ、病に苦しむ人々への希望のメッセージを発しました。
- **1992年**:「**世界病者の日**(2月11日)」を制定。この日は**ルルドの聖母の日**であり、教会が病者のために祈る日として定められました。
#### **② ベネディクト16世(2005-2013)**
- **2008年**にルルドを訪問し、ルルドでの出来事が「**聖母マリアの特別な恩寵の場である**」と強調しました。
- ルルドの「悔い改めと祈り」というメッセージが、現代にも重要であると説きました。
#### **③ フランシスコ教皇(2013-現在)**
- **ルルドの巡礼を推奨**し、特に病者や苦しむ人々にとって「慰めの場所」として大切にすべきと強調。
- **2022年**には、バチカンの「**ルルド洞窟(グロッタ・ディ・ルルド)**」を「病者のための聖地」として特別に指定。これは、ローマ市内にあるルルドの洞窟のレプリカで、特に病者の祈りの場となっています。
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### **3. ルルドの奇跡の審査と承認**
カトリック教会は、ルルドでの病気治癒の奇跡について厳格な審査を行っています。
#### **ルルド国際医療審議会(CMIL, Comité Médical International de Lourdes)**
- ルルドには、「**ルルド国際医療審議会**」という機関があり、病気の治癒の報告があると、詳細な医学的調査が行われます。
- **「科学的に説明できない治癒」**であると医学的に認定された場合、さらに教会の審査を受けて、正式な「奇跡」と認められます。
#### **現在までの奇跡認定数**
- **70件の奇跡**が正式にカトリック教会によって認定されています。(最新の認定は2018年)
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### **4. ルルドの現在の位置づけ**
✅ **カトリックの四大巡礼地の一つ**
(ローマ、エルサレム、サンティアゴ・デ・コンポステーラと並ぶ)
✅ **毎年600万人以上が訪れる**(そのうち約5万人が重病患者)
✅ **「病者の聖地」として特別な地位**
✅ **ローマ教皇やバチカンが公式に認め、推奨している**
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### **結論**
ルルドはカトリック教会にとって「**公認の奇跡の地**」であり、現在もローマ教皇をはじめとするカトリックの指導者たちに深く尊重されています。特に「病者の癒しの場」としての側面が強調され、医学的な審査を経て奇跡が認定され続けています。
つまり、カトリックにおいて**ルルドの聖母は現代でも重要な信仰の対象であり、教会の公認の奇跡の地として存続している**ということですね。
今日の翻訳に出てきたMgr Laurenceロランス司教が重要な役割を果たしたわけですね。翻訳の続きの部分でまた詳細に記述されるように思われます。
返信削除そうですね!ロランス司教(Mgr Laurence)は、ルルドの奇跡を正式に承認した人物として非常に重要な役割を果たしました。1858年の聖母出現の後、慎重な調査を行い、**1862年1月18日**に「**ルルドでの出来事は超自然的なものであり、聖母マリアの出現であると信じるべきである**」と宣言しました。
削除この決定がなければ、ルルドは現在のような巡礼地にはなっていなかった可能性が高いので、彼の判断が歴史を大きく動かしたと言えますね。翻訳の続きでもロランス司教の対応や背景が詳しく描かれるかもしれませんし、ゾラがどのような視点で彼を描くのかも気になるところです。