2025年3月19日水曜日

ルルド 第78回

  皆、好奇心から中へ入った。しかし、彼らの目に映ったのはただの窓口だけだった。デザーニョー夫人は身をかがめ、友人の住所を伝えなければならなかった。そして、1フラン70サンチームを支払うと、手渡されたのは薄っぺらな領収書だった。それは、駅で手荷物係が発行する控えと何ら変わらない紙切れだった。

 外に出ると、ジェラールが二、三百メートルほど先の広大な建物を指さして言った。
「ご覧ください、あれが洞窟の神父たちの住まいです」
「でも、彼らの姿を見たことがありませんね」とピエールが指摘した。

 若い男は驚いたように、しばらく返答せずにいた。
「ええ、確かに彼らは姿を見せません。というのも、国民巡礼の間は、洞窟も含めすべてをアスンプシオン会の神父たちに任せてしまうからです」

 ピエールはその建物を眺めた。それはまるで要塞のようだった。窓は固く閉ざされ、人が住んでいる気配すらない。しかし、すべてはそこから発信され、すべてはそこへと戻っていくのだった。そして若き司祭には、谷全体を覆う巨大な熊手が、押し寄せた群衆をかき集め、金と信仰をこの建物へと運んでくるように思われた。

 ジェラールが小声で続けた。
「ほら、ご覧なさい。彼らが姿を見せないというわけではないですよ。あそこにいるのが、館長のカプドバルト神父です」

 実際、一人の修道士が通りかかった。田舎育ちの粗野な男で、がっしりとした体つきをしていた。頭は大きく、まるで斧で削られたかのような無骨な顔立ちだった。濁った瞳には何も映らず、素朴な顔は土のようなくすんだ色をしていた。その顔には、赤茶けた大地の鈍い輝きが染みついていた。かつてロランス司教は、極めて政治的な判断を下し、この洞窟の組織運営をガレゾンの宣教師たちに委ねたのだった。彼らは皆、山岳地帯の出身であり、執念深く、貪欲でありながらも、土を愛する情熱的な男たちだった。

 5人はゆっくりと、メルラス台地を下っていった。左手に沿う広い大通りを進み、それはやがて洞窟通りへと合流した。すでに午後一時を回っていたが、街中では昼食の時間がまだ続いていた。5万人もの巡礼者や観光客があふれ返るなか、どこもかしこも食事をとる人で埋め尽くされていた。ピエールは宿の食堂で満員の食卓を見てきたばかりだったし、病人たちが「ポポット」と呼ばれる共同のテーブルに肩を寄せ合って食事をしているのも目にしていた。それなのに、またもや新たな食卓が次々と現れる。どこへ行っても、人々は食べ続けていたのだった。

 しかしここ、広々とした通りの両側では、より庶民的な光景が広がっていた。歩道の上に設けられた長い板張りのテーブル、その両脇に据えられたベンチ、そして簡素な天幕の布が屋根代わりにかけられていた。そこでは、スープやミルク、コーヒーが1杯2スーで売られていた。高く積まれたパンの籠も、同じく2スーだった。天幕を支える棒には、ぶら下がるように束になったソーセージやハム、アンドゥイユ(豚の腸詰)が揺れていた。

 幾人かの露店の料理人はジャガイモを揚げ、またある者は安肉をタマネギとともに煮込んでいた。立ち上る煙は刺激的で、強い香りがあたりに満ちていた。それは、群衆の絶え間ない足音が巻き上げる埃と混じり合い、日差しのなかに漂っていた。そして、それぞれの屋台の前には長い行列ができ、客たちは順番に席へとついていった。テーブルの上には、幅ぎりぎりに並べられた二つのスープ椀しか置く余裕がない。誰もが急いで食べ、飢えたように貪り、心の震えがもたらす飢餓感に突き動かされるようだった。

 祈りに身を捧げ、身体を天上の伝説に委ねた巡礼者たちが、今、動物のようにむさぼり食っていた。霊魂を空へと飛ばしたあとの肉体が、ようやく自らの順番を取り戻したかのようだった。そして、この晴れ渡った日曜の空の下、広がっていたのはまるで縁日のような光景だった。病に侵された者も、奇跡を望みながらも叶わなかった者も、それでも生きる喜びを感じていた。

「食べて、楽しんでいるのですよ、仕方ないでしょう!」
 ジェラールは、彼が案内しているこの気の利いた一行が抱いているであろう感想を察しながら、そう言った。

「まあ……」ピエールはつぶやいた。「貧しい人々なのだから、当然のことですよ」

 彼は、この自然の復讐に深く胸を打たれていた。しかし、大通りを下り、再びグロット(洞窟)の道に戻ったとき、蝋燭や花束を売る女たちが無慈悲に通行人を襲うように商売しているのを目の当たりにし、不快な気持ちになった。彼女たちは、群れをなして通りをさまよい、獲物に飛びかかるような勢いで人々に売りつけていた。

 ほとんどが若い女たちで、髪をむき出しにしていたり、頭にスカーフを巻いていたりし、驚くほど図々しかった。年配の女たちも、それに劣らず強引だった。どの女も、腕に蝋燭の束を抱え、一本を振りかざしながら売り込んでいた。

「旦那様、奥様、蝋燭をお買いなさいな! 幸運を呼びますよ!」

ある紳士が三人の若い女に取り囲まれ、コートの裾を引っ張られそうになっていた。ようやく逃れると、今度は花束が待ち受けていた。

 それは、無造作に束ねられ、まるでキャベツのようにごわごわした丸い花束だった。

「奥様、聖母さまに捧げる花束はいかがですか?」

 女性が慌てて立ち去ろうとすると、背後から低い声で罵りの言葉が聞こえてくる。

 この商売、なんとも厚かましい商売は、グロットの入り口付近まで巡礼者にまとわりついていた。商店はすべてこの商売に支配され、通り全体がバザーのように変わっていた。それだけではなく、行商人たちは道をふさぐように広がり、手押し車にロザリオやメダル、小さな聖像や宗教画を山積みにして売り歩いていた。

 そこかしこで人々は買い物をしていた。まるで食べるのと同じくらい熱心に、聖なる祭りの記念品を持ち帰ろうとするかのようだった。

 そして、この商魂たくましい喧騒に、もうひとつの生き生きとした光景が加わっていた。

 それは、群衆の間を駆け回る新聞売りの子どもたちだった。

 彼らの甲高い声が、通りに響き渡る。

「《グロット新聞》! 今朝の号だよ! 2スーでどうぞ、《グロット新聞》!」


2 件のコメント:

  1. いや~なんか日本の縁日だね。洋の東西を問わず、信仰にかこつけて商売する人たちはいますよね。
    それは民衆の旺盛な生命力といえるでしょう。
    要は、お祈りしたっておなかはいっぱいにはならないのよ! ていうことですね。

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    1. まさにそうですね!信仰は信仰としてあるけれど、結局、人は食べて生きなきゃならない。だからこそ、どんな聖なる場でも、その周囲には必ず商売が生まれる。

      ゾラはこの「信仰と商売のせめぎ合い」を皮肉たっぷりに描いているけど、見方を変えれば、これは民衆のたくましさそのものですね。信仰を求めてルルドに来た人々も、聖母に祈った後は「せっかくだからお土産でも」となるし、地元の人たちは「巡礼者が来るなら儲けなきゃ」となる。

      まるで日本の縁日みたいに、信仰と商売が渾然一体となっている様子は、宗教というより「人間そのもの」を描いている気がします。結局、神様に祈っても、ごはんにはならない。でも、ごはんを売る人がいるからこそ、信仰も続いていく――そう考えると、信仰と商売は実は持ちつ持たれつの関係なのかもしれませんね。

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