第二章
その日、月曜日、洞窟(グロット)には途方もない人出があった。国民巡礼団がルルドで過ごす最終日であり、朝の説教でフルカード神父は、「天が与えんとする恵み、奇跡的な癒やしを余すところなく受け取るために、最後の、愛と信仰の努力を尽くさねばならない」と語ったのだった。
そのため、午後2時にはすでに2万人の巡礼者が集まっており、彼らは熱に浮かされたように興奮し、熱烈な希望に駆られていた。しかも群衆は刻一刻と増え続け、ついにスイール男爵は不安になり、洞窟の外へと出て、ベルトーにこう告げた。
「君、これはもう手に負えなくなるぞ、間違いない……部隊を倍にしろ、人員をもっと詰めてくれ。」
この場には警備員も警察もいっさいおらず、秩序維持を担っているのは「ノートル=ダム・ド・サリュ協会」のホスピタリエたちだけだった。だからこそ、協会の会長である男爵がこれほど不安を募らせていたのである。しかし、こうした重大な局面では、ベルトーは誰もが信頼を寄せる指揮官であり、落ち着いた力強さで人々を安心させる男だった。
「ご心配なく。責任は私が持ちます……午後4時の行列が通り過ぎるまで、私はここを離れません。」
そう言ってから、ベルトーはジェラールに合図で呼びかけた。
「君の部下たちには、最も厳しい指示を出してくれ。許可証を持った者だけを通すように。…あと、ロープをしっかり張るように伝えろ。」
あの場所――蔦が岩を覆っているその下に、洞窟は口を開いていた。そこでは、絶え間なく蝋燭の炎が揺らめいていた。遠目に見ると、洞窟はやや潰れて不規則な形に見え、あの無限の息吹を放っている場所にしては、なんとも狭く質素に思えた。だがその空間こそが、信仰の力に打たれた無数の頭を垂れさせ、青ざめさせるのであった。聖母像は、空気の震えの中で揺れているような、白い斑点のようにしか見えず、小さな黄色い炎にあぶられた空気の中でかすんでいた。格子の奥には、銀の祭壇や、布を外されたオルガン=ハルモニウム、投げ込まれた花束の山、燻った壁を彩る無数の感謝奉納品(エクス・ヴォト)が、かろうじて見えた。
そして、この日は実に素晴らしい日だった。これまでになく澄み切った空が、巨大な人波の上にどこまでも広がっていた。とりわけ、嵐が去ったあとの風のやさしさが格別だった。夜の嵐のおかげで、巡礼の最初の二日間を覆っていた重苦しい暑さが一掃されていたのだ。
ジェラールは指示を伝えるため、肘で人混みをかき分けなければならなかった。すでに群衆の押し合いが始まっていた。
「ここにもあと二人追加しろ! いや、必要なら四人でもいい、ロープをしっかり張って!」
それは本能的で、抗いがたい衝動だった。そこにいた2万人の人々は、まるで洞窟に引き寄せられるかのようにして向かっていた。燃えるような好奇心と、神秘への渇望が入り混じった、抗いがたい吸引力に突き動かされていたのだ。すべての視線が一点に集まり、すべての口も、すべての手も、すべての体も――その淡い光を放つ蝋燭の輝きへと、あの揺らめく白い聖母像へと、まるで吸い寄せられるように向かっていた。
この膨れ上がる群衆が、祭壇前の病人たちに確保された広い空間に侵入してしまわないよう、そこは太いロープで囲まれていた。担架係たちが二〜三メートルおきにロープを両手で支えて立ち、場を守っていた。彼らには、許可証を持つ病人か、特別な通行許可を持つ者だけを通すよう、厳しく命じられていた。通行が許された者が来ると、彼らはただロープを持ち上げ、すぐにまた背後でピンと張り直した。そして、どんな懇願にも耳を貸すことはなかった。中には、その一日限りの権限を楽しんでいる者もいて、やや無愛想に、あるいは高圧的に振る舞うこともあった。
実際、彼らは相当押されており、お互いに支え合いながら、腰をしっかりと踏ん張って、群衆に流されぬよう耐えねばならなかった。そのあいだにも、洞窟前のベンチや、確保された空間には次々と病人たちが詰めかけ、小型の車いすや担架が並べられていった。そして、その周囲には――さらにはるか彼方まで――巨大な人波が渦巻いていた。
群衆はロザリオ広場から発し、ガーヴ川沿いの遊歩道の奥深くまで続いていた。歩道はびっしりと黒い人の列に埋まり、人の流れは完全に停止していた。
欄干の上には、ずらりと並んで腰かけた女性たちの長い列があり、中には立ち上がってよく見ようとする者もいた。その日傘の絹の布地が太陽の光を受けて輝き、祭りのような華やかさを添えていた。
病人を運ぶために通路を空けておくはずだったが、それもすぐに人で埋まり、車いすや担架は人混みに飲まれて足止めされる。担架係がかけつけて、ようやく進める状態だった。
それでも、この群衆は、まるで従順な家畜のように、優しさと無垢さに満ちていた。ただ無意識の衝動によって、蝋燭の輝きへと突き動かされていたのである。信仰という名の狂気が次第に高まり、恍惚の域に達していくなかでも、これまで事故が起きたことは一度もなかった。
だが再び、スイール男爵が群衆をかき分けてやってきた。
「ベルトー! もっと行列の進行をゆっくりさせてくれ! 女や子どもが押し潰されそうなんだ!」
今度は、ベルトーが苛立ったように肩をすくめて言った。
「まったく……私ひとりでどうしろっていうんだ……必要なら、いったん格子門を閉めてくれ。」
この「行列」とは、午後いっぱい行われる予定だった、洞窟内の巡礼者たちの通過を指していた。左側の入口から人々が入り、右側の出口から出ていくという流れになっていたのだ。
「格子門を閉めるだって!」男爵は叫んだ。「そんなことしたら、ますます皆がそこに殺到して、押し潰されてしまう!」
一度に2万人もの人々が押し寄せるところで、これまで事故が起きていなかったというのがある意味奇跡ですね。
返信削除現代でも、例えばメッカではよく群集事故が発生したり、近年では韓国のハロウィンでの事故がありました。
この小説当時の記録に残っているような群集事故というのはありますか?
本当に、2万人が奇跡の場を目指して押し寄せながらも、事故が起きなかった――というのは、まさに「信仰によって制御された群衆」の象徴的描写ですね。ゾラはそこにある種の皮肉も込めていると思いますが、それにしても、現代との対比で読むと興味深いです。
削除さて、ご質問の **「小説当時(19世紀末)の群集事故」**についてですが、実際には 大規模な群集事故 はこの時代にもいくつか記録に残っています。以下にいくつか代表例を紹介します:
🏟️ 1. ヴィクトリア・ホールの惨事(イギリス・1883年)
場所:イングランド、サンダーランド
犠牲者:183人(ほとんどが子ども)
概要:子ども向けのショーの後、おもちゃのプレゼントがもらえるという案内に、群衆が出口の階段へ殺到。ドアが一部しか開かなかったため、後ろからの圧力で多くの子どもが圧死。
影響:これをきっかけに、「非常口には外開きのドアを設ける」という基準が世界中に広がりました。
🕊️ 2. サン=マルタン運河の事故(フランス・1897年)
場所:パリ近郊
犠牲者:推定30名以上(不確かな部分あり)
概要:祝祭の一環で、運河の近くに大勢が集まり、橋が崩れたり、群衆がパニックになって運河に落ちたとされる事故。
ゾラ自身はこの種の出来事を知っていた可能性があります。
🕌 3. メッカでの巡礼事故(20世紀初頭)以前の記録
実はメッカの巡礼での群集事故はかなり古くから記録があります。
例:1864年の事故では、ジャマラート橋での石投げ儀式の際にパニックが起こり、多数が圧死。
ゾラが描いた群集場面と、宗教儀式の中での動きが非常に似ていますね。
🤔 ゾラの時代、ルルドでは?
ゾラが『ルルド』を執筆した1890年代、実際のルルド巡礼で大規模な事故は報告されていません。ただし、医師やジャーナリストの間では「事故が起きてもおかしくない」との警告がたびたび発せられていたようです。
ゾラ自身は、次のような姿勢でした:
「信仰によって制御された狂気の群衆」というテーマを描くことで、「理性による制御なき熱狂」がどれほど危険かを示そうとしている。
📚 つまり…
ゾラが描いた「事故なき奇跡」は、現実には非常に稀な状況です。
19世紀後半は、産業化と都市化により、大規模な群衆が動く場面が増え、群集事故のリスクが社会問題として顕在化しはじめた時代です。
そのため、『ルルド』の中の描写は、宗教と群集心理という当時の大きなテーマを内包しながら、「不思議なまでに秩序を保つ群衆」の神秘性を際立たせているのです。