しかし、バロンは必死に鍵と格闘していたが、どうにも開かなかった。
「おかしいな……」彼はつぶやいた。「暗証番号は《ローマ》のはずだ。変えた覚えはないのに…… 湿気のせいで何もかもが腐ってしまうんだ。上の方にある松葉杖も、2年もすれば粉々になってしまうしな……。蝋燭を持ってきてくれないか?」
ピエールが、格子のひとつから手に取った蝋燭で照らすと、ようやくバロンは緑青に覆われた真鍮の南京錠を開くことに成功した。格子の扉が回転し、ついに泉が現れた。
それは岩の裂け目から流れ出る水だった。泥まじりの砂利を背景に、静かに、泡立つこともなく湧き出していた。しかし、その流れは思いのほか広がっているように見えた。バロンは説明した。
「泉の水をあの噴水まで運ぶために、管を通してセメントで覆ってあるんだ。さらに、浴槽の後ろには貯水槽を掘って、夜間に水を溜められるようにしてある。なぜなら、この泉の水量では、日中に必要な量をまかなうには足りないからね。」
ふいに、バロンが言った。
「飲んでみるかい? ここで湧いたばかりの水は、いちばん美味しいんだ。」
ピエールは答えず、ただこの穏やかな水の流れを見つめていた。この清らかな水が、かすかに金色の輝きを帯び、蝋燭のゆらめく光を映していた。滴る蝋が水面に落ち、その波紋がかすかに震えながら広がっていく。ピエールは思った。この水は、遠く離れた山の懐から、どれほどの神秘を運んできているのだろうか、と。
「さあ、一杯飲んでみたまえ!」
バロンは、そこに常備されているグラスを泉に浸して水を汲んだ。ピエールは断るわけにもいかず、それを飲み干した。ひんやりと澄んだ、ピレネー山脈の高地を流れ下ってきた清らかな水だった。
バロンは再び鍵をかけると、二人は元の位置、オーク材のベンチに戻った。ピエールの背後では、時折、泉のせせらぎが微かに聞こえた。それはまるで、姿を隠した小鳥のさえずりのようだった。
そして今、バロンは洞窟について語り始めた。季節ごとの姿、どんな天候の日にも、その場所がどのように変わるかを、愛情たっぷりに、些細なことまで語り尽くした。
「夏は、まさに喧騒の季節さ。大巡礼の時期になると、見世物のように群衆が押し寄せる。何千人もの巡礼者たちが、祈り、叫び、熱狂する。だが、秋が訪れると、雨が降り続くんだ。滝のような豪雨が何日も何日も、洞窟の入り口を叩き続ける。その頃になると、遥か遠くの巡礼者たちがやって来る。インド人、マレー人、そして中国人までもが、沈黙し、恍惚としながら、宣教師の合図ひとつで泥の上に跪くんだ。
フランス国内では、ブルターニュ地方の巡礼者たちが最も敬虔でね。彼らは村ごとに一団となってやってくる。しかも、男も女も同じくらいの数なんだ。彼らの態度は敬虔で、素朴で、そして真摯だ。まるで世界を感動させるためにやって来たようにすら思えるほどにね。
そして冬になる。12月には、厳しい寒さと、厚く降り積もる雪が山々を封鎖する。でも、それでもなお、何家族かは人影のまばらなホテルに宿を取り、信者たちは毎朝のように洞窟へと向かう。彼らは、沈黙の中で聖母と語り合う時間を求める者たちなんだよ。
誰にも知られずに訪れる者もいる。人目を避け、ただ一人で跪き、祈りを捧げる者たちだ。まるで聖母を独占しようとする恋人のようにね。そして、巡礼の群れが近づいてくる気配を感じるやいなや、怯えたように姿を消してしまうんだ。
冬の悪天候の中で過ごす洞窟の時間は、また格別さ。雨が降ろうが、風が吹こうが、雪が降り積もろうが、洞窟の中だけは、いつも明るく輝いている。どんな荒れ狂う嵐の夜でさえ、この洞窟は闇の中で燃え盛る。愛の炎のごとく、決して消えることがないんだ。
去年の大雪の時には、私は何度もここへやってきてね、何時間も、このベンチに座って過ごしたものさ。不思議なことに、ここはほんのりと温かいんだ。北向きで、陽の光が決して差し込まないのに、寒さを感じない。不思議だろう? おそらく、岩が蝋燭の炎によって温められているせいだろうね。でもね、こうも考えられるだろう? これは聖母の優しさなのかもしれない。ここだけが、永遠の春のように暖かく保たれているのさ。
そして、ほら、小鳥たちもそれを知っているんだよ。冬の間、雪で足が凍えてしまうフィンチたちは、この場所に避難してくる。ツタの間を飛び回り、聖母の像のまわりをくるくると舞うんだ。
そして、春がやってくると、ガヴ川は雷のような轟音を立て、溶けた雪を押し流していく。木々は新芽を吹き、命の息吹を取り戻す。そして、再び巡礼者の群れがこの地を埋め尽くし、光り輝く洞窟に戻ってくる。だが、彼らが戻ってくると、小鳥たちは空へと追いやられてしまうのさ。」
「ノートル=ダム・ド・サリュの奉仕団」の会長であるスイール男爵の口から、洞窟内の詳細な様子が語られていますね。ピエール自身も「自我が消え去っていく」ような感覚にとらわれています。
返信削除自我が消え去る感覚というのを、人は求めるのでしょうかね。
酒だったり、麻薬だったり、儀式だったりで。
これは人間の根源的な欲求と言えるのでしょうか。
そうですね、「自我の消失」という感覚は、人間の根源的な欲求の一つかもしれません。
削除ピエールが感じているのは、まさにそうした「自己の境界が曖昧になる瞬間」です。これは宗教的な神秘体験とも通じるものがあります。多くの文化では、**儀式・瞑想・舞踏・薬物・音楽** などを用いて、こうした「自己を超越する」状態に到達しようとしてきました。
たとえば、
- **宗教的な神秘体験**:キリスト教の修道士のエクスタシー、仏教の悟り、シャーマニズムのトランス状態
- **芸術・音楽**:オペラやシンフォニーに圧倒される感覚、詩や文学に没入する体験
- **薬物やアルコール**:酒やドラッグによる酩酊状態
- **スポーツや戦闘**:「ゾーンに入る」状態、剣士が極限の集中の中で感じる時間の消失
こうした現象を見ると、人間には「自分という枠を超えた何かと一体化したい」「自我を忘れたい」という強い願望があるように思えます。なぜかというと、日常の「自己」というものが、時に重荷になるからでしょう。個人の責任や苦しみ、不安を忘れ、もっと大きなものの一部になりたい——これは、生存本能とは別のレベルで、人間に組み込まれた欲求なのかもしれません。
ピエールも、蝋燭の光に包まれ、蝋の香りに満たされる中で、その「境界が溶ける感覚」を味わっています。彼は信者ではありませんが、こうした空間の力によって、一瞬でも「自己」という枠を超えてしまうんですね。
では、この「自我の消失」を求めるのは良いことなのか、それとも危険なことなのか?
たとえば、宗教や芸術がもたらすものは精神的な高揚や癒しにつながることもありますが、酒や麻薬のように破滅的な形を取ることもあります。この境界線がどこにあるのか……それが人類の長い歴史の中で問われ続けているテーマなのかもしれませんね。