2025年5月7日水曜日

ルルド 第127回

  やがて、打ちひしがれ、虚無の中に転がり落ちながらも、ピエールの胸に最後の苦悩が押し寄せた。――自分は、いったいどうすべきなのか。

 逃げ出したい。二度とマリーには会いたくない。そんな臆病な思いが、痛みのあまり彼を支配した。なぜなら、これから彼は嘘をつき続けなければならないことが、痛いほどわかっていたからだ。マリーは信じている。彼もまた共に救われ、共に改心し、魂が癒やされたのだと。あの長い坂道で車を引きながら、彼女はそれを喜び語ったではないか。――「私たちは一緒に、この大きな恵みにあずかったのよ」と。ああ、共にこの幸福を味わえたなら!魂と魂が溶け合う、あの至福の時を、本当に分かち合えたなら!
 だが、彼はすでに嘘をついてしまった。そしてこれからも、ずっと嘘をつき続けねばならない。彼女の無垢で澄みきった幻想を、決して壊さぬために。
 ピエールは、最後の血の脈打ちさえ消えゆくのを感じながら、心に誓った。――自分は、あの崇高な慈しみの心で、平穏を装い、救いに酔いしれた者として振る舞おう。
 彼女を、疑いも悔いもない、完全な幸福の中にとどめたい。信仰の安らぎの中で、聖母がふたりの霊的な結びつきを受け入れてくれたのだと、そう信じたままに。自分の苦しみなど、どうでもいい。――いずれ時が経てば、自分も回復できるだろう。孤独で荒涼としたこの知性の世界で、彼女に与えた慰めの嘘こそが、わずかな喜びとなり、自分を支えるのかもしれないのだから。

 さらに幾分かの時間が流れた。ピエールはなおも石畳の上に崩れたまま、熱のほてりを静めようとしていた。もはや思考もなかった。生きているという感覚すらなかった。――大きな嵐が過ぎ去った後に訪れる、全身を覆う虚脱感だけがあった。
 ふと、足音が聞こえた気がした。彼は重い体を引き起こし、壁に沿った大理石の奉納の碑文を読むふりをした。だが、見れば誰もいなかった。それでも彼は、読み続けた。最初はただ気を紛らわすために。だが次第に、ある新たな感情が胸を満たしていくのを感じた。

 それは、想像を絶する光景だった。信仰が、礼拝が、感謝が――無数の大理石の板に、金文字で、果てしなく刻み込まれていた。何百も、何千もの碑文が、そこにあった。
 中には、思わず笑みがこぼれるような、素朴なものもあった。
「私の足をお守りくださった聖母よ。この足が、あなたのお役に立ちますように」
 あるいは、こんな祈りもあった。
「聖母のご加護が、我がガラス工場に広がりますように」
 他にも、思わず微笑むほど率直で無邪気な感謝の言葉があふれていた。
「無原罪のマリア様、家族の父より。健康を取り戻し、裁判に勝ち、昇進も叶いました」
 しかし、こうした小さな祈りも、やがて大きな声の合唱の中に溶けていった。――燃えるような叫び、それがそこにはあった。

 恋人たちの叫び:
「ポールとアンナの結婚に、ルルドの聖母の祝福を」
 母たちの叫び:
「マリア様に感謝を。三度、子どもの命を救ってくださいました」
「マリア・アントワネットの誕生を感謝し、この子と家族と自分をお託しします」
「3歳のP.D.、家族の愛のもとに無事でいられたことを感謝します」
 妻たちの叫び、癒された病人の叫び、幸福を取り戻した魂の叫び:
「夫をお守りください。夫が健やかでありますように」
「両足が不自由でしたが、治りました」
「私たちは参りました。希望を抱いています」
「祈り、涙し、そして、聖母は私の願いを聞き入れてくださいました」

 さらに、熱い秘めた思いが長い物語を想像させる祈りもあった。
「あなたが私たちを結んでくださいました。どうかお守りください」
「マリア様へ。最も偉大な恵みへの感謝を」

――何度も、何度も、繰り返される、同じ叫び、同じ言葉。
 情熱に満ちた感謝、賛美、礼拝、賛辞、感謝。
 ああ!この何百、何千もの叫びが、大理石に永遠に刻まれ、聖母に捧げられた不滅の信仰として、地下の聖堂の奥深くから、慈悲を求める人間たちの声として、こだましていたのだ。

 ピエールは、苦い思いを口ににじませながら、尽きることなく読み続けた。心の中にはますます深い絶望が広がっていった。自分だけが、何の救いも期待できないのだろうか? これほど多くの苦しむ者たちが救いを得ているというのに、自分だけが、神に自らの声を届けられなかったのか?
 彼は今、ルルドで一年中、絶え間なく捧げられる膨大な祈りの数について思いを巡らせていた。洞窟の前で捧げられる日々の祈り、ロザリオの聖堂で夜を徹して続けられる祈り、大聖堂での儀式、太陽の下、星空の下で行われる行列……。その数は計算しきれない、毎秒ごとに繰り返される、絶え間ない懇願だった。信徒たちの意思は、神の耳を疲れさせ、恩寵や赦しを強引にでも勝ち取ろうとすることにあった――その数の力、圧倒的な祈りの大群によって。
 司祭たちは語っていた。フランスの罪のために神が求める贖いを捧げなければならないと。そして、その贖いの総量が十分に積み上がったとき、フランスは罰を免れるだろう、と。
――なんという強固な信仰だろう、罰の必然性を信じる信仰!
――なんという苛烈な想像力だろう、最も暗黒な悲観主義のもとに!
 人生はどれほど苦しく、悪しきものと見なされているのだろう、これほどまでの懇願が、これほどの肉体的・精神的な痛みの叫びが、天へと向けて放たれているというのだから!

 だが、この限りない悲しみのただ中で、ピエールは深い憐れみの感情に包まれていくのを感じた。
――ああ、このみじめな人類よ……。
 その惨めさが彼を心の底から揺さぶった。こんなにも不幸の極みに追い詰められ、裸で、弱く、見捨てられたまま、自らの理性をも放棄し、唯一の幸福を幻惑的な夢の中にしか見いだせない――そんな存在たち。再び、彼の目に涙があふれた。
 彼は、自分自身のために、他者のために、すべての苦悩する人々のために泣いていた。痛みを麻痺させ、眠らせ、現実の世界から逃れるためには、そうせざるを得ない者たちのために。
 彼には、再びあの光景が聞こえるような気がした。洞窟の前にひしめき合い、跪く群衆の祈りが、炎のように天へと昇っていく音。2万、3万の魂が一つになり、燃えるような願望の熱気が太陽の下に煙り立ち、香のように漂う。
 そして、まるで洞窟の前での叫びや、ロザリオの聖堂での絶え間ない礼拝だけでは足りないかのように、その熱烈な願いの叫びは、彼の周囲、クリプトの壁の上でも再び始まった。しかしここでは、それらは大理石に永遠に刻まれ、もはや決して止むことのない人間の苦しみの声となり、未来永劫、聖母に向けて叫び続ける。
――壁さえも祈り始めるのだ。
 普遍的な憐れみの震えが石そのものにまで及び、壁までもがすすり泣くのだ。
 そして祈りはさらに高みへと、さらに高くへと昇り、大聖堂の光り輝く尖塔から放たれる。
 今、彼の上には狂おしい信徒たちの群れが溢れ、大聖堂の床の石を通して、その息吹が伝わってくるようだった。巨大な息吹が、希望の賛歌として爆発しようとしている。
彼自身もついに、その祈りの大河の震えの中に呑み込まれていくような感覚に襲われた。塵の中から出発したその祈りの奔流は、積み重なる聖堂の階を登り、祭壇から祭壇へと広がり、ついには壁をも憐れみの涙に染め、そしてついには――その究極の苦悩の叫びが、天を貫かんばかりに突き上げる。――あの白い尖塔の頂に、あの黄金の大十字架の先に。

「ああ、全能の神よ、ああ、神性よ、救いの力よ、あなたが何者であれ、哀れな人間たちを憐れみたまえ。人間の苦しみを終わらせたまえ!」

2 件のコメント:

  1. ピエールの懊悩というのは、宗教者であり、科学的視点をもち、かつ女性を愛する一人の男という立場の板挟みになっているところにあるのですかね。そして、マリーに対する独占欲というエゴイズムを自覚してしまったがゆえの自己嫌悪感に最もさいなまれているという状態だったかと思うのです。
    その彼が、地下の壁に刻まれた素朴な祈りの言葉、日本の神社の絵馬に書かれた言葉のようですが、民衆の生への渇望の意志力に再び力を与えられようとしているのですね。

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    1. おお、素晴らしい洞察ですね!おっしゃる通り、ピエールの懊悩(内面の葛藤)は、複合的で多層的です。
      あなたが見抜かれたように、彼の苦悩の核心には三重の「板挟み」があります。

      ① **宗教者としての自分 vs 科学的理性を持つ自分**
      ――神を信じたい、でも合理主義と科学的知識がそれを許さない。

      ② **霊的な愛(神への献身、隣人愛) vs 俗的な愛(マリーへの恋情)**
      ――聖職者でありながら、ひとりの女性に惹かれ、しかもその感情が「彼女の癒しを願う清らかな愛」であると同時に「自分だけのものにしたい」という独占欲・エゴイズムを孕んでしまう。

      ③ **個人の信仰の危機 vs 集団としての信仰の熱狂**
      ――自分には奇跡は訪れない。自分には祈りが届かない。なのに、周囲では何万人もの人々が神の奇跡を信じ、救いを願い続けている。この集団的信仰の「熱」に一人冷めた目で立たされる孤独。

      そして、この場面――あなたの言う「地下の壁に刻まれた素朴な祈りの言葉」にピエールが触れたとき、
      まさにその **「理性」** と **「エゴ」** による自己嫌悪から、ふたたび **人間としての共感、連帯、慈悲の感情** に引き戻される瞬間だといえるでしょう。

      神学的論争でもなく、科学的懐疑でもなく、**「生きたい」「治りたい」「家族に会いたい」** という
      名もなき人々の、生の叫び。
      神社の絵馬のように、小さな願いが、しかし必死で真剣で、どこまでも切実な願い。

      そこに、ピエールは神の存在という「教義」の前に、まず **「人間の祈り」そのもの** を見出した。
      神を信じる/信じない以前に、これほどまでに必死に「生」を求める民衆がいるという事実に心打たれる。
      ――それが、彼に再び **「信じる力」ではなく、「愛する力」** を回復させていくきっかけなのではないか、と私は読みました。

      あなたの例えた「絵馬」、とても美しい比喩です。
      絵馬もまた、無数の小さな個人の願いが集まり、あの場所全体にある種の「祈りの気」を生む。
      ルルドのクリプトの壁も、同じように「祈りの共振」を生むのですね。

      ピエールは、神の奇跡を信じられなくても、この「祈る人々の力」には心を動かされた。
      その意味で、**「信仰の証拠」ではなく「人間性の証拠」を見た」のかもしれません。**

      マリーを癒したいという個人的願望が、いつしか「マリーを自分のものにしたい」という無意識の欲望にすり替わり、
      その自覚ゆえに彼は自らを罰するかのように「奇跡から遠ざけられた自分」を受け入れていた。
      でも、それでも、人間は祈り、愛し、願わずにいられない存在だ。
      だからこそ、「自分もまたその人間の一人」であることに、赦しを見出す――

      そんな風に、私はこの場面を感じます。

      あなたが言われた通り、この再生のきっかけは、**理性の勝利ではなく、他者の祈りへの共感による再生** なのですね。
      静かなけれど、とても美しい瞬間だと思います。

      …こうして話していると、この場面がますます好きになります。

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