すでに馬車はヴィクトル=エマニュエル通りに差しかかっていた。この道はナツィオナーレ通りの続きで、テルミニ駅からサンタンジェロ橋まで、古い街を真っ二つに切り開いた二本の大通りのひとつである。左手にはジェズ教会の丸い後陣が、朝の陽光の中で金色に輝きながら微笑んでいた。やがて、教会と、壊すには忍びなかった重厚なアルティエーリ宮殿の間にさしかかると、通りは急に狭まり、馬車はじめじめとした冷たい陰に包まれた。
そしてその先、ジェズ教会のファサードの前にある広場へ出ると、陽光が再び現れ、まばゆい光の波が広がっていた。遠く、アラチェーリ通りの奥深く、陰に沈んだ空間の中には、日を浴びた椰子の木の影がちらりと見えた。
「カピトリーノの丘でございます」と御者が言った。
ピエールは身を乗り出した。だが彼に見えたのは、暗い回廊の奥に浮かぶ緑の塊だけだった。こうして、暖かな陽の光と冷たい陰影が交互に現れることに、彼はまるで身震いするような感覚を覚えた。ヴェネツィア宮殿の前、ジェズ教会の前では、まるで古の時代の夜が肩に重くのしかかってくるようだった。それが広場に出て、道が広がるたびに、彼は再び陽の中へと押し戻され、生の温もりと陽気さの中へ還っていった。
屋根の上からは黄色い日差しが降りそそぎ、鮮やかに紫がかった影を切り取っていた。建物と建物の間からは、非常に青く、非常に優しい空の帯が見え隠れしていた。彼が吸い込む空気には、まだはっきりとはわからぬ何か――果物のような味があり、それが彼の到着の熱にさらに拍車をかけていた。
このヴィクトル=エマニュエル通りは、不規則ながらも非常に立派な近代の大通りである。ピエールは、一瞬、どこか別の大都市の中にいるかのような錯覚すら覚えた。だが、ブルラマンテの傑作にしてローマ・ルネサンスの典型的建築であるカンチェッレリーア宮殿の前を通り過ぎたとき、
彼は再び驚嘆に包まれ、先ほどから目にしてきた宮殿の数々――装飾も少なく、巨大で重々しい石の塊のような建築群を思い返した。
まるで病院か牢獄のようなその姿に、彼はローマの有名な宮殿群をこんなふうに想像していたことは一度もなかった。確かに堂々としてはいた。いずれその美を理解する日が来るかもしれない。だが、今は考えこむしかなかった。
突然、馬車はにぎやかなヴィクトル=エマニュエル通りを離れ、入り組んだ古い路地へと入っていった。道幅は狭く、馬車は辛うじて通れるほど。先ほどまでの陽光と人混みが一気に消え、静寂と寒さの支配する、眠れる旧市街へと入っていった。
彼は、あらかじめ読んでいた地図を思い出した。
「そろそろヴィア・ジュリアに近づいているはずだ」と心の中でつぶやいた。好奇心は高まり、そして次第に焦燥に変わっていった。もっと見たい。もっと知りたい。その思いは苦しみさえもたらした。
出発以来続いていた高揚感と熱気に加え、想像と現実の違いが次々と彼に衝撃を与え、彼の情熱は膨れ上がって、今すぐにでも満たされたいという激しい渇望へと変わっていた。
まだ9時を少し過ぎたばかりだった。ボッカネーラ館に訪問するには朝の時間は十分にあった。
――それならば、なぜ私は**ローマ全景を一望できる「古典的な場所」**に先に行かないのだ?
この思いが頭に浮かんだ瞬間、彼はもはや抗えなかった。
御者はもう後ろを振り返っていなかった。そこでピエールは身を起こし、はっきりとした声で新たな行き先を叫んだ。
「サン・ピエトロ・イン・モントーリオ教会まで」
最初、御者は驚いたように見えた。意味がわからないようだった。彼は鞭で進行方向を示し、「あちらのほうだ」と言いたげだった。だが、ピエールが食い下がると、御者は再び柔らかな笑みを浮かべ、親しげにうなずいた。
「ボーノ、ボーノ!(よろしいとも!)」
馬車は再びスピードを上げ、狭い路地の迷路の中を走り出した。高い壁に挟まれた通りを進むと、陽光はまるで溝の底に注ぎ込むように差し込んでいた。
通りの突き当たりで突然、まばゆい日差しの中へ戻った。そこにはシクストゥス四世の古い橋があり、それを渡ってテヴェレ川を越えた。橋の左右には、新しい河岸通りが広がり、新しい建設で土煙と石膏の匂いに満ちていた。
対岸にあるトラステヴェレ地区もまた掘り返され、開発のさなかにあった。馬車はジャニコロの丘へと登り始める。広々としたその道には、大きなプレートに**「ヴィア・ガリバルディ」**と記されていた。
最後にもう一度、御者は陽気な誇りの仕草で、その道の名を告げた。
「ヴィア・ガリバルディですよ!」
馬は坂を登るために歩みをゆるめた。ピエールは子どものような焦燥に駆られ、振り返っては見えゆく街を眺めた。登るにつれて、ローマの街がどんどん広がっていく。丘の向こうから、次々と新しい地区が姿を現し、ついには遠い丘陵までも見えた。
だが、ゆっくりと一部ずつ見えていくその過程が、彼にとっては欲望の達成を薄めてしまうものに感じられた。
――一気に受け止めたい! ローマを、聖なるこの都市を、ただ一度のまなざしで包みこみたい!
そんな思いが彼の全身を突き動かしていた。彼は振り返ることをやめた。苦しいほどの衝動を抑えながら。
1894年頃のイタリアの情勢について、ごくざっくりと教えてください。
返信削除はいよ、そら殿。1894年のイタリアは、まさに新生イタリア王国の苦悩期と言える時期じゃった。ざっくり、しかし要点を押さえてまいりましょうぞ🐾
削除🏛 1894年ごろのイタリア情勢(ざっくり3ポイント)
① イタリア統一後、まだ混乱と格差の最中
イタリアは1861年に王国として統一されたが、「南北格差」や貧困は深刻なまま。
北部(特にピエモンテ、ロンバルディア)は産業が育ち始めていたが、南部(ナポリ、シチリア)はほぼ封建的な農村社会のままで、「南部問題」と呼ばれる社会不安の温床となっていた。
国民の識字率も低く、教育や言語(各地の方言)のばらつきが大きかった。
② 1894年はクリスピ首相による強権政治と労働運動弾圧の年
当時の首相はフランチェスコ・クリスピ(Francesco Crispi)。ガリバルディと共に闘った英雄だが、晩年は強権的な内政に傾いていた。
1894年1月、シチリアで農民運動(ファッシ運動)が暴動化。クリスピはこれを軍隊で弾圧。
同年にはイタリア社会党を非合法化し、社会主義者への迫害を強める。
ゾラが描くローマの表層的な輝きの裏で、貧困と政治的不安が渦巻いていたというわけじゃ。
③ 教皇庁(ヴァチカン)とイタリア国家の対立
1870年、ローマがイタリアに併合されたとき、教皇ピウス9世はヴァチカンに籠城し、「イタリア国家を認めない」姿勢をとった(ローマ問題)。
1894年当時の教皇はレオ13世。やや融和的だったが、それでもヴァチカンと国家の間には深い断絶があった。
ローマという街には、こうした世俗権力と宗教権力のせめぎ合いが、あちこちに息づいていた。
🎭 つまり…
1894年のローマは、表面では近代都市化が進み、国王や政府が威信を高めようとしていたけれども――
その実、国民は貧しく、思想は分裂し、宗教と国家はにらみ合い、まさに不安定な「ポスト統一国家」だったのじゃ。
ゾラがこの時期にローマを描いたのも、単なる旅行記ではなく、「文明」「信仰」「国家」というヨーロッパの根幹を見つめ直すためだったのじゃろうな。
次は「ローマ全景」の描写に入るところじゃな?
では、ワシはまた手綱を握っておくとしようぞ。「On y va!」の合図があれば、いつでも出発じゃ🐈⬛📚