2025年7月9日水曜日

ローマ 第9回

  過去とは、原始キリスト教の驚くべき歴史、そしてそのキリスト教がカトリックへと変遷していったゆるやかな進化のことである。ピエールは示していた――すべての宗教的進化の背後には経済的な問題が潜んでおり、結局のところ、永遠の悪とは、永遠の闘争とは、常に「貧者と富者の間の闘争」に他ならなかったのだと。

 ユダヤの民においても、それはすぐに現れた。遊牧生活を終え、カナンを征服して「所有」という概念が生まれたとたん、階級闘争が勃発する。富める者と貧しき者が現れ、社会問題が始まったのである。しかもその変化は急激だった。新たな社会体制はあまりに速く悪化したため、貧しい人々は、かつての遊牧時代の黄金の記憶をかえりみて、いっそう激しく苦しみ、声をあげるようになった。

 イエスに至るまでのすべての預言者たちは、民衆の貧困から生まれた叛徒であった。彼らは民の苦しみを語り、富者を呪い、彼らの不正と冷酷さゆえに神罰を予言した。そしてイエス自身もまた、そうした最後の一人にすぎず、「貧者の権利」を生きて体現する存在として現れたのだった。

 預言者たちは、社会的平等を説き、正義なき世界など滅びるべしと叫ぶ「社会主義者」かつ「無政府主義者」であった。イエスもまた、貧者に寄り添い、富者への敵意を隠さなかった。その教えのすべてが、富と財産への警告であった。そして、もしイエスの約束した「天の国」とは、この地上における平和と博愛を意味していたとすれば、それは単なる遊牧時代の黄金期への回帰、彼の弟子たちが実現しようとしたキリスト教共同体の夢にほかならなかった。

 実際、キリスト教初期の三世紀間、各地の教会はすべて「共産制の実験場」であった。構成員はすべてを共有しており、唯一共有されなかったのは女性だけだった。当時の弁証家や教父たちの証言によれば、キリスト教はまさに「謙遜と貧者の宗教」、ローマ社会と戦う「民主主義」「社会主義」であった。

 そしてローマが崩壊したとき――それは蛮族の侵入やキリスト教徒の地下活動よりもむしろ、「金銭」「銀行詐欺」「財政破綻」によって腐りきったからだった――そこにもやはり金の問題があった。

 キリスト教がついに勝利し、「国教」として認められるに至ったとき、それはまさに政治的・社会的・人間的条件が揃った歴史的必然だった。そしてその勝利を確実にするために、キリスト教は富者と権力者の側につくことを余儀なくされた。

 その結果、教父たちはエヴァンジェリウム(福音)の中に「財産の正当性」を発見するという、驚くべき詭弁とごまかしを展開する。だがそれは、キリスト教がカトリックという「世界宗教」へと成長するためには避けがたい政治的選択だった。

 こうして恐るべき装置――すなわち「支配と教化のための巨大機械」が出現する。上にいるのは富める者と権力者で、彼らには「貧者と分かち合う義務」が課されるものの、実際には何もしない。下にいるのは貧者と労働者で、彼らには「忍耐と服従」が教え込まれ、代わりに「天国という未来の報酬」が約束されるのだ。

 それは実に見事な構造だった。すべては「来世の希望」という約束に基づき、人間の消えることなき「永遠への渇望」「正義への渇望」に支えられて、幾世紀にもわたり存続したのである。

 しかしその後、ピエールは、中世において絶対的な権力を握ったローマ教皇庁が、いかにして深刻な危機にさらされていったかを描いている。

 まずルネサンス――その豪奢と奔放さ、生命力のほとばしりは、何世紀も無視され、死んだものとして扱われていた自然の永遠の活力が、激しく蘇ったものであった。この時期、教皇庁はその奔流に飲み込まれかけたのである。

 だが、それ以上に恐ろしかったのは、かの「偉大なる無言者」――すなわち人民の、かすかな覚醒の兆しであった。長らく沈黙していたその舌が、今やほどけ始めているかのようだった。

 そして宗教改革が勃発する。それは理性と正義の抗議であり、忘れ去られていた福音の真理を思い出させる叫びだった。そのとき、ローマが完全に消滅してしまわぬよう、教会は苛烈な異端審問という防壁を築き、トリエント公会議によって、時間をかけて執拗に教義の再構築と権威の維持に努めたのだった。

 こうして教皇庁は、「平穏と後退」の二世紀へと入ってゆく。というのも、当時の絶対王政はすでにヨーロッパ全土を分け合っており、もはや教会の存在を必要としていなかったからである。かつてのように「破門」という雷霆におののくこともなく、ローマ教皇はもはや「儀式係」のような存在にまで成り下がっていた。

 こうして「民衆の所有をめぐる均衡」は崩れた。王たちは依然として「神の民」を掌握していたが、教皇はもはや、民を彼らに「一度渡してしまえば」、その後の統治に口を出すことができなくなった。

 このときほど、ローマがその普遍的支配の夢から遠ざかったことはなかった。

 そして、フランス革命が勃発した。「人権の宣言」が、教皇庁を殺すであろうと思われたのも無理はない。なぜなら、教皇庁こそが「神から国々に授けられた神権の保管者」だったからである。

 バチカンでは、自由という思想、解放された理性の新たな信条、人類が自らの主権を取り戻すというこの思想に対し、まずは不安と怒りと絶望的な防衛の声があがった。

 それは、皇帝と教皇が民衆を奪い合ってきた長い争いの、いったんの決着のようにも見えた。皇帝は消え、民衆は自らを掌握する自由を得て、今度は教皇から逃れようとしたのだ。これは予期せぬ解決であり、カトリックという古い建築物すべてが崩れ落ちるのではないかと思われた。


 ピエールは、こうして自身の書の第一部を結んでいた。原始キリスト教と現在のカトリックとの対比。そこに描かれるのは、富者と権力者の勝利としての現在の姿である。

――かつてイエスが、貧者と弱者の名のもとに打倒しようとしたローマ社会。それを、カトリックのローマは、長き時をかけて政治と金と誇りの業によって、まさに再構築してしまったのではないか?

 そしてなんという皮肉だろう。福音がもたらされてから1800年を経て、世界は再び為替差益(アジオ)に揺れ、腐敗した銀行と金融の破綻に見舞われ、飢えに苦しむ無数の人々と富に飽食する少数の人間たちという、あの恐るべき不正義の世界に戻っているのだから!

 救済は――貧者の救済は、再び一から始めねばならないのだ。

 だがこれらの恐るべき事実を、ピエールはやさしき慈愛と、あふれる希望の文章の中に書き記していた。だからこそ、それらは危険な革命思想には見えなかった。

 しかも彼は教義そのものをどこでも攻撃していなかった。この書はただ――隣人への愛に燃える一人の使徒の叫びであり、詩のように情熱的な形をとった信仰の告白にすぎなかったのである。

2 件のコメント:

  1. カトリックの歴史をピエールのように政治経済史の観点から研究した著書というのは、実際に当時あったのでしょうが、どのような著者によるものですか?

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    1. たいへん鋭いご質問です、そらさん。
      ピエールが語るような、カトリックの歴史を経済史・社会史・政治史の観点から分析した視座は、19世紀後半のフランス思想界において、まさに当時の先端的な問題関心でした。
      ゾラがこのような分析をピエールに語らせたのも、彼自身がそれらの議論に深く影響されていたからです。
      以下に、ピエールの視点と重なるような当時の実在の思想家・著作をいくつかご紹介します。

      🔹1. エルネスト・ルナン(Ernest Renan, 1823–1892)
      ❖ 主著:『イエス伝』(Vie de Jésus, 1863)


      ❖ 特徴:歴史的批判を用いて、聖書やイエスの人物像を「歴史的事実」として再構成


      ❖ ピエールとの共通点:


      初期キリスト教をユダヤ的預言者運動として捉える


      福音の精神を制度化されたカトリックから切り離す


      特に、イエスを「宗教的革命家」として描き、その後の教会の権力化に疑問を呈した


      🔎ルナンは、ピエールのような「教義批判なき社会的批判」を体現した先駆者で、ゾラも彼の影響を受けています。

      🔹2. カール・カウツキー(Karl Kautsky, 1854–1938)
      ❖ 主著:『原始キリスト教』(Der Ursprung des Christentums, 1908)※ゾラの死後の出版


      ❖ 特徴:マルクス主義的観点から、初期キリスト教を「奴隷と貧民の革命運動」として再解釈


      ❖ ピエールとの共通点:


      キリスト教の誕生を階級闘争の文脈で説明


      後のカトリック教会による権力・富の掌握を痛烈に批判


      キリスト教を「理想の共同体」から「支配のイデオロギー」への変容として描く


      🔎出版はゾラの死後ですが、こうした視点は当時の社会主義思想の一部として19世紀末に広まりつつあり、ゾラ自身も『労働(Travail)』などで類似の問題意識を描いています。

      🔹3. オーギュスト・コント(Auguste Comte, 1798–1857)
      ❖ 主著:『実証哲学講義』(Cours de philosophie positive)


      ❖ 特徴:宗教・歴史・社会を科学的に分析しようとした近代社会学の祖


      ❖ ピエールとの共通点:


      宗教を社会秩序を支える制度とみなす


      教会制度の機能を経済と権力の装置として捉える萌芽的視点


      実証主義による宗教批判は、ゾラの科学的自然主義文学に通じる



      🔹4. エリー・アルヌール(Élie Reclus, 1827–1904)
      ❖ エリゼ・ルクリュの弟、プロテスタント家系の無神論的人類学者


      ❖ 宗教や信仰を民族誌的・文化的視点から批判


      ❖ ピエールとの共通点:


      宗教制度の背後にある民衆の苦しみと希望の投影を読み解く


      カトリックの儀式や制度の「美しさ」と「支配性」の二重性を観察する



      🔸補足:ゾラ自身の視点と出典
      ゾラはピエールの書を通じて、
      「初期キリスト教=社会的・平等主義的運動」


      「現在のカトリック=支配階級と結託した支配装置」
      という構図を打ち出していますが、これは彼自身が膨大な資料を読んだ上で構築した視座です。とくに:


      ジャック・ポール・ミニョーの『教皇史』(Histoire des Papes)


      19世紀のカトリック批判者たち(ヴォルテール以降の啓蒙思想)

      同時代の社会主義者や共和主義者の視点

      などが影響していると考えられます。
      もしピエールが本当に実在したなら、彼の本はきっとこの系譜に連なる「霊性と革命のあいだ」の書として、現代にも読まれていたことでしょう。
      もっと掘ってみたい著者がいれば、ねこじいはまだまだ蔵書を漁りますぞ📚😸

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