2025年8月30日土曜日

ローマ 第61回

 夜の闇がすっかり落ちたころ、ベネデッタは立ち上がり、灯りを求めに行った。

それから、ピエールが辞去しようとするのを、彼女は薄暗がりの中でなお引きとめた。もう彼には彼女の姿は見えず、その低い声だけが響いた。

「ねえ、修道士様、私たちにあまり悪いご印象をお持ちにならないでくださいね? ダリオと私は愛し合っています。そして、それは罪ではありません、賢明に振る舞っているのですから……ああ、ええ、私は彼を愛しています。もうずっと長い間! 想像してみてください、私がまだ十三歳で、彼は十八歳だったころ。私たちは狂ったように愛し合っていました――あの、今は荒らされてしまったモンテフィオリ邸の大きな庭で……ああ! あの頃を、あの午後のすべてを! 木々のあいだを駆けまわり、誰にも見つけられない隠れ場所で過ごした時間、そして、まるでケルビムのように、口づけを交わして……。オレンジが熟す季節になると、その香りに酔いしれたものです。あの大きなビュイ(常緑樹)の苦い香り! なんという力で私たちを包み、心臓を打ち震わせたことでしょう! ああ、今では、もうその香りを嗅ぐだけで気を失いそうになるのです。」

そこへジャコモがランプを持ってきたので、ピエールは自室に戻った。
小さな階段で彼はヴィクトリーヌと出会った。彼女は少し驚いたように身を引いた。まるで、居間から出てくるのを待ち構えていたかのようだった。彼女はついてきて、話しかけ、あれこれと探りを入れた。すると突然、司祭は何が起きたのかを理解した。

「なぜ奥様に呼ばれた時、すぐに駆けつけなかったのです? あの時、あなたは前室で針仕事をしていたはずでしょう?」

彼女は最初、とぼけてみせた。何も聞いていないと答えようとしたのだ。
だが、率直な性格は隠しようがなく、すぐに笑い出してしまった。そして結局、勇ましくも朗らかな調子で告白した。

「だって! ご主人様、恋人同士の間に割って入るなんて、私のすることじゃありませんよ。それに私は安心していましたから。殿下がうちのお嬢様を本気で愛しておいでだって、よく知っていましたからね。」

真相はこうだった。最初の助けを求める声を聞いたとき、彼女はすぐに事態を察した。そしてそっと手仕事を机に置き、忍び足で姿を消したのだ。彼女が「私のかわいい子供たち」と呼んでいるふたりを邪魔しないために。

「まあ、かわいそうなお嬢様!」と彼女は締めくくった。「あの子ったら、どうしてあんなふうに“あの世の教え”なんかで自分を苦しめるのかしら! 二人が愛し合っているのなら、少しぐらい幸せを味わって、どこが悪いんでしょうね? 人生なんて、ちっとも楽しくないのに。後になって、もう手遅れになってから後悔したって遅いじゃありませんか!」

ひとり自室に戻ったピエールは、突然、心がぐらつき、打ちのめされた。
――大きなビュイの苦い香り! 大きなビュイの苦い香り!
彼女もまた、男らしさの強い香りに身を震わせていた。そしてそれは再び甦り、彼に思い出させるのだった――教皇領の庭園、官能的なローマの庭園。威厳ある太陽のもと、灼けつくように熱く、ひとけのないその庭園を。

彼の一日全体は、その瞬間に要約され、鮮やかにその意味を示した。
それは豊饒なる目覚めであり、自然と生命の永遠の抗議であった。ヴィーナスもヘラクレスも、大地に何世紀も埋められてしまうことがある。しかし、ある日必ず再び現れる。ヴァチカンの圧倒的な壁の奥深くに封じ込められようとも、そこでも彼らは君臨し、支配し、世界を治めるのだ――至高に。

2 件のコメント:

  1. 聖ペトロの献金(デニエ・ド・サン・ピエール)の国際大巡礼団について、もうちょっと詳しく教えてください。また、保守派と改革派のどのようなせめぎあいがあったのかも、含めて解説お願いしますね。

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    1. いいご質問ですね!ここは小説の舞台背景を理解すると、物語がぐっと立体的に見えてきます。
      では「聖ペトロの献金(デニエ・ド・サン・ピエール)の国際大巡礼団」と「保守派 vs 改革派のせめぎあい」について整理してみますね。

      🌍 聖ペトロの献金(Denier de Saint-Pierre)国際大巡礼団とは?
      起源:もともと中世から存在した「ペテロ税(Denier de Saint Pierre)」の伝統を復活させたもので、19世紀にはカトリック信徒が教皇庁に献金を送る国際的運動となりました。


      役割:国家権力を失った教皇庁(1870年、ローマ併合で領土喪失)は財政的に困窮しており、この献金は教皇庁の主な財源の一つでした。


      大巡礼:フランスを中心に、ベルギー・スペイン・オーストリア・ドイツなど各国から数千人単位でローマへ赴き、教皇に直接献金を捧げるイベント。小説の場面では約3000人、そのうち2000人近くがフランス人という大規模さでした。


      つまり、これは単なる「寄付行為」ではなく、政治的デモンストレーションでもあったんです。特にイタリア王国が「ローマ奪取(1870年9月20日)」を祝う式典を行うのに対抗して、「全世界のカトリックがローマの真の支配者は教皇だ」と示す意味を持っていました。

      ⚔️ 保守派 vs 改革派のせめぎあい
      ピエールが巻き込まれるのは、この巡礼団をめぐる「思想闘争」です。
      保守派(旧来カトリック、フーラス男爵ら)
      立場:19世紀前半の「王権・貴族・教会」の結びつきを理想とする。


      社会観:社会は「階級秩序」によって安定するものであり、職能集団(corporations)も自由に結成されるべきだ、と主張。


      例:「自由なコーポラシオン」=個人が自由意志で所属する組合(でも実際は上層階級主導)。


      政治姿勢:教皇の世俗権力回復(失地回復)を望む、反リベラル・反近代主義。


      改革派(社会カトリック、ラ・シュ伯爵ら)
      立場:教会と信仰を守りつつ、近代社会の変化(民主化・労働者運動)に対応すべきだと考える。


      社会観:労働者を保護するため、職能組織は「閉鎖的かつ義務的」なものにすべきだと主張。


      例:「閉じられたコーポラシオン」=誰もが必ず所属し、社会全体を網羅する仕組み(労働組合の先駆け的発想)。


      政治姿勢:社会主義の勃興を意識し、カトリックが労働者層と手を結ばなければ未来はない、と考えていた。



      📌 このせめぎあいの意味
      フランスのカトリックは「世俗化が進む共和政フランス」でどう生き残るかが課題だった。


      保守派は「古き良き王党派的カトリシズム」に固執し、改革派は「労働者層を抱き込み、社会改良を通じてカトリシズムを再生」しようとした。


      小説では、巡礼団という舞台で「どちらが教皇に直接働きかけられるか」が勝負となり、フーラス男爵(保守派)が主席を務めたことで、改革派のラ・シュ伯爵(痛風で来られず)が激怒するのです。



      🔑 まとめ
      巡礼団は単なる信心旅行ではなく「国際的・政治的パフォーマンス」。


      背景には「教皇財政の確保」と「イタリア国家への対抗」がある。


      その中で「保守派 vs 改革派」の内部対立が絡み、ピエール神父もその渦中に引き込まれていく。

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