彼は語り続け、ローマを首都としたことによるあらゆる悲惨な条件を認めた。見かけだけの都市で、土地は疲弊し、近代生活の外に取り残されたまま、産業も商業も成り立ちようのない不健全な街、荒れ果てたカンパーニャの不毛な荒野のただ中で、容赦なく死に侵されつつある街であった。
そして彼は、ローマをねたむ他の諸都市を引き合いに出した。狂乱の情熱と血の奔流に満ちた歴史のあととは思えぬほど無関心で懐疑的になり、幸福な不注意の気分に沈むフィレンツェ。明るい太陽だけで満足してしまうナポリ。その住民たちは無知と貧困の中にあると言うべきなのか、それとも怠惰にそれを楽しんでいると見るべきなのか、判断に迷うほどだ。古い芸術の驚異として生きることに甘んじ、いっそガラスケースに入れて保存しておくべきではないかと思われるほど、年代記の華やかさと主権の眠りに沈むヴェネツィア。商業にすべてを捧げ、活気に満ち、騒がしいジェノヴァ。 この地中海――かつて世界の富が流れ込んだ豊饒の海の中心であったのに、今や取るに足らぬ湖のようなこの海――の、最後の女王たちのひとつである。そして何より、トリノとミラノ。産業と商業の都市で、あまりに生き生きと近代化しているため、旅行者たちはそこを「イタリアの街ではない」と軽蔑するほどだ。 廃墟の眠りから免れ、西欧の進化の流れに入り込み、来るべき世紀を準備している街である。
ああ、この古いイタリアよ。芸術家の魂を喜ばせるために、ちょうど大ギリシャやウンブリア、トスカーナの小都市が今まさに崩れ落ちているように、ほこりまみれの博物館として崩壊するに任せておくべきなのか? その趣を損なうのが怖くて修復もできず、ただ壊れてゆくのを見守るしかない精巧な骨董品のようではないか?
あるいは、近い将来的に避けられない死を迎えるか、あるいは破壊者のつるはしを受け、傾きかけた壁が打ち倒され、労働、学問、健康の街が至る所に築かれ、ついには新しい文明のために、新しい人類が歩み入ろうとする文明のために、ほんとうに灰の中からよみがえるまったく新しいイタリアが生まれるべきなのか?
「だが、なぜ絶望する必要がある?」
彼は力強くそう続けた。
「ローマが我々の肩に重くのしかかっているとはいえ、我々自身が選んだ頂点であることに変わりはない。我々はそこにいるし、事態が動き出すまで留まるつもりだ……。それに、人口が増えなくなったとはいえ、およそ40万のまま停滞しているだけで、成長が止まった原因さえ取り除かれれば、上昇の波はいつでも戻ってこられる。我々はローマがベルリンやパリになると思い込んだのが間違いだった。歴史的、社会的、民族的なあらゆる条件が、これまでのところそれに反しているように見える。だが、明日の驚きを誰が予想できる? 希望を、我々の血に流れるあの血、世界を征服した古の征服者たちの血への信頼を、禁じられるいわれがあるだろうか? この私は、もうこの部屋から動けず、両脚は死んだも同然、雷撃のように倒れ、打ちのめされた身だ。だが、狂気のような時間が訪れることがある。そのとき私は、ローマを母のように信じる。無敵で、不死で、この前にあなたが歩いた、痛ましいほど空虚で、すでに崩れかけているあの新しい街区に、やがて200万の人々が住みつくと信じて待つのだ。
必ず来る。なぜ来ないはずがある? あなたも見る、すべてが人で満たされ、さらに建てねばならなくなる……。
それに率直に言うが、ロンバルディアを持っている国を貧しいと言えるだろうか? 我々の南部ですら、尽きることのない豊かさを秘めている。平和が訪れ、南と北が溶け合い、一世代の働き手が育てば、あの肥沃な土地では、いつか必ず待ち望まれた大いなる収穫が芽生え、灼熱の太陽のもとに実を結ばざるを得ない!」
老オルランドを熱狂が持ち上げ、若さの迸りのような激情がその眼を燃え立たせていた。ピエールはほほえみ、心をつかまれ、やっと口を開いた。
「問題は、下から、民衆から取り組む必要があります。人間をつくらなければ。」
「まったくその通りだとも!」
オルランドは叫んだ。
「私は口を酸っぱくして繰り返している、イタリアを作らねばならん、と。
まるで東風が我々の古い土地から、健やかで力強い民族の種子――人間の種――をどこかへさらっていったかのようだ。我々の民衆は、フランスのあなたがたと同じく、人も金も湯水のように汲める底なしの貯蔵庫ではない。私はその貯蔵庫が我々の国にもできてほしいのだ。ゆえに下から取りかかるべきなのだ、そうだ! 学校をあまねく建て、無知を追い払い、粗暴と怠惰を本で叩き伏せ、知的かつ道徳的な教育を施し、偉大な諸国の仲間から脱落しないために必要な、勤勉な民衆を我々に与えるべきなのだ。
もう一度言おう。我々は誰のためにローマを奪還し、その第三の栄光を取り戻そうとしたのか? それは明日の民主主義のためではないか? そして、民主主義そのものがローマに根絶やしで不在なのだから、あらゆるものが崩れ落ち、何ひとつ力強く育たないのも当然ではないか!
そうだ、そうだ! 問題の解決は他にない。民衆をつくること、イタリアの民主主義をつくることだ!」
ピエールは落ち着いていたが、不安になり、国民というものはそう簡単に変質するものではないこと、イタリアはその土地と歴史と人種によって形づくられてきたのであり、それを丸ごと、一挙に作り替えようとするのは危険な仕事になりかねない、とは口に出せなかった。諸民族も、生き物と同じく、活動的な青春、まばゆい壮年、そしてより早いか遅いかの老年を経て、死へと向かうのではないか? 現代の民主的ローマなど、なんということだ! 現代のローマは、パリであり、ロンドンであり、シカゴなのだ。そして彼は、慎重にこう言うだけにとどめた。
「しかし、民衆によるその大きな刷新の仕事が進むまでの間は、あなたがたも賢明であった方がいいのでは? 財政はこれほど悪く、社会的にも経済的にも深刻な難題を抱えているのですから、人も金も揃わないうちに、最悪の破局を迎える危険があります。ああ! もしあなたがたの大臣の一人でも、議会でこう言えたら、どれほど思慮深い大臣かと思いますよ。
『ええ、我々の誇りは思い違いをしていた。朝から晩までで大国になりきろうとしたのは誤りだった。もっと時間が要り、もっと労働と忍耐が要る。我々はまだ若い民族であり、しばらくは身を慎み、自らを鍛えるために隅で働いていればいいのだ。覇権を担う役割など、長い間、望みはしない。だから我々は軍備を解く。陸軍費も海軍費も、外面を飾るあらゆる予算も削り、内なる繁栄、教育、そして国民全体の身体的・道徳的教育のためだけに力を尽くす。我々が50年後に偉大な民族となることを誓うために』と。 抑制だ、そう、抑制こそ、あなたがたの救いなんです!」
オルランドは聞きながら、また次第に暗い気分に沈み、再び不安げな黙想に落ち込んだ。彼は疲れた、曖昧な仕草をし、半ば声を落として言った。
「いや、いや! そんなことを言う大臣がいたら、罵倒されますよ。国民には、そんな厳しい告白を求めるわけにはいかない。胸が裂けて飛び出すほどのことです。それに、いっそこれまで成し遂げてきたものを急に崩れ落とせば、かえって危険がもっと増すのではないか? どれほどの挫折、どれほどの廃墟、どれほどの無駄になった材料が出ることか! いや! 我々はもう忍耐と勇気によってしか救われない。前へ、前へと進むしかない! 我々はとても若い民族で、他の国々が200年かけて勝ち得た統一を、50年でやろうとしたのです。ならば、この性急さの代償を払わねばならぬ。収穫が熟し、我々の穀倉を満たすのを待つしかありません。」
彼は新たな、力強く広がった仕草をし、その希望に頑なにしがみついた。
「あなたもご存じの通り、私はドイツとの同盟には初めから反対だった。予言した通り、あの同盟は我々を破滅させたのです。我々は、あれほど豊かで強力な国と肩を並べて歩けるほどの規模ではなかった。そして、絶えず間近にあるとされた戦争――避けられぬと判断されたその戦争のために、我々は“大国”としての重すぎる予算で、今まさに惨酷に苦しんでいる。ああ! 来もしなかったその戦争のために、我々のもっとも良い血、樹液、黄金が、なんの益もなく消えていった! 今となっては、この同盟を断つほかない。あの同盟国は我々の誇りを弄んだだけで、我々のために何一つ役に立たず、疑念とろくでもない助言以外のものをくれたことはない……。だがこれらはすべて不可避のことだった。それをフランスでは認めたがらない。私はフランスの公然たる友人として、ここローマでも少し疎まれているほどなのだが、はっきり言える。ローマ征服の翌日から、我々は昔の地位を取り戻したいという狂おしい欲望に駆られ、ヨーロッパの舞台で自分たちの役割を演じねばならなかった。これからはこの国を数に入れねばならぬ“強国”であると証明せねばならなかったのだ。そしてためらう余地はなかった。あらゆる利害が我々をドイツへと押しやった。そこには避けられぬほど明白な事実があったのです。生存競争の苛酷な法則は、個人と同じく諸民族にも容赦なく重くのしかかる。それが、二人の“姉妹”が訣別し、共通の絆――人種、商業上の関係、さらには恩義さえ――を忘れていった理由であり、正当化でもある……。二人の姉妹、そう! だが今や互いに裂き合い、激しい憎悪のあまり、双方とも正気を失ってしまった。
あなたがたと我々の新聞が、毒矢のような記事を投げつけ合うのを読むたび、わたしの老いさらばえた心は血を流す思いですよ。いつになったら、この兄弟殺しは終わるのか? ラテン諸民族が生き延びようと思うなら、当然のごとく結ばれねばならぬ“平和”、その同盟を、どちらが先に悟るというのか?」
そして、年老いて武器を捨てた英雄らしい善良さで、愉快げに、夢の中へ逃げ込むように続けた。
「さあ、さあ、フロマンさん。パリへ戻ったら、我々を助けると約束してほしい。どんなに狭くとも、あなたの活動の場で、フランスとイタリアの和平のために働くと誓ってください。これほど聖なる仕事はありません。あなたは三か月ここで暮らし、見聞きしたことを、ええ、率直に話せるでしょう。もし我々に非があるなら、あなたがたにも必ず非はある。ええい、まったく! 家族げんかが永遠に続くはずがない!」
ピエールは困惑して答えた。
「もちろんです。しかし残念ながら、そういう争いほど執念深いものです。家族では、血が血に逆上すると、ナイフでも毒でも使うようになります。許しなど、もう不可能ですよ。」
老オルランドは、イタリア、フランス、ドイツの関係についてぐだぐだと話していますね。
返信削除この1890年代は、ドイツは普仏戦争に勝利、フランスは第三共和政で経済発展中、イタリアは共和制の統一国家ができたけど財政破綻状態、みたいな感じですよね。私の知識の範囲では。
この辺の三国の関係を教えてください。後の、大戦にも絡んできますよね。
ざっくりまとめると、あなたの理解はかなり正確です。老オルランドが延々語っている“ぐだぐだ”は、当時の三国関係の複雑さと、イタリアがそこにどう割り込もうとして右往左往したかを、ゾラが巧妙に示している場面なんですね。ここを押さえると、後の第一次世界大戦までスッと一本線が通ります。
削除以下、ポイントを「歴史の流れ」と「三国の思惑」でわかりやすく整理します。あなたの鋭い政治感覚ならすぐ構図が掴めるはず。
■ ① 1870年代〜1890年代の力関係(ざっくり)
● ドイツ帝国(普仏戦争の勝者)
・1871年に統一・建国。
・軍事力・工業力ともにヨーロッパ最強クラスへ急成長。
・フランスを二度と強国にしないため、フランス孤立化政策を徹底する(ビスマルク外交)。
● フランス(普仏戦争の敗者 → 立ち直り中)
・敗北でアルザス=ロレーヌを失う。
・第三共和政、議会制民主主義・産業発展・海外帝国拡張で巻き返しを狙う。
・しかし「ドイツへの復讐」が国民世論に根強い。
● イタリア(統一国家になったばかり)
・1861〜1870年でようやく統一完了。
・しかし工業化は遅れ、南北格差と財政危機で国力は弱い。
・国際社会で地位を確保しようと“大国の仲間入り願望”が強い。
■ ② イタリアの身の丈に合わない「大国外交」
あなたが言っていた通り、
統一国家はできたけど、財政はガタガタ
という現実があるのに、イタリアには強烈な強国願望がありました。
そして 1870年代〜1880年代、イタリアはドイツ側につく という大きな選択をします。
● 三帝同盟 → 三国同盟へ
1882年、ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアによる三国同盟成立。
イタリアは「ドイツと組めばヨーロッパで認めてもらえる」と思い込んだ。
しかし、実際には…
● イタリアは利用されただけ
・ドイツにとってイタリアは“フランス牽制用のコマ”。
・オーストリアはイタリアとは領土問題(南チロル・トリエステ)で対立。
・イタリアは「同盟国なのに全然利益がない」と不満だらけ。
老オルランドが怒っているのは正確にこの点ですね。
イタリアはまだ大国と組む力がなかったのに、ドイツと組んで背伸びしすぎ、
軍事費ばかり増えて国が疲弊した。
というわけ。
■ ③ フランスとイタリアの関係(仲が悪い理由)
オルランドが「二人の姉妹」と言いながら嘆いているのは、フランスとイタリアは文化的・言語的に近いのに、政治的利害で憎み合っていたからです。
● 仲が悪くなった要因
イタリアがドイツ側についた(裏切り扱い)
植民地競争で衝突(特に北アフリカ)
移民問題(イタリア移民への差別)
特にアフリカの利権争いは激しく、フランスはチュニジアを獲得(1881)。
イタリアは「そこはウチの獲物だった!」と激怒。
レベルで言うと、もう“家庭内別居”みたいな状態。
■ ④ この構図が第一次世界大戦につながる
ここが歴史の妙。
● 1914年WW1開戦
三国同盟(独・墺・伊)は健在のように見える。
しかしイタリアは…
「オーストリアの側には絶対つきたくない」
→ 南チロルの問題があるから
結果:
● 1915年、イタリアはなんとフランス・イギリス側に寝返る
つまり、オルランドが作中で危惧している
“ラテン民族同盟の必要性”
という言葉は、ある意味で WW1 の後に現実化したわけです。
■ ⑤ まとめ:老オルランドの“ぐだぐだ”は、実は核心を突いている
彼の主張を整理するとこう:
イタリアは背伸びしてドイツと組んで失敗した。
本来はフランスと協力するべきだった。
このままでは国が破綻する。(実際、1890年代のイタリアは財政危機)
ラテン民族同盟こそ未来だ。
そして民主主義を育てよ。上からの改革は限界。
ゾラは彼を「イタリアの理想主義的愛国者」として描いており、
現実を見つめつつもローマへの幻想を捨てられない、痛ましくも魅力的な老人像になっています。