ピエールはすでに神学校に入っていた。その時期の情景が鮮明に蘇る。教室、並び立つ樹木に囲まれた校庭が次々と現れた。しかし、突然、彼は鏡を見るように当時の自分自身の姿だけを目の当たりにし、それを凝視し、細部まで観察した。まるでそれが見知らぬ他人の姿であるかのように感じられたのである。
彼は背が高く痩せており、顔は長く、額は大いに発達し、高く直立した塔のようであった。一方、顎のラインは細く尖り、非常に繊細なあごで終わっていた。その姿は全くもって「頭脳」に覆われているかのように見えた。ただ、口元だけが少しふっくらとしており、それが唯一柔和さを漂わせていた。真剣な表情がほぐれると、目元と口元には無限の優しさが宿り、満たされぬ愛の飢え、自らを捧げたいと切望する思い、そして生きる喜びへの渇望が滲み出ていた。
しかし、すぐに彼の内面には知的な情熱が再び燃え上がる。それは彼の存在全体を捉えるような、理解したい、知りたいという焦燥であった。そして、彼は神学校で過ごした年月を振り返り、ただ驚くばかりであった。どうしてあれほど長い間、信仰の名のもとに盲従を求められる厳しい規律を受け入れることができたのだろうか。考察を一切行わず、すべてを信じ込むことを求められる完全なる服従――それを彼は果たそうと努め、自分の中に生まれる真理への苦痛に満ちた渇望を抑え込むことに成功したのだった。
おそらくそれは、母の涙に心を弱らされ、彼女が夢見る大きな喜びを与えたいという一心からであった。しかし今、彼はときおり訪れた反逆心の震えを思い出し、その記憶の奥底にあったいくつかの夜を蘇らせた。それらの夜、彼は理由もわからないまま泣き続けたのである。かすかな影絵のようなイメージに満たされたその夜々には、外の自由で男らしい生活の姿が疾走し続け、そしていつもマリーの姿が繰り返し現れた。あの朝、涙に濡れて輝いていた彼女の姿が、魂そのものでキスを捧げてきたように彼の記憶に刻まれていた。
そして今、ピエールの中に残っているのはそれだけである。宗教教育の年月は、単調な授業や儀式、同じような作業が積み重なり、一様に霞に包まれた半ば消えた光景となり、致命的なほどの静寂で満たされているに過ぎなかった。
そのとき、列車が全速力で駅を通過し、走行音の大きな轟音が彼の心を揺さぶった。すると、彼の中に混乱した思い出の連なりが押し寄せた。広々とした無人の囲い地を目にすると、彼は自分が二十歳のころの姿をそこに重ね見た。夢想が迷走し始めたのだ。
彼はかつて、かなり重い病にかかり、学業が遅れる事態となり、田舎に送られたことがあった。その間、マリーと再会する機会を長らく持てなかった。ヌイイで休暇を過ごしていたときに二度ほど訪れたが、彼女はいつも旅に出ていて、会うことが叶わなかった。そのころ、彼女は非常に病に苦しんでいた。13歳のとき、少女から女性へと成長し始める矢先に馬から落ちた事故がその原因だった。絶望した彼女の母は、医師たちの相反する意見に翻弄されながら、毎年異なる温泉地に彼女を連れて行っていた。
そして、彼は雷に打たれるような出来事――厳格でありながら家族にとって不可欠な存在であった母親の急死を知る。状況は悲劇的であった。ある晩、ラ・ブルブールでの散歩中、母親はマリーの肩にマントを掛けてやるために脱いだその夜に急性肺炎を発症し、わずか5日でこの世を去ったのだ。父親はその後、半ば錯乱した娘と母親の遺体を連れて帰らざるを得なくなった。
母の死後、家庭の状況は急速に悪化していった。父である建築家は、事業に次々と無謀な投資をし、家の財産を浪費していったのである。一方で、マリーは長椅子に身を横たえることしかできなくなった。家を切り盛りするのはブランシュだけだったが、彼女もまた最終試験に追われ、いつか自ら稼ぎで生活を支える日を覚悟して、資格取得を目指して懸命に取り組んでいた。
ピエールは突如として、混沌として半ば忘れられていたこれらの出来事の中から、一筋の鮮明な幻影を見た。彼の体調不良が再び休暇を取らざるを得ない状況を生んだその時期のことであった。彼はちょうど24歳になったばかりであったが、進行が遅く、まだ四つの小品級(司祭職前の役割階級)しか授けられていなかった。しかし、その休暇を終えれば、彼はすぐに副助祭職を受けることになっていた。その職務は厳粛な誓約により、彼を永遠に束縛するものだった。
その場面が鮮明によみがえった。それはヌイイのゲルサン家の小さな庭であり、彼がかつてしばしば遊びに行った場所であった。庭の奥、大きな木々の下にある隣家との生垣の近くに、マリーの寝椅子が置かれていた。彼らは秋の午後の悲しげな静寂の中で二人きりであり、ピエールはマリーを見た。彼女は母の死を悼む深い喪服を身にまとい、半ば横たわり、足は動かないままだった。彼自身も黒い服を着ており、すでに長衣を着用していた彼は、彼女の隣で鉄製の椅子に腰掛けていた。
マリーは5年もの間、病に苦しんでいた。彼女は18歳で、青白く痩せ細ってはいたが、それでもなお愛らしかった。彼女の見事な黄金の髪は病気にも侵されず、その美しさを保っていた。ピエールは、彼女が永久に身体の自由を失い、女性としての人生を歩むことが不可能になったと信じ込んでいた。医師たちは一致せず、最終的には彼女を見放したのである。その陰鬱な午後、枯れ葉が降り注ぐ中、彼女がピエールにこうした事情を語っていたのだろう。だがピエールはその言葉を思い出すことができなかった。彼の記憶には、ただ彼女の青白い微笑みと、まだ若さを湛えた顔立ちだけが浮かび上がってきた。その顔には、もう取り戻せない人生への絶望が滲んでいた。
次いで彼は彼女が過去の、二人が離別を余儀なくされた日のことを思い出していると気づいた。それはこの場所、陽光が生垣を通り抜けるここで起こった出来事だった。二人の涙も、抱擁も、いつか再び巡り会い、確かな幸福を分かち合おうという約束も、すべて死んでしまったかのようであった。そして今こうして再会しても、何の意味があるだろう?彼女はもう生ける屍のようであり、彼自身もこの世での生を終えようとしていたのだ。
医師たちが彼女に回復の望みはないと断言した以上、彼女が女性であること、妻や母であることを否定されたのであれば、彼もまた人間としての生を放棄し、母によって差し出された神のもとで消え去っていくことを決心できたのだ。そして彼は、その最後の面会の柔らかな苦さを感じていた。マリーは彼らの幼いころの戯れを痛みを伴う微笑みで懐かしみ、彼に神の奉仕の中に確かな幸福を見出せると語りかけた。彼女はこの考えに大いに感動し、彼が初めてのミサを執り行う際には自分を招くよう約束させたのであった。
小品級 les quatre ordres mineurs というのは、カトリックになじみのない日本人にはわかりにくいですね。ちょっと簡単に説明してもらえますか?
返信削除カトリック教会の「小品級」(les quatre ordres mineurs)は、聖職者になるための段階を指し、古代から中世の間に教会で実践された職務の役割を指します。これらは、聖職者としての最終段階である「叙階」(司祭職)に至る前に、準備として段階的に授けられるものでした。
削除具体的には以下の4つの役割があります:
門番(ostiarius)
教会の扉を守り、礼拝中の秩序を維持する役割です。現在では象徴的な職務にすぎませんが、昔は実際に教会の守衛として働いていました。
朗読者(lector)
聖書の朗読を担当します。この役割は礼拝で用いられる経典を人々に届けるものでした。
祓魔師(exorcista)
洗礼前やその他の場面で祓魔の祈りを行う役割です。現在ではこの職務はほぼ形式的なものとなっています。
侍祭(acolyte)
ミサの中で祭壇での手伝いや燭台、聖杯の準備を行う役割です。
小品級の歴史的背景
これらの役割は中世以降、司祭職に至る教育や訓練の象徴的な要素として形式化されました。現在ではカトリック教会の典礼改革により、このような段階は簡素化され、一部の伝統的儀式に残されているのみです。例えば、侍祭の役割は司祭見習いによって担われることが多いです。
翻訳では、「小品級」の後に括弧書きで「司祭職前の役割階級」など簡単な注釈を付け加えると理解が深まるかと思います。
ところで、フランス人の名前は大体、誕生日にちなんだ聖人とかの名前がつけられることが多かったと思うのですが、
返信削除その通りです!フランスでは、歴史的に子どもに名前を付ける際に**聖人暦(カレンダー)**を参考にする慣習がありました。聖人暦とは、カトリック教会で毎日を特定の聖人や祝日と関連付けたものです。その日にちなんだ名前を与えることで、その聖人の加護を願ったり、宗教的な意味を持たせることが主な目的でした。
削除具体的な例
例えば、**「マリー(Marie)」という名前は、聖母マリアにちなんでつけられることが多く、フランスではとても一般的な名前です。同様に、「ピエール(Pierre)」**は聖ペトロ(Pierre)に由来しています。このように、フランス人の名前の多くは聖人の名前から取られていることがよくあります。
慣習の変化
近代になると、この習慣は次第に薄れ、子どもに聖人暦に必ずしも縛られない名前をつける家庭も増えました。しかし、カトリック文化が根付く地域や家系では、今でもこの慣習が尊重されていることがあります。
名前の日(Fête du Prénom)
さらにフランスでは、誕生日とは別に「名前の日(saint's day)」も祝います。例えば、「マリー」という名前であれば、「聖母マリアの祝日」(通常は8月15日)に祝福を受けるのが一般的です。この日は家族や友人がカードや小さな贈り物を送る習慣もあります。
ピエールやマリーの場合
ピエール(Pierre): 6月29日(聖ペトロと聖パウロの日)
マリー(Marie): 8月15日(聖母被昇天の日)
登場人物の名前を翻訳や解説で扱う際に、これらの宗教的背景を少し触れるとフランス文化への理解が深まるかもしれません!