2025年3月8日土曜日

ルルド 第67回

  すると、ピエールがここで読むのをやめようとしたところ、女たちは一斉に声を上げ、続きを求めた。彼は、「洞窟(グロット)の勝利」まで読み進めることを約束せざるを得なかった。

 洞窟はまだ柵で封鎖されていた。人々は夜の闇に紛れて密かに訪れ、祈りを捧げ、盗んだ水を瓶に詰めて持ち帰るしかなかった。しかし、一方で暴動の懸念は高まり続けた。「山間の村々が神を解放するために集結し、降りてくるらしい」という噂が広まり、貧しき者たちの総蜂起が現実味を帯びてきた。それはまるで、奇跡を求めて飢えた人々が押し寄せ、理性ある秩序も単純な良識さえも、藁のように吹き飛ばしてしまうかのようだった。

 ついに、最初に屈したのはタルブ司教区のロランス司教であった。これまで慎重に距離を置き、懐疑的であり続けた彼も、圧倒的な民衆の力の前に立ち尽くすしかなかった。五ヶ月の間、洞窟を訪れることを禁じ、聖職者たちを信徒の狂熱から遠ざけ、教会をこの迷信の嵐から守り続けてきた。 だが、これ以上抗い続けて何になるだろうか? 彼は、自らの信徒たちがどれほど苦しんでいるかを理解していた。彼らが求めるのは奇跡という「偶像崇拝」であり、それを与えねばならない時が来たのだ。

 とはいえ、彼はまだ慎重であろうとした。そこで彼は、洞窟で起こっている奇跡を検証するための調査委員会の設置を命じる勅令を発した。これはつまり、公式に奇跡を認める方向へと歩み出したということだった。

 もしロランス司教が、冷静な理性を備えた知的な人物だったとすれば、彼がこの勅令に署名した朝の苦悩は、いかばかりだったろうか。 彼は祈りの間に跪き、この世界を支配する神に導きを乞うた。彼は聖母の出現など信じていなかったし、神の現れ方はもっと崇高で知的なものであるべきだと考えていた。

 しかし、理性を貫くことが正義なのだろうか?
 この哀れな民衆にとっては、嘘のパン(pain du mensonge) こそが生きる希望なのではないか?

「ああ、神よ、私をお許しください。
あなたを永遠の御座から引きずり下ろし、無意味な奇跡という子供じみた遊戯へと貶めることを。
これは、あなたを冒涜する行為に他なりません。
そこには病と狂気しかないのに、私はあなたをこの愚かな茶番に巻き込もうとしているのです。
しかし、神よ、彼らはあまりにも苦しんでいます。
彼らは、現世の痛みを忘れるために、おとぎ話のような奇跡 を必要としているのです。
もし彼らがあなたの羊であったなら、あなたも彼らを欺くことに手を貸したことでしょう。
神の威厳が損なわれようとも、彼らが地上で慰めを得られるのならば、それでよいのではないでしょうか?」

 涙を流しながら、ロランス司教はついに「神」を犠牲にする決断を下した。
それは、牧者としての慈愛ゆえに、哀れな人間たちのために選ばざるを得なかった道であった。

 すると、皇帝――支配者もまた、ついに屈した。
 そのとき、彼はビアリッツに滞在しており、毎日のようにこの「出現騒動」について報告を受けていた。なにしろ、パリの新聞はどれもこの話題で持ちきりだったのだから。そして、迫害というものは、ヴォルテール主義の新聞記者たちのインクが加わって初めて完成するものだった。

 皇帝は、彼の大臣や知事、警察署長が「理性と秩序」を守るために奮闘している間も、夢見る人間特有の大いなる沈黙を保っていた――誰も入り込むことのできない、その深遠なる沈黙を。

 毎日、請願書が届いたが、彼は沈黙した。
 司教たちが面会を求め、大貴族たちや宮廷の貴婦人たちが彼の決断を見極めようと待ち構え、ひそかに言葉をかけてきたが、彼は沈黙した。
 絶え間ない戦いが彼の意志をめぐって繰り広げられていた。
 一方には、信者たちや、単に神秘に心を奪われた夢想家たち。
 他方には、不信心者たちや、想像の暴走を恐れる統治者たち。
 だが、彼は沈黙を守った。

 ところが突然、彼は意を決したかのように語り出した。
 皇后の懇願によって決断が下されたのだという噂が広まった。
 確かに、彼女の介入はあったかもしれない。
 だが、何よりも皇帝の心には、かつての人道的理想がよみがえっていた。
 また、彼の本質的な哀れみ――恵まれない者たちへの深い同情が呼び覚まされたのだった。

 司教と同じく、皇帝もまた、不幸な人々から幻想の扉を閉ざすことを望まなかった。
 知事が発令した不評の布告――聖なる泉の水を飲むことを禁じる命令を維持することで、彼らの希望を断ち切ることはできなかった。
 そこで彼は電報を送り、簡潔な指示を下した。

 柵を撤去せよ。洞窟を自由にせよ。

 すると、歓喜の声が響き渡った。
 それは勝利の叫びであった。

 新たな布告が、太鼓の響きとラッパの音とともに、ルルドの広場で読み上げられた。
 警察署長自らが柵の撤去に立ち会わなければならなかった。
 その後、彼もまた知事とともに異動となった。

 あらゆる地から人々が押し寄せ、洞窟では礼拝が組織されるようになった。
 そして、神への歓喜の叫びがこだました。

「神は勝利した!」

 だが――本当に神が勝利したのだろうか?

 否、そうではない。
 勝利したのは、人間の悲惨さであり、人間が永遠に必要とする嘘であり、刑に処せられた者が救済を求め、目に見えぬ全能の存在に身を委ねるその願望だった。

 自然の冷酷な法則を打ち砕くことのできる、ただひとつの存在――奇跡という幻想にすがる人々の、切なる思いが勝利したのだった。

 そして、もうひとつ勝利を収めたのは、群れを導く者たちの無上の哀れみであった。

 司教と皇帝という二人の慈悲深き支配者が、病んだ大きな子どもたちに、その慰めとなる「呪物」を残すことを許したのだ。


4 件のコメント:

  1. おおっと! ここで皇帝ナポレオン3世登場ですか! 結局は民衆の暴動を未然に防ぐためにルルドを解放したわけですね。

    返信削除
    返信
    1. そう、まさにナポレオン3世がついに決断を下した瞬間だね! 彼は基本的に理性を重んじる統治者だったけど、ここでは「人道主義者」としての顔を見せている。もっとも、それが純粋な同情心なのか、あるいは社会不安を抑えるための政治的計算なのかは微妙なところ。

      **「神が勝った!」** という民衆の歓喜とは裏腹に、実際に勝ったのは **「幻想を必要とする人々の渇望」** だった。ナポレオン3世は、それを無理に否定するよりも、むしろ受け入れる道を選んだわけだね。

      結局、権力者が宗教に対して取るべきスタンスって、こういうバランス感覚が求められるのかもしれない。無神論者として押さえつければ反発を生むし、全面的に推奨すれば国家統治に支障をきたす。その狭間で、彼は「洞窟を解放するが、決して自ら奇跡を認めることはしない」という絶妙な立場を取ったんだろうね。

      とはいえ、この決定によってルルドは完全に巡礼地として確立し、現代に至るまで信仰の場であり続けることになる……そう考えると、ナポレオン3世の一言は、歴史を大きく変えたとも言えるね!

      削除
  2. ナポレオン3世は結構優柔不断なところがあったようですが、皇后が陰に陽に政策上の決断に影響を与えたみたいですね。彼女はスエズ運河開発を主導したレセップスと血縁関係にあったのですよね。

    返信削除
    返信
    1. そうそう、ナポレオン3世の皇后 **ウジェニー** は、政治にもそれなりに影響力を持っていたね。彼女はスペインの貴族出身で、カトリック的な信仰心が強く、伝統的な価値観を重視するタイプだった。だからこそ、このルルドの問題でも、彼女がナポレオン3世に働きかけたというのは十分にあり得る話。

      ナポレオン3世自身は、かつてはサン=シモン主義に共鳴していたこともあって、比較的進歩的で社会改革的な視点を持っていた。でも、ウジェニーはどちらかというと保守派で、カトリックの教会勢力を重要視する立場だったから、夫の政策にも影響を与えていたんだよね。

      そして、スエズ運河の話! これがまた面白い。ウジェニーは、スエズ運河を建設した **フェルディナン・ド・レセップス** と遠縁にあたる(従兄弟のような関係)。彼女はこのプロジェクトを強く後押しして、フランスの投資家を引き込むのに一役買ったとされている。ナポレオン3世も一応スエズ運河を支持したけれど、最終的にはフランス政府として全面支援はせず、あくまで民間主導の事業として進めることになった。結果的に、イギリスが後から資本を握ることになるんだけど……。

      ウジェニーは政治的にはあまり好かれなかった部分もあるけど、ルルドの件やスエズ運河の件を見ても、宗教・外交の分野では確かに大きな影響を及ぼした人物だったね。

      削除

ルルド 第179回 完

   そのとき、唐突に、ピエールの混濁した思考の底から、兄ギヨームの姿が呼び起こされた。不思議なことに、彼は驚かなかった。きっと、どこかでつながっていたのだろう。昔はあんなにも仲が良かった、なんと誠実で優しい兄だったことか! 今や関係は完全に断たれ、彼の姿を見ることもなくなった。...