2025年3月14日金曜日

ルルド 第73回

  ピエールは最初、特に気に留めなかった。しかし、小さなテーブルに落ち着くと、その場の様子が目に入り、不快な気分になった。彼らのテーブルは、急場しのぎで持ち込まれた庭用のテーブルで、二人分の席が窮屈に並んでいた。そこから見渡すと、目の前には雑然としたテーブル・ドット(相席の食卓)が広がっていた。すでに1時間以上も食事が続いており、二度にわたって旅人たちが入れ替わっていた。その結果、食器は無秩序に散乱し、ワインやソースの染みでテーブルクロスはすっかり汚れていた。果物皿も元の整った配置を保つことなく、ぞんざいに置かれている。そして何よりも、そこに座る人々の雑多な姿が、彼を強く落ち着かなくさせた。

 ずんぐりとした大柄な聖職者たち、痩せこけた少女たち、肉付きのよい母親たち、顔を赤らめた独り客の紳士たち、そして、世代を超えて並んだ家族連れ――それぞれの顔立ちはどこか不器用で、見る者の心をかき乱すような不格好さがあった。彼らは皆、汗をかきながら、腕を体に押し付け、ぎこちない手つきで、がつがつと食べ物をかきこんでいた。その貪欲な食欲は、旅の疲れと、早く食べ終えて再び聖堂へ向かいたいという焦燥に後押しされていた。そして、その雑然とした喧騒の中央に、一人のふくよかな聖職者がゆったりと座っていた。彼だけは慌てず、ひと皿ひと皿を慎重に味わいながら、顎を規則正しく動かし、途切れることなく噛み続けていた。

「まったく!」とゲルサン氏が言った。「ここは暑いな! でも、ちょうどいい、私は腹が減っている。なんだか知らないが、ルルドに来てからずっと胃が空っぽのような気がしてね。君はどうだ?」
「ええ、食べますよ。」ピエールは、胃のあたりに込み上げる不快感をこらえながら答えた。

 メニューはなかなか豊富だった。
 サーモン、オムレツ、ジャガイモのピュレを添えたカツレツ、炒めた腎臓、カリフラワー、冷たい肉料理、アプリコットのタルト。しかし、どの料理も火が通りすぎており、ソースに浸され、脂っこく、味の薄い仕上がりだった。ただし、果物皿には立派な桃が並んでいた。とはいえ、客たちは特に食べ物の良し悪しを気にする様子もなく、何の疑問も抱かずに口に運んでいた。向かいのテーブルでは、一人の繊細そうな少女が、優しげな瞳と絹のような肌を持ちながらも、無邪気な笑みを浮かべながら、灰色の水気を帯びた腎臓料理を美味しそうに食べていた。その隣には、古びた聖職者と、みすぼらしい髭面の男が座っていた。

「うん、まあ、このサーモンも悪くはないな。」ゲルサン氏は言った。「塩を足せば、なかなかのものだ。」

 ピエールも食べるしかなかった。少しでも体力を維持しなければならなかったのだ。

 彼らのすぐ隣の小さなテーブルには、ヴィニュロン夫人とシェーズ夫人がすでに腰掛け、料理が運ばれるのを待っていた。二人は先に食堂へ降りてきており、向かい合って座っている。やがて、ヴィニュロン氏と息子のギュスターヴが姿を現した。ギュスターヴはまだ顔色が悪く、松葉杖により強く体を預けながら歩いてきた。

「伯母さんの隣に座りなさい。」ヴィニュロン氏は言った。「私は君の母さんの隣に座るよ。」

 そして、隣の席のピエールたちに気がつくと、軽く会釈しながら言った。

「もうすっかり良くなったよ。さっき、オーデコロンで体を拭いてやったし、午後には泉で沐浴もできるだろう。」

 彼は席につき、むさぼるように食べた。しかし、なんという恐怖だったことか! 彼は興奮のあまりつい声に出して話してしまった。それほどに、自分の息子が伯母より先に逝ってしまうかもしれないという恐れが彼を揺さぶったのだった。

 その伯母はというと、前日、洞窟の前で跪いて祈っていたときに、突然、心臓の病の苦しみから解放されたと感じたという。彼女は自分が癒されたのだと信じており、その詳細を嬉しそうに語っていた。ヴィニュロン氏はその話を聞きながら、丸く見開いた目で無意識のうちに不安げな表情を浮かべた。確かに、彼は善良な人間であり、誰かの死を望んだことなどなかった。しかし、それでも聖母がこの年老いた女を癒し、若い息子を見捨てるなどということがあってよいのかという憤りが込み上げてきた。

 彼はすでにコートレット(骨付き肉)に手をつけ、山盛りのマッシュポテトを大きなフォークで口に運んでいた。そのとき、彼はふとシェーズ夫人がギュスターヴに対して不機嫌な様子を見せていることに気づいた。

「ギュスターヴ、おばさんに謝ったのか?」

 その言葉に、少年は驚いて大きな澄んだ目を見開いた。そのやせ細った顔に戸惑いの色が浮かぶ。

「お前は意地悪をしたな。さっき、おばさんがお前に近づいたとき、お前は彼女を拒絶しただろう?」

 シェーズ夫人はとても誇り高い態度を崩さず、沈黙したまま待っていた。一方、ギュスターヴは、食欲もないままに、小さく切り分けたコートレットの肉片を口に運びながら、皿に視線を落とし、頑なに何も言おうとしなかった。彼は、強制された愛情表現に屈するつもりはなかった。

「さあ、ギュスターヴ、お前の伯母さんがどれほど優しくて、お前のためにどれだけ尽くしてくれているか知っているだろう?」

 いやだ、絶対に謝らない。彼はこの女を心底憎んでいた。なぜなら、彼女はなかなか死なず、両親の愛情を邪魔し、彼自身の存在が彼らにとって財産の一部であることを思い知らせるからだ。両親が彼に優しくするのは、果たして本当に彼を愛しているからなのか? それとも、彼が生きていることによって確保できる遺産のためなのか? そんなことを考えてしまうほど、彼は病の中で鋭敏な感覚を身につけてしまっていた。彼の耳は、誰も口にしない言葉すらも聞き取ることができるのだった。

 しかし、威厳を崩さぬ母ヴィニュロン夫人までもが夫に加勢した。

「ギュスターヴ、本当にお母さんは悲しいわ。お願いだからおばさんに謝りなさい。そうでないと、私は本当に怒りますよ。」

 彼は折れた。もう、どうでもよかった。どうせ、このまま生きていても、いずれ自分も死ぬのだ。家族のために、それが一番都合がいいならば……。

 彼はすべてを理解していた。表に出されない言葉の意味さえも、彼は知っていた。

「おばさん……さっきは意地悪をしてごめんなさい。」

 彼の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。しかしその顔には、まるで人生を達観したかのような、優しくも諦めたような微笑みが浮かんでいた。

 すぐにシェーズ夫人は彼を抱きしめ、「もう怒っていないわ」と言った。

 その瞬間、ヴィニュロン家の幸福な家庭の雰囲気が、一気に明るく広がった。

「腎臓料理は今ひとつだが」と、ゲルサン氏はピエールに言った。「このカリフラワーには、ちゃんと味があるぞ。」


2 件のコメント:

  1.  聖なる場所に集まる人たちも、様々な欲にとらわれた人たちであることが、これでもかとゾラは描いていますね。
     人間は生きていく上で、生理的欲求をはじめ、金が欲しい、地位が欲しい、他人よりも優位でありたいという社会的欲求を抱えているわけですが、キリスト教はそういった欲望に対してどのような考え方をとっていますか?
    仏教の僧侶は、食事についてかなり厳しい戒律がありますが、(現代日本の坊さんは別にして)、キリスト教の聖職者は食事について、何か制約はあるのでしょうか?

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    1. とても鋭いご質問をありがとうございます。ゾラの筆が、まさに「信仰と欲望のるつぼ」としてルルドを描いている場面ですね。そして、宗教が人間の根源的な欲望にどう向き合ってきたかという点でも、とても重要な問いです。

      ---

      ## ◆ キリスト教における「欲望」の位置づけ

      キリスト教は、欲望に対して基本的には「警戒的」です。特に中世以降の伝統的教義では、**神以外のものに心を奪われること(desiderium – disordered desire)**は「罪」の源とされることが多く、次のような形で整理されてきました:

      ### ● 七つの大罪(The Seven Deadly Sins)
      これらは人間の欲望が堕落の原因となる典型例です。たとえば:
      - **暴食(gluttony)**:食欲の過剰
      - **貪欲(greed)**:富への執着
      - **傲慢(pride)**:他者より優れていたいという欲求

      このような欲望が神への信頼や謙虚さを妨げるとされ、抑制・節制(temperance)こそが理想とされてきました。

      ### ● とはいえ「欲望=悪」ではない
      キリスト教は、「欲望」自体を否定するのではなく、それが**正しい秩序**にあるかどうかを問題にします。たとえば、聖アウグスティヌスは「神を愛することが第一であり、その秩序に従って他のものを愛すべきだ」と説きました。

      ---

      ## ◆ 聖職者と「食事」の規律について

      仏教の僧侶が戒律で厳しく制限されているのに対し、**キリスト教の聖職者はそこまで厳格な制限は課されていません**が、以下のような節度が求められます。

      ### ● カトリックにおける食事制限の例:
      1. **斎(jeûne)と小斎(abstinence)**:
       たとえば「灰の水曜日」「聖金曜日」など、特定の日には以下のような制限がありました(現在は緩和されています):
      - 一日一食に抑える(斎)
      - 肉を食べない(小斎)

      2. **修道会ごとの戒律**:
       特に厳格な修道会(例:トラピスト会、カルメル会など)では、菜食主義や定時の断食を守ることがあります。

      3. **節制の徳(temperantia)**:
       個人として「暴食を避ける」ことが徳目とされ、贅沢や過剰な食事は堕落とみなされます。

      ---

      ## ◆ 実際のところ…
      ゾラが描いたような「聖職者が三つ目の桃をしずしずと食べる姿」などは、**建前との落差**を皮肉っているわけですね。宗教的には「節制」が求められているのに、実際には人間らしい欲望(そして矛盾)があらわになってしまう。ここにゾラの筆の妙があります。

      ---

      ご質問にあった「仏教とキリスト教の戒律の違い」を一言でいうなら、
      🧘‍♂️ **仏教は「欲望そのもの」を煩悩として克服すべきものと見る**のに対し、
      ✝️ **キリスト教は「欲望をどう神の秩序の中に位置づけるか」に焦点を置く**
      と言えるかもしれません。

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ルルド 訳者あとがき2

私が「ルルド」の中で最も心ゆさぶられたのは ピエールが洞窟の中で、マリア様に宛てた民衆からの素朴な手紙の数々を目にしたシーンでだろうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ー病弱な弟を救ってほしい、裁判に勝たせてほしい、恋人をつなぎとめたい、結婚を成功...